第601話 閑話─諜報員と公爵令嬢

 



 ジャック・ハルビンは、レティの1度目の人生でレティの死の原因を作った憎き存在だ。


 何の関係も無い、その場に居合わせただけのレティを事件に巻き込み、その結果彼女は海に突き落とされて死んだのだ。


 あの日は……

 恋慕う皇太子殿下のご成婚に向けて、婚約者である王女のウェディングドレスを作る事から逃げる為に、ローランド国行きの船に乗ったに過ぎないのだから。



 しかし……

 この事件がレティの数奇な運命の始まりだった。


 何故レティだったのかは分からないが……

 彼女は3度の死を経てアルベルト皇太子に出会い、世界征服を狙うタシアン王国のザガードと、悪の根源であるドレインを葬る事をした救世主と言えよう。


 しかし……

 だからと言って2度目の人生も、3度目の人生もその為に生きた訳では無かった。


 デザイナー兼店のオーナーになった1度目の人生と同様に、医師になりたいから医師になり、騎士になりたいから騎士になったのだから。



 2度目の人生では医師であるユーリが、3度目の人生では騎士であるグレイがレティの大切な存在だった。


 しかし今生は……

 皇太子殿下の婚約者である事から彼等とは少し距離がある。

 その代わりに、ジャック・ハルビンとは彼等より親しい関係になっていた。



 ジャック・ハルビンはサハルーン帝国の諜報員だが、それに託つけて行商をしている。

 レティは、リティーシャと言う名前で『 パティオ 』と言うブティックを経営している、デザイナー兼オーナー。


 ジャック・ハルビンはレティの店の仕入先業者でもあるのだ。


 サハルーン帝国の商品は勿論、他国の商品も仕入れて来てくれるジャック・ハルビンは、無くてはならない取引業者だ。

 仕入れ値段は若干お高いが。




 ***




 ジャック・ハルビンはサハルーン帝国の諜報員。

 主君の命を受けてタシアン王国に潜入して色々と調べていた。

 国を壊滅状態にしたドラゴンが……

 タシアン王国の仕業だったと言うのなら、黙ってはおけないと。



「 この国……かなりヤバイわ 」


 街での聞き込みでは……

 政治を投げ出した国王だと噂されている。

 愛人にのめり込んでいるのだとか。


 愛人ならば我が国の陛下は何十人もいるが。

 それでも政治を疎かにする事は無い。

 復興に向けても心血を注いでおられる事から、帝国民の人気は高い。



 今宵は初めて宮殿に忍び込んだが……

 王族が住む場所なのに警備が恐ろしく薄い。

 簡単に宮殿に忍び込む事が出来た。


 反対に忍び込め無いのがシルフィード宮殿。

 流石は鉄壁の護りを誇るだけの事はある。


 宮殿の周りは堀で囲まれており、入り口は掛けられた橋の一ヶ所しか無い。

 そこには四六時中門番がいて、橋を渡り終えてもまた門番がいる。

 一度堀を泳いで渡ったら、堀の壁がツルツルしていて掴めない事から、危うく溺れ死にそうになった事もある。



 ジャック・ハルビンがぶつぶつ言いながら歩いていると、柱にサッと人影が消えた。


「 !? ……まさか…… 」

 ジャック・ハルビンは目を眇めた。


 暗闇の中でも黄色いリュックが際立っていて。


 おいおい。

 背中のリュックと弓矢が隠れてないぜ。


 見覚えのあるスタイルは彼女しかいない。

 それに……

 あのリュックは俺が仕入れて店で売っていたリュックだ。

 俺も大概神出鬼没だが……



「 おい! 何でお前がここにいるんだよ? 」

「 !? 」


 柱から半分だけ顔を覗かせたレティが、ジャック・ハルビンを見て来た。


「 ジャック・ハルビン!? 」

 暗くてよく見えないが声で分かる。


 何でこんな所に……

 最近姿を見掛けないと思ったら、タシアン王国に来ていたのね。


 何時も何時も……

 彼とは思わぬ所で出会している。

 レティは近付いて来るジャック・ハルビンに視線を合わせた。



「 今日の格好も可愛らしいな 」

「 ウフフ……マジックアーチャーよ! 」

 思わず片足をクイっと上げてオハルを構えてポーズをかますレティが……

 こんな事をしてる場合じゃないわと慌てて。



「 あんたがここにいるって事は……もしかして皇太子も来てるのか? 」

「 ………そうよ 」


 ほう……

 シルフィード帝国が動いたか。

 これは是非とも拝見させて貰わなきゃな。



「 ……で? 皇太子は何処だ? 」

「 シーー! 私達は影なんだからその敬称を出さないでよ! 」

 それよりも良いところに来たわと、レティがジャック・ハルビンの腕を引っ張って行った。



「 牢屋の鍵を開けて欲しいの! 」

「 俺に牢破りをさせる気か? それに誰だよこのオッサンは? 」

 兎に角鍵を開けてと言って、レティは大体の経緯をジャック・ハルビンに話した。

 牢屋にいるタイナーもレティの話を黙って聞いている。



 話しながら……

 レティはジャック・ハルビンの鍵を開ける手元を凝視して。

 瞳をキラキラさせて。


「 何だよ!? 覗くなよ。これは企業秘密だぜ 」

「 良いから良いから、私も影になりたいんだから 」

「 じゃあ! 俺と夫婦めおとになろうぜ 」

 冗談めかしてジャック・ハルビンが言う。


「 なっ……!? サハルーン帝国の男って、皆が皆軽いの? 」

 こんな所で冗談なんか言わないでよねと、レティはジャック・ハルビンを睨み付ける。


 そうだ。

 我が主君も彼女に求婚してたんだっけ。



「 ほい! 外れたぞ! 」

 凄ーいと手を叩くマジックアーチャーが可愛らしい。


「 冗談じゃ無いんだけどな 」

 ジャック・ハルビンは……

 レティと行く色んな国への船旅が楽しいと思っただけで。



 そして……

 タシアン王国の国王の最期を見届けると、宮殿の塀の側に置いていた馬に飛び乗った。


 さあ、我が主君に報告に行きますか。

 それに……

 注文された絹の反物も早急に持って行かないとな。



「 私のアルに何をするんじゃーっ!! 」

 最愛の皇太子を守ろうと……

 あんなに恐ろしい顔をした男に、平然と飛び掛かっていった可愛らしいマジックアーチャーを思い出して。


「 いよいよ結婚するのか…… 」

 サハルーン帝国の諜報員ジャック・ハルビンは独り言ちた。



 ジャック・ハルビンは、アルベルト達よりも一足早く母国に向けて旅立った。



 勿論、あのトンネルを利用する。














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