◆track.01「ハロー、ワールド」③


「君のクラスの神室美礼カミムロ・ミレイさんが、アルバイトに行く途中で……亡くなられてね……」


 ――「神室さんが風邪で休んでしまったので、今日は私だけだったんですよ」


『!』

「現場の状況からして、例の連続猟奇殺人事件と関連視されていてね。警備員の配置は、報道関係への対応や保護者への配慮だよ。学校内での事件ではないため、ショックだろうがカリキュラムは変わらないので、気を抜かずに取り組むように……あと! 学校からの連絡は重大なので必ず出ること!」


 先生が「まったく、私も肝を冷やしたよ」と愚痴っぽく呟いたのを最後に、主人公は始業時刻を考慮してか早めに解放された。


『…………』


 休む前にハツキから聞いた、「なんでも夕方、まだ人通りも残ってる時間帯に、たまたま通りかかった大の大人……それも成人男性が、バッサリ斬られてて血がドバー!」という荒唐無稽な話が脳裏に蘇る。嵐が過ぎ去ったような気分だ。けれど嵐は一時的に見えなくなっただけで、今もこの町に潜んでいる。そう思うと、廊下を歩く足取りも重く感じられた。

 ……特別、関わりがあったわけではない。けれどもクラスメイトが連続猟奇殺人事件に巻き込まれて命を落としたとあっては、心穏やかではいられない。

 皆一様に同じ気持ちだと、勉強など集中できそうにない困惑を抱えているだろう思っていた主人公を待ち受けていたのは――、


「ねーねー、部活なくなったからカラオケ行かないー?」

「ゴメン! 今日バイトなんだよねー」

「えー、事件のこと話してサボれないの?」

「お財布もピンチだから、暇なうちに稼いでおきたいんだよねー」


 ――いつもと大差ない、教室の風景だった。

 特別な関わりがなかったにせよ、クラスメイトが一人死んでいるとは思えない空気の軽さに、図らずもたじろぐ。


「あ……」


 しばし目が眩んで呆然とする主人公に、か細い声がかけられる。


「お、おはようございます……遅かったですね、授業もう始まっちゃいますよ?」


 ライカだ。しかし元気はない。

 青ざめた顔を注視していると、ライカは「大丈夫です。ちょっと寝不足なだけなので」と見え見えの嘘でこちらを気遣った。優しさに変わりはない。明るさを削いだのは、この状況であるのは明白だった。

 そうしているうちにチャイムが鳴り、言葉もかけられずに着席することとなった。カリキュラムを確認すれば、この後も移動教室が重なって、話しかけられそうもない。


『……昼休み、屋上にでも連れ出してみよう』


  ◇


「……はい。大丈夫ですよ」


 昼休みが始まってすぐ、他のクラスメイトよりも先に声をかけたが、快い返答が戻ってきた。……いや、主人公には快いのが逆に気になった。

 大丈夫ですよ、と言いつつ、ライカの笑顔はぎこちなかった。特に今はこんな時なのだ。一人になりたいからと断られることも視野に入れていた。あっけなく快諾してくれたが、屋上への短い道すがらを先導するライカが持っているのは、適当な菓子パン一個とペットボトルのお茶だけ。本当に空腹であれば購買でもパンは買えるので、食欲もないのだろう。優れないのは顔色だけではないと分かっただけでも収穫だった。

 階段を上がり、きしむドアを開けば、閉塞感から解放される。まだ夏の蒸し暑さは遠い、清々しい晴天だ。この時間は校庭を使用している生徒もおらず、校内の喧騒をいっとき離れられる。


「誘ってくれてありがとうございます。ちょっと気持ちが楽になりました」


 薫風を深呼吸したおかげか、血色が少し良くなったように見受けられる。ならば食欲も多少は回復したかと思ったが、やはりお世辞にも菓子パンを食べる手はスムーズとは言えない。


「……あの、」


 なにかが喉につかえているように、ちびちびと菓子パンを齧っていた手が不意に止まる。


「話、聞いてくれます?」


【主人公、頷く】

 そのために連れ出したようなものだ。むしろ自分が聞いて気持ちが軽くなるなら、それに越したことはないと、主人公はいっとき昼食を取る手を止める。


「不調の原因は、神室さんのことがショックだったってわけじゃないんです。……ううん、それもちょっとはあるんでしょうけど」


 いくばくかの沈黙。言いづらそうにしながらも、意を決したように唇を引き結び、口火は切られた。


「『自分じゃなくてよかった』って、思っちゃったんです……」

『…………』

「聞けば、アルバイトに行く途中で事件に遭ったそうじゃないですか。その時間は私も外にいましたから、もしかすると私が被害に遭っていたかもしれない、そう思うと……ははは、最低ですね、私」


 〇選択肢

『十分にショックを受けているから最低じゃない』

『最低でも、現実として捉えているからこその反応だと思う』


 最低だとライカは自らを卑下したが、主人公はそう悪いこととは思わなかった。

 ショックを受けているのも、自己嫌悪で苦しんでいるのも、恐怖が実感を持っていることの証左だ。すべからくショックを受けるべきだとは主人公も思わないが、さりとて教室の軽薄さに比べればすこぶる健全な反応だと納得できる。


「……やさしいですね」


 確信を露わにした主人公に少し安堵したのか、表情をゆるめて「ありがとうございます」とライカは呟いた。眉尻が下がり、今度こそ本当に心から気が休まったのだと分かったところで、ライカは「そうですよ!」と手を打った。


「思えば同じクラスになったのに、全然話したことなかったですもんね。凄く嬉しかったです、一緒にお昼食べられて」


 言い切ったところで、丁度よくチャイムが鳴り響く。残っていた菓子パンを一気に咀嚼し嚥下すると、ライカは右手を差し出す。


「よければ、お友達になりませんか? ……って、わざわざ言うことじゃありませんよね。でもなにか困ったことがあれば手助けしますよ。恩返しさせてください」


 この屈託のない笑顔が、本来のライカなのだろう。主人公はそのあたたかな手を握り返す。


「今日は居眠りして帰り損ねないでくださいね」

『う……頑張ります』


 いずれにせよ、この休みで冷蔵庫の中は問答無用で空っぽだ。買い物のためにも早く帰らなければならない。主人公は心の中で指切りを交わしてうなずいた。

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