第2話 彼のいない日常、君が現れた世界

 赤い、赤い、赤い、

 どこも同じ色に染まっている。人々は無残に赤い血を流し、倒れている。立っているのは、自分だけ

 きょろきょろと、辺りを見わたし彼を探す


 いない、

 いない、

 いない、


 どこにも、いない


 咽るような、生臭い血の臭い。見るも無残な死体を無視して必死に彼を探す



 どこに、いるの?



「…… 、    」



 私を呼ぶ愛おしい人の声が聞こえて、そちらを向くと笑って手を広げていた。

 私は、たまらず駆け寄り抱き着いた。だか、彼に触れることは叶わなかった。


 あれ?


 四方を見わたすが、どこにもいない。

 不安で駆け出す。すると、に、躓いた。


 血まみれで、倒れている彼。


「    。    」


 呼びかけるが、返事はない。

 それどころか、その体は冷たかった。


「、嫌、

 いや、

 いやああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」




 苦しくて、飛び起きる。

 窓から射す日差しで朝だということを、理解する。あれは、夢でもう過ぎて行った日だということも。


 ベッドから出て、支度をする。

 喪服のような真っ黒なドレス。腰まである髪は、櫛を通すだけで何もしない。顔は洗うが化粧はしない。食事をせずに、執務室に向かい仕事をする。


 あの日以降、ぽっかりと開いてしまった心。感情が揺れることが無く、無だけ。ずっと使っていない表情はもう固まってしまった。

 あの日、ジャイルが死んでから五百年がたった。



 五百年前

 殺されたジャイルに、泣き崩れるシャオ。何が起こったか理解できず立ち尽くす、王女、神官二人、ジャイルと一緒に来た魔法士、そしてリノラース。

 すぐに行動に出たのは、リノラースだった。


 リノラースは、魔法士をとらえた。

 彼は、見ていた魔法士の男がジャイルに向かって魔法を放ったところを。

 そして、リノラースはシャオを呼びかける。魔力が暴走して手に負えなくなる前にためつために。

 悲しみにくれるシャオは、魔法士を見た瞬間憎悪に染まった。見ていたのだ。シャオも、魔法士がジャイルを殺したところを。


 悲しみに、憎悪に囚われたシャオのにリノラースの言葉は届かない。


 そして、シャオは初めて殺戮をした。


 魔王討伐の王女、神官二人、魔法士が一瞬にして息の根を引き取った。

 それだけではなく、各国の人間の王に映像を送り付けた。それは、リノラースと準備を進めてきたもので、ジャイルが来たら行うことだった。

 シャオは、一歩的に盟約を取り付けた。それは、当初取り付けようとしていたものよりも残酷だった。内容は、ただ一つ。


 魔族と人間のお互いの干渉を禁ずる(不可侵)


 というものだった。

 もし、それが破られれば犯した国を亡ぼすと、脅してまで。また、討伐隊の死体を見せたのだ。勇者・ジャイルを除いて。

 王たちは、恐れおののいた、そして魔王を何としても倒そうという強者もいたが、シャオによって殺された。

 盟約がなされた後、シャオは魔界全体に結界を張った。魔族を人間界に出せないために、もし出てもそれを感知できるように


 この日から、シャオから表情がなくなった。感情を失くしたかのように、常に無感情のようになった。残った感情は、魔物と人間に対する憎しみのみ。

 それでも、魔界を治めた。



 毎日同じ日々。執務室で仕事をこなす。

 全てがどうでもよく、色を失った世界でそれでも私が魔界にいるのは、リノラースさんへの恩返しのため。それに、死ねないから。

 ジャイルがいなくなってから、何度も死のうとした。けど、リノラースさんたちに止められるし、私の身体が傷ついてもすぐに治ってしまうからあきらめた。

 どうやら、魔力を持った日から魔族と同じような体の仕組みになったみたいだ。


 死ねために、あらゆることをした。

 毒を飲んだり、

 首を切ったり、絞めたり、

 水に溺れてみたり、

 火の中に入ったり、

 思いつく限りの全てのことをした。しかし、苦しかったり、痛いだけですぐに体が慣れた。



「リノラースは、どこに行ったの?」


 彼は、忙しいからいつも執務室にいるわけではない。しかし今日は、会議があるから午後に迎えに来ると言っていた。でも、まだ来ていない。時間は守る彼が、珍しく、臣下に問いかける。


「それが、今城内で問題が起こっているようでそちらの対応をしています。」


 問題?

 何かあれば私のところにも報告が来るはず。それは無い。リノラースさんがいればいいのならそうでもいいや。

 そう思い、再び仕事に戻る。


 それから、一時間もしないうちに執務室と廊下をつなぐドアが開かれた。リノラースさんが来たのかと思いそちらを向くと、そこには黒髪と新緑色の瞳を持った幼い男の子がいた。ぼろぼろの服を着ていて、ろくに食べ物を食べていないのか骨が浮き出るほどやせ細っている。汚い子供。なんでこんなところにいる?


 追い出してもらおうと命令しようとしたところに、リノラースさんが来た。

 彼は、子供を捕まえようとしたが、それを察知したらしくかわしてこちらに来た。一直線に私の方に。

 子供は私に向かって手を出してきた。まるで、抱っこして欲しそうに。

 しばらく見つめあう。


 子供は、笑っている。ニコニコと、純粋な穢れのない笑顔。


 ぎゅっ


 子供が私の首に手をまわして抱き着いた。無意識のうちに抱き上げて膝の上にのせていた。

 子供は、嬉しそうに笑ってしがみ付く。


「陛下、それをこちらに渡してください。」


 リノラースさんが、手を差しだして言った。周りを見るとリノラース以外の配下がおろおろと状況を見ている。

 彼は、子供を捕まえるために私を使ったようだ。子供が私に興味を示して大人しくなったから。

 子供は、状況を理解していないみたいで、ずっと笑っている。


「もし、私と彼の間に子供がいたらこの子みたいだったかな」


 あれ?何を言ったんだろう。

 本当は、人間の子供がどうして此処にいるのか問いただそうとしたのに。

 配下はもちろん、リノラースまで私の言葉に固まっていた。


「何でもない。今のは、忘れて。それで何で、人間がいるの?盟約を破ったのはどこの国?」


 五百年守られていた盟約が、破られた。どんな思惑があるのか分からないけど、不穏ん芽は早く摘んでしまわないと。

 盟約の言葉で、一気に空気がぴりついた。


「それが、捨て子のようなんです。」


 盟約が結ばれる前、色持ちの子供は、魔族とされて魔界に捨てられていた。盟約が結ばれてからは、生まれてすぐに殺されるようになり、魔界に捨てられる風習はなくなったはず。

 もし、魔界に入ったのがバレれば滅ぼせれるから。


 魔族は、髪や目に赤や青などの色を持っているのに対して、人間は黒のみ。しかし、たまに例外が生まれる。集団意識の高い人間にとって異色の者は排除の対象なのだ。それは、昔も今も変わらない。


 魔界全体には、私が張った結界がある。この子供は、どうやって気づかれずに入ったの。複雑で強力な結界を無視してここまで来るのは、不可能に近い。いるとすれば、私と同じだけか強い魔力をもつ者のみ。けど、そんなものどこにもいない

 それに、どうやってこの年まで生きてこれたの。無垢な赤ん坊は、魔物の格好の餌食のはずなのに


「どうやって、ここまこれたのかは分かれませんが、それは魔物にやります」


 子供を魔物にやるの判断が、普通だろう。ここに人間がいたら騒ぎになる。

 煩わしいのは、嫌だ。

 けど、


「いや、いい。私が面倒を見る」


「陛下?」


 リノラースさんが、驚いたように言った。

 当然の反応だ。いつもなら、簡単に見捨てられる。あの日以来、人間が関わることすらも、大っ嫌いになったから。

 けど、今日見た夢のせいなのか。何も知らず、色持ちだからというだけで生まれてすぐに捨てられたこの子供を見捨てることができないからなのか。分からないけど、側におきたかった。


「名前を、付けないとね。

 ユエン、はどう?」


 縁、という意味。

 子供は、首をかしげる。

 だから、もう一度、


「あなたの名前は、ユエンよ」


 と、言ってあげると、嬉しそうに笑ってくれた。

 そして、舌足らずは発音で、


「ゆえん」


 と、言ったのだ。


 どうやら言葉を知らないだけで、聞き取りはできるようだ。教えれば、すぐに覚えて話せるようになるだろう。


 何回も、「ゆえん」と繰り返すから気に入ってくれたみたいだ。一生懸命な姿が愛らしくて、可愛らしい。


「笑っ、た?」


 誰かだつぶやいた。

 私を含めてここにいる全員がそいつを見た。もちろんユエンも。


「あ、すみません。ちょっと驚いて」


 言った当人は、声に出していたことに気が付いていなかったようだ。気まずそうに、おろおろとしている。

 何で彼は、驚いたのかな?


「こほんっ、陛下がおっしゃるならそのように。では、会議に行き」


「へーか」


 リノラースさんが、言い終わる前にユエンが私を指さして言った。

 陛下、が私のことだと理解したのか、嬉しそうに言った。

 ユエンの頭の良さに驚かされる。


「うん、そうだよ。へいか、そう呼びなさい。

 さあ、会議に行こう。」


 会議の開始時刻は、過ぎている。集まっている者たちが、痺れを切らしてしまう。

 私は、ユエンを抱いたまま椅子から立ち会議の行われる部屋へと移動しようとした。


「待ってください。その子供も連れていくのですか?」


 珍しく驚いた様子でリノラースさんが、聞いてきた。


「うん。ここに残しておくのは心配だから。一緒にいた方が安全でしょ」


 そういえば、誰かの心配するのは久しぶりだな。

 彼の笑った顔を思い出してしまう。



 あいたい 


 かれに、あいたい


 声を聞きたい


 抱きしめあいたい


 彼の、ぬくもりを感じたい



「愛してる、いつまでも、    は?」


 小さい声でつぶやいた。誰にも、聞かれないように。

 久しぶりに言ったそれに、返ってくる答えはなくて、空気に消えていった。



 ユエンは、なんにでも興味を示してすぐに知識として吸収していった。

 この子が来て半年、その間にまだ覚束ないものの会話もできるようになった。喋ることが面白いのか、好きなのか回りの者に一方的に話し歩いている。もちろん私のいる執務室に限るけど。

 ユエンの一番の話し相手は、リノラースさんだった。

 リノラースさんが言葉を教えたものあるし、私はあまり返事をしないからつまらないのだろう。

 今日も、私の膝の上に座ってリノラースさんに話しかけていた。


「りのらーすさん、きょうはやわらかいぱんと、しゅくらんぶりゅえっぎゅをたべたの。あとね、ぷりん。へーかもぷりんたべたんだよ」


 ニコニコと大袈裟に手を振って話す。


「そうですか。ユエン、スクランブルエッグです」


 リノラースさんは、ユエンの話を嫌な顔をせずに聞く。そして、正しい発音を教えた。

 言葉は覚えてもまだ、舌足らずで発音は上手くできない。リノラースさん曰く、今から正しい発音を矯正しておけば大人になったとき困らないとか。だからこうして、沢山のことを言わせているらしい。


「しゅくらんぶるえっぐ!!」


 す、がまだ苦手なのか「しゅ」となっている。


「す、です。おいしかったですか?」


 あまりしつこくやっても嫌がるので、リノラースさんはそこまでにした。


「うん!」


 嬉しそうに頷くユエンの、頭を撫でる。


 ユエンが来てから食べ物を食べるようになったし、適度に休憩もとるようになった。食べなくても、空腹を訴えることもないし死なないので、今までは後回しにしてきた。けど、ユエンは三食に加えておやつもとるから、それに付き合うようになった。

 ユエンには、それで足りるのか心配されるけど、臣下たちからは安心された。

 食べない、ずっと仕事ばかり、たまにしか休眠をとらない。そんな私を、いつも案じていたみたいだから。

 そんなに、心配しなくても死なないのに


「陛下も、プリンおいしかったですか?」


 リノラースさんが、突然私にも聞いてきたから驚く。


「ええ、そうね」


 ユエンと食べたそれ。リノラースさんには頷いたけど、本当は味なんてしない。

 たまに、口にしている食べ物全部そう。味がしない


「ほんと!また、いっしょにたべよ、ぷりん」


 純粋な笑顔でユエンは、私に言った。


 ユエンは、そんななんて事のないことを特別のように話す。

 最近では、ユエンの話を聞きながら執務をおこなっていた。

 何も起こらない、淡々と流れる毎日


 この子を、彼にも見せてあげたいな


 バンッ


 突然ドアが開かれた。

 臣下が、急ぎの用事で音が立ってしまったのだと思い私は音のした方を見なかった。


「此処に、魔王陛下はいますか?」


 聞きなれない脳天気な大きな声。

 気になって、ドアの方を見てみる。光を跳ね返すほどの綺麗な短髪の黒髪、澄んだ青に近い黒の瞳。肌は白く、単純そうな笑顔を浮かべ整った容姿は老若男女を魅了するほど。白の上衣と裳には、水色の刺繍が施されている。帯は、濃い青色。


 人間


「殺せ」


 臣下に命じた。

 私は、ユエンを抱えてここから出ていくために椅子から立ち上がった。


 リノラースさんを含めて、臣下たちが一斉にあれを殺すために攻撃を仕掛けだす。

 その隙に、あれが入って来たドアとは別のドアへと向かう。ユエンが何が起こったのか理解できず、不安そうにするから安心させるために頭を撫でてあげる。


「あ、まって」


 ドアに手を掛けた時だった。

 あれとは、距離があったはずなのにすぐ近くまでいて私の手を掴んだ。驚きと、嫌悪感で掴まれた手を振り払う。


 リノラースさんたちは何をしているのかと思い、辺りを見ると全員倒れていた。

 この一瞬で何があったの?


 この人間からは、殺気が感じられない。あるのは、場違いの能天気な笑み。何を考えているのか読み取れない。


「君たち、人間、だよね。どうして、魔界に居られるの?」


 純粋な問いかけ。


「へ、陛下、速く、お逃げください」


 リノラースさんが、床に転がった状態で言った。


「陛下?君が魔王陛下?」


 驚い様子で男が言う。


「おにーさんは、だれ?」


 ユエンが、私の腕から覗き込んで問いかけた。

 警戒心のないユエンは、男に興味深々だ。


「ごめん、まだ自己紹介してなかったね。」


 男は空気が読めないようで、へらへらと笑いながら言う。


「僕は、ルイジェ。今代のです」


 頭が、真っ白になる。


 何で

 なんで、勇者がるの?

 勇者は、もう必要ないはずなのに

 彼奴らは、盟約を破るつもりなのか

 なら、滅ぼそう


「くっ」


 私が、魔力で作った鎖で男が、苦しそうに呻ぎ声をあげる。


 今すぐに、殺さないと

 ジャイルを、殺した人間どもを殺してやる


「へーか?」


 ユエンが、不安そうにのぞき込む。そして、私の頭を、ポンポンと撫でる。私が、たまにそうしてあげるように。

 我に返る。ここで、殺しちゃだめだ。ユエンがいないところで始末しないと。

 この子は、何も知らなくていい。無垢で純粋な子供でいればいいのだから。


「大丈夫、すぐに終わるから。ユエンは、ここで待っていて」


 ドアを開けて、隣の部屋におろす。

 ユエンに言葉をかけて、再びドアを閉める。そして、絶対に開けられないよに結界を張る。


「何がどうなっているのか分からないけど、君が魔王なら話し合おう」


 消したはずもない鎖がなくなっており、苦しんでいたはずの男は何も無かったかのようにいる。


 話し合う?

 何を、そんなこと無駄

 かつて私も、同じこと思っていた。話し合う、その時は人間によって無意味になった


 私の魔力が部屋中を満たす。

 それだけで人間にとって毒だけど、この男は神力で自身を守っているようで平然として居いる。


「話し合いましょう。魔王陛下。その為に僕は来たんです。戦争が起こる前に」


「戦争は起こらない」


 やけに自信満々に言う男に私は断言する。男がどうしてという顔をするので教えてあげる。


「人間は、滅亡するのだから」


 そう言うと、男から笑みが消えた。悲しそうに、泣きそうになるこいつに、感情を隠すことはできないのだろうか

 くるくると世話しなく変わる表情を見せる男が馬鹿らしく思う


「なんで?どうして?君も、あの男の子も人間でしょう?大切な人はいないの?思い出はない?」


 何も知らないくせに偉そうに説教する


 うるさい

 だまれ

 はやく殺さないと

 うるさい声を黙らせないと

 彼のためにやったことが無意味になってしまう


 魔力で雷をあいつの身体を覆う。今度は解かれないように強力に。

 一気に力を込める


「へーか、いたいいたいだめ!」


 弱い力で手を引かれる。

 それをしたのは、隣の部屋に追い出したユエンだった。その隣には回復したリノラースさんもいる。

 彼があそこから出したのだろうか小さい手で一生懸命私の手を引っ張るユエンは、上目遣いで止めるために必死に睨みつけてくる。まったく怖くないけど


「ユエン、隣の部屋で待っていてって言ったでしょう。大人しくしていて」


「やっ!!へーか、まっくろ。るいじぇ、きずつけちゃめっ」


 真っ黒は、魔力のことかな。

 あれ?なんで、ユエンはこの濃縮された魔力の中に居られるの。あの男は、勇者だから相当の神力を持っているから分かる、けど普通の人間なら生きていられないはず。でも、ユエンはなんともない。いつもと一緒


 この子の存在はずっと疑問だった。

 どうやって、私の結界を気づかれずに入ってこれた?

 どうやって、この年齢まで生きて来れた?

 どうして、魔力を浴びてもなんともないの?


「ねえ、魔王陛下その子はもしかして、そこの魔族との子供?」


 ユエンが来てから消した魔力から解放された男が変なことを言った。


「違います。この子は、あなた方の言う災厄です」


 リノラースさんが、素早く否定した。


「え?でもその子、魔力持ってるよ?魔王陛下よりは少ないけど、巨大な魔力がある」


「どういうこと?」


 何かを知っている男に問いかける。


「災厄って人間にはない色を持って生まれるでしょう。それって少なからず、魔力があるからなんだ。でも、すぐに殺されるから誰もそのことを知らない。」


 知らなかった。昔も、すぐに魔界に捨てられてきたからそんなこと分からなかった。


「なんで、貴方はそのことを知っているのですか?」


 この度はリノラースさんが聞く。


「僕、神力が魔力もなんだけど見えるんだ。それで、災厄とされた赤ちゃんを見たら魔力を持っていたんです。かなり微量だから魔族ではないことはすぐにわかりますけど」


 だから黒ではない色を持っている、と言う人間。


「リノラース、魔力を測定するものはある?」


 人間の言うことだ、信用に値しない。けど、男の言う通りユエンに魔力があるならこれまでの疑問が解ける。


「ありません。」


 彼は、首を横に振った。


「じゃあどうして、私が魔王だと判断したの?」


「魔王の魔力は他の魔族とは違うんです。魔力は、親の魔力からの遺伝です。魔力が多ければ、巨大な魔力を持った魔族が生まれて来るんです。魔力が強い者に従う。それを見せつければ測定なんかしなくても優位に立てます。」


 今まで、魔族のことなんて興味が無かったから知らなかった。


「ユエンが、魔力を持っていればそれを使うことはできます。量を測定することは出来ませんが、使えれば魔力の有無を知ることできます」


「本当!?早くやろう魔力の有無が分かれば、ユエンくんが魔界で暮らしやすくなるでしょう」


 誰よりも興味深々に言う男。

 私たちが今までユエンがただの子供だと思っていたことに気づき、ユエンの立場を察したのだろう。そして、人間界に連れ帰ろうとするわけではなくユエンの居場所を魔界と言った。この男何も考えていない馬鹿ではなく、かなり頭が切れるのかもしれない。


 リノラースさんは男の反応に若干引き気味になるも、ユエンの前にしゃがみ込んで目を合わせた。

 ユアンはこれから何か面白いことでもあるかのようにわくわくしたように笑っている。


「なにするの?」


 興奮していることが声だけで分かる。それだけ、リノラースさんが目の前に来たことが嬉しいのだろう。


「ユエン、手を出してください」


 そう言われて、ユエンは素直に手をリノラースさんに出す。

 リノラースさんは差し出されたユエンの小さい手をつないだ。手をつないで、たった数分後二人の間から小さな炎が出現した。


 これで分かった、ユエンは魔力を持っている。でも、魔族ではない人間だ。私と同じ。

 これから、ユエンに必要なことは魔力操作。こんな小さい子供に訓練を無理強いすることはしたくないけど、このままではいつか己自身の魔力に飲まれて死んでしまう。今、分かってよかった。


「そうして、お前は私たちが人間だと分かった?」


 私の容姿は人間と同じだけど、ユエンは色を持っている。普通に見れば魔族だと思うだろう。


「災厄でも神力を持っているんです。だから、ユエンくんも神力があるからもちろん魔王陛下にも微量だけど神力があるから人間なんだなって。一つ聞いてもいいですか?魔王陛下にはあなたのものじゃない神力で包まれたいるんです。それは、誰のもの?」


 それを聞いてジャイルの顔が頭の中に浮かんだ。


 いるんだ。

 ずっと、私を守ってくれていた。

 もう会うことは出来ない。

 声と聴くことも叶わない。

 愛を確かめ合うことも不可能。

 でも、それでもいつだって私を包み込んでくれたいる。

 それがあまりにも嬉しい


「へーか?いたいいたいの?」


 突然ユエンが言った。

 私が、痛い?どこも痛くないから違うと首を横に振ろうとしたが、頬をつたう温かい何かに気づいた。

 頬を触ると濡れていた。そこで初めて泣いていることに気が付いた。


「ううん。違うの、ただ嬉しくって」


 意味が分からなそうにユエンは首をかしげる。

 涙を流すのは痛いから、悲しみからくるものだと思っているのだろう。他の意味をまだ知らない。これからいっぱいのことを教えていかないと。


「大切な人の神力なんだね」


 ニコニコと笑う男。これが言ったから気づけた。殺すのは今回のことに免じて魔界から追い出すだけにしてあげよう。


「話をしたいと言っていたわね。早く要件を言いなさい。」


 涙を拭って聞く。


「あ、うん」


 話し合いに応じることに驚いたのか戸惑った。


「魔王陛下と盟約を結んでから、勇者の存在は必要なくなったんだ。魔族が人を襲わなくなったし、いなくなったから。それに魔族のことがさらに恐怖の対象になったから、触れないようになったんだ。けど、ここ数年でまた魔族がまた人間を襲いだしたんだ。」


 驚いてリノラースさんを見る。彼も驚いた様子で、首を横に振った。

 どういうこと?


「恐らく、人間を襲っているのは魔物だと思います。」


 リノラースさんは、震えた声で言った。

 結界を張り直さないと。臣下に指示を出して、魔物の数も減らさないと。


「神官様が僕を勇者と担ぎ上げた。神力が強いだけでね。それで魔王陛下の討伐を受けたんでけど、僕はそれより話し合いをしたいと思ったんだ。だって、魔族にも人間を襲う理由があるでしょう。一方的に攻撃するのは、悪のやり方だよ。話し合いもせず、殺すのは僕はしたくない。だから来たんだ。」


 この男は馬鹿だ。神力の強い勇者だとしても人間が一人で魔族に来るなんて自殺行為だ。話し合うにしても共を連れてくるべきだろう。


「魔族のことは私が何とかする。魔族が人間を襲うことがもう二度とないように。だから、もう帰って」


「魔族のことはへいかに任せた方がいいですね。人間のほうは、僕に任せてください。」


 胸を張って自信満々に言う。

 なんか、不安だけどいいか


 話し合いも終わったし、再びユエンを膝の上にのせて執務に戻った。

 男はリノラースさんに従い部屋から出っていった。ちなみに男が言うには倒れた臣下たちは時間がたったら勝手に目を覚ますらしい。目を覚ましたらリノラースさんに対処してもらおう。


 翌日。

 いつもならユエンと二人で、朝食を食べるユエンを見ているだけの時間に今日は昨日帰ったはずの男がユエンと一緒に朝食をともにしていた。

 ユエンも男も楽しそうに食べている。おいしいと言いながら。

 そんな光景に呆れてため息が出た。


「今、ため息つきました?幸せが逃げてしまいますよ、へいか」


 男に言われて睨みつける。逃げていく幸せなんて、もうない


「そうなの?ためいきをつくとわあわせにげるの?」


 楽しく食べていたはずのユエンが、それを聞いて固まり不安そうに言った。


「うん。そうだよ。ユエンもため息ついちゃだめだよ」


「わかった!へーかもめっ、だからね」


 何でもすぐに吸収するのはいいことだと思っていたけど、こんな変なこともすぐに覚えてしまうのか注意しておかないと


「変なこと教えないで、なんでまだここにいるの?」


 遠回しに帰ってと言った。

 男は首をかしげて惚けてみせる。


「しばらくいるよ。昨日のことは手紙に書いたから安心してください。僕は魔族の皆さんのこと知りたいんです。それにへいかと仲良くなりたい」


 知る必要ない。人間と魔族は関わってはいけないのだから

 人間なんかと、それも勇者となんか関わり合いたくない


「るいじゃ、ぼくとは?ぼくとはなかよく、したくない?」


「ユエンとも仲良くなりたいよ」


 男が席を立ってユエンの元に行くと抱きしめた。ユエンも嬉しそうに男を抱きしめかえす。その行儀の悪さに眉を顰める


「帰って、勇者様がここにいては示しがつかないでしょう。」


「大丈夫、リノラースさんに許可取ってあるから」


 何を言っているのだ。魔族の王である私が帰れと言っているのに、リノラースさんに従うのか。彼も、どうして許可を出した。後で、問い詰めないと

 意味の通じない相手に頭が痛くなる


 その後、執務室でリノラースさんに問いただすと勇者が魔界にいることに問題はないと言われた。

 それでも、盟約があると帰すように言うが彼の方が何枚も上手で結局男が魔界にしばらくいることになった。


 今までユエンと一緒だったことに男が加わった。

 食事、執務、ティータイム等、ユエンの話相手となった。ユエンと男によっていつも賑わっていた。


 今日は、宮廷内にある庭園でティータイムを私、ユエン、男の三人でしていた。

 この庭園に行くのはユエンが来てから初めて来た場所だった。他の所に関してもそう。ユエンが来るまで寝室と執務室の往復のみ。しかも、その二部屋は内扉によって繋がっているから他の場所に行かなくてもいいような構造だった。

 それがユエンが来てから宮廷内を散策するようになった。ユエンに引っ張られて、だけど。


「ユエンは、へいかのこと本当に大好きなんだね」


 男が突然言った。

 二人の会話を聞いていなかった私がそう思っただけで突然じゃなかったかもしれない。でも、私はその言葉に驚いて飲もうと持っていた紅茶の入ったティーカップを持っていた手が止まってしまった。

 いや、正確には男が言ったことに対してユエンが返した答えに


「うん、だいすきだよ。いつも、だいすき!へーかは?」


 愛してる

 いつも

 ずっと、いつまでも

    は?


 彼の声が聞こえた。


 言葉も、声も違うのに。


 彼と、重なる


「へーか?」


「へいか?大丈夫、具合悪いの?」


 二人の呼びかけに我に返る。


「なに?」


「いつもどこか上の空だけどユエンに対してはちゃんと返事を返してたから珍しいね、どうなの?ユエンのことちゃんと好き?」


 この男は本当によく見ている。

 ユエンが目を輝かせて私の答えを待っている。


「ええ、好きよ」


 そう言うと、ユエンは嬉しそうに笑った。よかった。

 ずっと固まっていた手を動かして紅茶を一口飲んだ。紅茶の独特な香り、程よい渋み久しぶりに味がしたような気がした。


「へーかはどうして、るいじぇのことおとことか、にんげんってよぶの?るいじぇのおなまえしらないの?るいじぇは、るいじぇっていうんだよ」


 なぜか胸を張って言うユエン。それもまた可愛らしい。

 知ってる。彼の名前を呼ばないのはわざと。その理由を幼いユエンにはまだ難しいだろう。


「うん。僕の名前はルイジェだよ。呼んでへいか」


 この数週間で見慣れた裏表のない笑顔を深める男。

 私がこの男の、それだけじゃなくユエンとリノラースさん以外の名前を呼ばないことに気づいているはずなのに何を企んでいるのこの男は


「そのうちね」


 適当にそう返事しておく。否と、答えてユエンが拗ねることは避けないと


「いや、今呼んで」


 そう言って引き下がらなかったのは男の方だった。ユエンは、あれで納得してくれるはずだったのに。男にのって「よんで」と繰りかえす。


「戻る時間よ、行きましょう」


 逃げるために立ち上がる。

 が、二人は動こうとしない。

 じっと見つめられる


「ルイジェ」


 小さくつぶやいた

 二人は満足そうに、男は嬉しそうに満面の笑みを咲かせた。

 何がそんなに嬉しいの?たがが、名前でしょう


「へいかの名前はなんていうの?」


 無邪気に男が問いかける。

 他意はない、それは分かった。けど、それは聞かないで欲しかった。私に男の名前を呼ばせてもいい。

 名前を呼ばないのは、一線を引くためだから。呼ばせたいのなら呼ぶ。煩わしいと思うだけだから。

 でも、私の名前は誰にも呼ばせない。ユエンにも、リノラースさんにもだってそれは、人間の私の大切なものだから


「無いわ。」


 声が震える。


 嫌だ

 暴かないで

 弱い部分はいらないの

 奪わないで

 私の大切な、最後の彼とのつながりを


「嘘、あるでしょう。名前、教えてへいかの名前を呼びたいんだ」


「うるさい」


 強風がここ一体を一瞬だけ襲う

 ユエン、と思った時には男がユエンを守っていた。

 まただ、この男が来てから感情を抑えることができなくなっている。やっぱり、追い出すべきだ。このままではユエンを傷つけてしまう。


「へいか、へいかは何をそんなに恐れているの?怖いものがあるのなら守ってあげる。恐れることなんてないんだよ。ユエンも、リノラースさんもいる。もちろん僕も。だから、頼って。弱い部分を見せて」


 ユエンを抱えながら男が言った。


 だめ

(いいの?)

 強くなくちゃ

(もう疲れた)

 ジャイル、私はどうすればいいの?


「へいか、一人で背負わないで」


「弱いと、だめ。ジャイルと、目指す世界が崩れる」


「目指す世界?」


「平和な世界。人間も、魔族も傷つかない。ジャイルと幸せになれる世界」


 夢。もう、絶対に来ない。


「へいかはやっぱり優しいね。人間のことも、魔族の未来も見ている。嫌いじゃない、大好きだからできることだよ」


 嫌いじゃない?


「僕も、大好きだよ。人間も、魔族も」


「ぼくも、だいすき!」


 手を挙げて主張するユエン。

 捨てられたのに、そう言えるなんて。きっとリノラースさんとこの男が何か言ったのだろう。人間と魔族の醜く汚れた部分とそれでも美しい部分を


「嫌い、大嫌いよ。彼を奪った、人間も魔族も。でも貴方たちは、べつ」


 頬に熱が集中する。こんな気持ちになるのは、人だった頃以来だ。


 仕方ないから、ルイジェがここにいることを許してあげよう。ユエンも懐いているし。それに、彼らといたら、少しはこの大嫌いな世界が色づいて見えるから。






      * * *





「なんで、なんで、なんでっ!!!!」


 暗闇の部屋の中で男が一人。

 男は苛立った様子で椅子を蹴飛ばす。


「あの女いつも勝ってしやがって。偽物のくせに。この俺様を差し置いて  になりやがって。早く殺して、俺様が  になってやる」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る