【一限目】寝そうだから、耳かきASMRを聴く

 大学のとある講義室にて。

 俺、雨宮光太郎は教壇に立つ教授の話に耳を傾けつつ、ルーズリーフにその内容を書き連ねて行く。

 今受けている講義は『哲学I』。担当する教授は単位認定の基準が甘い事で有名で、取っている学生は多い。しかし、その学生のほとんどが講義室の後列に集まっている。

 皆、教授から遠い席について、この講義の時間を雑談やソシャゲ、他の講義の準備時間として使っているのだ。

 そんな中でも、もちろん真面目に講義を聴こうという学生は何人かいる。そういった学生達は前の席に座っており、俺もその内の一人だ。

 当然だ。受験勉強を頑張ったのは、大学で遊ぶためじゃない。勉強するためなのだから。

 しかし、後ろの席の学生達の事も分からなくはない。この教授の講義は、お昼終わりという事もあり、眠くなりやすい。集中できないというのも、よく分かる。

 そんな時に俺は──これを聴く。


『今日は、高速耳かきに挑戦してみたいと思いまーす。じゃあ、さっそく……始めるね?』


 片耳に付けたワイヤレスイヤフォンから、ごりごりごりごりごりーーっと、耳かき棒を高速で出し入れする音が聴こえる。

 高速耳かきASMR。これが最近の俺がハマっているASMRだ。この音を聴いていると、身体の奥がゾワゾワとする。

 その影響か、目が覚めたような心地になってくるのだ。お陰で、眠たくなるようなこの講義にも、集中する事が出来る。


「ねぇ、コウくん。顔が緩んでる……気持ち悪いよ?」


「ん?」


 隣で囁くように呼ばれて、視線をずらす。

 ちょっと引いた顔で、こちらを見つめる幼馴染の顔があった。

 柊 月美ひいらぎ つきみ。小学生からの幼馴染で、俺と同じ私立大学の一年生だ。


「おお、すまん。気が緩んでた」


「もう、気をつけてよね……また、聴いてるの?」


「ん、まぁな」


 月美は俺がASMRを聴いている事を知っている、数少ない理解者だ。俺がASMRに夢中で気が緩んでると、こうして注意してくれる。

 そのお陰で、俺はこいつの隣では安心してASMRを聴くことができる。

 月美が眼鏡を押し上げ、呆れたようにため息をこぼす。


「なんで講義中に聴くのかなぁ……そんなんで、ちゃんとノート取れてるの?」


「ちゃんと取ってるよ。それにあの教授の話聴いてると、眠くなるんだもん。これは必要処置なんだって」


「それがもはや、おかしいんだけど……大体、イヤフォンとスマホのBluetooth機能が切れて、音が外に漏れちゃったりしたらどうするの? 流石の私もフォロー出来ないよ? 他人のフリするよ?」


「それは大丈夫。一ヶ月ぐらい続けているけど、そんなヘマした事、一度もないから」


「そりゃしてたら、コウくんの大学生活は一瞬で終わってるからね……」


 これ以上話しても無駄だと悟ったのか、月美は頭を振って、講義に集中し始める。その横顔は少し、不満そうだった。

 これは何か俺から言った方がいいか、と月美に耳打ちする。


「……心配してくれてありがとな、月美」


「──んっ!?」


 顔を赤くした月美が、驚いたようにこちらを振り向く。その時に置いていたペンケースを落としてしまい、一瞬だけ、講義室内の教授や学生達から、注目を浴びる。

 月美が慌てて、「すみませんっ」とペンケースを拾う。そして、俺を睨みつけて声を抑えて怒ってきた。


「──ちょっと! いきなり耳元で囁かないで! びっくりするじゃんっ」


「ご、ごめん……」


 気を利かせるつもりが、怒らせてしまった。なんとか月美に機嫌を直してもらおうと、俺は頭を下げる。


「本当にごめんって……あ、そうだ。今日の講義終わったらご飯でも行こうぜ? 奢るからさ」


 それを聞いた月美が、少し考えるように顔をしかめる。


「……それなら私、お寿司が食べたい」


 さらりとお金の掛かる外食をチョイスする幼馴染。しかし、それで機嫌を直してもらえるなら安いものか。


「了解、お寿司な。任せとけ」


「ん、任せた」


 それで機嫌を直したのか、ようやく月美は笑みを浮かべた。


 

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