第205話 香水─7



失敗した……


今日はシエルさんに呼び出されて、渋々虎の穴に来ていた。

馬車と風の魔力の融合を急いでるそうだ。

だけどここで成功させたら、皇太子殿下との接点が無くなってしまう。

どうしよう……


すると、来る予定で無かった皇太子殿下が顔をみせた。

もしかして……

私に会いに来てくれたのかも……


流行る気持ちを押さえながら馬車に風の魔力を融合させる。

皇太子殿下のアイスブルーの瞳が見つめる中で、舞いながら魔力を使うのはエキサイティングな事で、凄く官能的だった。

そして……

私の取って置きの香水を振り撒く……


でも……

次にも会う為には勿論成功させる事はしない。


何度か会う内にきっと私を好きになるだろう。

この美貌とスタイルなら、彼の心を掴みとれる自信があった。

何時かは愛人にしてくれるかも知れない……

今でも、私を見つめる目が……こんなにも熱く感じるのだから……




しかし……私の思惑は外れた。


何時もなら、失敗をしても優しく「 次は出来るよ 」と励ましてくれていたのに……

今日、彼は失望した顔を私に向け、さっさと部屋から出ていってしまった。


私は判断を誤ったのだ。

成功して喜びを分かち合う事で、より親密になれたかも知れないのに……


皇太子殿下の後ろ姿を目で追いながら、唇を噛み締める私にシエルさんが言った。


「 諦めなさい、所詮は叶わぬ想いでしか無いのだから……殿下は雲の上の存在で……いや、それ以前に、殿下は婚約者をとても大切にされていて、とても愛してらっしゃるんだから…… 」

シエルさんは、愛人になろうとか考えても無駄だと言い、殿下は婚約者しか愛さないよと言った。



そう……貴族であるシエルは、アルベルトが議会で言った、あの、子種発言を知っている。

王女でも無理なのに、平民がどうとか出来るものでは無いのである。

それ程強く皇太子殿下は婚約者を想っていると言うのが、貴族社会の認識であった。



はっとする……

シエルさんには私の想いを気付かれていた。

そして……

シエルさんは、愛する人の幸せを願う愛もあるんだよと笑った。

そう言ったシエルさんはとても寂しそうな顔をしていた。


だけどそんな願うだけの愛は、奪ってでも愛を成就させて来た私の、数ある恋愛経験上ではあり得ない事だった。

でも……

確かに、今度の相手があまりにも巨大過ぎた事に、今更ながら気付いたのだった。




「 さあ、さっさと仕事を終わらせよう 」

「 はい…… 」


シエルさんの「 終わらせよう 」の言葉が、この恋に向けられている様で胸が痛かった。


乗り合い馬車は2台有り、2台への魔力の融合はいとも簡単に成功した。



馬車の出来具合をチェックしてるシエルさんに聞く。

「 あの……ご婚約者様はどう言う方ですか? 」

「 えっ!? 知らなかったの? 君は既に会ってるじゃないか? 」

「 何時? 何処で? 」

そんな高貴な令嬢とは会った覚えは無い。


「隣国の王子が視察に来た時だよ、初めて風の魔力を馬車に融合する時に、見学したいと付いて来ていた女性(ひと)がその人だよ 」


「 ええ!? 彼女は薬学研究員の白のローブを着ていたでしょ? 」

「 そうだよ、その薬学研究員の彼女が、皇太子殿下の婚約者だよ 」


驚きだった。

あの時の白のローブの彼女は小さくて……

何が楽しいのか、仔犬の様にずっとキャアキャアと可愛らしくはしゃぎ、そしてとても美しい少女だった。


しかし、もっと驚いたのが

彼女は最近医師になったのだと聞かされた事であった。

シエルさんは、彼女は溢れんばかりの才能のある天才だと、嬉しそうに語ったのだった。


公爵令嬢の家に生まれ、皇太子殿下のご学友の妹で、その上天才……

それに、何の冗談でそう言われてしまっているのか(←本人のせい)、彼女は目と目の間が離れている様な様相とは駆け離れた、とても美しい美貌の持ち主だった。


そして……

あの白のローブの彼女は、平民を何時も蔑む様に見てくる高飛車で高慢な貴族令嬢のそれでは無く、愛らしくてとても可愛らしい女性(ひと)だったのだ。


彼女が皇太子殿下の婚約者……


知らなければ良かった。

何か1つでも、欠点があるなら優越感を持つことが出来たのに……





***




そして……

失意の中、虎の穴からの帰宅途中に風の魔女は見てしまった。


チンケな男に絡まれている婚約者を、白馬に乗った皇子様が雷の魔力を使って撃退し、二人で白馬に乗り駆けて行くシーンを、風の魔女は一部始終見ていたのだった。


女性なら、誰もが憧れてやまないお伽噺の様な世界を……

あの少女が……

風の魔女の嫉妬心はどんどん醜いものになっていった。



広場の小さな舞台が風の魔女の全てだ。

美しく妖艶に踊る事には誰にも負けない自信があった。

ここで踊れば主役になれる事が彼女の矜持である。


しかし……なんて虚しい矜持なのだろうか……

こんな所で踊っても、チンケな男が声を掛けてくる程度である。


こんな仕事をしていれば何度も危ない目に合った。

男達に襲われた時……

私を助けに来てくれる皇子様はいなかった。


虚しさ

惨め

哀れ

屈辱

あらゆる負の気持ちが風の魔女の心を支配していった。




小さな舞台で踊りながら、皇太子殿下の笑顔が思い出され、涙が一滴静かに流れた時……

風の魔女の魔力が暴走した。


緑の風は、嵐となり広場の舞台、出店、そしてそこにいる人々に襲いかかる。


風の魔女は魔力を制御出来なくなっていた。

彼女の赤い髪は上下左右に広がり、まるで悪魔の様に緑の風が彼女の周りに吹き荒れる。


羨ましい

羨ましい

羨ましい


ゴーッと言う音が、小さな舞台をめちゃくちゃにし、出店を薙ぎ倒し、人々を吹き飛ばす。


皆の叫び声が辺りをつんざいた。

叫び声はやがて唸り声になり、人々は助けを求めた。



何?

何が起こっているの?

風の魔女が我に返った時にようやく風は止み、風の魔女は崩れ落ちる様に両膝を付いた。


自警団や近くの大勢の人が駆け付けてくる。

頭から血を流す者、子供を抱え叫んでいる者、泣き出す者……

子供、女性、老人……

医者だ!と叫びながら大勢の者が運ばれていく……



私は……なんて事を……


風の魔女は座り込んだままでずっと放心状態でいたが、辺りの騒ぎが落ち着いた頃、自警団に事情を聞かれた。



その時……

白馬に乗った皇子様と婚約者が皇都広場の前の道路を駆けて行った。

皇子様の前に乗る婚約者は、皇子様の赤いマントに大事そうに包まれていた。

馬の蹄の音だけが私の耳に響いていた。


私は……

何の感情も無く、通り過ぎる白馬をずっと眺めていた。



すると、皇太子殿下が引き返して来た。

馬から下り、婚約者に手を差し出し、婚約者をそっと抱き抱える様に馬から下ろしながら

「 何があった? 」と、皇太子殿下が問う……




私は、婚約者に向けて風の突風を放った。


えっ!? 私は何を……


咄嗟に叫んだ!

「 避けてーっ!! 」


しかし、緑の突風は婚約者に襲い掛かるのを止めない。


「 キャア!!」

小さな悲鳴と共に、婚約者は空に舞い上がった。







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