第4話 道長の政敵
――そうそう、そう言えば……。
伊川は彰子から肝心なことを聞いていないことに気がついた。
「で、その機密文書というのはどんな内容なんですか?」
すると、彰子は伊川に顔を近づけてこう言った。
「実はね……大きな声では言えないのです。何せ、機密なのですから秘密なのです」
「いや、それはわかりますが、それでは探しようがありません」
すると彰子は少し考えるふうで言った。
「そうよね……父上は
――おお~っ、そう来たか。
と、歴女伊川の胸は少し高鳴った。そして、彰子に向かって言う。
「そうですよね~。日本史や古典の時間にも習ったけど、藤原道長って結構、えぐい人なんですよね~」
すると彰子は、
「まあ、エグいだなんて、ひどい。父親の悪口を娘の私の前でおっしゃるなんて。伊川さんはなんてひどい人。ぷんぷん」
と口では怒ってみせる。伊川は慌てて弁解する。なんたって怒らせたら、ご褒美が無くなるかもしれないではないか。ここは出来るだけ
「あっ、失礼しました。確かに、ご家族の方から見れば、そんな言われ方は心外ですよね」
すると彰子は微笑みながら、
「いいえ、まあ、娘の私から見てもその通りだと思いますわ」
と言ったのだった。それを聞いた伊川は、
「なぁんだ、だったらいいじゃないですか~」
と少々、気を抜いて言う。すると彰子はまた、
「いいえ、あなたのような赤の他人様から言われるとちょっと……複雑な気分です」
と、気難しいことを言う。伊川は仕方なく、
「あ~、わかりました、わかりました。エグいという発言は取り消します」
と、自己の発言を全面撤回した。しつこい記者に食い下げられて面倒くさくなり発言を全面撤回する政治家というのはこんな心境なんだろうな、と伊川は思った。すると彰子は、
「で、そのエグい父上は……」
と言いだし、それに対して伊川が、
「なぁんだ、結局、自分でも『エグい』って言ってるじゃないですか」
と突っ込むも、彰子は無視するように、
「
と、あっさり言う。
「そりゃ、そうでしょうねぇ。いろんな人を踏みつけにして、自分が出世してきたんだから」
伊川のこの発言を彰子は特に否定はせずに話し続けた。
「中でも、父上のお兄様、私の
彰子が口にした人々の名前を聞いて、古典の知識の乏しい高校生なら眼の前がクラクラするだろうが、そこは伊川は歴女らしく、わくわくしてきた。
「あ~、出た、出た。それ、『
今度は彰子が驚いたようだ。
「あら、よくご存じですわね」
「ご存じも何も、高校生なら『枕草子』くらい授業でやりますよ」
「そうなのですか? どんな内容なのですか?」
「えっ、彰子さんは読んでないんですか? それこそ同時代の作品でしょ?」
伊川は彰子の言を全面的に信じているわけではないが、
「確かに今、
と言う。伊川もこれには、
「そうか~、
と、妙なところで感心したりもする。
「この前など、父上に隠れてこっそり読んでいた女房が『枕草子』を取り上げられて、見せしめのために本を庭で焼かれてしまいました」
「へぇ~、そこまでいくと、ひどい話ですねぇ」
と、そこで彰子は伊川に顔を近づけて声を潜めて言った。
「で、いよいよ本題なのですが……」
「はい」
さすがの伊川もゴクリと
「五年前に大事件が起きました」
「えっ? 五年前? 何の事件かなぁ? 岸田内閣が成立して衆院選で自民党勝利? それとも、アメリカで民主党バイデン政権成立?」
またまた伊川は思いつくまま単語を並べたが、またしても彰子は、
「何を言われているのか全然わかりませんわ」
と、つれない返事。
そこで伊川ははたと気がついた。
「ちょ、ちょっと待って、
すると彰子はさも「当然」といった顔で、
「何わかりきったこと言ってるのですか……もちろん、
と言い放った。
「ああ~っ、やっぱり」
と言って、伊川は頭を抱える。全く、今日の彼女は頭を抱えることが多い。
――もう、藤原道長の娘になりきってるよ、この人。
と思いつつ伊川は、
「え~っ、令和じゃなくて、長保三年? え~と、それって西暦だと何年?……」
と言いながら、すぐにスマホで検索して調べている。
「げっ、西暦一〇〇一年! 今から一〇二〇年以上前! すると、この『五年前の大事件』って?」
案の定だ。
――なりきってるにしては、手が込んでる。
伊川の心中にはおかまいなしに、彰子は話し続ける。
「はい、今から五年前の
「集団……ら、乱闘ですか?」
「そうですよ……そういえば伊川さん」
と、真面目な顔で彰子が言うと、伊川も、
「はい」
と、自然と背筋を伸ばして応える。
「貴族って、普段どんな言動をしているとお思いですか?」
「えっ、き、貴族ですかぁ?」
さすがに歴女の伊川も返答に困った。
「そ、そうですねぇ……平安朝の貴族なら優雅で、教養があって、礼儀正しくて……って感じですかねぇ」
これには彰子は少し困った顔をした。
「う~ん、それは一面的に過ぎますね」
「そうですか?」
「そうですとも」
と、彰子は話し続けた。
「あのね、あの人たちは、とあえて申し上げますが、結構ヤバいのよ」
「あの人たち、っていうのは貴族の皆さんですよね。どこがどうヤバいんですか?」
「結構、暴力的というか……」
「ぼ、暴力的ですか?」
彰子の口から出てきた言葉のあまりの意外さに、伊川はオウム返しのような返答しか出来ない。
「もちろん、中にはあなたがおっしゃるような優雅で、教養があって、礼儀正しい人もいるわ……例えば、
――あっ、その人たち、知ってる!
と、伊川は声を出しかけた。もっとも「知ってる」とは言っても、本に登場する名前としてだけで、別に顔見知りでもなんでもないのだが。しかし、彰子の話すスピードの方が速かった。
「でもね、そういった人たちばかりではないのよ……だいたい、伊川さん、意外とこの時代も学校で千年前のことは習っているのよね?」
「はい、日本史や古典の授業で結構出てきますよ。特に古典の授業なんて、半分くらいは平安時代の作品を学びます」
「例えば?」
「『
「すごいわね。今、題名が上がった作品、私も全部わかるわ。なんだかもう、嬉しくなってきちゃった。そう、千年の時を越えて残っている作品なのね……でも、あなたたちはこれらの作品からでしか貴族を知らない」
「言われてみればそうですよね」
「これらの作品に出てくる貴族たちはまず暴力はふるいませんよね。他人と
「えっ、あっ、そうなんですかっ?」
さすがの歴女伊川もこの時は彰子に
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