第3話 父親は藤原道長?!

「こ、国家機密ぅぅぅ?」


 彰子の言葉を聞いた伊川は、またまた頓狂とんきょうな大声を上げる。


「そう、これがおおやけになってしまったら、政権が転覆しかねない一大スキャンダルなの」


と、彰子の言も何やら深刻で思わせぶりだ。


「そ、それって、もう古いけど『モリ・カケ・サクラ』とか? それとも、国会議員の誰々がどこか外国のエージェントだとか?」


と、伊川はとっさに頭の中で思いついたことを並べてみたが、彰子は、


「なんですの、それ?」


と、つれない返事。どうやら彰子の言いたいことは、そういうことでは無いらしい。伊川も外された気持ちになって、


「あっ、違う?」


と言うと、彰子は、


「あのね、私の父上の秘密なの」


と、さらりと言う。これには思わず伊川も、


「ち、父上ですかぁ? また、時代がかった呼び方ですよね……お父さんの秘密が国家機密なんですかぁ?」


と、突っ込む。しかし彰子はいたって真面目な顔をして、


「そう、そのせいで父上が失脚したら大変なのよ」


――失脚って、あなたのパパはどんなに偉い人なのさ?


と、伊川はいささか鼻白ませて訊く。


「あのう、失礼ですが、中宮なかみやさんのお父さんって、どなたなんですか?」


 彰子は伊川からちょっと視線をらせてさらっと言う。


藤原道長ふじわらのみちなが


 この、全く想定外の解答に伊川は唖然あぜんとして、


「へ?」


としか声が出ない。この反応にはさすがに平素しつけの良い(はずの)彰子もいらついたのか、思わず口調がとがったものになる。


「だから~、藤原道長」


 しかし、伊川の反応はまたしても、


「えっ?」


としか声が出てこない。さらに彰子は苛ついた声を隠せずに、


「もう~、何回言わせるの? 右大臣うだいじん藤原道長よ」


と言って、口を尖らせる。伊川もさすがに、


「ははは……また、何を言い出すかと思えば。ご冗談を」


と、言い返す。これには彰子が、


「あ~っ、信じていませんねっ!」


と言う。伊川は「もちろん」というような顔をして、


「信じられるわけないじゃないですか! 藤原道長といえば、今から千年前、平安時代の貴族の政治家ですよ」


と言う。


「まあ、この時代から見れば、そうですよね」


と、彰子は「まあ、仕方がない」といったふうに言う。それに対して伊川は思わず声が大きくなる。


「だから~、自分で言ってて、おかしいとか思わないんですかっ?」


「思わないですわ」


「どうして?」


「だって、本当のことなのですもの」


 彰子のこの言葉には、さすがの伊川も頭を抱える。


――ホントのこと~っ?


 読者諸君! 諸君もここは難しいことを考えてはいけない。「もし中宮彰子なかみやあきこが本物の中宮彰子ちゅうぐうしょうしだったとしたら中古日本語を喋るはずだから、現代人と話が通じるわけがない」などと詮索せんさくするのは無用なことである。ここは虚心坦懐きょしんたんかいな態度で彼女の言を信じてみるのも一興いっきょうではあるまいか。


 ここでいきなり彰子の携帯電話の着信音がした。彰子は画面をちらりと見て、


「あっ、秘書の村崎さんからだ。ちょっと、向こうで喋るから」


と言って、伊川の返事も聞かずに、小走りに廊下の方へ出て行った。


 一人残された伊川はしばし呆然ぼうぜんとしていたが、


――やれやれ、高校生なのに秘書がいるの?……さて、どうしようかな~。なんかあの人、やばそうじゃない? 自分が藤原道長の娘だってさ。私、面倒なことに関わり合いたくないしさ……よ~し、いないうちにこっそり……。


と、そろそろと、ここ二三六教室を出て行こうとする。ところが何との悪い、教室の出入り口で、戻ってきた彰子と鉢合はちあわせしてしまった。


 彰子はいたって明るく、


「お待たせしました」


と、言う。


 これにはさすがの伊川もバツが悪そうに、


「あっ、どうも」


と応えて、席に戻るしかない。


「どうかなさいました?」


と真顔で訊く彰子に、伊川は、


「い、いえ……ははは、は、は」


と笑いながら、


――ま~、しゃ~ないか、適当に話を合わせておこっと。


と思うしかない。


 一方、彰子は彰子で単刀直入に話を切り出した。


「で、実はね、父上の秘密が書かれたと思われる文書が紛失したの。それが政敵せいてきの手に手に渡ったら一大事なのよ」


 伊川は真面目に聞こうとしない。


「あ~、はい、はい」


なんて、適当に返事をしている。


「で、私、懇意こんいにさせてもらっている『せーめーさん』に相談したのです」


 これには伊川も「誰だ、そりゃ?」と思い、


「せーめーさん? 誰です、その人……?」


と、彰子に訊きかけた。しかし、彰子はそれは無視して、


晴明せいめいさんの陰陽道おんみょうどうによる見立てによると……」


などと言い出した。これにはさすがに伊川もピンときた。


「あ~っっ! 晴明さんって、あの有名な安倍晴明あべのせいめい? 平安時代最強の陰陽師おんみょうじ!?」


 この反応に、彰子は嬉しそうに手を叩いて言った。


「そうです、そうです。さすがに晴明さんは千年後の世の中でも有名人なのですね。ま~、あの方、ちょっと変わったところもありますが、とっても頼れる方なのですよ」


――晴明さん、だなんて何気なにげに親しげだし。なんなんだろ、この人?


 そもそも伊川は彰子の言を頭から疑ってかかっている。まあ、常識のある人間としては当然の反応なのだが。だが、彰子はそんなことは我関われかんせずといったふうで、


「晴明さんによれば、その文書は千年後に発見されて、公にされると。それで父上のことが心配な親孝行の私はいても立ってもいられず、晴明さんの不思議な術の力で千年後の未来へやってきたのです」


と言った。


 この言を聞いた伊川は「もう、我慢できない!」といったふうで、


「自分で自分のことを『親孝行』だなんて言いますかね? まぁ、それはともかく、あの~、それ本気で言ってるんですかぁ? 悪いけど私、ついていけません。帰りますっ!」


と言って、廊下へ出て行こうとする。


 すると彰子は、コホンと咳払せきばらいをして、


首尾しゅびよくその文書を見つけられたら、報酬ほうしゅうはきちんとお支払いいたしますけど」


と、言った。この時、伊川のいささかがめつい耳は「報酬」という言葉を聞き逃さなかった。


「えっ、い、今、なんと?」


「無事に文書を入手できたら、恩賞おんしょうを差し上げます」


 その言葉を聞いた伊川はUターンして元の席に戻り、彰子の目をまっすぐ見つめて言った。


「恩賞って、また、時代がかった言い方ですよね。え~と、どんなご褒美ほうびをいただけるんですか?」


 伊川の目が期待で燃えている。彰子は至極しごくあっさりと、


「実利的なものと、名誉的なものです」


と、答えた。


「ええと、実利的なものっていうのは、要するにお金をいただけるんですよね?」


 伊川のもの言いも実利的でストレートだ。


「はい、ご協力していただけましたなら」


と言って、彰子はにっこり笑う。これに対して伊川は、今までの態度とは打って変わって、


「わっかりました、わかりました! 不肖ふしょうこの伊川、中宮なかみやさんにご協力させていただきますです、はい」


 と、彰子に向かって最敬礼さいけいれいする。彰子は、


「まあ、お金のことだけに現金なこと。おほほほ、ほ、ほ」


と、どこからか取り出した大きな扇を広げて口元を隠しながら面白そうに笑った。図星をつかれた伊川も愛想笑いをするしかない。


「ははは、は、は……」


 すると彰子はいきなり大声で、


「ひさかたの 光のどけき 春の日に しずごころなく 花の散るらむ」


と、大声で歌った。これにはさすがの伊川も驚いて、


「わ、わ、いきなりどうしたんです?」


「いえ、ちょっと、窓の外を見たら、桜の花が散っているのが見えたもので……」


と、彰子は平然としたものだ。


「それでいきなり、紀友則きのとものりの歌ですか?」


「あら、伊川さんもご存じですの?」


「ええ、古典の授業で習いました。『古今集こきんしゅう』ですよね。で、なぜいきなりこの歌を?」


「私、幼い頃から『古今集』を暗唱させられていて、何かあるとつい条件反射的に歌が口に出てくるのです」


「また、面倒くさい性分しょうぶんですねぇ……」


「それにしても伊川さん、千年後の人って共通の話題があるか心配でしたけど、安倍晴明さんや紀友則さん、それに私の父上の名前もご存じでとても心強いです。以後、よろしくお頼みいたします」


 こう言って頭を下げられると、伊川は少々気恥ずかしくなった。

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