第17話 歩み寄り

「ごめん、ちょっと外の風に当たってくる……」


 バルスス族の青年になだめられて俺は少しだけ冷静になれた。


 でも正直言ってもうすぐにでもチェンジしたい気持ちでいっぱいだ。たとえ魔王を倒しても、この世界で俺は生きていけるのか……? というか、魔王倒さない方がいいんじゃないのか? ベアリスの口ぶりだと、なんか魔王倒したらもう強制的にその世界で残りの人生を過ごさせようとしてるように感じたし。


 俺は建物の外に出た。


 優しい木漏れ日。


 鳥たちのさえずり。


 爽やかな風が吹く。


自分達の立っている場所が大地なのか木の上なのか、正直言ってもうよく分からない。木の上にも塵や土砂が堆積して、さらにその上から木が生えたりしているから。


「環境は……いいんだよなぁ……」


「ケンジさん!」


 声をかけられて俺は振り返る。この声はファーララか。彼女は俺の事を名前で呼んでくれる。正直言って俺は『勇者』って呼ばれるのが嫌いだ。なんだか女神や人々に都合よく使われるだけの道具になったような気分になるから。


 それに、サリスは最初俺の事を名前で呼んでくれていたのに、途中から『勇者様』に切り替わって……それからあんなことが起こった。苦い思い出だ。


 ファーララは俺から少し離れた場所まではナックルウォークで近づき、そこで立ち止まった(立ってないけど)。


 そして……


 ぷるぷると脚を震わせながら、ゆっくりと立ち上がったのだ。


 少しずつ少しずつ、小さい歩幅ではあるが、彼女は歩いて近づいてくる。4歩、5歩。大人連中でもこんなにうまく歩ける奴はいない。


「ファララが立った! ファララが立った!!」


「ファララじゃなくてファーララです」


 しかし小さな地面の出っ張りに足を取られて彼女は躓いてしまう。


「危ない!」


 別に危なくはないが。


 俺はとっさに駆け寄って前のめりに転びそうになった彼女の体を抱き止めた。


 暖かく、柔らかく、少女特有のいい香りがする。


 そして、小さい。


 他の男どもが早々に二足歩行を諦めているのに、彼女はこの小さな体で、諦めず腐らず、必死で練習を続けたんだ。その気高く前を向く、強い意思を、『文明レベルが低い』なんて理由だけで、俺は本当に切り捨てていいのか? 科学が発達してることがそんなに重要なのか?


 二足歩行は科学でも何でもないけど。


 彼女を抱きしめ、絹のように艶やかな黒髪の香りに顔をうずめていると、ファーララが口を開いた。


「あ、あの……ケンジさん……ありがとう、ございます……」


 しまった。完全に呆けていた。いつまで抱きしめてるつもりだ俺は。彼女の体を離そうとしたが、しかし今度はファーララの方から俺の背中に手を回して来た。


「もう……ちょっとだけ、こうしてて……いいですか」


 なんやこの可愛い生き物。惚れてまうやろが。


 王宮(あばら家)の入り口すぐ近くでの抱擁。周りの人々は好奇の視線を送ってくるかと思ったが、俺達がファーララと勇者だと分かると、柔らかい表情になってにこにことそれを見守ってくれた。


 俺はゆっくりと彼女の体を引きはがして話しかける。


「ファーララ、随分とうまく歩けるようになったんだな」


「うん! だって私、早く歩けるようになって、ケンジさんと一緒にデートを……町を歩きたい……から……」


 ファーララは自分でそう言いながら赤面して、言葉の後半はぼそぼそとしか聞こえなかった。俺に、こんな子を見捨てるなんてことができるのか?


 いや、俺は思い違いをしていないか? 本当に選ぶのは俺の方なのか? ちょっと科学の進んだ世界から来たからって天狗になってるんじゃないのか。


 俺なんてたまたま生まれた世界の科学が進んでて、よく分からん理由で女神からチート能力貰っただけの甘ったれじゃないか。


 それに比べてファーララはどうだ? 強く前向きで、決してへこたれない心。諦めずに努力するひたむきさ。全てが俺よりも優れてるじゃないか。ただちょっと二足歩行が苦手なだけで。


そうだ。『みんなが俺に合わせるべき』って考え方がそもそも間違ってるんだ。互いに歩み寄るべきなんだ。


 そして、彼女は十分に努力してくれた。今度はこっちが歩み寄る番だ。


 俺は、ゆっくりと……


 地面に両手をついた。


「デートなら、今から行こう。さあ、ファーララ。村を案内してくれ」

「町です」


 二人はナックルウォークで駆け出した。召喚されて以来ほとんど王宮から出なかった俺にとっては全ての景色が新鮮だった。美しい木々、見たことも無い様な鮮やかな色の鳥。そして心優しい人々。


「お、姫様、今日は勇者様とご一緒ですか!」

「なんだ勇者様、四足歩行も上手いじゃないの」

「木から落ちないように気を付けてよ!」


 今までも俺に親切にしてくれた人達。でも今日はそれすらも違って見える。


 いや、実際違うんだ。


 今まで俺は文字通り上から見ていた。


 郷に入っては郷に従え。俺が彼らの習慣に合わせることで、俺は、やっと彼らの仲間になれたんだ。木々の緑が美しい世界だと思っていたが、その本当の姿は俺の想像していた何倍も何倍も美しかった。


 やがて俺達はひときわ高い枝の上に来た。


「ここ、私のとっておきの場所なんです。いつかケンジさんと一緒に見たいな、って……」

「夕焼けがきれいだ……そうか、意外と海が近かったんだな……」


 どこまでも続く樹海。その先の遠くに海が見えた。まだ少し時間はあるものの、少しずつオレンジ色になって来た太陽が、その海へと向かって降りていく風景が見えた。


 樹海の上をオレンジ色の光に照らされた大きな鳥が飛び交う。遠くではホエザルの声も聞こえる。近くでは虫の声。森に息づく命たちの大合唱だ。


 世界はこんなにも美しく、そして強かったのか。


 召喚されて1週間もの間、ほとんど外に出ていなかった俺は本当にバカだった。ファーララは、ずっと隣にいてくれたっていうのに。


 俺は、そっと彼女の隣に寄り添って、そして肩を抱き寄せた。ファーララは最初驚いた顔をしていたが、しかし抵抗することなく、ゆっくりとその頭を、俺の肩に預けた。穏やかな表情を浮かべて。守りたい。この笑顔。


 景色を見ながらゆるゆると過ごしていると、ファーララがこちらを見て言葉を発した。


「そろそろ王宮に帰りましょうか。日が落ちると真っ暗になりますから」

「そうだね」


 二人は元来た道を引き返していく。木にまとわりつく蔦をおり、花の咲き乱れる広場を通り、暖かい人々に見守られながら。


 うふふ


 あはは


 たーのしーい!


 獣の生活たーのしーい!!


 君は二足歩行が得意なフレンズなんだね!

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