第32話 脳筋

「ふああ……よく寝た」


 草原の中、俺は目を覚ます。朝日が昇りかけて、東の空が白んでいる。さっきヴェリコイラと一緒に竜を食った時は日が沈む前だったから、多分十時間以上寝てたことになるな。


 辺りを見回すとヴェリコイラがいない。


「どこ行ったんだ? あいつこれまでも長くて三十分くらいしか寝てなかったからな、俺が起きないから置いて行っちゃったのか?」


 ほんの少し寂しい気持ちになる。三日間ぶっ続けの強行軍に耐えられたのも彼女の明るい笑顔があったからだし、眠る前にされた、ほっぺへのキス。もう十時間以上も前の事だが、その感触がまだ残っている気がして、俺は自分の頬を撫でた。


「こっからはまた一人か……」


 そう呟くと、遠くの方で土煙が見える。何者かが走って近づいてきているようだ。


「ケンジーー!! 起きたかーッ!!」


 めちゃめちゃ遠くからでも声が聞こえる。すごい声量だ。


 走って来たのはもちろんヴェリコイラ。凄まじい速さで駆けてくると、俺の前で立ち止まり、さすがに荒い息を吐いて呼吸を整える。


「どっか行ってたのか? ヴェリコイラ?」


「うん! パパにケンジの事話して来た! 魔法が使えるって言ったら、見てみたいって喜んでたぞ!」


 そう言いながらヴェリコイラは俺に抱き着いてくる。なんか、こう……まるで尻尾を振ってるのが見えるような……まるで犬みたいな子だ。犬つっても体力有り余ってるシベリアンハスキーみたいなのだけど。


「ていうか、あれ? まだこっから歩いて1日だったんじゃないの? 俺、どのくらい寝て……?」


「歩けば1日だけど走れば4時間くらいだ! ケンジがなかなか起きないからちょっと先にパパに報告してきたぞ!」


 ※シベリアンハスキーでも往復8時間も走らせたら衰弱死します。ヴェリコイラは特殊な訓練を積んでいます。真似しないで下さい。


 ま、まあ……こいつの体力バカは今に始まったことじゃないしな。今更そこに驚いても何も始まらない。とりあえず俺達はヴェリコイラが町で買ってきてくれたらしい朝ご飯を食べてからまた歩き始めた。


「あ……アレ?」


 歩き始めてから少しするとヴェリコイラがバランスを崩して転んでしまった。さすがに疲れたのか? とも思ったが、どうも様子がおかしい。立ち上がろうとするが、生まれたての小鹿みたいにぷるぷると四肢が震えて立ち上がることができない。一体何が起きたのか。


「どうした! 大丈夫か、ヴェリコイラ!」


「足に力が……前も見えない、真っ暗だ……」


 急いで彼女を仰向けに刺せる。目が真っ赤に充血している。それにすごい熱だ。これはただの疲労じゃないぞ。


 他に何か症状があるか、と聞くと彼女は「頭が痛い」と言った。嫌な予感がする。何か不調を訴えるとするなら、疲労以外に一つ心当たりがあった。


「サーチ!」


 範囲を絞り、俺は彼女の体に索敵をかける。拡大に拡大を重ね、彼女の体にサーチをする。


「やっぱりだ……ここは、脳、だな」


「のぅ……?」


 彼女の頭の中に無数の赤い光点が見える。


「ああ。昨日生で食った竜がまずかったみたいだ。寄生虫に脳をやられてる! 待ってろ……」


 俺は静かに深呼吸をして集中する。右腕で彼女を抱きかかえ、左手に魔力を集めた。


「ヒール!」


 まだ試してないが、回復魔法だ。


 魔法をかけると、免疫か、体力が回復したのか、とにかくほんの少しだけ彼女は楽そうになった。だが赤い光点はまだ消えていない。


「脳……頭の中か……」


 そう呟いてヴェリコイラは上半身を起こして地べたに座る。


「お、おい、無理はするな、安静に……」


 そう言おうとしたが、ヴェリコイラはすぅっと空気を大きく吸うと、鼻をつまんで息を止めた。


「ふんっ!!」


 ぷぅっと頬が膨らみ、ヴェリコイラの顔が見る見るうちに真っ赤に充血していく。一体何をしているんだ?


「んん、ん、ん、んんんん!!」


 息を止めて、いったい何をしているのか。彼女の顔はもう茹でだこみたいに真っ赤になってる。充血していた眼球からはとろりと血の涙が垂れる。一体何をしてるんだ!?



「ぷはぁッ!! はぁ、はぁ……」


 どうやら終わったようだ。彼女は首を傾げて頭を横向きにし、上にした方のこめかみをトントン、と、手で叩く。すると反対側の耳からぱらぱらと粉みたいなものが落ちてきた。なにこれ、耳垢じゃないよね?


「どうだ? もう寄生虫は消えたか?」


「え……? サーチ……えあっ!?」


 赤い光点は、全て消えていた。一体何をしたんだ?


「パパから習った技で『脳筋』っていうやつだ。息を止めて脳圧を高めて、寄生虫を絞め殺した!」


 俺の知ってる脳筋と大分違うんだが。


 違うけども、脳筋だ。というか段々この世界のコンセプトが分かって来たぞ。


『世界にコンセプトなんてありません』


「というかさぁ」


 この世界が脳筋しかいないということはよく分かった。次に必要な情報は何か。それはつまり「この世界で俺は何をすればいいのか」ということだ。


「ベアリスは俺にこの世界で何をさせたいわけ?」


『何を……って……』


 やっぱり何も考えてなかったな、こいつ。


『いつもみたいに魔族でも倒せばいいんじゃないんですか?』


 適当過ぎるだろう。転生者に寄り添うのはどうなったんだ。というか、だ。


 俺はちらりとヴェリコイラの方を見る。彼女はにこにこしながら俺を見ている。ほんのさっきまで立ち上がる事すらできなかったのにもう平気みたいだ。


「あのカルアミルクがヴェリコイラに勝てるとはとても思えないんだが?」


 そう。問題なのは「本当に彼女たちは助けを必要としているのか?」ということだ。ベアリスからの返答はない。『とにかく黙ってやれ』ということだろう。


「ケンジ~」

「おわっ!?」


 ベアリスと話をしていると、ヴェリコイラが腰にタックル、というか抱き着いてきた。


「ありがと~、ケンジのおかげで助かったぞ~」


 言うほどそうか?


 俺のしたことと言えば、脳に異常がある事、回復魔法で少し体力を回復させた事、の、二つくらいだと思うが。というかあの『脳筋』とかいう意味不明な技が無きゃなんともならなかったと思うんだが。


「ケンジが回復魔法使ってくれたおかげだぞ!」


 そう言ってヴェリコイラはまた俺の頬にキスをしてくる。悪い気はしないというか……ビンビンだ。


 なんかこう、あれだけ走り回って生肉食って、野生児丸出しだからもっと、洗ってない大型犬みたいな匂いがするかと思ったら、年頃の女の子特有の甘い香りがするし。その中で汗の香りがアクセントになっていてしゃっきりポンと舌の上で踊るわ。


「ケンジ大好き!!」


 そう言いながらヴェリコイラは何度も何度も俺にキスをしてくる。


 これは……深みにはまる前にチェンジした方がいいのでは……

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