50 ジュースっつったらオレンジやろ!

 こんにちは。


 テレビで俳句の評価をする番組を家族で見ているのですが。


 俳句は言葉を極力削って、言葉がもっているバックボーンというか、イメージや歴史的背景や、当たり前に含まれる感情や仕草などは書かないようにするという面白さがあって、毎週勉強になっています。


 小説とか、こういうエッセイとか、人に読ませる系の日記(日本のお家芸の気がしますが)は、そうではない部分もけっこうあって、削るよりももっと盛った方が良い場面もあったり、言葉って、引き算と足し算が難しいんだなぁと感じます。


 小説の中の人物の場合、当たり前な流れをしてくれない登場人物の言動が物語として面白いし、それをきちんと分かるように描写だったり解説をしないといけない場面があるから。


 

 番組を見始めた頃は、俳句の中の言葉の削り方が分からなくて……例えば「足で歩く」「手で持つ」とかは歩くのは足のはずだから削ればいい、持つのは手だから削ればいい、とかはわかるのですが、そうじゃない言葉もあるようで、そこが難しいなぁと思ったりしていたのです。


 そこそこ見続けて、やっとそれは「俳句をやっている人の中での常識の感覚」というのが共通の言語のように存在しているのだなぁと。

 その感覚は、そこをピンポイントに馴染ませていかないと、分からない事なんだと。



 昔どこで聞いたのか……、漫画だったかな?


 先輩「おい、ジュース買って来いよ」

 後輩「はい!何ジュースですか?」

 先輩「ジュースっつったら、オレンジジュースの事やろ!」


 みたいなことです。


 「えー、ジュースって果汁百パーセントの飲み物の事だから、リンゴでもパイナップルでもグレープフルーツでもジュースなんだけどーー(泣)」と私の中でインサートが入るのです。

 で、きっと、オレンジ百パーを買って渡したら、「酸っぱすぎるやろ!なんで甘いやつ買ってこないんや!」と、実はオレンジ味のソフトドリンクを所望していたというオチになりそうな予感がするわけです。


 俳句には、そのジュースと言えばオレンジのソフトドリンク!パンと言えばこしあんぱん!みたいな共通の感覚があるんだなぁと。(すべてではないですよ。オリジナリティが光って面白いものもある)

 俳句の場合は、もっと風流で高尚こうしょうですけどね(笑)

 


 それで思い出したのですが、その番組をけん引している俳句名人のタレントさんが、昔テレビで怒りをあらわにしていた共通言語の話。


 芝居だかドラマの撮影だかに、差し入れをするため、マネージャーと二人でファストフード店に入ってハンバーガーを五十個注文したそうなんですが、(もっと多かったかも?)


 「店内でお召し上がりですか?」


 と店員に聞かれて「お前は今から、中年の男2人がハンバーガー五十個も食べると思うのか?!持ち帰りに決まっているだろう!」と怒鳴ったらしい。


 いやいや、お客さん側は知らないだろうけど、お店の人というのは、いろんなバージョンの「そんなパターンあるはず無いやん」を経験しているものなんですよね……


 もしかしたら、この後すぐ、どこぞのクラブ活動終わりの男子が大量に来るから、先に注文していたのかもしれない(五十個は短時間で作れないからね)。

 もしかしたら、五十個の内、二個は店内で食べて、後はテイクアウトのつもりの言葉かもしれない。

 もしかしたら、目の前のお客さんがフードファイター顔負けの大食いかもしれない。


 「説明しないと分からないから!」とか、「先に言っといてよ!」とか、「それはありえない!」ってお客さんの言動は、本当にあるあるなのです。


 その店員さんも、テイクアウトだろうなとは思っていたと思うけれども、まぁ、マニュアルだからというか、セオリー通りに言ったのかもしれないですが、奇行種のお客さんがいるから、聞き漏れを失くすためのマニュアルなのです。


 人によって常識って本当に違うから……。

 いろんな人が存在してそれが普通だし、それをどこまで店員さん側の質問によって、求められている事が何かを絞っていくのが接客商売の仕事の一つでもあります。


 なのに「○○って聞いたらすぐにわかるんじゃないの?!」と「あなたはダメだわ。誰かわかる人呼んで来て」とか、

 こちらがAのパターンを聞いているのかな?Bかな?それ以外だろうか?と、分からないから質問をすると、ムカッとした顔をされる。

 

 分かってほしいなら、わかるように説明をするべきなんですけどね。

 でも、それがその人にとっての共通言語だから、仕方ないですよね……まだ経験してい無し、知らない世界の話だから。


 そのハンバーガーの注文も本当は、

 「ハンバーガーを五十個持ち帰りでお願いします。」と言えばよかったんだけど、「ハンバーガー五十個」としか言っていない。

 なので、常識人の顔をした奇行種が蔓延はびこる世の中だから、店員さんは聞かないといけない。

 「店内でお召し上がりですか?」と。


 「お持ち帰りでよろしいですか?」ともし言って、「いいえ、ここで食べますけど」となる方が、その後の空気が凍り付く気がするし……


 あのタレントさんのお顔を拝見するたびに、自分が求めていた要求以外にも、この世には思いもよらない別の要求があって、それの方が「普通」と思っている人がいる、という事をその後学ぶ機会はあったのかなぁ?と思ってしまう。


 

 動物はとても狭い範囲で生きていて、自分が存在する環境内での経験を「当たり前」「普通」と認識するから、共通の認識、共通の言葉のイメージを持つのは、なかなか難しいものだなぁと。

 世界を知らなかった昔の日本人は白夜びゃくや極夜きょくやも常識の中に無かっただろうし、川が逆流する季節がある事も知らなかっただろう。


 

 俳句もそうだし、小説もそうだし、言葉で伝えないといけない表現方法を選んだ人たちは、難しい事をしているんだなぁと。


 俳句の中の「常識的な認識」を教えてもらって、世界が広がることもある。

 そういえば、前に私が書いていた「記号」で良いものと、良く無いものもこういう事なんだろうな。


 私にはきっと俳句は無理だなぁ。

 IFを考えすぎる性質だから、もっと俳句の中の共通言語感を身に付けないと、難しいなぁと思いながら番組をみて勉強しています。


 

 言葉って、本当に難しいですね。

 

   *** *** ***


実際私がジュースの話を聞いた時は「リンゴジュース」だった気がする……

なんだっけ?

漫画だっけ?


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