第539話 医師達の決意

 




 流行り病の第一報が入ったのは7月の半ばを過ぎた頃。

 丁度学園が長期休暇に入る頃だ。


 発熱、嘔吐、下痢の症状のある者が何人も出ているのだと言う。


 その症状の者は港街の人で、港街の診療所の医師から早馬で知らせが来た。


「 来たか…… 」

 病状はレティが言っていた通り。

 アルベルトがこの症状の患者が出た時は、直ちに自分に知らせる様にと通達していたのだった。



 アルベルトの動きは早かった。

 学園、病院、虎の穴関係は皇太子の管轄だ。


 学園の平民達は学生寮で暮らしている。

 地方の平民生徒達は、長期休暇でも帰宅せずに学園に待機する様に指示を出した。

 貴族生徒達も地方への帰省を禁止した。



 そして……

 港への船の入出港を禁止した。

 流行り病だと通達すれば外国船はそのまま帰国した。

 自国に流行り病を持ち帰る訳にはいかないからで。

 船の乗組員達は流行り病の恐ろしさを十二分に知っているのだから。


 港街からは沢山の人々が色んな場所に移動をする。

 その移動を禁止して、近隣に行く道路を港にいる騎士達に早馬で知らせ、完全封鎖した。


 まだ流行り出したばかりで大袈裟だと眉を潜める者もいたが、それらの意見を無視して行動出来る事が皇太子の力である。



 アルベルトは現場に派遣する医師達を召集した。

 医師は体力のある若い医師達に限った。


 現場に行く医師達はスロットン医師をリーダーにユーリ、庶民病院のロビン、その他の20代や30代の若い医師を中心に派遣する事になった。


 スロットン医師はユーリの師匠で、ロビン医師はユーリと共にローランド国に派遣された平民医師である。



 レティを初め薬学研究員達がせっせと作っていた特効薬は既に十分な量になっていた。

 他国にも供給出来る程に。


 ブルーの色をした薬『 キクールスペシャル 』がこの特効薬の名前だ。

 この新薬を発表したマークレイ・ヤング医師とダン・ダダン薬師が名前を付けて、この薬の元になるキクール草は爺達が名付け親だ。


 センスが無さ過ぎるとレティは不機嫌だ。

 せめて『 キクールパンチ 』だと。

 もはやどっちでも良いが。



 沢山のブルーの小瓶が虎の穴の冷凍室から運び出され、馬車に運び込まれて行く。

 ドラゴンの血から作られたポーション、マスク、消毒薬と共に。

 この薬品達を保存する冷凍庫は、レティが錬金術師シエルに頼んで作って貰っていた物だ。



 医師団の派遣には、流石にレティが同行する事は許され無かった。

 皇太子妃になるレティを、流行り病が蔓延する街に行かせる訳にはいかないのは当然で。


 これだけはどんなにレティが懇願してもアルベルトは認め無かった。

 レティも……

 最初は少しごねたが、結局は従った。

『 皇太子命令 』を発令されたら従わない訳にはいかない。



 出立は第一報のあった翌日の早朝。

 レティはアルベルトと共に見送りに来ていた。


「 ユーリ先輩…… 」

 レティが泣きそうな顔をしている。


 どうかご無事で……

 皆と打ち合わせをしているユーリの診療鞄を、レティがチェックしようとしたら……

 ドナルド医師がやって来た。


「 これは……弟子である俺の仕事だ! 弟子でも何でも無いウォリウォール医師のする事では無い 」

 ……と、言ってニヤリと笑ってレティの手から診療鞄を奪って行った。


 ドナルドはユーリのバデイとなっているレティと同い年の医師である。



 キーーーッ !!


 レティはこいつが嫌いだ。

 学園時代の試験は4年間ずっとレティが1番でドナルドが2番だった。


 天才だと言われたレティが、先生達に点数を加算される事を、皇太子殿下の婚約者だから特別待遇を受けていると言って陰で嘲笑っていた奴だ。



 ユーリ先輩のバデイは自分だったのに。


 ずっと……

 四六時中一緒にいて医療の世界を2人生きていたのだ。

 それは……

 レティに取っては掛け替えの無いもので。


 こいつが……

 昔から嫌いなこいつが、ユーリのバデイになった事が憎たらしくてたまらないのだ。



 バデイのいないレティが……

 ユーリに質問をしようとすると、必ずや邪魔をして来る。


「 ユーリ先輩は俺の師匠だ! 気安くするな! 」

 ……と、ユーリに聞かれない様にこそこそと言って来る。

 それがまた腹立たしい。



 キーーーっ!!


 レティはアルベルトのいる場所まで駆けて行って胸に飛び込んだ。


 クラウドや女官達が何事かと驚いているが……

 アルベルトが軽く手を上げて彼等を少し下がらせた。


「 何? レティ? どうした? 」

 何か辛い事を思い出したのかと心配する。

 20歳になったレティは時折こんな風に不安定になる事がある。


 自分の死と隣り合わせで生きているレティが……

 不安定になるのは当然だ。


 そんな時は……

 レティが落ち着くまでそっと抱き締めるのだった。



「 ドナルドの糞野郎! お前だけ肥溜めに落ちろ! 」

 心配するアルベルトだったが、レティの口から出て来たのはとんでもない悪口。


 ラウルが聞いていたら間違いなくほっぺを捻り上げる。

 公爵令嬢が下品な言葉を使うなと。



「 ユーリ先輩は私の師匠よ!! 」

 嫉妬のあまりに胸が張り裂けそうで。

 レティは悔しくてアルベルトの胸に顔を埋める。


 おいおい……

 その嫉妬心に俺はどうしたら良いんだ?

 俺こそがユーリに嫉妬してるんだぞ。


 全く……


 アルベルトはヨシヨシとレティの頭を撫でた。



 諸々の準備が整い、いよいよ出立の時。

 皆はアルベルト前に並んで出立の激励を受ける。


「 流行り病は戦だ! これによって多くの民の命が失われる事になるのだから。それを防げるのは医師であるそなた達だけだ! 必ずや戦いに勝利しなければならない! 」


「 はい! 必ずや我々の手で食い止めてみせます! 」

 皇太子殿下の言葉に医師達が感動していた。

 こんな激励は初めての事で。



「 どうか……このノートに書いてある事を実行して下さいね 」

 レティは流行り病の対処法を記入したノートを、医師団のリーダーであるスロットン医師に手渡した。


 レティ本人が感染して死んだ流行り病の注意事項だから、この記述は確かな物。



 このノートは、ユーリとロビンがローランド国に派遣された時に、レティがウィリアム王子に渡して欲しいと託した物と同じだ。

 きっとローランド国でも流行り病が流行しているだろう。


 ウィリアム王子に託したのは、やはりローランド国の医師に渡すよりは確実だからで。

 ノートに書いてある注意事項事を確実に実行させるには、王子の命令が絶対なのはアルベルトの側にいて分かる事。


 このノートにはアルベルトのサインをして貰っていた。

 よって……

 レティのノートに記載している注意事項は皇太子の命令である。



 スリーニ伯爵領地の診療所にいるマークレイとダンも港街に向かった。

 ミレニアム公国で知り合ったエイダン医師も。


 シルフィード帝国で流行り病が発症したと聞いて、母国から船に乗ってシルフィード帝国の港に向かった。


 シルフィード帝国がくしゃみをすれば、属国であるミレニアム公国が風邪を引くと言われている事から……

 エイダンは後学の為に向かったのだ。


 前もって特効薬とポーションはシルフィード帝国の虎の穴から送られて来てはいたが……

 やはり患者を直接診る事が大事な事なのだからと。



 こんなに早く準備が整い、第一報を受けての翌朝に医師団を現地に向かわせる事が出来たのも、アルベルトが前もって体制を整えていたからで。


『 特効薬 』『 ポーション 』『 医師 』


 医師達はこの準備万端な様子に絶対的な自信を持った。


「 必ずや我々の手で流行り病を撲滅させてみせる 」

 若い医師達は勝利しかないと燃えていた。




 ***




 皆を見送ったレティは虎の穴の研究室に籠った。

 大人しく……

 大人しく……


 してる筈が無い。


 このレティ様が大人しく手をこまねいている筈が無い。



 ここから馬を走らせれば港街まで2、3時間余りだ。

 レティは変装した。

 騎士の格好ならば怪しまれない。



 夕方に出発したら夜には港に着く。

 そうしたら警備の者に言えば良い。

「 皇太子殿下の伝令がある 」……と。


 1度入ってしまえば出される事は無いだろう。

 それはこの病気が伝染病だから。



「 アル……ごめんなさい 」

 どうしても自分で治療をしたいの。

 私は医師なの。


 あの時……

 間違ったやり方をした自分が許せない。

 医師のくせに早々に諦めた事も。

 医師として何ら出来なかった事を成し遂げたい。


 それに……

 私の死がきっと役に立つ筈。

 私は流行り病で死んだのだから。



 もし……

 生きて帰る事が出来たら……

 皇太子命令に逆らった罰を受けますわ。



 自分の研究室で騎士服に着替えたレティは、夕方に虎の穴からこっそりと抜け出してショコラに乗った。



 そして……

 夕暮れの皇都の街を、独り馬を走らせた。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る