それでも百合に挟まりたい男マサキ
マサキはハンバーガーに特段の思い入れがあるわけでも、「古き良き」時代のアメリカに愛着があるわけでもなかった。マサキがハンバーガーショップを営んでいるのは、実家がハンバーガーショップだから自分もそれに倣って店を出そうと思ったという単純な理由だけだった。
だから『ガイア』の内装を飾っているのは七十年代西海岸風のエンブレムでもどぎつい色のネオンでもなく、各地の百合系同人誌即売会を渡り歩いて手に入れた膨大な同人誌の山と、芳林堂書店までせっせと出向いて手に入れた缶乃『あの娘にキスと白百合を』の複製原画、その他オークションで落とした大量の百合画像であった。そこに申し訳程度のジュークボックスが置かれているせいで、客はセーラー服姿の少女がディープキスを交わしているのを直視しながらビージーズ『愛はきらめきの中に』やカーペンターズ『トップオブザワールド』を聴かなければならなかった。入店したら聞こえてくるのは桜TrickのOP『Won(*3*)Chu_KissMe!』で、天気がいいとサビ部分で腰を振って踊りながら接客するマサキの姿を目にすることができた。
ハンバーガーの味は悪くなかった。悪くないどころか、かなりよかった。ネイビーバーガーにアレンジを加え、あえて堅くトーストされたバンズはデミグラス風味のオリジナルソースとチェダー・モッツアレラ・ゴーダをブレンドしたチーズと相性抜群だった。バンズとパティが二段、三段と積まれた豪快さが特徴的なガイアバーガー(ラージサイズ)は、競合店が立ち並ぶどぶ板通りの中でもトップクラスのおいしさだった。二〇一八年には、横須賀ウォーカーの編集部が取材に訪れたこともあった。ダイナーらしからぬ、百合を前面に押し出した特異な内装。それに反して本格的なハンバーガー。話題性としては抜群だし、確実にバズるだろうとすら考えていた。ところが、取材に出向いた記者ナカノコウセイは、百合の解釈をめぐってマサキと大きく対立した。激怒した彼は取材後記事掲載を断念し、食べログにてレビュー記事の体裁で『ガイア』批判を展開。俗に言う「ゆるキャン△食べログ論争事件」はネットで大きな騒動となり、結果として『ガイア』には毎日のように中傷メールが送られるようになった。今、『ガイア』は物珍しさに惹かれて寄ってくる客がぽつりといるばかりである。
目の前には、五〇〇万円の札束。あの場で、受け取らない選択肢を取ることはできなかった。だが、それよりもマサキの中で引っかかっていたのは、「百合に挟まりたいなどと頭のおかしいことを抜かす」という、広告マンの言葉だった。
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