【七限目】大好きな幼馴染がASMRにハマっている件について②

「よし、これで買い忘れはない……よね」


 大学近くの薬局から出た私は、メモした買い物リストから買い忘れがない事を確認し、幼馴染の雨宮光太郎──コウくんが住むアパートへと歩き出した。

 つい、流れに乗ってコウくんの家にお見舞いに行くなんて言ってしまった時は、ちょっとしたパニック状態になってしまったが、今考えれば、言って良かったと思う。


「……えへ、えへへへ」


 自然と頬が緩んでしまう。

 なんせ、コウくんの一人暮らしする部屋に初めて、合法的に、入る事が出来るのだから!


「おっと、いけない。いけない。コウくんは風邪を引いてるんだから。私がしっかりしなきゃ」


 頬を叩いて、無理やり気を引き締める。

 大好きな人の部屋に上がれる事実に夢中で、肝心な事を忘れそうになっていた。

 今、コウくんは風邪を引いている。独りぼっちで辛い思いをしている彼を看病するために、私は彼の部屋に行くのだ。

 決して、やましい考えなどない。

 コウくんが住むアパートは、大学の近くで徒歩10分圏内。二階建てで、コンクリートの壁はところどころヒビが入っていて、見た目はそこそこ古い。

 私は階段を登り、2階の一番右端の部屋の前に止まる。コウくんの部屋だ。


 ──ピンポーン。


 インターホンを押す。高鳴る心臓を抑えて待ってみるが……コウくんが出てくる様子はない。


「あれ? コウくん、寝てるのかな……?」


 安静にするように言ったのは確かに自分だが。

 ドアノブを回して、引いてみる。鍵は閉めていなかったようだ。


「お邪魔しまーす……」


 部屋の電気はつけっぱなしだ。おそるおそる部屋の奥へと進んでいくと、コウくんがベッドの上で寝ていた。顔が赤く、汗でびっしょりだ。


「わ、本当に辛そう……汗、拭いてあげなきゃ」


 立ち上がった私は台所で持っていたハンカチを濡らし、そのハンカチを持って、コウくんのところへ戻る。


「イヤフォン邪魔だな……コウくん寝てるし、別に外してもいいよね」


 イヤフォンを外すと、そこから微かに音が聞こえた。

 十中八九、ASMRを聴いていたのだろう。思い出されるのは、電話口から聞こえた可愛らしい女の子の声。コウくんはたしか、妹もののASAMRと言っていたか。


「これってチャンス……だよね」


 本人からどんな内容のASMRを聴いているのかを聞くのは、もし自分がその好みから外れていたら絶対へこむと思ったから、聞いてこなかったのだが……やはり、好きな人がどんな女の子とのシチュエーションが好みなのか、気になるものは気になる。

 意を決して、イヤフォンを耳にはめた。


『──はぁい。右耳は終わり。キミ、すっごい顔が蕩けちゃってるねぇ。そんなに気持ち良かったんだ?』


「うわ、すごい大人っぽい人の声……年上のお姉さん、かな?」


 声からでも想像できる。色っぽい、大人びた声。甘ったるい口調で囁かれて、同じ女性である自分でさえも少しドキドキしてしまう。


(でも、安心したぁ。コウくん、こういう大人な女性のASMRも聴くんだ)


 また妹ものとかだったら、どうしようかと思ったが杞憂だったらしい。

 それに、こんな感じの大人の女性のASMRも好んで聴くというのなら、私にだってまだ可能性はあるというもの。


(それだけ知れただけでも収穫だよね)


 イヤフォンを外そうと手をかけた──その時。


『じゃあ、今度は左耳ね?』


 ──ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃっ!


「うっひゃあぁああああっ!?」


 耳奥で激しく湿った音が響いて、悲鳴をあげてしまう。「あっ」と慌てて、口を抑える。

 幸い、コウくんは起きなかったようだ。

 しかし、私の頭の中はパニックになっていた。


(えぇぇええええっ!? ナニコレ、ナニコレ、ナニコレぇっ!?)


 耳を、舐められている? なぜ? というか、コレは絶対えっちなやつだ。コウくんが普段聴いているのは耳かき音だったはずでは?


『あ、ここピクってなった……だーめ。逃がさないよ?』


 ──ぴちゃぴちゃぴちゃっ!


「──ひっ!? んんっ、ちょっとこれは……!」


 口を抑えて、なんとか耐える。耳の奥を激しく舐め回すような音……かと思えば、今度はその奥をねっとりと舐め回すような音が脳に響く。


(あぁ……っ。やばいやばいっ! これ、ちょっと変な気分に……!?)


 そこで、イヤフォンを外す。


「──はぁ、はぁ。本当に何だったの、さっきの……」


 顔を手で触れてみると、すごく熱い。きっと真っ赤になっているだろう。

 というか、何でこんな刺激的なものを聴いていて、コウくんは気持ち良さそうに寝れているのか。謎すぎる。


(……コウくんは、あれが気持ち良いのかな? ぐっすり寝ちゃうぐらいに?)


 息を整えつつ、じっと、気持ち良さそうに眠る幼馴染の顔を見る。その横には耳がある。よく見てみると、意外と耳の穴が小さくて、可愛いな、と思う。

 こんな小さな耳の穴に、私の入るかなぁと疑問に思いつつ、コウくんの耳に口を近づけて──。


「いやいやっ? 何してるの、私!?」


 慌ててコウくんから離れる。今、とんでもない事をしようしてた気がするっ!


「ふぅー……とりあえず、さっきのは忘れよう。えーと……そうだ、お粥を作ろう」


 一度、心を落ち着ける必要がある。

 気を取り直して、私は台所に向かった。







(──あれぇ? 私、何でこんな事してるの?)


 気付けば、というか。目の前の光景が不思議で、私は首を傾げた。

 目の前に、コウくんの小さな耳がある。私の右手には綿棒があって、それでコウくんの耳を撫でるように、耳かきしている。

 たしか、あの後お粥を作り、コウくんを起こしてお粥を食べてもらった。でも、気分が悪くて自分で食べれないと言うから私が食べさせてあげて、汗で気持ち悪そうだったから顔とか身体を拭いてあげた。その後に、コウくんがASMRを聴きながら寝ようとして、私がイヤフォンしながら寝るのは良くないって言って、それで、私が──。


(そうだ。それで私が耳かきしてあげるって言ったんだった……っ!?)


 一連の流れを思い出し、瞬く間に顔が熱くなる。


(耳かきするなんて、よく言えたな、私!? というか、膝枕までしてるし!)


 もしかして、あの耳舐めASMRを聴いたせいだろうか? あまり憶えていないが、自分の積極性に驚くしかない。


「月美……? もう終わったか……?」


「え? あぁ、うん! 終わったよ?」


 コウくんに呼びかけられて、咄嗟にそう答える。「そっか」と、コウくんが起き上がる。


「いや、悪いな。月美。ご飯作ってもらったのに、こんな事までしてもらっちゃって……」


「え? いやいや、全然っ。幼馴染だからね。このぐらいはするよ?」


 そう言って、笑う。もちろん、普段の月美にそんな度胸はない。つい先ほどまで、何で自分が耳かきするなんて事ができたのか、未だに謎なのだ。

 コウくんも、「そ、そっか」と曖昧に笑う。

 なんだか微妙な空気が流れる。


「と、ところでコウくん。私の耳かきはどうだったかな?」


 気まずい空気を何とかしようと、そんな問いを投げかける。そしてすぐその後に、なんて事聞いてるんだ自分、と恥ずかしくて顔が熱くなった。

 コウくんが目を逸らし、頬を掻きながら答える。


「ま、まぁ。気持ち良かった……かな」


「え? 本当っ?」


「え……う、うん」


 それを聞いて、にへーと、頬が緩んでしまう。


「また今度もしてほしい?」


「お、おう……そ、そうだな」


「よぉし。じゃあまた今度と言わず、今からしてあげるよ〜」


「はい? いや、もう大丈夫だからって……力強いなっ?」


 戸惑うコウくんをむりやり引き寄せて、膝の上に頭を置かせる。

 コウくんが、私の耳かきが気持ち良いって言ってくれた。いつも他の女の子のASMRを聴いて、心地良さそうにしているあのコウくんが。私のが、気持ち良いって。また今度してほしいって。


「……えへ、えへへへ」


 嬉しすぎて、頬が緩みに緩んでしまう。

 すごいな、耳かき。耳かきされる側も、する側も幸せにするなんて。

 コウくんが褒めてくれるなら、いつでも、何時間でもしてあげて──。


「──はっ!? まてまて、私っ?」


 正気に戻って、頭を振る。

 幸せすぎて、つい飛んでしまっていた。


「つ、月美?」


 コウくんも、私の声に驚いて身体を起こす。

 これ以上ここにいるのはマズい。なんだか今日の私は変だ。絶対、変だ。


「ご、ごめんね。コウくん。私、用事があるんだった……だから、帰るね?」


 そう言ってベッドから降り、荷物をまとめて玄関へと向かう。後ろから名前を呼ばれた気がしたが、今は気付いていないフリをして靴を履き、玄関の扉を開ける。


(あぁ、やばいなぁ……次会う時、どんな顔すればいいか分かんないよぉ)


 ため息をこぼし、私は階段を降りた。

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