第471話 ジャック・ハルビンの正体

 



 ユーリとロビンの2人の医師が乗ったローランド国行きの船を見送り、帰路に就こうとした時にレティの視線の先にジャック・ハルビンがいた。


 ジャック・ハルビンは世界中を行商をしている商人だ。

 だから港で見掛ける事が多いのだが。


 ただし、本当の正体は分からない。

 ローランド国では、アルベルトの腕を試す為に暴漢をよこし、腕が立つ事が分かれば雇いたいとスカウトをして来た位だから、胡散臭い仕事をしているのは確かである。



 ただならぬ気配を感じて、ジャック・ハルビンが振り返れば……


 ドレスを翻しながら、もの凄いスピードで自分の方に向かって駆けて来る女が目に飛び込んで来た。


 怖い……


「 えっ!? リティーシャ!? 」

 いや……リティーシャの正体は公爵令嬢。

 シルフィード帝国の皇太子殿下の婚約者。


 そして……

 その後ろから、彼女を追い掛ける様に駆けて来る背の高い金髪の男を見てギョッとする。


「 皇太子だ! 」


 うわーっ!!

 ジャック・ハルビンは悲鳴を上げて逃げ出した。




 ***




 ジャック・ハルビンが初めてこの2人に出会ったのは……

 ローランド国に出していた輸入雑貨の店の中だった。


「 ジャック・ハルビン! 」

 客が来たからと店に出ると……

 いきなりフルネームで叫ばれた。


 彼女を見ると凄い形相で睨んで来る。

 昔の女かとも思ったが……

 全く見覚えが無い。

 そもそもこんなに綺麗な娘なら忘れる筈は無いし、別れる事も無いだろうに。


 全く知らない女……

 いやよく見ると少女。

 その美しい所作と身なりは高位貴族の令嬢。

 睨む顔も美しい少女だと思った事が第一印象だ。



「 確かに俺はジャック・ハルビンだが、貴女様にフルネームで呼び捨てにされる謂れは無いが? 」

 

 その時に、横にいた背の高い金髪の美丈夫が彼女の肩を抱き寄せながら言った。


「 失礼をお詫びする 」

 品の良い高位貴族の坊っちゃんと言うところかと彼を見ると……

 美しい顔に似合わず立派な体躯で、彼からは何やら凄いオーラを感じた。


 話をすれば……

 2人は婚約中でシルフィード帝国から旅行に来ていて、なんと甥のノアと知り合いだと言う。


 婚前旅行?

 この色気たっぷりの美丈夫と……

 この小さな少女が?

 後から聞けば彼女は20歳だと言っていたが。


 そして……

 あのひ弱なノアと、この高位貴族の2人が知り合い?


 そこに違和感を持ったが……

 何よりも……

 この金髪美丈夫が放つオーラが気になって仕方無い。


 そして……

 この高貴な令嬢はサハルーン語を話したのだ。


  「 ここの商品をまた買いに来ます 」


 彼女は一体何者なんだ?

 いや、この2人の全てが怪しい。


 先ずは金髪美丈夫の腕っぷしを見たいと部下に彼等を襲わせれば、コテンパンにやられて戻って来た。


 欲しい!

 これ程の腕っぷしならいくら払っても良い。

 ましてやこれだけの美丈夫ならば女を簡単に騙せる。


 しかし……

 翌日にあの令嬢が店にやって来て、いきなり短剣を投げられた。


 こいつもただ者では無い。


 どうにかして繋がりを持て無いかと思えば……

 彼女は店を経営してるから俺の店の物を仕入れたいと言うではないか。


 そうして……

 この胡散臭い高貴な貴族達と接点を持つ事になったのだが。

 まさか……

 シルフィード帝国の皇太子とその婚約者だとは思いもしなかった。


 一体……

 この高貴過ぎる2人は何なんだと。



 逃げ出したジャック・ハルビンは港の倉庫の一角に追い詰められた。


「 何故俺が追い掛けられなきゃならないんだ!? 」

「 貴方が逃げるからよ! ジャック・ハルビン! 」

 レティがそう叫ぶや否や、ジャック・ハルビンの周りを、見るからに荒くれの男達が取り囲んだ。


 直ぐ様アルベルトはレティを抱き上げ、アルベルトの前にはズラリと並んだ騎士達が剣を抜き、戦闘態勢に入った。


 荒くれ男達は6人、騎士達は10人。

 双方向かいあって一触即発の雰囲気になるが……


「 お前達! 止めろ! レベルが違い過ぎる 」

 騎士達もさる事ながら……

 皇太子殿下は雷の魔力の持ち主。

 我が国を壊滅状態にしたドラゴンでさえ、彼の雷の魔力でやられたのだ。


 婚約者を片腕で抱き上げながら……

 片手を上げ、雷の魔力を何時でも落とせる態勢を取っている姿が怖すぎる。



 荒くれ男達を下がらせると、ジャック・ハルビンが両手を上に上げて両膝を地面に付いた。

 そうしないと殺気だった騎士達に今でも斬り掛かって来られそうなのだ。


「 殿下? 拘束しますか? 」

「 いや、いい。お前達も剣を納めよ 」

「 御意 」

 騎士達が剣を納めて戦闘態勢を解いた。



「 俺は何もしていないぞ! 」

 そう……

 よくよく考えればジャック・ハルビンは何もしていない。

 レティが追い掛けて来たから逃げただけで。


「 俺に何の用だ!? 」

「 用が有り過ぎよ! 」

 レティがアルベルトに抱き上げられたままジャック・ハルビンを見下ろした。




 ***




 3人は港にあるレストランにいた。

 元々レティと昼食を食べようと貸し切りにしていた事もあり、レストランは3人だけであった。


 遠巻きに……

 少しでも変な事をしたら切り捨てるぞと殺気立っている騎士達はいるが。



「 先ずはお前とジャファル殿の関係を聞かせろ! それからドゥルグ領にジャファル殿と何をしに来ていたのか? 」


 アルベルトの質問にレティはウンウンと頷いている。

 もう聞きたい事がいっぱい過ぎて、レティの目はギラギラしている。


 アルベルトとレティの視線を横に、ジャック・ハルビンはロブスターを食べる事に夢中だ。


「 ちょっと! それ私のロブスターなんだから遠慮しなさいよ! 」

 レティも負けずとロブスターにかぶり付く。

 大好物なので。


 横にいるアルベルトが、レティの為にせっせとロブスターを解体しだした。

 とても嬉しそうに。


「 ………聞きしに勝る溺愛っぷりだな 」

 まさかあんたらが皇太子カップルとは……

 ジャック・ハルビンは酒をグビグビと飲みながら2人を見ていた。


「 じゃあ、グランデルの王太子と決闘をしたのはあんたなんだ? 」

 確かに……

 あんたなら勝ちそうだとジャック・ハルビンは腹を抱えて笑った。


「 そんな事より貴方の正体は何なの? 」

「 商人だよ 」

「 お前はサハルーン帝国の諜報員だよな? 」

「 !? 」

「 その位は我々も調べあげているぞ! 」

「 流石だな。まあそちらさんにも俺みたいなのがいるだろうからな 」

 ジャック・ハルビンがニヤニヤと笑みを浮かべている。



 ジャック・ハルビンが諜報員?

 要するにスパイである。


「 影ね!! 」

 レティが大興奮で身体を乗り出して来た。

 アルには影がいるわ。

 その影がジャック・ハルビンの事をこっそりと調べたのね!


「 じゃあ、じゃあ、ジャック・ハルビンも影なの!? 」

 黙ってなさいと、アルベルトがレティの可愛い唇を長い指先で摘まむ。


 唇を摘ままれたレティは目をパチクリとして。

 それがまた可愛らしくてアルベルトの顔が綻ぶのだが。


「 ドゥルグ領に店を構えたのは武器を仕入れる為だ。サハルーンの武器も店に置いてある。あそこは世界中から武器を求めて人がやって来る貴重な場所だからな 」


 ジャファルもお忍びで武器の街のドゥルグ領を視察に来たのだと言う。

 お忍びでないと見えない事があるからで。


 武器だけが理由では無いとアルベルトはジャック・ハルビンの顔から読み取ったが……

 恐らくこれ以上は口を割らないだろう。



「 昨年にミレニアム公国にいたのは? 」

「 何故それを? 」

「 帰国する時に船の上からお前を見掛けた 」


 そうか……

 あの時ミレニアムの港から皇太子がシルフィードに帰国したのは知っていたが……

 こいつらだったんだな。

 ジャック・ハルビンはまたもやクックと笑い出した。


「 ミレニアム公国と言えば魔石だろ? 他に何があるんだ? 」


 ドラゴンの襲撃により壊滅的になった街を建て直すのには魔道具が必要である。

 その魔道具を作るには大量の魔石が必要で、ミレニアム公国と関わりの深いシルフィード帝国の皇帝陛下に、口添えをして欲しいと言う申し出をジャファルがした事は確かな事で。


 だから……

 ジャック・ハルビンは前もってミレニアム公国に行き、魔石やミレニアム公国の裏の事情などを調べていたのだと言う。


「 他国の秘密裏の情報を得る。それが俺の仕事だ! 」


 おお!……影だわ!

 ジャック・ハルビン!


「 ノアには秘密にしてくれよ。彼は何も知らないのだから 」

 ジャック・ハルビンはそう言って目を伏せた。


 諜報員なんて仕事はとても危うい。

 だからジャック・ハルビンはノアの家族とは疎遠にしてるのだと言う。


 だから……

 あの男達はジャック・ハルビンの用心棒で、腕の覚えの良いアルを雇いたかった訳なんだわ。

 レティは点と点が繋がって行くのを感じていた。



「 おっと! 喋り過ぎた! ここからは何も喋らない。知りたかったら我が国までお越し下さい。我が主君はシルフィード帝国と手を組みたがっております 」


 意味深な言葉を残してジャック・ハルビンは席を立った。

 ムカつく事にロブスターはガッツリ食べられていたが。



「 手を組みたがっている……ドラゴン…… 」

 アルベルトは眉間を押さえて暫く考えていた。


「 サハルーンに行くなら私も行くわよ! 」

 レティはデザートを食べながらアルベルトを覗き込んだ。

 考え事をしていても、美しい顔をしたアルベルトの口の中にデザートを押し込んで。


 皇太子殿下にこんな事をするのはレティだけである。



 レティはサハルーン帝国で絹の生産を学びたい。

 先日、風の魔女イザベラに贈ったシルクのドレスは、流れる様にしなやかに揺れ、その光沢でキラキラと輝き、どれだけ舞台映えをした事か。


 しかし……

 あのシルクのドレスの値段は相当なものになった。

 ジャック・ハルビンから買い付けたシルクの反物の値段は半端無い。


 だから、自国でどうしても生産をしたいのである。

 コストを押さえるには、その全ての過程を自国でするしか無い。


 蚕の養殖から生産までを。

 地方に依頼すれば……

 地方の活性化にも繋がる。



 諜報員ジャック・ハルビンの話は満足の行くものではなかったが。

 サハルーン帝国に行けるかも知れないと言う事で、レティは頭がいっぱいになった。



「 うん……先ずは、父上とルーカスに相談だな 」


 気になる事があるのか……

 アルベルトは帰りの馬車の中でも、レティの絹の話は上の空で……

 その後はずっと考え事をしていたのだった。


 それでも……

 しっかりとレティを自分の膝の上に乗せていたが。


 行きはレティが考え事をしていたが、帰りはアルベルトが考え込んでしまい、つまんないレティはアルベルトの黄金の髪の毛をちょんまげにして遊んでいた。



 アルベルトが帰城すると……

 馬車から下りてきた皇子様を見るなり、出迎えに来ていた皆が肩を揺らしたのは言うまでも無い。


 リティエラ様がこんないたずらを……


 皇太子殿下にこんな事をするのはレティだけである。



 珍しくケラケラと声を立てて笑うモニカ侍女長に手鏡を向けられて……

 皇子様は頭にある3つのちょんまげを見て絶句したのだった。


「 レティィィッ……… 」



 葉っぱ3枚の仕返しである。








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