第600話 閑話─グレイのドキドキ

 




「 グレイ班長! 災いの魔力を食らったんですって!? 」

 レティがグレイの顔を覗き込んでいる。



 アルベルト御一行様は、朝早くタシアン宮殿から無事に脱出して、馬に乗って逃げる様に走りに走り、夜になってやっと宿屋に到着したばかりだ。


 アルベルトを庇って、ザガードが放出した災いの魔力をまともに食らったグレイは……

 風呂に入った後、部屋のベッドで身体を横たえていた。



 顔を覚えられ無い様にする為に、行きと同じ宿にはしたくなくて別の宿屋を探した事から、適当な宿屋を見付けるのにかなり時間が掛かった。

 旅人が来ないからか、潰れた宿屋が多かった。


 宿屋に入ると……

 先に風呂に入る様にと宿屋の店主が言った。


「 あんたら肥溜めに落っこちたのか? 」

 本当は泊めたく無いが、最近は客が少ないから仕方無いと店主がぶつぶつと言って。


 そりゃあそうだろう。

 フードを深く被り、顔を隠した30名程の集団が皆が皆悪臭を放っているのだ。


「 何とでも言え 」

 タシアン語を話せるレオナルドが呟いた。

 この臭さがあったからこそ、タシアン王国の悪の根源を断つことが出来たんだ。

 お前ら感謝しろよと。



 グレイが魔力を食らった瞬間は身体が動かなくなったが、意識はあった。

 皆が心配していたが……

 その後は馬にも乗れ、ダメージは無いと思われた。


「 殿下に当たらなくて良かった。 」

 自分が魔力に当たった時の衝撃を思い浮かべながら、グレイは改めて安堵するのだった。

 無事に主君を護れた事を。



 それにしても……

 災いの魔力って何だ?

 俺の身体にどんな災いが起こるのだろうか?


 不安に思いながらも、身体はベッドに沈んだままにどんどんと瞼が重くなる。


 食事に……行かなければ……


 グレイはそのまま起き上がれずに眠りに落ちた。



 ふと目を開けると……

 目の前には愛しい女性ひとの顔があった。


 大きなピンクバイオレットの綺麗な瞳に自分の顔が映っていて。

 ふんわりと甘く優しい香りがした。



 ああ……

 夢を見てるのか。


 夢でも殿下に申し訳ないと思う程に……

 自分には手の届かない女性ひとで。


 そう思いながら……

 グレイはぼんやりとした頭でレティをじっと見つめていた。



「 グレイ班長! 災いの魔力を食らったんですって!? 」

 ああ……

 可愛らしい声も聞こえる。


 グレイ班長……

 そうなんだ。

 彼女は初めて会った時に俺をグレイと呼んだ。

 何故だろう?


 前に会った事があったのか?

 それがどうしても思い出せない。



「 グレイ班長! 」

「 えっ!? 」

 グレイはガバッと上半身を起こした。


「 体調はどうですか? どこも異常は無いですか? 」

 デカイ顔のリュックから布製の袋に入っていた医療セットを出しながら、レティは矢継ぎ早に質問をして来た。



「 リティエラさ……ま……? 」

「 胸の音を聞きますね 」

「 !? 」

 ボーっとしているグレイのシャツのボタンを外して行く。


「 ………… 」


 ドキドキ……


「 何だかボーっとしてますわね。意識が混沌としているのかしら? 」


 ドキドキ……


 そうだ。

 彼女は医師だ。

 災いの魔力を食らった俺を診察しているのだ。



 レティが聴診器を胸に当てて耳を近付けて来る。(←この時代の聴診器は筒型)

 グレイの目の前にはレティの亜麻色の髪の頭があった。

 頭から香る良い匂い。



 ドキドキ……


 すると……

 レティがゴソッと動いた時に……

 レティのオデコがグレイの唇に触れた。

 一瞬の事だったが。



 ドッキーン!!


 心臓が跳ね上がる。


 彼女が聴診器から耳を離した事を安堵する。

 こんなバクバクとした心音を聞かれたくは無い。



「 心臓の動きが少し早いわ 」

 レティが聴診器を外してグレイを見つめる。


「 顔が少し熱いし……熱がありそうね 」

 白くて小さな手がグレイの額に触れ、下まぶたを捲って至近距離の診察をして。



 もう……

 死んでも良い。


 グレイは天井を仰いだ。

 このまま時が止まれば良いのにと。



「 災いの魔力って何が起こるんッスかね? 」

「 ガーゴイルはこの災いの魔石で増えたんですよね? 」


 えっ!?


 グレイの心臓が更に跳ね上がった。



 部屋にロンとケチャップがいる。

 こちらをじっと見ている。


 食事に来ないグレイを呼びに、ロンとケチャップが部屋に来てみれば……

 何度起こしてもグレイは目を覚まさなかった。


 何時もは何事にも機敏な班長が起きないのは異常だと判断して、2人は慌てて医師レティを呼びに行ったのだった。



 丁度アルベルトと食事をしていたレティは、その時に初めてグレイが災いの魔力が当たった事を知った。


「 どうしてもっと早く言わなかったの!? 」

 医師レティに……

 ロンとケチャップと同じ様に、アルベルトも叱られたのは言うまでも無い。


 その後にはあんな出来事があったのだ。

 グレイも何時も通りに馬に乗って先頭を駆けていた事で、彼が災いの魔力を食らった事をすっかり忘れていたのも仕方が無い。



 うわっ!?

 殿下もいらっしゃる。


 1人掛けのソファーには……

 アルベルトが長い足を組んで座っていて、じっとこっちを見ている。

 片手を頬に当てて。


 慌ててベッドから降り様とするグレイを、レティが胸に手をやりトンと押さえた。

「 まだ診察が終わって無いわ 」

 ……と、言って。



 ドキドキ……


 殿下のリティエラ様への嫉妬心が強い事は折り紙付きだ。

 これを見てどう思われているのか……


 グレイは脂汗をかいた。



 その時……

 アルベルトがソファーから立ち上がり、グレイの元へやって来た。

 レティが場所を譲ると……

 アルベルトはグレイの胸元に手を伸ばして来た。


 ヤバい……

 殿下を怒らせてしまった。

 リティエラ様の額に唇が触れたから……


 グレイは歯を食いしばった。


 すると……

 アルベルトは、スッとグレイのはだけた逞しい胸に手を当てた。


「 魔力が……まだ感じられる…… 」

「 そうなの? 何の魔力か分かる? 」

「 いや、俺には何の魔力かまでは分から無いな 」


 魔力使い同士はお互いの魔力の存在が分かる。

 魔力の痕跡も。

 だから、グレイの身体にもまだ魔力が残っているとアルベルトが言う。



 レティは医者だが……

 医学的な事ならともかく、魔力に関してはさっぱり分からない事から、魔力使いのアルベルトにも診て欲しいと頼んでいたのだった。


「 何か……変な事が起きたらどうしましょう 」

 レティもグレイの手足を触ってチェックしだした。


 アルベルトは本当に心配していた。

 何時もの嫉妬心さえ湧いてこない程に。

 自分を庇ってくれたのだから尚更で。



「 もしかしたら……キノコみたいなのが身体にわんさか生えて来たりして 」

 レティの笑えない冗談に皆は固まった。


 そして……

 グレイは自分の身体中に生えたキノコを想像して、違う意味でドキドキして。


 結局グレイは、その後も体調に異変を来す事も無く、勿論キノコも生える事は無くて、無事に旅を終えたのだが。




 後日……

 虎の穴の所長であるルーピンの元へ、騎士グレイが白衣を着た医師レティと共に訪れた。


 ルーピンがグレイの胸に手を当てて魔力の残存を調べたが、魔力はもう身体には残ってはいないとの事。


「 殿下の放った雷の魔力の量が足ら無かった事で、災いの魔力が完全では無かったのでは? 」

 殿下はやはり魔力の放出量を加減したのでしょうと言った。


 アルベルトは……

 雷の魔力でザガードを殺すつもりは無かった。

 何としてでもコバルトの手で殺る必要があったのだから。



「 良かったですね! キノコが生えなくて 」

「 もし生えたらどうしましたか? 」

「 勿論、全部採って研究しますわ 」

「 リティエラ様の……研究材料を提供出来なくて残念です 」


 2人で薬草畑の横の小路を歩きながら……

 そう言って2人で笑い合った。



 グレイ28歳、レティ20歳。

 薬草畑は緑が眩しく……

 2人の間には春の風が優しく吹いていた。



 もう直ぐ彼女は主君の花嫁になる。













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