第7話 彰子と伊川の錦小路騒動記
それ以来、彰子と伊川の二人は週末になると、二人して京都中の神社仏閣名所旧跡を巡ることとなった。
学校の近くにある京都御所には歩いて行き、少し遠い所に行く時には自転車を使った。
この点、京都の市街地は狭いので助かった。東西、南北それぞれせいぜい数キロメートル。それほどきつい傾斜もない盆地なのだ。天気の良い休日に高校生がサイクリングで回るにはちょうど良い。ちょうど季節も四月から五月にかけて、心地よい初夏である。
当初、自転車に乗れなかった彰子は伊川の特訓を受けると、小一時間ほどで乗りこなせるようになった。
「これ、村崎さんには内緒ね。『お嬢様、危ない』とか言って、うるさいから」
と言って、彰子は笑った。
そう言われると伊川は、
――まあ、
と思えてきた。
ただ、意外ととぼけたところのある(と、伊川には思える)彰子と一緒にいると、伊川はなんだか楽しかったのは確かだ。
「歴女」ということを特に隠さず、彰子の前では「全開」状態でいれたからだ。
そこで気がついたのは、彰子は平安時代前半の知識は結構あるものの、それ以降の知識は無いということだった。
だいたい、「歴女」と言えば、まず、戦国武将や明治維新の英傑を話題にする。
ところが、彰子は彼らに対する知識は皆無だった。
「
といった
かわりに、平安前期という「歴女」の「守備範囲」としては珍しい(?)時代の知識は妙に豊富にあるようだ。特に藤原一門のことは、まず教科書には登場しないような人たちのことまで、よく知っているようだった。
だいたい、
「
と言われて、すぐに「ああ、あの人ね」と思える女子高生が今の日本に何人いるだろうか。
ちなみに藤原保昌とは、武芸に優れ、(彰子の視点では)後世、和泉式部の夫となる人物である。そして、あの藤原元方とは、村上天皇の時代に藤原
もっとも、楽しいことばかりではなかった。
遠くで、パトカーのサイレン音が聞こえる。
彰子と伊川の二人がバタバタと走ってきた。
伊川が後ろから叫ぶ。
「ちょっ、ちょっと待って、待ってください!
「だめよ! 急がないと
「いや、それを言うなら京都府警だって!」
伊川はゼイゼイと息をしながら続けた。
「なんだか、探偵部というより泥棒部ですよ、これじゃあ。お寺の古文書を盗み出そうとして警報装置鳴らしちゃうんだから無茶な話だ……それにしても
「あら、普段からトレーニングしてるから」
「『トレーニング』だなんて、かりにも自称平安朝のお姫様が使う言葉じゃないですよねぇ……。で、ど、どうやって?」
「
「そういうことですか~」
と、伊川はあきれ顔だ。
この日の彰子の服装は、ポロシャツにジーンズ、スニーカーというラフなもの。
――いやいや、どう見ても平安朝のお姫様には見えませんよ。普通のJKだ。
「しっかし、週末を利用して何回か、観光客で満員の京都市バスに乗って平安時代から存在する、
「満員の市バスが嫌だったら、私の牛車にしようって言ったのに」
「目立ちすぎますよ! 第一、牛車はどこにあるんですか?」
すると彰子は、
「これよ」
と、ポケットから半紙に切り抜いた牛と牛車、人形を取り出した。
伊川が不審げに、
「何ですか、これは?」
と言うと、彰子は少し自慢げに、
「晴明さんが作ってくれた
「やめましょう、そんなのいきなり四条河原町の交差点あたりで出したら大騒ぎになりますよ」
「あ、
「あら、ここはどこかしら?」
「こっちが
「まあ、道真公が祀られている神社って、
「そうですね。ここもそうだし、他にも京都市内だけでも
「い、いえ、道真公は苦手なんです。私……」
「え~っ、気分悪いんですかぁ? じゃあ、ちょっと、適当なところで休憩しましょう。せっかく
「錦?」
「ほら、錦天満宮から西を向くと、
「ああ、食材とか売られてるのね。平安京の
「そうです、そうです。あっ、こっちの店だ。
「まあ、何ですの?」
「ほうじ茶ソフトクリームです。口当たりが良くておいしいですよ。あっ、私がおごりますから……ほうじ茶ソフト二つ!」
「まあ、おごりだなんて悪いわ。ここは私が出しますから……おいくらかしら?」
と言いながら、彰子は結構派手な
「ちょ、ちょっと待ってください。何です、それ?」
「えっ、知らないの? お金よ。お金」
「え~っ。
「ダメなの? じゃあ、これは?」
と言って、彰子は別の銅銭を取り出した。
「何です? 同じじゃないですか?」
「
「も~っ、ダメですよ。あっ、私が払いますから。払います。払わせてください」
伊川は「払う」の四段活用みたいなことを言うと、それでも支払おうとする彰子を押しとどめて、お金を払ってソフトクリームを二つ受け取り、一つを彰子に手渡した。
「やれやれ、結局、こういうことになるんだよなぁ」
伊川、ソフトクリームを
「あれ、
「伊川さん、これ……」
「どうしたんですか?」
「食べ方がわからない」
「あっ、こう手に持ってぺろぺろやって、適当なところでかぶりつきにしたら良いですよ」
「ええ~、私、無理です、無理!」
「どうしてですか?」
「食べ物を直接、手で持つなんて~。直接、かぶりつくなんて~」
「いえ、それでいいんです、それで」
「そんなぁ、お行儀悪い~。お
「いや、箸でどうやってソフトクリーム食べるんですかっ?」
と、声を上げた伊川は周囲の視線に気づいて、
「い、いえっ、何でもないんです。ちょっとこの人、珍しがって、感動してるだけです。はい、はい。
と、彰子に向かってソフトクリームを舐める仕草をする。
彰子は観念したようにソフトクリームを舐めた。
「あら」
「あら?」
釣られて伊川も同じことを言う。
「おいし」
と、彰子はソフトをぺろぺろと舐め始める。
「ほら、そうでしょう、そうでしょう」
彰子は感動して、
「甘~い!
「でしょう。平安京には無い甘さでしょう」
二人はあっという間にソフトクリームを食べ終わった。
彰子は手を合わせて、
「ごちそうさまでした……伊川さん、こんなおいしいものをおごっていただいて、ありがとうございました」
と、彰子は伊川にも手を合わせた。
伊川、少々慌てて言った。
「い、いや、そんな。たいしたことじゃあ、ありませんよ。一個三百円ですから」
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