【九限目】兄とは、妹の都合の良い奴隷である。

「やっほー、お兄ちゃん。可愛い妹が来てあげたよー」


 玄関の扉を開けるなり、顔を出した妹──雨宮咲がそんな事を言いながら、無遠慮に部屋に入っていく。


「んー。ちょっとお兄ちゃんクサいなー……まぁ、このぐらいなら許してあげよう」


 そう言って、咲はバッグから取り出したファ◯リーズを部屋中にかけまくる。

 全然許してないじゃん。というか、準備良すぎか、と心の中でツッコむ。だが、それ以外にも俺は咲に言いたいことがあった。


「おい、咲さんや……キミ、お昼ぐらい来るって言ってたよな?」


「うん? そうだね」


「今、14時なんだが」


「あー、お腹空いて外食してね。それで遅れちゃった」


「お前に言われて用意した俺のカツ丼とサラダは?」


「お腹一杯だから要らなーい……あ、お兄ちゃん。これレシートね。この分のお金ちょうだい」


 そう言って、咲がレシートを俺の前に突き出す。そこにはカルボナーラと温野菜スープ、ドリンクバー、いちごパフェの合計1543円という金額が記載されていた。

 なんだ、この酷い仕打ちは。


「いや、ふざけんな。そんなもん自己負担で──」


「財布みーっけ。お金もらってくねって……細かいのないじゃん。仕方ないなー、3000円で許してあげるよ」


「待てコラ、勝手に取ってくな! ていうか、そこは普通2000円だろ、なんで3000円持っていく?」


 お金を抜き取ろうとする咲から財布を奪い返す。「ケチー」と言われるが、知ったことではない。大学生の一人暮らしは基本、極貧生活なのだ。こんな事でお金をむしり取られてはたまらない。

 唇を尖らせた咲がベッドに腰掛け、側の机の上に置いてあったエアコンのリモコンを手に取る。


「ちょっと寒いから暖房つけるねー」


 そう言って、暖房をつける。

 咲の格好は厚手の白いパーカーに、青のホットパンツだ。今日は風が少し強いので、そんな格好をしていれば肌寒いだろう。


「別にいいけど……それなら長ズボンでも履いてこいよ」


「うわ、お兄ちゃん。まだこんなASMRとか聴いてんの? 変態じゃん」


「おいナチュラルに無視すんなや。てか、人のスマホを勝手に開くなっ」


 気付けば、咲は机の上に置いてあった俺のスマホを勝手に開いている。画面を見ながら、「うっわ、後輩耳かきとかある……引くわー」と笑いながら見ている。

 ちなみに、咲も俺が耳かきASMRを聴いている事を知っている内の一人だ。高校受験が終わった3月にイヤフォンでASMRを聴きながらうたた寝している最中に、スマホ画面を見られて、バレた。

 しかもこの女、その後に俺がバイトへ向かい、バイトの休憩中にRINEでその事を指摘してきたのだ。パニックになった俺はその後バイトでミスを連発するし、家に帰る時は家族全員にASMRを聴いている事がバレたと思い、気が重くて吐きそうになった。

 結局、家族には黙ってくれていたのだが……それにしたって、性格が悪すぎる。


「お前、いい加減にしろよ? とりあえずスマホ返せっ」


 咲からスマホを奪い返すため、咲の腕を掴む。

 それに対して咲が抵抗するからベッドの上で取っ組み合いをする形になる。


「えー、やだよー。お兄ちゃんがどんなの聴いてるのか気になるじゃん? まぁ、お兄ちゃんむっつりスケベだからなー。まだ耳舐めとか聴いてんの?」


「誰がむっつりだ! 今は耳かきしかほとんど聴かねぇよっ」


「あはは。耳かきの方が、よりむっつりスケベな気がするけどね。むしろ童貞感が割り増しだよ、スケベェちゃん」


「兄貴をバカにするのがそんなに楽しいかっ?」


「うん、すごく楽しい!」


「今日一良い顔で言うなっ。ちくしょう! ほんと、何しにきたんだ、お前はっ?」


 意外に力が強い咲に苦戦したが、なんとかスマホを取り返す。その頃にはお互い疲れて、息を切らしていた。


「はぁ、はぁ……くそ、ゴリラ女め。なんでそんなに力強いんだよ」


「はぁ、はぁ……可愛い妹にゴリラ女とかヒド。お兄ちゃんがもやしなだけでしょ。ちょっとは運動しなよ、童貞もやスケベェちゃん」


「今までの悪口をまとめんな……まったく。昔はもう少し可愛い気があったのに、生意気になりやがって」


 反抗期というやつだろうか。それなら仕方がない。普通の兄妹というのは妹が兄の事を一方的に気持ち悪がるらしいし。だが、咲の場合はやけに突っかかってくるのだ。

 その上こちらを小馬鹿にしたような、弄ぶような態度を取るので鬱陶しくて仕方ない。


「……ところで、お兄ちゃん」


「ん?」


 息を切らしていたせいか、顔が少し紅潮したままの咲が口を開く。


「月ちゃんとはどんな感じ?」


 月ちゃん、というのは幼馴染の月美の事だ。昔はよく月美が家に遊びに来ていた事もあり、咲も一緒に月美に遊んでもらっていた。


「どうって……普通だよ。たまにゲームやったりとか、ご飯とか一緒に行くぐらいだな」


 そう答えると、咲が「ふーん」と興味無さそうに頷く。


「それは二人で?」


「ん? まぁ、そうだな。俺、友達いないし」


「そこは頑張って友達作りなよ……」


「いや、無理。俺あのノリについていけない」


 それを聞いた咲がため息をこぼす。

 いやぁ、だって無理なもんは無理なんだもん。大学生のウェイ系のノリには全くついていけない。同類をキャンパス内で見つけても、初対面の人に話しかけるとかド陰キャラには絶対無理だし。


「まぁ俺にはとりあえず月美がいるしな。今のところはそれで問題ないし」


「……あっそ。お兄ちゃんって、ほんと頭スカスカだよね」


「え? なんでいきなり罵倒される?」


「さぁね? 自分で考えたら?」


 少し不機嫌そうに咲が立ち上がり、バッグを背負う。


「ん? なんだ、もう帰るのか」


 咲の様子に、そう声をかける。本当に何しにきたのか分からないが、帰ってくれるならありがたい。正直、さっきの十数分のやりとりで疲れた。

 しかし、その淡い期待はすぐに打ち砕かれる。


「は? そんなわけないでしょ。あたし、買い物に行きたいの。今日はそのために来たんだから。ほら、お兄ちゃんも準備して」


「……は?」


 なぜ俺も? と首を傾げる。


「決まってるでしょ。財布、兼、荷物持ち。ほら、行くよ」


 さも当然のことだと言わんばかりに、俺の腕を引っ張る咲。


「いや、ふざけんな。それこそ自己負担で行けよっ」


 身勝手な妹に、俺は思わずそうツッコんだ。

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