第8話 未来の国のかたち

「ところで、伊川さん?」


 人混みを少し脱すると、彰子が真面目な顔をして話しかけてきた。


「はい?」


「前から思っていたのですが、この時代の人々の顔も生き生きしていますね」


と、彰子は感心したように言う。


「はぁ? 顔ですか。そんなこと、今まで考えたこと無かったけど」


「私、たまに平安京の中を牛車に乗って、お寺や神社に詣でるの。その時に、たくさんの民人たみびとを見ます」


「民人って、民衆のことですよね」


「そうよ。例えば、都のいちのぞくとすごく繁盛していて……みんな大声で喋ったり、笑ったり、怒ったり……」


「まあ、それはどこでも、どんな時代でも同じでしょうね」


「でも……注意して見ているのですが、街中には貴族らしい人たちが見当たりませんね。何処にいるのかしら。伊川さん、誰が貴族か、わかる?」


「あ~、今はそういう制度は無くなってるんで」


と、伊川は少々しらけて言う。


「えっ、この世界に貴族はいないの? 藤原氏も?」


――この人、本気で言ってるんだろうか?


と、伊川は思った。今の世の中のことを知らないにもほどがある。


「藤原氏の子孫の方はいらっしゃいますけどね。例えば、今でも同志社大学の隣に冷泉れいぜい家ってありますよ」


「では、みかどは?」


「帝って、天皇のことですよね。今は東京にいらっしゃいます。ちなみに今の天皇陛下で一二六代目です」


「なんと、一二六代ですか? 私の世界の今上きんじょう陛下は六六代目でいらっしゃいます。それから千年後まで六〇代、皇統こうとう――天皇家の血筋――は連綿れんめんと続くのね」


と、彰子は感無量かんむりょうといった感じでつぶやいた。


――中宮なかみやさんが言う今上とは、一条いちじょう天皇のことだな。


と、伊川は見当をつける。


「そうすると今の都は東京とかいうところ? 京ではないのですか。そこは何処にあるのですか?」


「ここから東の関東地方……あ~、平安時代の言い方だと『坂東ばんどう』になるのかなぁ?」


「ええっ、都が坂東に移っているのですか?」


「あっ、そうか。平安朝の貴族にとって関東地方はド田舎いなかという感覚しかないんだ」


 試しに伊川は彰子に訊いてみた。


「え~、中宮なかみやさん、千年後までの日本の歴史って、ご存じですか?」


「それがよくわからないのよ。伊川さん、簡単に教えてくれないかしら」


「え~と、ですね。まず彰子さんの時代から二百年ほど経つと、武士が政権を握ります」


「えっ、本当ですかっ? 武士って、さむらいのことですよね? さむらいが政をするのですか? 信じられない……」


「でも、それが時代の流れなんです。そんな時代が七百年近く続きます」


「その後は?」


「彰子さんの時代では想像も出来ない、文明の進んだ異国と接するようになって、その異国の文物を積極的に導入して、今があるのです……簡単に言うとこういうことかなぁ……だから今は貴族はいないんですよ」


「貴族もいないのに、国のまつりごとはどのように行われているのですか?」


「人々の代表が選ばれて、政治をしていますよ」


「人々って、民人の代表が政を行っているのですか?」


「まあ、そういうことになりますかね」


「それで上手くいっているのですか?」


「問題はいろいろありますが、それはまあ、いつの時代でもあることで……まあ、何とか回ってると思います。私には難しいことはわかりませんが」


 さすがに伊川には要領よく現代の政治システムを説明することは難しい。


 それでも彰子は、


「すごい世の中になっているのですねぇ」


と、素直に感心しているようだ。


――中宮なかみやさんって、ホントに日本のことを知らないのかなぁ? お芝居とも思えない。いったい、何処の国から来た帰国子女なんだろ?


などと、伊川は思っている。


 また今度は彰子が、商店街を腕を組みながら歩いている若いカップルを見て、


「ところで、あの方たちは何ですか?」


と、伊川に訊く。


「えっ、ただのカップルでは? 大学生かなぁ?」


「ああいう人たちのことを『リア充』と呼ぶのですか?」


「え~、そういう言葉をどこで覚えたんです? まあ、そうとも呼ぶけど」


と、伊川はあきれた。彰子は時々、妙に今風の言葉を使う。


殿方とのがたとおなごが昼間から人前で腕を組んであんなにくっついて歩いても良いのですか?」


「え~と、千年後なら別に構わないんです」


「伊川さんも、ああして歩いたことはあるのですか?」


「あ~、もう、ほっといてください!」


「ああ、無いのですね。伊川さんも、ああいうふうに殿方と一緒に歩きたいですか?」


 彰子にしつこく問われた伊川は少しイラッとして、


「あ~、うるさい!」


と言った。


 さすがの彰子も、これ以上この件を深掘りするのはまずいと思ったのか、話題を変えた。


「おなごもなかなか奇抜な化粧をしていますね」


「あ~、この時代ではこれで良いんです。さすがに高校ではまずいだろうけど、大学なら注意されることもありませんよ」


? 大学寮のことですか?」


 大学寮とは、律令制度の下で作られた官僚養成機関である。


「う~ん、まあ、学問するという意味では似たようなもんかなぁ?」


「おなごも大学へ行けるのですか?」


「ええ、この時代では普通ですよ。試験に合格さえすれば」


「合格して、学問を修め、それで卒業したら何をするのです?」


「えっ? 何って、まあ、普通はみんな仕事をしようとすると思います」


「仕事? みんな官僚かんりょうになるのですか?」


「官僚って、公務員ですよね。確かにそういう人もいますが、この時代は多くが商業か工業に従事してますよ」


「女も?」


「はい」


「あなたも?」


「ああ、私は将来、大学を出たら、学校の先生になりたいなぁって……まだ漠然ですけどね」


「私には想像できないわ。なんか、千年後はすごい世の中になってるのね」


「まあ、平安時代のかたから見れば、想像できない世界でしょうね」


「伊川さん、私の時代の女――特に上流貴族の娘――は、働くどころか、外に出るにも不自由なのです。私も最初はそれが当たり前で、この世界で女が自由に外を出歩いているのを見て『はしたない』と思いました」


――こういうもの言いを聞くと、本当に中宮なかみやさんが自称しているように、中宮彰子ちゅうぐうしょうしに思えてくるなぁ……いやいや、だまされてはいけない。


と、伊川は思った。


「でもね」


と、彰子は言う。


「は?」


「世の中は千年で色々変わったようだけど、さっき言ったように、民人の顔を見ると、みんな楽しそうですよね」


「そ、そうですかね?」


「きっと、民人にとって良い世の中なのでしょうね」


「そんなもんでしょうかねぇ」


 伊川は思った。


――千年前の貴族よりも、現在の私のような一般ピープルの方が良い生活をしているんだろうなぁ。


 すきま風が吹き込み屋内に壁もロクに無い寝殿造りの家よりも、現在の住宅メーカーが建てたオール電化、冷暖房完備の一戸建ての家の方が住み心地が良いはずだ。


 また、ロクに肉も食べられない平安時代の食事よりも、現代日本人の方がよっぽどおいしいものを食べているようだ。


 そう思うと、千年前の貴族よりも現代の一般庶民の方が確かに良い生活をしていると言えるだろう。


「少なくとも末法まっぽうの世のようにはなっていないようなので、安心しました」


と言って、彰子はにっこり笑った。


 「末法」というのは、仏教が行われる時期を三つに分けた時期の最後のものである。仏教の教えが説かれるだけでまともに修行する者もなく、悟りを開く者もなく、世の中が乱れる時期とされる。平安時代、一〇五二年から末法の世になると信じられていた。


「ま、末法ですかぁ?」


歴女の伊川には意味はわかるが、「なんてアナクロな言い方だ」と思った。

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