11 織田信長と妲己
その日のこの病院の6階フロアは慌ただしいものだった。
もうすぐその生を終えようとしている老人たちでベッドが満員となるそのフロアで、生命維持装置のアラートが一斉に鳴り出したのだ。
ナースステーションではナースコールが次々と鳴り響く。
「ねぇ、お隣の田中さんが苦しそうよ、早く来てあげて。」
「おい、隣のやつ泡吹いてるぞっ、早く来てくれ!」
「なんなんだ朝からこの音は!さっさと止めろ!寝られないだろうが!」
各病室から同じような呼びかけやクレームを受ける。
看護士達がそれぞれの持ち場へと走る中、看護師長の女も一室へ駆け付けた。
見ると女性患者がけたたましいアラート音の中顔を真っ青に、口から泡を吹いて苦しそうにもがいている。
後ろからもアラートが聞こえてくるベッドへ目を向けると、同じように泡を吹き出し足をジタバタと悶え苦しむ老人の姿が。
更に隣の病室へ向かうと同じような光景。
各病室を駆けずり回り、看護師長はあることに気付いた。
「ねぇっ、午後一に点滴を変えたのは誰っ?」
「え、確か牧野さんです...。」
「牧野呼んでっ!」
アラートの鳴るベッドの共通点が、1時間前に変えた点滴であることに目を付けた看護師長は、点滴のビニールの上部に小さな穴が空いていることに気付いたのだ。
呼び出されて現れた牧野という新人看護師は、平然としていた。
「牧野、あんた点滴に何入れたのっ?」
「.......次亜塩素酸水です。」
「じあ...ってあんた...何したかわかってんのっ!?」
「はい。」
牧野は無表情のまま続けた。
「主任、うちのおばあちゃん、亡くなったじゃないですか。倒れた時、救急車の中でなかなか受け入れ先が決まらなくて、処置が遅れたので亡くなったんです。
早く病院に着いていれば今頃また元気に趣味のお芝居を見に行ったりしていたと思います。
なのにここは何ですか。死に際の大して動けもしない老人でベッド占領して、
昨日まで元気だったおばあちゃんが死んだ。
この人達さえいなければ、世の中にはもっと救える命があると思うんです。」
看護師長は牧野の頬を平手打ちした。
「だからって奪っていい命なんてこの世に一つだって無いっ!!」
そして看護師長は近くにいた看護師へ声を張った。
「警察呼んでっ!」
その様子を横目で見ながら、各病室を回る殺人専門死神 コウの姿があった。
「なんとまぁ...腐った世の中んなったもんだ。」
牧野によって次々と息絶える老人たちの魂を回収していた。
「よう、ばあさん。お迎えだ。安心して眠りな。」
そう一人一人に声を掛けながら移動していると、目の前に同じく黒い翼を羽ばたかせた美しい女が現れた。
「ハァイ、信長様♡」
「....テンか..。」
寿命専門死神、テン。
それは黒いジャケットに胸元ギリギリまでボタンを開けた黒いブラウス、これまたギリギリまで短いタイトスカート。
生足に黒いピンヒールを履き、黒く艶やかな髪の毛は頭頂部でポニーテールにしても腰まで長く、真っ黒なロングネイルを施した指にはコウと同じくタバコを挟んでいる。
全身が黒い出で立ちの為、その真っ赤な口紅が妙に映える。
「なぁんか大変なことになってるのねぇ信長様?」
「その名で呼ぶな。殺すぞ。」
寿命専門であるが故、この様な病院に頻繁に現れる事の多いテンもまた、魂を回収しに参上したのだった。
「お忙しそうねぇ?お手伝いは必要かしら?」
「いらん。」
「あらそ、じゃああたしはこのおばあちゃんのだけもらっていくわぁ。」
たまたま寿命を全うした同じフロアの老人から魂を抜き取ると、テンはコウの腕を組んだ。
「邪魔だ。」
「やだぁー、一緒に帰りましょうよぉー。」
「去ね。妖怪に興味はない。」
「あらぁ、あなただってもう人間じゃあないじゃなぁい。」
まもなくして警察が到着し、その手に手錠をかけられる牧野の姿を見ながら、コウは最後の魂を抜き取り、腕に絡みつくテンを冷ややかに見下ろした。
真っ赤な口元でニコニコ微笑むテンに、コウはため息を吐き、パチンと指を鳴らした。
そしてそよ風と共に2人の死神は消え去った。
───────
コウは何体かの魂を引き連れて、三途の川の船場である奪衣婆(だつえば)の元へとやって来た。
コウが手のひらを広げると、そこから白い魂達が空中へ浮かび上がり、それぞれの生前の姿を現した。
彼らは辺りをキョロキョロと見回し、物珍しそうに三途の川を眺めている。
「奪衣婆、今日の分だ。後は頼む。」
コウがそう話しかけると、椅子に腰掛けスマホを弄る、三途の川の船番である奪衣婆は、伝承のイメージとは違い若々しい姿。
胸の開いた白いタンクトップに黒いライダースジャケットを羽織り、黒いスキニーパンツには足首までの厚底ブーツを履いている。
その薄い桃色の、腰までウェーブがかった髪の毛を耳にかけ、コウを見上げた。
「おやぁ、信長じゃあないか。今日も男前だよぉ、あんた。」
「その名で呼ぶな。」
椅子に腰掛けその谷間を寄せると、色目を向けてそう口を開く。
「奪衣婆....お前...また若返ったか。」
「分かるかぁい?この美貌を保つのも大変なんだよ。」
「そんなに若返りの薬ばっか飲んで体に悪いぞ。お前何歳だよ。」
地獄ができた頃からの古株は急に目を据わらせムッとして答えた。
「忘れたよんなもん。そしてあたいを奪衣婆と呼ぶな。時絵(ときえ)と改名したと言ったはずだ。
ほら、さっさとどきな、仕事の邪魔だよ。」
タバコに火をつけるコウを手で追い払うと、奪衣婆は椅子から立ち上がった。
するとコウの背後から妙に艶のある女の声が聞こえた。
「時絵おば様、こちらも頼めるかしらぁ?」
振り向くと、数人の亡者を連れた テンが立っていた。
「おば様ねぇ。あんたも大概ばばぁ様じゃあないか。ばばぁどころか化石レベルだよあんたは。」
奪衣婆がお返しにと煽る。
「あらぁ、あたしの容姿はお薬には頼ってなくってよ?」
「若い姿に変化してるだけじゃあないのさ。小賢しい女狐が。」
「この変化を保てるのも若い証拠なのよぉ?」
2人の蹴落とし合いに、とてつもなく面倒くさいことに巻き込まれそうだと確信したコウは、黒い翼を広げ一気に上空へ飛び立った。
「あっ、待ってぇ信長様ぁーっ!あたしも行くぅーーっ!」
テンはその翼をわざと奪衣婆にぶつかるよう広げると、コウの後を追って飛び立った。
どうにも怒りが収まらない奪衣婆は、座っていた椅子を地面に投げつけ当たった。
その様子をポカンと眺める亡者に目をやると、テンが連れてきた亡者に有り得ない人物が混じっている。
20代後半辺りだろうか。
若者の男。
テンは寿命専門死神である。
つまり、テンが連れてくる亡者は皆年寄りなはず。
奪衣婆はニヤリと口角を上げると、スマホでどこかへ電話をかけ始めた。
──────
地獄の裁判所へとやってきたコウとテン。
扉を開けると、目に見えそうなほどの威圧を放つ閻魔に、与えられた任務を遂行し損ねたガクが見下ろされ小さくなっている。
「またやらかしたかあいつ。」
コウはタバコに火をつけ、呆れたようため息と共に煙を吐き出した。
ガクが引きつった笑顔の維持に限界を迎えた頃、背後からガクの腰に白く細い腕を回しテンが抱きついてきた。
「ガクじゃないかぁ。久しぶりだなぁ。相変わらずかわゆいやつよ♡」
「テン姐さんーっ今日もお美しいっすー♡」
背中に胸を押し付けられ、ガクの表情筋が一気に緩んだ瞬間、その声は響いた。
〖テンよ、ちょうど良い。来い。〗
閻魔の重低音声がテンを壇上へと呼び寄せた。
「どうしたのかしら?閻魔様、少しはあたしをお認めになって?」
コツコツとヒールを鳴らし階段を登る。
煌びやかな装飾を施された椅子へ腰掛ける閻魔の目の前まで来ると、閻魔はその顎へと手を伸ばした。
テンは閻魔へ微笑んだ顔を近づけると、閻魔はその指先で撫でるように首元へ滑らせる。
テンが微かに喘いだその瞬間、閻魔はその手で白い首を一気に締め上げた。
「ぁ”っ...あ”...」
〖テン、貴様の寄越した亡者に何故若者がいる。貴様、また人を喰らったな。〗
平然としてはいるが、首を握るその力は、今にも握りつぶさんばかりの凄まじい握力だ。
すると閻魔の執事であるユキがデスクから立ち上がり、壇上を睨み見上げて口を開いた。
「何度同じ過ちを繰り返せば気が済むのだ妲己。その人喰い癖をやめろ。
人の世の生態系が乱れるではないか。
飯なら十分すぎるほど与えているはずだぞ。地獄の亡者の血肉では足らないと言うのか。」
ユキが見上げるその目は鋭く、テンを突き刺す。
するとテンは苦しみ悶えながらも、突然煙と共に白い小さな狐に変化し、閻魔の手をくるりとすり抜けた。
すぐにまたくるりと前方へ一回転すると、その姿は壇上の閻魔を見下ろすほど大きな、
白い九尾の狐へと変化した。
九尾の狐、妲己。
それは人の死肉を喰う日本の三大妖怪だが、逆を言えば人の死期を察知できる妖力を持つとも言える。
その為死神の職に便利だとみなされ今に至る。
そして、中国や日本で数々の傾城を企ててきた妲己は、出来れば若い男の肉の方がお好みである。
〖やだぁ閻魔様、首絞めプレイがお好き?〗
テンは皮肉を交えてその大きな口を開いた。
するとユキはそれを見上げながら眼鏡をカチャリとかけ直し割り入った。
「黙れ女狐。あの若者を弱らせて死に至らしめ肉体は全て食い尽くしたのだな。
閻魔様はお前の妖力を買って死神に任命したのだぞ。
期待を裏切る真似をしおって、今度という今度は許さん。」
〖堅物はこれだからやーね、人間の1人や2人どうってことないじゃなぁい。時々我慢出来なくなっちゃうの、許して♡〗
「貴様っ...!」
調子に乗るテンに、ユキが手を翳し光る何かを放とうとした瞬間だった。
〖息子は元気か。〗
唐突な閻魔の声が響いた。
一見話の流れには関係のないように聞こえる一言だが、テンはその言葉にハッとした。
〖貴様が使えぬのなら、息子の白蔵主と交代させてもよいのだぞ。〗
相変わらず鋭く冷酷な細目でテンを見上げると、テンの鼻筋に青黒い血管皺が寄る。
ユキはいつでもその光を放てるよう手を翳したまま構えている。
するとテンはくるりと前方へ一回転すると、今度は死神の姿に戻り、壇上の閻魔を見上げその妖艶な眼差しで睨むと、そのまま出口へと振り向き口を開いた。
「閻魔、息子に手ぇ出したらその頭噛みちぎるわよ。」
テンは当初とは別人のような低いトーンでそう言い放つと、
ヒールを激しくコツコツと鳴らし、出口の扉を蹴り開け飛び立っていった。
一方、その一部始終をガクは目を丸くして眺めていた。
「姐さん....妲己だったのかよっ...すげぇなっ。」
自身の時もそうだったが、どうやらガクは歴史上のあらゆる著名物に興味があるのだと確信したコウは、補足するように口を開いた。
「ありゃ何千年も前からしつこく生き続ける中国の妖怪だ。まぁ日本に来てからは玉藻前とかいう名になったらしいが。とりあえず人を食うとんでもねぇバケモンだよありゃ。」
「へぇーっ本物だぁー♡」
「あれには気を付けろよ、噂だが、何やら強い妖力を持つとかで、閻魔でも処分に手を焼いてやがるらしいからな。怒らせればお前なんぞ一瞬で粉々だ。」
それでもまだ目をキラキラと輝かせるガクをしばらく見下ろし、コウはガクの顎を持ち上げ、その整った顔をマジマジと覗き込んだ。
「.....何。」
「やっぱお前可愛いな。」
「あぁ?」
「ちょっと今日俺に付き合え。」
「嫌だけど。」
「いいから来い。」
「やだータスケテー。」
コウに襟首を握られて引きずられてゆくガク。
この後めちゃくちゃ、
飲まされた。
TO BE CONTINUED…
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