8 殺人専門死神とストーカー



リビングから物音が聞こえる。


旦那はまだ帰ってきていないはずだ。


2階で洗濯物を干していた女は恐る恐る階段を降りると、リビングの扉を開けた。



そこにはフードを被った男が包丁を持って突っ立っている。



「な...何してんのよ...。」



男は問いかけにも答えずただ女を見つめている。



「なんで分かったのよ...引越しして番号も変えたのよ?なんなのよあんた!なんでそんなにあたしに付きまとうのよ!」



男はそれでも何も言わずに立ったまま。



「出てってよ!ふざけんじゃないわよ!警察呼ぶわよ!」



警察を呼ぼうにも女のスマホは男が立つ傍のテーブルの上に置いてある。

男を刺激しないようゆっくりとテーブルへ近寄ろうとすると、包丁を持ったまま男は飛びかかってきた。


女の肩を掴み壁へ打ち付けると、男はボソボソと何かを呟き出した。



「....よ...なん...だよ...何で俺じゃないんだよ....。」


「やめて!」


「何で俺じゃダメなんだよぉぉぉおおおおおおあああっ!!」



男は呟きからだんだんとそう叫び、女を床へ押し倒した。


それと同時にその壁にかけられていた、ウエディングドレスで微笑む女と旦那の写真が落ちて、額縁のガラスが割れる。


頭を打ち付けた女は脳震盪を起こしながらも必死に暴れ抵抗した。



「あんたとはもう終わったでしょ!いい加減にしなさいよ!お願いだからっ...!もう諦めてよっ!」



女は目に涙を溜めて必死に訴えた。


するとフードでよく見えなかった男の目にも涙が溢れている。



「ダメなんだよ...お前は俺じゃないとダメなんだよ!俺じゃ...俺じゃねぇなら死ねぇぇええええええーーーーー!!」



そう叫んだ男は、女の胸をその包丁で思い切り突き刺した。



「っぁ”っ!」



声にならない声を上げる女に、男は叫びながらまた包丁を刺した。



「大丈夫だ、俺も、俺も逝くからなっ、なっ、俺がいるからっ、もう大丈夫だっ、これで一緒だっ!」



返り血を浴びた男は女から離れると、その傍でフローリングに膝をつき、項垂れてぶつぶつと呟き出した。



「大丈夫だ...大丈夫だ...俺がいる...大丈夫だぞ...待ってろ....。」



その呟き声は、女の薄れゆく意識の中でも聞こえていた。


すると、女の視線の前に、フローリングへコツりと鳴らした黒い革のドレスシューズが舞い降りた。


その革靴の先を、女は出来る限り眼球を動かし見上げた。



「あーぁ。可哀想になぁ。」



黒いスラックスを履いた人物はそう言いながら、自身の顔が女の視界に入るようしゃがみこみ見下ろしている。



「赤坂 夏芽(なつめ)、俺ぁ死神だ。迎えに来てやったぞ。」



それは襟足まで伸びた艶やかな黒髪をオールバックに、片目には大きな傷を携え、口にはタバコを咥えている男。

眉間の皺を寄せる、まるでヤクザのような形相の男が、背中の黒い翼を一つ羽ばたかせると、数枚の黒い羽が辺りに舞い散った。



「し....にが...み....あたし....死ぬの....?」


「あぁ、そうだ。」



タバコのせいかしゃがれたその低い声は見た目とは裏腹に優しかった。



「い...やだ....死にた..く.....」



夏芽は息も絶え絶えに声を絞り出した。



一方でストーカーの男には死神のコウは見えておらず、息は荒く、目を見開き、興奮し

た様子で胸に包丁を突き当てている。



「無念だろうが、これがお前の運命だ。俺があの世まで連れてってやるから、安心して眠りな。」



コウは男をチラリと見ながら夏芽へ優しく囁いた。


夏芽はすでに声を上げることも出来ず、目を閉じるとすぐに息絶えた。



そしてその瞬間、ストーカーの男は両手で思い切り包丁を振り上げると、

一気に自身の胸を目掛けて刺した。


男の口からはすぐに血液が溢れ出し、包丁の突き刺さったままフローリングへ突っ伏した。



「あーぁ。」



それを見ていたコウは呟いた。

男への憐れみではない。

奴が、間に合わなかったからだ。


すると一足遅れてリビングにそよ風が吹き抜けると、ひらひらと舞う黒い羽と共に慌てた様子でガクが現れた。



「げっ!間に合わなかったー!」



ガクはそう声を上げると、男の遺体をツンツン指さしながら残念そうに見つめている。



「遅せぇよ。何やってんだ。」



女の額から白く光る魂を抜き取りながらコウは話しかけた。



「いや、隣の家のおねいさんがお着替えしてたもんでついね♡」


「覗いてんじゃねーよ。」



コウは立ち上がり2本目のタバコに火を付け、ため息と共に煙を吐き出した。



「そいつ、この女のストーカーだ。喜んで死ぬっつっただろうよ。勿体ねぇ。」


「まぢでぇ?やっちまったー。仕方ねぇ。魂だけ抜いて持ってくかぁ。」



ガクはしょんぼりと男の額に手を翳し、白い魂を抜き取った。



「ねぇねぇコウちゃん。」


「ちゃん付けやめろっつったよな。殺すぞ。」


「この魂、俺は多忙で間に合わなかったってことにしてくんない?」


「んなもん秒でバレんぞ。閻魔には全て見えてんだ。」


「でーすーよーねー。はぁ...俺が消されても、俺の事忘れないでねコウちゃん。」


「あぁ。きれいさっぱり忘れてやるよ安心しろ。」



リビングに赤黒い血液が流れ広がる中、そよ風と共に2人の死神の姿が消えた。





アザと可愛いとはこれの事だ。


後ろ手に腕を組み、肩をすぼめ、上目遣いで自分を見つめるガクを、閻魔は相変わらず冷ややかな目で見下ろしている。


正常に抜き取った魂は死神たちによって三途の川の船場である奪衣婆(だつえば)の元へと送られる。


その役目を終えたガクは、案の定閻魔から呼び出しを食らった。

怖いから付いてきてほしいと懇願するガクに根負けしたコウは、閻魔に見下ろされるガクの後ろで気だるそうな様子でタバコに火をつけたところだった。



〖ガク、魂だけとはどういう了見だ。

貴様どうやら本当に消されたいらしいな。〗


「ちょっ...と待って、やるから、ちゃんとやりますからっ。」



ガクは無理やり口角を上げて閻魔に微笑んだ。



〖情けや慈悲をかけるな。死にたいやつは死なせておけ。間に合わなかったなど以ての外。片っ端から魂を奪い取れ。それが貴様に与えられた任務だ戯けが。〗


「いや、俺は織田信長じゃないんすよぉ?そんな無慈悲で冷酷非道なこと...ははっ。」



閻魔は無理やりにそう笑うガクを見て、意味ありげに問う。



〖ほう。信長が冷酷と申すか。〗


「え、だって、残虐で神をも恐れぬ豪胆さだったとか言うじゃん?俺にはとてもとても。」



ガクは一刻も早くこの場から去りたい一心でにこやかにやり過ごそうとする。


すると閻魔は変わらず崩れぬ冷静な表情でとんでもない事を口に出した。



〖信長なら貴様の後ろに居るが?〗



一瞬固まったガクはゆっくり後ろを振り返る。


後ろにはタバコを吹かしながら睨みつけるコウが立っている。


もう一度前を向く。


そしてまた後ろを振り返る。


やはりコウしかいない。



「おぃ閻魔、人の素性をベラベラと。プライバシーの侵害だぞ。」



コウはタバコを咥えながら壇上の閻魔を睨みつけた。



「......待て待て待て、のぶっ...信長っ?コウちゃんがっ?」


「ほらめんどくせぇ。」



コウはガクから目を逸らすと呆れた様子で振り返り、出口の扉へ歩き出そうとしていた。



「ちょっ、待ってっ。」



ガクは慌ててコウを呼び止め、ユキのデスクから何かを持ち出し、急いで駆け寄った。


コウがこれまで信長とバレた時の皆の反応は実に面倒くさいものだった。


やれ、大量虐殺を楽しむほど残虐非道だったって本当ですか?

やれ、鳴かぬなら殺してしまえホトトギスって言ったって本当ですか?

やれ、本能寺で死んだのは本当に信長様ですか?


これまでの数百年間、何度同じ回答をしてきたことか。

しかも質問しておいて怯えた表情で引け腰。

怖いなら関わらなければいいのに。


それがガクともなればどうだ。

好奇心旺盛な、やけに自分に懐いているこいつなら質問責め間違いない。

考えただけで面倒くさい。


するとガクはコウの目の前まで駆け寄ると、突然紙とペンを突き出し、子供のような無邪気な笑顔で嬉しそうに言った。



「サインちょーだぃっ♡」



数秒の沈黙が流れた。


ガクの意外な反応に目を見開くコウは、

ガクの頭に手を置き呟いた。



「......可愛いな、お前。」



「.............なんて?」






人間にはどうしようもない苦の瞬間がある。

金銭での失敗。

男女関係のモツレ。

自分以外の人間を傷つけた時、また殺した時。


それが自ら命を絶つ死へと発展してゆくなら、是非協力してやってほしい。

死神屋さんのガクさんに。

アナタの力で生を受ける魂たちに。


そして出来れば死ぬ手前でガクさんが現れるのを待ってやってほしい。

切実。


TO BE CONTINUED…



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