第5話 「長徳の変」の真相

 彰子の話はいよいよ本題になる。


「さきほど申し上げましたように、長徳二年正月の法皇様と藤原伊周これちか隆家たかいえご兄弟の従者同士の乱闘騒ぎでは、伊周様方の武士が、こともあろうに法皇ほうおう様――先代の帝――に矢を放ったと聞いております」


 その話は伊川にも記憶があった。確か日本史か古典の時間に出てきた話だ。


「あ~、その話、何処かで習ったことあります。たしか放たれた矢は法皇、花山法皇かざんほうおうの着物の袖を射貫いぬいたんでしたっけ?」


「なるほど。法皇様は後に花山法皇、とおくりなされるのですね」


と、そういう点は彰子はすぐに頭が回る。これには伊川も、


「あっ、そうか。この時代ではまだそう呼ばれてないんだ」


と気づく。


「まあ、それはそれとして……この時は法皇様の従者じゅうしゃ二名が殺害されて、その者たちの生首なまくびが伊周方に持ち去られたのです」


――いきなり生首だ。想像するとエグいよね~。それにしても、当時の人たちは現代人とは違って、死体とか生首とかを見る機会が多かったのだろうか? もしかして彰子も……。


と、なんだか伊川も彰子あきこ正真正銘しょうしんしょうめい中宮彰子ちゅうぐうしょうしのように思えてきた。


――いかん、いかん、知らず知らずのうちに中宮なかみやさんの口車くちぐるまに乗せられている!


と、伊川は感じ、首をブンブンと横に振った。その様子を見て彰子は、


「どうされたのですか? いきなり首を振るなんて」


と伊川に訊く。


「い、いえ、別に。ちょっと首が疲れたな~、とか思って」


と伊川は愛想笑いをする。伊川はさりげなく話題を変える。


「それにしても、ひどい話ですよね~。こりゃ、ただの喧嘩けんかじゃない、殺人だよ、殺人。藤原伊周と隆家は殺人教唆きょうさだ」


「おっしゃる通り、人殺しですよね。でも、法皇様は出来るだけ事態を穏便おんびんに済まそうとされたのです」


「えっ、どういうことですか? 自分の部下が二人も殺されているのに?」


「実はね、あまりおおっぴらに出来ない事情があったのです」


――なるほど、「大人の事情」というやつじゃね?


と、伊川は内心思う。彰子は言葉を続ける。


「なぜ法皇様がそこに出かけられたかというと、愛人にお会いするためだったのですよ」


「あ、愛人ですか? ちょっと待って。法皇っていうのは、そもそも天皇が位を譲って上皇じょうこう、上皇が出家しゅっけして法皇と呼ばれるんでしたよね?」


「おっしゃる通りです」


「出家するっていうことは、お坊さんになることですよね。それが愛人に会いに行くって、さすがにまずくないですか?」


 そこで彰子は困ったような顔をして言った。


「やれやれ、あなたのような千年先の末法まっぽうの世の人でもそう思われますか」


 ここで伊川は以前、古典の教科書にあった話を思い出していた。


「だいたい、花山天皇が出家したのは、寵愛していた女御にょうごである忯子ししが若くして亡くなった悲しみに乗じて、藤原道長の兄に当たる道兼みちかねにだまされたからだ、と古典の教科書で読みました」


 これは彰子も意外だったらしく、


「えっ、そんなことまで書物に残っているのですか? 何と言う本ですか?」


「たしか、『大鏡おおかがみ』です」


「う~ん、聞いたことの無い書名ですわ」


「あっ、そうか、この時代、まだ『大鏡』は書かれていないんだ。あ~、すみません、忘れてください」


「そんなことを言われましても困りますわ。ええと、『大鏡』、『大鏡』っと」


と、彰子は筆記用具を取り出し、メモる仕草をした。そして伊川に、


「ところで、まあ、ここだけの話ですが、法皇様も情熱的なご気性きしょうでいらっしゃいますので、と言いますか、もっとはっきり言うと若い女の子が大好きなのです」


と言った。


「いや、別に『ここだけの話』だなんておおげさな。この時代、千年前の花山法皇の話をしても誰にはばかることもないですよ。ところで、その、法皇が女の子好きという話は本当なんですか?」


「そうなのです。で、実は亡くなられた藤原為光様の四女は法皇様の愛人なのです」


「へえ。あ~、そうだったかなぁ? 何か、日本史の先生がそんなことをちらっと言ってたような……」


「さらに言えば、為光様の三女が藤原伊周様の愛人なのです」


「え~、これは大変ですね。姉が藤原伊周、妹が花山法皇の愛人なんだ」


「姉妹は同じ屋敷に住んでいます。そこへ法皇様がお忍びで通われてきます。それで、伊周様はご自分の愛人に法皇様が手を出されたと思い込んで、ことに及んだようです」


「すごいですねぇ、平安朝のセレブ同士で愛人を巡る誤解で殺人沙汰って……」


「そういう事情なので、むしろ法皇様は隠しておきたかったようです。ところが、それを利用して伊周様と隆家様の失脚をもくろんだ方がいました」


「えっ、誰です。それは?」


「決まっているでしょう。私の父上です、父上。藤原道長」


「そうか、道長と伊周は叔父と甥の関係だけど、道隆没後の次期関白の座を巡って争いましたからね」


「法皇様に弓を引いたのは、理由はどうあれ重罪です。けれどもそれをあえて大ごとにして父上は、ご兄弟に他の罪状も捏造ねつぞうして付け加えて、一気に彼らの政治生命を断ち切ったのです」


「すごいですねぇ、本当に貴族同士というか親戚の中での権力闘争ですよね」


「あの時は私、従姉いとこ定子ていし様がかわいそうでなりませんでした」


「そうか、清少納言も仕えていた中宮定子は、藤原伊周の妹でしたよね」


と、伊川は調子に乗って彰子に話を合わせていた。ところがここで彰子が、


「伊川さん、あなた、やけに私たち一門のことに詳しいわね」


と言い出した。


「もしかして……?」


と、一瞬、彰子の眼が光ったような気がした。


「もしかして?」


 伊川もオウム返しのような口調で返して、唾を飲み込む。


「伊周側の間諜かんちょう~っ?!」


と彰子は叫ぶやいなや、いきなり伊川の首をめようとした。


「いや、間諜って、スパイていう意味ですよね? そんな、滅相めっそうもない。助けてくださ~い。私は単なる歴女です~っ!」


 彰子もハッと我に返って、


「本当ですか?」


と尋ねる。


「ほ、本当です。だいたい、今、私たちが喋っている話はみんな高校の教科書に載ってるんです。言うなれば、ちょっと古典や日本史が好きな高校生なら、みんな知ってることです。ゲホゲホ」


と、伊川は少しむせながら言った。まったく、なんて人だ。


「なんてこと! 千年の歳月を経ても記録は残るものなのですね……でね、話は戻るけど、最近、父上の日記の一部がごそっと無くなったのです」


「ごそっと?」


と、伊川は手を広げる。


「そう、ごそ~っと」


と、今度は彰子が手をもっと大きく広げる。


「なるほど~、それはもしかしたら政敵の仕業しわざなのかも知れませんね」


「これが下手に公にされると大変です。今度は父上の陰謀が白日の下にさらされて、父上が失脚するかも知れませぬ。父上が晴明さんに占わせると、なんと事件から一〇三〇年後に父上直筆の文書が見つかるとのこと」


 ここまで話を聴いた伊川は何かに気づいたふうで笑いをこらえながら言った。


「ええと、中宮なかみやさん。この時代に見つかったとしても、今さら藤原道長の政治生命には何の影響もないと思いますよ。なにせ、千年前に終わっている事件なんだし」


 ところが、それを聞いた彰子は低い声で不気味に笑った。


「ふふふ、ふ、ふ」


「い、いや、何ですか? 中宮さん、その笑い方」


「残念ながらあなたは一を知って、二を知りませんね。所詮しょせん、その程度の人か」


「ちょっと~、今、何気なにげに私を馬鹿にしてますよね? どういうことですか?」


「私がこの時代に来れたのよ。伊周側も同じことを考えるでしょう……?」


「あっ、そうか! 敵の回し者が文書を入手して元の時代に戻って、このことを公表したらどうなるか?!」


 彰子の声のトーンが高くなる。


「間違いなく父上は失脚!、流罪るざい! 一家は離散!」


「そうなりますよねぇ」


「それじゃあ、ダメなのよ! だから、私は秘書の村崎さんと一緒にこの時代に派遣されたの」


「え~っ、それ、本当にホントの話なんですかぁ?」


 彰子はその問いには直接答えずに言いかけた。


「私のミッションはその文書を入手し、父上に届けること。それが出来なければ……」


 そこで伊川が突っ込む。


「ミッションなんて言葉、何処で覚えたんですか? 中宮なかみやさん、千年前の人って設定ですよね? で、出来なければ?」


「その場で焼却処分すること」


「なんか、平然とすごいこと言ってますよね。藤原道長直筆の日記の一部が発見されたとなれば国宝級ですよ」


「国宝よりも父上の方が大事です。それに当の本人が『プライバシーだから返してくれ』と言っているのですから」


「だから~、中宮なかみやさん、プライバシーなんて言葉、いったい何処で覚えたんですかぁ?」

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