第603話 覚醒した公爵令嬢
「 信じられないわ 」
カーテンから漏れる明るい日差しに目が覚めたレティが上半身を起こしたら、そこはアルベルトのベッドの上だった。
ベッドにアルベルトはいなかった事から、騎士団の早朝訓練に行っているのだろう。
広いベッドの片側のシルクのシーツの皺が、そこに彼が寝ていた事を窺わせて。
皇宮に入内してからもう直ぐ1年。
この日のレティの朝は何時もの朝とは違っていた。
昨夜は……
嬉しさのあまりにお酒を飲んで……
嬉しさのあまりに大泣きをして、そのままアルベルトの腕に抱かれて寝たのだった。
いや……
皇太子宮に入内してからは、殆ど毎夜アルベルトと一緒に寝ていた。
「 まだ結婚もしていないのに…… 」
モニカ達侍女はどう思ってるのかしら?
今更だけど恥ずかしい。
「 やっぱり……私は極限状態だったんだわ 」
レティは覚醒した。
今まで足枷となっていたループの世界から解き放たれたのだ。
20歳の時の、死の原因となった出来事を回避する事を目標に、特効薬を作り、雷風の矢を作り、剣と弓矢の訓練に励む事に心血を注いで来た。
生か死の極限の世界にいた事から、レティは身も心もガリガリと削られる様な毎日を生きていたのだった。
そんなレティは……
もうずっと月のものが来ていなかった。
だから侍女も付けずに長旅が出来たのだが。
それ程までにギリギリの状態だったのだ。
そんな心の状態を癒してくれたのがアルベルトで。
皇太子と言う絶対的存在が傍にいる事は何よりもレティを安心させた。
不安や恐怖で押し潰されそうな夜も……
彼の綺麗な瞳で見つめられ、優しい声で甘やかされ、彼の腕に抱かれ、その逞しい胸に顔を埋めれば、安心して眠る事が出来た。
しかしだ。
覚醒した今、恥ずかしさのあまりに顔を両手で覆ってしまう。
こんな薄着のナイトウェアで私はアルに抱き締められていたなんて。
レティはフラフラと起き上がり洗面室に向かった。
ここにはもうレティの歯ブラシや洗顔用具、自分が作った化粧水まで置いてある。
いつの間にか侍女達が置いてくれていたのだ。
そんな事も何だか凄く恥ずかしい。
今からこんな生活をしていて良いものかと、自問自答を繰り返す。
ふと鏡を見れば……
知らない顔があった。
誰?
鏡に映った自分の顔がとんでも無い事になっている。
綺麗なピンクバイオレットの瞳が見えなくなっている程に、瞼が見事に腫れ上がっていて。
昨夜は……
お酒を飲んで長時間大泣きをしていた事から、瞼は腫れ上がり、顔が浮腫んで凄い顔になっていたのだった。
「 駄目だわ。こんな不細工な顔をアルには見せられないわ 」
レティは……
何もかもがすっかり無理な状態になっていた。
***
昨夜レティは……
ループが終わったと言って泣いていた。
頭の中で誰かにそう言われている気がするのだと。
レティはシルフィード帝国を……
強いては世界を救うために、このループを繰り返していた。
それが神の仕業ならば……
こんな小さな令嬢に、こんな数奇な運命を背負わせた事には怒りしか無いが。
レティだからこそやり遂げられたのだと。
だからレティだったのだろうと思うのだった。
「 君の4度目の人生は……僕の前に現れてくれて有り難う 」
アルベルトの腕の中で、泣き疲れて眠るレティにアルベルトは静かに言った。
アルベルトは毎朝騎士団の早朝訓練に参加している。
騎士団では昼間にも訓練をしているが、アルベルトは執務の関係で参加出来ない事もあるので、早朝訓練だけは欠かさず参加している。
それは10歳頃に訓練を始めた頃からずっと。
レティと一緒に寝る様になってからは、特に熱を発散させる様な激しい訓練をしていた。
それは男の事情によるもので。
皇子様も22歳の健康な男子なのだ。
旅に同行した第1部隊は一週間の休みを与えられたが……
騎士団は第1部隊だけでは無い。
アルベルトは第2部隊の訓練に行ったのだった。
皇宮騎士団最高指揮官であり自分が2ヶ月も留守をしたのだからと言って。
だから様子を見に行くだけのつもりだったが……
結局は訓練に参加した。
「 殿下? 昨日帰城したばかりでお疲れでは? 」
訓練が終わって宮殿内に戻る道すがら、護衛騎士達が心配して聞いてくるが……
身体はかなり疲れているのだが、その疲れと男の事情は別物だから仕方が無い。
「 大丈夫だ。問題ない 」
訓練が終わったアルベルトの姿を見ると、皆が嬉しそうに頭を下げて挨拶をする。
皇子様のいない宮殿は火が消えた様で……
この2ヶ月の間は、皆は寂しい思いで過ごしていたのだった。
秘密裏に出発したが……
皇太子が2ヶ月も皇宮を留守にするのだから、完全な秘密には出来ない。
国境にあるカルロス・ラ・マイセン辺境伯の領地に、近いうちに起こるかも知れない戦争の為に視察に行く体にしていた。
勿論マイセン領地に行っていただが。
朝の諸々の支度が終わる頃で、宮殿内にはスタッフ達が多く行き交っていて。
そんな何時もの光景がそこにあり、また何時もの毎日が戻って来た事に喜びを感じていた。
終わったのだと……
アルベルトは改めて実感するのだった。
***
部屋に戻って見れば……
レティが頬かむりをしてベッドの上に正座をしていた。
また……
何でこんな格好を?
「 ただいま 」
「 お帰りなさい 」
アルベルトはレティの頬にお早うのキスをしようと顔を近付けた。
レティは顔を隠す様にクルリと向きを変える。
「 挨拶のキスをさせて貰えないの? 」
「 見ないで!……それより話があるの…… 」
何? 機嫌が悪い?
「 じゃあ、ちょっと待ってて、シャワーが終わってから話を聞くよ 」
アルベルトはそう言って浴室に消えて行った。
やっぱり……
この状況は駄目よ。
アルベルトの着替えの世話はずっとレティがしている。
侍女達も、2人が部屋にいる時は呼ばれるまでは決して姿を見せない。
侍従に至っては、最早お役御免だ。
レティは母親のローズが父親のルーカスの世話をしている事から、妻が夫の世話をするのは当然だと思っていて。
勿論、王女だったシルビア皇后はロナウド皇帝の世話はしない。
それに……
2人の寝室は別々である。
だからと言って仲が悪い訳では無い。
誰が見ても仲睦まじい夫婦である。
ただ……
2人は皇子と王女だっただけで。
しかし……
アルベルトはレティが世話をしてくれるのが気に入っている。
結婚してから住む夫婦の部屋のベッドも、結局は寝室に一台だけにした。
レティは風邪を引いた時の為に、別々のベッドがあった方が良いと言っていたが。
「 これって……もう夫婦だわ 」
夫婦……
レティはその単語に恥ずかしくなる。
アルベルトのシャワーの音にも恥ずかしくなって。
タオルで拭きながら出て来たアルベルトに背を向ける。
頬かむりの隙間からチラリと見ると……
濡れた金髪の前髪がかき上げられて、キリリとした形の良い眉毛が露になり……
その色っぽさに心臓が跳ね上がる。
眉毛ごときにこれだけ心臓がバクバクするのだ。
やはり昨日までの私では無いのだと、レティは手を胸に当てた。
「 髪を拭いてくれないの? 」
レティは、赤くなった顔を隠す様にしてソファーに座ったアルベルトの後ろに回り、タオルで頭をガシガシと拭いて。
「 え~っと……その頬かむりの理由を聞いても良いかな? 」
レティに髪を拭いて貰いながらアルベルトが聞いた。
「 ……今日は……不細工なの…… 」
「 !? 」
「 昨夜お酒を飲んで泣いたから、瞼が腫れてるの 」
だから顔を見ないでと言って、振り向こうとしていたアルベルトの頭をガシッと掴んで動かない様にした。
弓を引くこの女は本当に力が強い。
「 僕はね、君の泣いた顔も、怒った顔も、どんな顔も大好きなんだ 」
「 こんな不細工な顔でも?」
「 うん……その不細工の顔をもっと見せて 」
アルベルトはそう言って、ソファーの後ろにいる頬かむりレティの顔を覗き込んだ。
大好きだよとその美しい顔で微笑んで。
レティはまだ頬かむりを取らないが……
少し嬉しそうな顔をした。
「 話ってこの事? 」
「 違うの……あのね……これからはもうアルとは一緒に寝ないわ 」
「 !?………どうして!? 」
また急に何を言い出すのかと目を見張る
「 だって……結婚もまだなのに……こんなのおかしいでしょ? 」
侍女達はきっと変に思っているわ。
警備の人も。
「 僕達は何? どう言う関係? 」
「 それは……私達は婚約をしているわ 」
「 婚約がどう言う事か分かってる? 結婚の約束をしたと言う事だよ 」
「 そうだけど…… 」
「 僕達は結婚して夫婦になるのだから、なんの問題も無いと思うけど? それに、モニカ達は僕が君を抱き締めているだけだと分かっているよ 」
シーツを取り替える時に分かる筈だとはレティには言わないが。
更に恥ずかしがらせては元も子もない。
「 今になって、どうしてそんな事を? 」
「 あのね……恥ずかしいの…… 」
レティは正直に話した。
アルベルトの腕の中で寝ていたのは心が弱っていたからだと。
もうループが無くなったと思ったら、急に恥ずかしくなったのだと、頬かむりレティは腫れた瞼で上目遣いをした。
可愛い。
最早、この皇子は痘痕も靨。
「 ずっと君を抱き締めて寝ていたから……君がいないと僕は眠れなくなる 」
ほら、君の身体の形も覚えているんだよと言って、アルベルトは手で輪を作り、レティを抱き締める真似をした。
「 私がいないと眠れない? 」
「 そうだよ。僕が眠れないと公務に支障が出て、皆が困る事になるんだよ? 」
アルベルトは大袈裟に言って、レティを必死で口説いている。
「 これからも一緒に寝てくれる? 」
レティはちょっと考えて……コクンと頷いた。
よし!
うまく丸め込めた。
拗らせたら大変だ。
アルベルトは小さくガッツポーズをしたのだった。
物心が付いた頃から……
ずっとこの広い皇太子宮に、たった独りで過ごして来たアルベルトの孤独は計り知れない。
彼がレティを手放す事など到底無理な話なのである。
そうしてラブラブな2人の、結婚式に向かってのカウントダウンが始まった。
何もかもが幸せいっぱいの。
色んな事を乗り越えた2人の絆は確固たるものだった。
幸せになりたい。
幸せにしたい。
***
年明けからずっと不穏な空気に包まれていたシルフィード帝国だったが。
皇帝陛下から帝国民に向けて戦争は回避されたと正式に通達され、皆が安堵した頃……
驚くべきニュースが飛び込んで来た。
「 聖女が誕生した 」
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