第604話 聖女と聖杯

 




 レティはクラウドと相談をして、お妃教育に本腰を入れる事にした。

 アルベルトは、そんな事は祭祀の言うとおりにしとけば良いだけだから、時間を取るのなら自分の為に取れと主張をしたがレティに脚下された。


 レティのお妃教育らしき物は既に終了していた。

 シルフィード帝国筆頭貴族の公爵令嬢であるレティは、全てのマナーは申し分の無い位に備わっていた。

 彼女の所作を見れば一目瞭然だ。


 レティの3度の人生での経験が、ヘンテコな令嬢にしてしまっていたが……

 それもまたご愛嬌で、彼女を知る者は皇族に嫁ぐには申し分の無い令嬢だと思っている。

 勿論、その頭脳は天才だと賛美される程で。


 ただ……

 レティが学ばなければならないのは皇族の儀礼に関する様々な事。

 皇后陛下に就いて、皇族の仕来たりや伝統的な祭事を学ぶ必要があるのだった。



 レティは21歳になってからの自分の未来は見ていなかった。

 それは……

 20歳の年に死に、14歳の学園の入学式にループすると言う数奇な運命があったからで。


 それを乗り越えた今……

 やっと皇太子妃になると言う自覚が芽生えたのだった。



 アルベルトはそんなレティの変化が嬉しかった。

 ずっと思って来たのだ。

 レティがアルベルトと言う個は好きなのだが、皇太子妃になると言う自覚は無いのだと。


 それはレティの辛いループがあった訳で。

 それらを乗り越えた今、やっと自分との未来を考えてくれた事が嬉しくてたまらない。


 アルベルトと結婚して妻になると言う事は、皇太子妃になると言う事。

 そして……

 やがてはシルフィード帝国の皇后になると言う事なのだから。



 レティの、これからのお妃教育の取り組みを聞いた皇后シルビアが喜んだのは言うまでもない。

 やっとレティちゃんを独占出来るのだと言って。


 今までは……

 兎に角アルベルトがレティに近付けさせなかった。

「 レティにはやらないとならない事がある 」からと。



 医者であり、薬学研究員であるレティだから、シルビアや周りの者はその仕事をやりたいのだと思っていた。

 結婚式をレティの21歳の誕生日にしたのも、彼女がそれらをしたかったのだろうと思って。


 これからの女性の地位の向上を図りたいと考えている皇后シルビアは、自分のやりたい事の道を進むレティの姿勢をよしとしていた。


 既に、レティの影響で多くの女性達の意識は向上していた。


 女医や女性文官も増えていた。

 女性騎士誕生の前哨である学園の騎士クラブには、かなりの女生徒達が入部していた。

 その中には庶民棟の女生徒も多くいて。



 今までは結婚だけを人生の目標としている事の多かった貴族令嬢達も、各々のやりたい事をやろうとする姿勢が芽生え、また、それを許す親達が増えた事も喜ばしい事だった。


 それらは全て……

 シルフィード帝国の筆頭貴族である公爵令嬢であり、皇太子の婚約者であるレティが、自分の職業を優先する姿勢がそこにあったからで。


 そして……

 それを許す皇太子。

 更には皇帝陛下や皇后陛下にも称賛が高まっていたのだった。



 ***



 タシアン王国の一件が終わると、入れ替わりの様にミレニアム公国の大公からロナウド皇帝宛に書簡が届いた。


 届いた書簡には……

 の知らせが書かれてあった。



 聖女。

 それは魔獣を浄化する魔力を持つ魔力使いの事。

 ミレニアム公国でしか現れない魔力使いだ。

 百年に1度現れると言われているが、近年では二百年余りも出現していない。


 聖女の魔力は浄化。

 聖女が魔獣の出現する場所に浄化の魔力を放出すれば、百年は魔獣が現れないとされている。



 世界中が魔獣に苦しめられている中で、シルフィード帝国の魔獣の出現率が低い事は、皇帝と皇太子が伝承する聖杯と聖剣があるからで。


 その2つの神器に埋められた魔石には、聖女の浄化の魔力が融合されている。

 その聖杯が皇宮に置かれている事で、シルフィード帝国全体が守られているのだ。


 それでも、国境辺りには出現しているが、他国に比べればその出現率は比では無い。


 シルフィード帝国の今日までの発展も……

 国が魔獣に襲われないからだと言われている。



 そのシルフィード帝国でさえも最近は魔獣の出現が多くなっていた。

 二百年も聖杯と聖剣の浄化の魔力が更新されていないのだから当然で。

 魔石に融合された魔力は永遠では無いのだから。



 あのガーゴイルが出現した場所は、シルフィード帝国の台所だと言われ、皇都民の全ての食糧を提供しているウォリウォール領地の目と鼻の先の場所。


 何百ものガーゴイルはあの魅了の魔石の影響だろうが、あの場所にガーゴイルが出現した事を重要視する必要があった。

 ウォリウォール領地は……

 シルフィード帝国の領土のほぼ中心の場所にあるのだから。



 それでもシルフィード帝国には新しい武器があった。

 あの雷風の矢は『 殿下の矢』と呼ばれ、地方を守る騎士団の第3部隊の騎士達から絶賛されていて。


 風の魔女イザベラと雷の魔力使いのアルベルトが、せっせと魔力を融合させて増産している所である。



 この度の聖女誕生のニュースはロナウド皇帝を歓喜させた。


 ミレニアム公国は、近々聖女を連れてシルフィード帝国に訪れると言う。

 虎の穴の魔法の部屋にある魔石で、聖女の魔力を調整する為に。


 その虎の穴にある魔石は……

 遠い昔、まだシルフィード帝国もミレニアム公国も王国だった時代に、タシアン王国から侵略されたミレニアム王国の王女聖女が、シルフィード王国に助けを求めて逃げて来る際に、ミレニアム王国から持ち出して来た物であった。



 ***



 その日……

 レティは港にいた。


 久し振りに店に行ったレティが手紙を整理をしていると、港での市の開催の案内状が届いていた。


「 今日までか…… 」

 何か掘り出し物があるかも知れないと港に行く事にした。

 ずっと山や谷や森の中にいた事から、海を見たかった事もあって。


 海は……

 あの事件の時から行ってはいない。



 丁度良い時間に港への乗合馬車があった事から、護衛騎士達と一緒に乗り込んだ。

 乗合馬車に乗るのは久し振りで、以前にアルベルトと港にデートをしに行った時以来。


 騎士達は私服だから騎士とは分からない。

 勿論、帯剣はしているが。

 貴族のお嬢様とお付きの者と言う体だ。


 港でロブスターを食べようと騎士達と話をしたりして。

 食いしん坊レティはロブスターが大好物だ。

 今からヨダレが出そうな位に。



「 風が気持ち良い 」

 春先のまだ少し冷たい風が、開けられた窓からレティの亜麻色の長い髪をサラサラと靡かせる。


 呪縛から解き放たれたレティは……

 今にも踊り出したい気分だった。

 もう……クルクルと。


 そう言えば……

 ゴンゾーのダンス教室は休止中だったわ。

 久し振りにゴンゾーに会いたいな~


 何時もダンスが下手だとダメ出しをされているが。

 ボロクソに言われても……

 あのオネエ口調で言われれば、あれはあれで癖になるのだった。



 乗合馬車の停留所から降りると、船の前に大勢の人々が集まっていた。

 キャアキャアと黄色い声があちこちから上がって。

 何だろうと思って近付いて行くと……


 あっ!?

 グレイ班長がいる。

 ロンやケチャップ達、第1部隊の第1班の騎士達が隊列を作って停泊している船を見上げていた。


 まだ休暇中の筈なのに。


 タシアン王国から帰国した面々は、皇帝陛下から1週間の休暇を与えられていた。


 ……と、言う事はアルが来てるって事?

 今日は出掛ける用事は無いって言ってたのに。


 2人の間では……

 朝食を食べながら、その日の1日の予定を教え合う事が日課になっている。


 今日は店に行くと言ったレティに。


「 あっ、良いね。僕は今日は執務室に缶詰だ 」

 気を付けて行っておいでと言って。


 レティにあ~んさせてデザートの果物を食べさせて、美味しい?と聞いて来ると言う、何時もの甘い甘い朝だった。



 ふむ……


 レティが民衆に紛れて船の上を見ると。

 そこにはミレニアム公国の国旗があった。


 アルが迎えに来ると言う事は大公?

 大公は王族じゃ無いのにアルがわざわざお出迎えに来る?



 ざわざわとした声がワッと言う歓声に変わった。

 船上にアルベルトが姿を見せたのだ。


 紺の軍服姿に黒のマント姿。

 スラリと背の高い立ち姿の、その格好良さにレティも見とれた。



『 皇子様は遠くから愛でるもの 』

 皇子様ファンクラブの掟が思い出される。


 次の会合には行きたいわね。

 皇宮に入内してからは、クラブの会合に顔を出せないのが痛い所だ。

 会報はちゃんと送られて来るが。



 そして……

 アルベルトの差し出した手に、ぎこちなく手を乗せた少女が現れた。

 少女を気遣い何やら話し掛けてるアルベルトの顔は限りなく優しい。


 顔を赤らめた少女は……

 オズオズとアルベルトに手を引かれてタラップを降りて行く。



 それは……

 何時か見た光景。


 レティの16歳の誕生日の日に見た光景と同じ。

 イニエスタ王国の船から降りて来るアルベルトとアリアドネ王女の姿と重なった。


 忘れていた光景を思い出して動機が止まらなくなった。

 アリアドネ王女はレティのトラウマだ。



 しかし今見ている光景は……

 レティの知っている完璧な皇子様と王女様の姿では無かった。


 見てからに分かる不釣り合いな2人。

 おどおどとした少女は、タラップで躓き転けそうになって。

 慌てたアルベルトが少女を抱き抱える。


 ワッと上がった歓声と、キャアーと言う悲鳴がレティの耳をつんざいた。


 少女が両手で自分の顔を覆うと……

 アルベルトが膝を折って少女の顔を覗き込んで話し掛けている。


 そして……

 また、少女の手を取ってタラップを降りて来た。

 優しい瞳は少女を見たままに。


 そして……

 少女を馬車に乗せ、後から付いて来ていた2人の侍女らしき女に何やら話をすると、2人は馬車に乗り込んだ。


 その後ろにあるもう1台の馬車に乗り込んだ見覚えのある顔は、大公の息子達だ。

 ちゃんと6人いる。


 誰かしら?

 大公達より重要視されてるあの令嬢は?



 アルベルトは騎士が手綱を持って用意していた白馬に乗った。

 すぐ側にレティがいるのにも気付かずに……

 真っ直ぐ前を見据えて。


 先頭を走る為に馬に乗ったグレイが、レティの存在に気付いた。

 驚いた顔をしていて。

 レティと視線が合わさった。


 グレイはすぐ後ろにいる、白馬に乗ったアルベルトに何やら話し掛けるが……

 民衆の声に掻き消されているのか、アルベルトはグレイの声には気付かずに前を見据えたままで。



 レティは慌ててグレイに手を振り、顔を横に振った。


 公務の邪魔をしたくない。


 グレイは分かってくれた様で……

 ニッコリと笑ってレティに頭を下げた。


「 今から、皇宮に向けて出発する 」

 一行はアルベルトの声で駆け出した。


 白馬に乗った皇子様がグレイの後に続く。

 その後ろに続く2台の馬車を守る様にして、並走する騎士達が民衆達を統制しながら駆けて行く。


 一行はあっと言う間にレティの前から走り去り、レティは民衆がいなくなるまでずっとその場に立っていた。



 ***



 少女はミレニアム公国で誕生した聖女。


 ミレニアム人の特徴である黒髪にシルバーの瞳。

 全てのパーツが小さくて、美しいと言うよりも庇護欲が湧く様な愛らしい顔をしていた。


 小さくて細身だから余計に。

 年齢は18歳。

 レティよりも2歳年下だ。



 そして……



 聖女は平民だった。













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