第468話 風の魔女の一世一代
この春、劇場に1人の踊り子がデビューした。
彼女の名はイザベラ。
劇場ではオペラしか上演して来なかったが、前座としてイザベラが踊る事になった。
何度か舞台で踊るうちに……
風の様に踊るイザベラのダンスが好評で、その妖艶で美しい彼女目当てに劇場に来る客も増えて行った。
皇都広場の小さな舞台とは雲泥の差で、大きな舞台で踊る事は格別。
スポットライトが自分だけを照らし、多くの観客達の視線が自分だけに集まるのだから、張り切らずにはいられない。
イザベラはあの事件の後……
1年間の収監が終わり、更に1年の修道院での奉仕活動を真面目に努めて晴れて自由の身になっていた。
イザベラの劇場の舞台への出演のお膳立ても……
レティが劇場のニヤケタ支配人と話を付けていたからで。
彼女が修道院の奉仕があけて直ぐに、そのニヤケタ支配人がアポを取って来て、今この場にいるのだった。
レティが恋のバイブルとして尊敬している劇場のお姉様達も、新しい劇場の住人となったイザベラと直ぐに打ち解けて……
イザベラの日常に刺激的な新しい風が吹いたのだった。
イザベラの本業は踊り子だが彼女は風の魔力使いだ。
先日完成した武器の雷風の矢尻は、魔石で作られ風と雷の魔力を融合させて完成となる。
風の魔力使いはシルフィード帝国では彼女しか確認されていない事から、風の魔力が必要な時は彼女を頼るしか無く、雷の魔力使いも皇子のアルベルトしかいない事から、雷風の矢は超絶レアな代物だと言う事になる。
「 今日は何本の矢? 」
「 10本だ! 」
シエルの加工した魔石の矢尻に風の魔力を込める為に、イザベラは虎の穴の錬金術の部屋に呼ばれていた。
当然ながら……
イザベラはこの矢尻の魔石に雷の魔力まで融合される事は知らない。
軍事機密は極秘である事から、シエルに言われるままに魔力を放出してるだけであった。
「 ねぇ……貴方はどうしてそんなに達観視していられるの? 」
錬金術の部屋の窓から見える薬草畑に……
アルベルトとレティが仲良く手を繋いで歩く姿があった。
緑豊かな薬草の中で……
キラキラと輝く黄金の髪を持つ背の高いアルベルトを、イザベラは見つめる。
イザベラはあの時の事を思い出しては胸が痛かった。
何度も夢を見る程に。
大切な婚約者を宝物の様に抱きながら、自分を攻撃しようとしているあの時の殺意に満ちたアルベルトの顔が忘れられ無い。
それは……
自分の恋心が身勝手な一方的なものだったと思い知る事となったのだった。
皇子と平民が知り合う事自体が有り得ない事。
だけど……
同じ魔力使いだと言う事で皇子様が話し掛けてくれた。
優しく笑い掛けてくれた。
向かい合って座り、お茶を御一緒する事にもなった。
イザベラが舞い上がってしまうのも仕方の無い事だったのだ。
そんな叶わぬ想いを抱えていると……
シエルがレティに想いを寄せているのを知って、イザベラはその崇高な愛に感銘を受ける事になった。
『 愛する人の幸せを願う愛もあるんだよ 』と言ったシエルの言葉に。
恋多き女イザベラは……
愛する男なら、奪ってでも自分の物にする事が本当の愛だと思っていた事を根本から覆されたのだった。
「 彼女が羨ましいわ 」
高貴な家に生まれ……
皇子様に愛される婚約者の境遇が。
「 そう? 彼女……結構苦労をしているよ 」
「 嘘よ! 我が国の最高位の貴族なのよ?」
その最高位の貴族が皇太子殿下に相応しく無いとして、他国の王族達に蔑まれているのだ。
だから……
あの王太子との決闘する事になったんだよとシエルが言った。
男爵ではあるがイザベラは平民。
貴族の事はよく分からないが……
あの決闘は彼女が他国の王太子に皇太子殿下の妾になれと言われた事で、手袋を投げたのだと言われている。
イザベラは……
アルベルトの愛人になりたいとレティに言った事を恥ずかしく思った。
シエルは話を続ける。
「 あの時……この国の貴族女性の名誉を掛けて彼女は闘ったんだ 」
ね!? 凄いだろ? 彼女が殿下に愛されない訳が無いと言いながら、シエルは2人が楽しそうに笑い合う姿を見やった。
レティの事を熱く語るシエルも……
やはりレティに想いを寄せてる事が伝わって来るのだった。
***
そんなある日。
ニヤケタ支配人からイザベラに、ビッグニュースが告げられた。
なんと……
前座では無く彼女の舞台公演が決まったとニヤケて言われたのだ。
他の歌姫達もその日はステージに立つが。
イザベラはこの時にレティの顔が浮かんだ。
彼女は……
皇都公園の小さな舞台で踊るイザベラのダンスのファンになってくれたのだ。
何故か男性に変装していた彼女から、シルバー色のシルクのストールをプレゼントされた事がある。
自分のファンになってくれた彼女を招待したいと思った。
晴れの舞台を見て欲しくて。
レティは劇場のお姉様達に正体を隠している。
ここではあくまでもレディ、リティーシャ。
洋裁サロンを経営している公爵令嬢。
その上に、医師であり薬学研究員。
どれだけ才能があるのかと。
皇太子殿下の婚約者と言う立場に甘えない姿勢も彼女を好きな理由だった。
イザベラが『 パティオ 』のリティーシャ宛に招待状を送ったら……
直ぐにシルクのドレスが贈られて来た。
「 まあ! 素敵~ 」
「 なんと素晴らしい手触りかしら…… 」
劇場のお姉様達がシルクのドレスを称賛する。
真紅のドレスはイザベラの動きがある度にサラリと揺れて、シルバー色のストールもキラキラと輝いていた。
***
当日の朝。
皇宮からの使いが劇場のニヤケタ支配人の元へやって来た。
なんと……
皇太子殿下が婚約者と観覧すると言う伝令で、劇場のスタッフ達を歓喜させた。
レティがオペラが苦手な事から、アルベルトが劇場に来るのは随分と久し振りで。
「 本日は……皇太子殿下とご婚約者の公爵令嬢がご来場下さりました 」
辺りを見渡せば……
劇場のあちこちに警備の騎士達が配備されていた。
劇場がざわざわとして皆が2階の貴賓席を見上げている。
イザベラもお姉様達も舞台袖からこっそりと覗いたりして。
皇太子殿下がここに来られる。
否応なしに観客達のボルテージが上がって来る。
ワッと歓声が上がると………
皇太子殿下と、彼にエスコートされた婚約者が現れた。
華やかな2人の登場に皆は感激の声と歓声を上げて2人に手を振る。
アルベルトは皆に手を振るが……
レティはまだそれが出来ない。
アルベルトの少し後ろで、頭を下げて静かに立っているのがやっとだ。
「 レティ? 皆が手を振ってるよ 」
「 無理よ~ 私はまだ……ただの公爵令嬢なんだから 」
アルベルトはクスリと笑いながらレティを席に座らせた。
そんな所も大好きで。
貴賓席には個別のソファーが3脚と、カップルが仲良く観劇が出来る様にと長めのソファーが置かれているが……
勿論、躊躇無くカップルシートに2人で座る。
寄り添う2人にまたまた大きな歓声が上がったのだった。
「 あの婚約者様って誰かに似てない? 」
「 私も……何処かで見た様な気がするのよね 」
舞台袖からお姉様達が首を傾げている。
レティはまだ表にあまり出ていないので、平民達には顔はあまり知られていない。
まだ正式には姿絵も出してはいない事もあって。
出来れば……
劇場のお姉様達には知られたくは無い。
気楽に恋話を聞ける関係を壊したくは無いとレティが思っているからである。
照明が落とされ演目が始まった。
オペラ歌手が次々に歌い上げて行く。
レティの恋のバイブルのお姉様達も、この公演では芝居はせずに歌手として登場しているのでレティは大興奮だ。
お姉様……
舞台の上のお姉様は格別だわ。
それに、うちの店のドレスも素敵。
オペラが苦手なレティはお姉様達の出演する舞台を観る事は無かった。
やっぱりドレスのチェックも兼ねて、たまには観に来なきゃ駄目よね。
今度はお母様と観に来ようと思うのであった。
オペラ観劇が好きなローズはさぞかし喜ぶ事になるだろう。
やがて……
照明が更に落ちて暗くなり、スポットライトは1人の女性を照らす。
真紅のドレスにシルバーのストールをサラリと妖艶な身体に巻き付けたイザベラが舞台に現れた。
キャアキャア、ワーワーと大歓声が上がり、男女関わらず大人気だ。
楽団の音楽と共に妖艶なダンスが始まった。
彼女が腰をくねらせると……
男達はピーピーと指笛を鳴らし、黄色い大歓声が起こる。
そのセクシーさに男も女も見惚れてしまう。
レティはふと考えた。
少し前に劇場にいた、あの魅了の魔術師である歌姫アイリーンの事を。
彼女も妖艶な美女だったが……
このイザベラ程では無い。
スタイルだってしなやかに踊るイザベラの方が断然美しく、イザベラの方が完璧なのである。
もし……
この風の魔女イザベラがあの時ここにいたら……
もしかしたら歌姫アイリーンの人生も変わっていたのかと。
まあ……
今更だけど。
「 あのドレスは私のデザインよ 」
レティが小声でアルベルトの耳元で囁いた。
何時か彼女が舞台に立つ事を夢見て……
前々から作成していたのだ。
彼女のしなやかな動きに相応しいシルクのドレスを。
「 綺麗だね 」
「 そうでしょ? イザベラに良くにあ………う? ん? 」
アルベルトと目が合うレティ。
「 綺麗だよ……レティ 」
アルベルトはレティの頭に唇を寄せる。
「 ちゃんと見てよ! 」
「 見てるよ 」
「 だから……私じゃ無くて…… 」
「 静かに…… 」
そう言うとレティの顎を持ち上げてチュッと唇を塞いた。
もう!
皆が官能的に踊るイザベラに魅入っているのに何故私を見てるのよ?
チラリとアルベルトを見れば……
やはりレティを見つめていて。
目が合えば嬉しそうに尻尾をパタパタと振っている。
犬?
皇太子殿下をそんな風に思うのはレティだけである。
イザベラは踊る。
今日は一世一代の晴れ舞台だと言っても過言ではない。
皇太子殿下の前で初めて踊るのだから。
殿下……
今だけは私を……
私を見て下さっているのだわ。
熱い視線を感じてより官能的になる。
チラリと貴賓席の方を見やれば……
暗いながらもキラキラと光る黄金の髪は見てとれた。
あそこには確かに皇子様がいる。
ドクンと心臓が跳ね上がる。
ああ……
見て下さってるわ。
私の一世一代の舞を……
しかし……
風の魔女の一世一代の舞は……
皇子様は見てはいなかった。
残念。
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