◆track.02「なるほど、これが噂に聞く」②


  ◇


 帰宅後、疲れに背中を押されて、ベッドへと倒れ込んだ。


『はぁ……』


 面倒事は明朝に放り投げてしまおうと、体を預けたベッドのふちから溜め息が転がり落ちる。

 今日だけで寝込んでいた時よりも多くのことが起こりすぎた。連続猟奇殺人事件の犯人であるらしい黒コートに命を狙われて、バーチャルシンガーの音羽カナヱが現れて、傘に入れてもらっただけの縁だったハツキと再会して……いまだに夢見心地で、目蓋を閉じれば泥のように眠れそうだ。


「――ごめんなさい」


 ハッと目を開けば、音羽カナヱが申し訳なさそうに部屋の角に立っている。うつむいた横顔に、月明かりが淡い陰影をつけていた。


「こんなことになるなんて……もう少し早ければ、あんな目に遭わせずに済んだのに……」

『そんな!』


 主人公が異を唱えるのは当然だった。感謝こそすれ、たらればで責めるなんてとんでもない。

 しかし、音羽カナヱは「ううん。巻き込んでしまったことに変わりはない」とうつむきを深くする。自責の念に駆られて塞ぎ込んでいる気持ちをどう軽くすればいいか……しばし思案にふけった主人公は、単純明快な提案を示した。


『気になるようだったら、代わりに歌って』


 肩の荷を軽くするに足ると確信していたわけではない。けれども適していたのは、音羽カナヱの安心した様子でつぶさに分かった。期待に満ちた目を丸く輝かせると、小動物のように小首を傾げる。


「どんな曲がいい?」


 〇選択肢

『溶けてしまいそうな可愛いラブソング』

『ハイカラな桜の歌』

『砂に満ちた惑星の曲』


「――、――……♪」


 スローテンポにアレンジされた子守歌は密やかに、主人公の目蓋を撫でる。よく知りもしないはずの繊細で可憐な歌声は、どういうわけか郷愁が香った。……主人公が協力の意を決したのもそうだ。訳も分からない、理由もない、けれど何故か運命的なものを感じたからだ。それがいかなる感情から生まれたものなのか真剣に考えようとしていたが、試みるにはあまりにも一日が慌ただしく、夢の世界に誘われるのに時間はかからなかった。

 意識が夜に溶けていく――。


  ◇


「…………」

 歌い終えた音羽カナヱの不安げな視線の先で、冴え冴えと青白く輝く満月が二人を見つめていた。


  ◇


 翌日の昼休み、ライカはまた屋上にいた。普段ならクラスメイトと膝を突き合わせて談笑に花を咲かせているはずだが、昼食を取る周囲に人気はない。


『教室、いづらい?』

「うん……ちょっとだけ」


 断言せずに言葉を濁したが、人目を忍ぶ理由はおのずと察しがついた。


神室カミムロさん、被害が被害なだけに親族だけの密葬になったらしくて、『せめて手を合わせに行こう』ってみんなに提案したら……『いい子ちゃんぶってる』って反感買っちゃいました」

『…………』


 教室のあり様を見れば、残酷だが当然の帰結と言えた。友達が多いタイプではなかったため、彼女の話などとうに消費されて久しい。まるで最初からいなかったかのように、今も教室は配信者やドラマの話題でケラケラと笑う声が満たされていることだろう。

 そのため、次に飛び出したライカの提案は唐突ではない、地に足ついたものだと言えた。


「だからしばらくの間、お昼休みは一緒にお喋りできたらなって」


【主人公、頷く】

 元々行く当てもない身としては願ったり叶ったりだ。ならば傘に入れてくれた時のハツキのように、なにか明るいがあればと思いを巡らせれば、今一番詳しく知りたいことが顔を覗かせた。


『音羽カナヱって知ってる?』

「はい、知ってますよ。よくバーチャルシンガーって言われますけど、ボーカルソフトウェア――略してボカソの有名キャラクターで、プロだけでなく、普通の中高生も作曲したり描いたりしてネットで発表してるって」

『詳しいね、好きなの?』

「えっ、あ、まあ……ちょっとだけですけど」


 ただの話の種のつもりだったが、主人公にしてみれば嬉しい誤算だ。ライカも興味があり、かつ詳しく話したい事柄ならば、気晴らしにはうってつけだ。そうくれば、と主人公は犯人も口ずさんでいたメロディを尋ねてみた。


「それって『よもすがらつとめて』の曲じゃないですか!」


 前触れもなく、ライカは一気に身を乗り出す。


「通称よもつ、処女作と同じ名前で活動して、早一年ちょっと。発表曲は安定して十万再生を突破していて、名だたる有名作曲者よりは少々マイナーかとは思いますが、固定ファンも多いですよ!」

『詳しいね、好きなの?』

「ちょっ……とだけ、です。でもこの曲知ってるなんて、結構なツウですよ」

『詳しいね、好きなの?』

「んぐ……は、い……かなり……」


 ……食いつきがよかったのも誤算だったが、このまま広げた話題を畳むのも勿体ない。勢いに乗った会話をそのまま続けることにして、主人公は事の経緯を伝える。流石に連続猟奇殺人事件の犯人が歌っていた事実は伏せたが、たまたま知り合った隣のクラスの男子に教えてもらったのだと言えば、ライカは「その人いい趣味してますね!」と水を得た魚のようにイキイキと語り出した。


「確かに有名曲を聞くのも十分楽しいんですけど、作曲一日目の曲とプロの曲が同じ土俵にある面白さもあるんです! ロックやバラード、ジャズ、ポップス、エレクトロ! ジャンルは他にも色々! そういった曲もただ聞くだけでなく、SNSでシェアしたり、アレンジしたり、歌ってカバーしたり、踊ってみたり、MVを作ったり、絵を描いたり、他にも様々な形でみんなが愛を表現して、それがまた呼び水になって世界が広がっていくんです! ……あ、」


 我に返るまで、まさしく立て板に水の勢いだった。言葉少なで会話の間があまりいいとは言えない主人公など、相槌を打つのがやっとで、口を挟む隙すら見つけられなかったほどだ。よもや薪をくべるに等しい行いになるとは想定外だった。


「なんだか、お話しできてずっと楽しみっぱなしな気がします。……こんなことなら、新学期早々に話しかけていればよかったですね」


 それは素直に主人公もうなずける。事件が浮き彫りにした集団での乖離がライカと巡り合わせたのだとしても、こんなにも楽しい人物であると知らずに過ごしていたのは、なんだかとても勿体ない気持ちになってしまう。

 とはいえ、こうして言葉を交わす間柄となったライカが元気を取り戻し、嬉々として弁舌を振るう様に主人公も安堵しなかったわけではない。即物的な話題の結び付けから生じた思わぬ収穫には違いないだろう。

 好印象に牽引される形で、主人公の口から提案がこぼれ落ちたのは当然だったかもしれない。


 〇選択肢

『私も一緒にお線香あげに行っていい?』

『僕も一緒にお線香あげに行っていい?』


「えっ、いいんですか?」

【主人公、頷く】

「ありがとうございます。心強いですし……変な話、嬉しいです」


 ……この安心しきった喜色満面の笑顔を見れただけでも儲けものだろう。

 これが以前までの自分であれば、クラスメイトだとしても関わりのなかった相手の家に赴くなど、尻込みしてできなかったかもしれないと主人公は思う。そして、感謝するべきなのはむしろ自分の方なのかもしれないとも。

 風薫る五月晴れの下、チャイムが終わりを告げるまで、話に花が咲いて止まなかった。


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