◆track.02「なるほど、これが噂に聞く」①
『――――っ』
合成音声特有の、無機質なこわばりを含んだ響きが、言葉を紡ぐ。
「ハロー、ワールド」
プログラミングの第一歩を象徴する一文、ひいてはそれが彼女の第一声であり、産声だった。
傍観者の白んだ満月を背に掲げ、音羽カナヱが凛と立っている。
「デイジー、デイジー、心に花が咲いたことを、確認」
背中を覆い隠して尚も余りあるロングヘアや、夕焼けの世界にあっても白く澄んだ美しい存在感を見て、本来であれば現れるはずのない、非実在の少女なのだと強く印象づけられた。
◇
……そんな運命の悪戯と言うべき出会いから一転、嵐が過ぎ去ってしまえば、拍子抜けするほどの日常が舞い戻る。切られたジャージも買い物も台無しのため、主人公はハツキの家に一時滞在することになった。
この短時間に再度言葉に甘える機会が来るとは、傘に入れてもらっていた時には夢にも思わなかった。人生はなにが起こるか分からないと言われこそしているが、よもや命まで救ってもらったのだから驚天動地と言う他ない。渡りに船どころか地獄に仏である。感謝してもし足りないぐらいだ。
『ありがとう、
「ハツキでいいって。同級生なんだしよ」
『うん、ハツキ』
代わりの上着を借り、流れで夕食もご厄介になるが、家族は不在のようで、冷蔵庫にしまわれていたのをあたためる形でご馳走になる。玄関を上がってすぐ右手にリビングダイニングキッチンがあり、間取りは主人公の自宅によく似ていた。しかし別の暮らしを営んできた家具が並ぶと、印象は随分と異なって見えた。
所在なさげにリビングを見回していた主人公に、冷蔵庫と電子レンジを開けるハツキの後ろ頭が言う。
「親父もお袋も夜勤でいないから、くつろいでくれていいぞ」
取り敢えずダイニングテーブルに座ってしばらく、用意された食事は、五目チャーハンと即席の味噌汁だった。
『いただきます』
「ほい、いただきます」
向かい合って食卓について、手を合わせる。
スプーンで掬って一口食べれば、緊迫した状況から一転、日常へと引き戻される。定番の具材である玉子、チャーシュー、ネギ以外にも、たけのこ、しいたけ、ニンジンが入っており、舌先から平穏を感じて、内心ほっと胸を撫で下ろした。先程まで気を張っていたのもあってか、体は平穏の味を求めて旺盛にスプーンを動かした。
食事中に適しているとは言えないが、やはり話題は自然と先程見たものになる。半分ほど食べた辺りで、主人公はいっときスプーンを置いた。
【グリッジノイズ】
『どうして
矢継ぎ早な質問攻めに、ハツキも困ったふうに「なんて説明したらいいんだろな……」と腕を組んで唸る。
「正直、俺も昨日の今日でしっちゃかめっちゃかというか……」
「――あの黒コートが、巷を騒がしてる連続猟奇殺人事件の犯人」
足音もなく、テーブルの脇に音羽カナヱが現れる。突然だったので主人公が少し驚き、小さく「ごめんなさい。驚かせた」と謝った。
「私と同じ、超常の存在と思ってくれれば」
同じ超常の存在――言葉通りの意味ならば、どうやら音羽カナヱ同じく、あの黒コートは自由に現れたり消えたりできるらしい。
「お前をバッサリ切って綺麗サッパリ消えたんだから、まともな存在じゃねぇよな……まあまともじゃない存在から『あれをどうにかしてほしい』って言われた状況もまともじゃねぇけどよ」
「コンタクトを取れる存在が限られていたとはいえ、動揺させてしまったのなら謝罪する」
「謝んなって。主人公の命助けた相手から謝罪されるとか恐れ多いわ」
【主人公、首を傾げる】
主人公は意図がうまく読み解けない。命を助けたという点では確かにそうだが、それは割って入ってくれたハツキも同じではないのか? 目に見えて疑問符を浮かべていた主人公に、ハツキも「知らな……くて当然だよな、そりゃ」と味噌汁を傾ける。
「私はただ、リソースを分け与えただけ。少しでも遅れたり、回復するだけの体力がなかったら、間に合わなかった。命を救ったと称するのは少々大袈裟だと思う」
『リソース? 命を救った?』
「リソースは資源のこと。ここでは情報的なエネルギーと思ってもらって構わない。奪われた分を補ったから、傷つけられる前と変わりないと思う」
『……と、言うと?』
「……極度の飢餓状態だったあなたに、食事を分け与えたようなもの」
なるほど、と主人公は最後の一口を食べる。輸血、脱水時の水分補給、他にも形容はいくらでもできるだろうが、奪われた分――太刀傷によって失われた健康状態を、超常的な方法で補填したということなのだろう。音羽カナヱの説明のとおり、既に傷口も塞がって痛みもない。こうして夕食を味わえているのが、なにより雄弁な証拠だ。とはいえ、つい先程まで死の淵を彷徨っていたと思うと、背筋にうすら寒いものが走る。安心を得たくて腹を撫でたが、皮膚は傷跡もなく、つるりとなめらかだった。
「まだ腹減ってるなら、なんかいるか?」
【主人公、頷く】
反射的にうなずき返してしまったが、傷の心配をされるよりは波風立たずに済む。米粒一つ残さず食べきった皿をハツキが下げたところで、ピンポーン、とチャイムが鳴った。
「悪ぃ、ちょっと出てくる」
逆にハツキにこそ悪いが、主人公は飛んで火にいる夏の虫とはこのことだと運命の悪戯に感謝した。空腹も満たされ、まだあまり話したことのない相手と膝を突き合わせるのは緊張する。この間に落ち着いて話題でも考えていようかと残った味噌汁を啜っていると、開け放たれたままのドアから玄関先の会話が聞こえてきた。
「……丁度通りかかったところで事故って、服と買い物を駄目にしてたんだよ」
「ふーん。隣のクラスだから関わりないと思ってたけど、いい心がけじゃない」
野次馬根性と思いつつ、主人公は聞き耳を立てた。
「これ、一緒に食べてって」
声音から、訪問者は同年代くらいの少女だと分かる。
「これだけのためにか? お前も、こんな夜更けに家出るなよ」
「まだ九時だし、お隣だもの。目と鼻の先よ?」
「げ、もうそんな時間かよ……つーか、お前も聞いてんだろ。物騒なんだよ今、この町は」
「はーい分かったわよ。それじゃ用も済んだし、おやすみ」
「ほいほい」
ハツキが釘を刺して、ドアが閉じられる。戻ってくれば、お洒落なロゴ入りの箱が目に入った。
「お前、甘いもの好きか?」
〇選択肢1
『人並みに好き』
「なら助かった。最近流行りのプレミアムフルーツサンド、貰い物のお裾分けだってよ。少し持ってけ」
〇選択肢2
『あんまり……』
「しゃーねぇ。俺が明日食うわ。まだ腹減ってるなら戸棚にカップラーメン入ってるから、少し持ってけ」
「もう結構遅い時間みたいだし、能力のこととかは後日教えるから、今日のところは帰ってちゃんと休めよ」
破損を免れたスマホを取り出し、連絡先を交換するかたわらで、「私はしばらく主人公についてる」と音羽カナヱが言う。
「狙われる危険性もあるし、念のため傷の経過も観察しておきたい」
「おう、頼むわ――あ、忘れてた」
行儀は悪いが、スマホを持ったまま両手を合わせて。
「ごちそうさまでした」
『ごちそうさまでした』
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