◆track.01「ハロー、ワールド」②


【主人公、首を横に振る】

 まったくもって知らない。だが学校が大事を取って早々な帰宅を促しているのだから、相応に危ぶむべき事件なのは察せられる。


「俺も伝聞でしか知らねぇんだけどよ……たまたま警察が来る前の現場に遭遇しちまった奴が知り合いにいてさ、」


 ハツキが言うには、こうだ。

 なんでも夕方、まだ人通りも残ってる時間帯に、たまたま通りかかった大の大人……それも成人男性が、バッサリ斬られてて血がドバー!


「……って話すもんじゃねぇわ、すまん」


【主人公、首を横に振る】

 実際、主人公は連続猟奇殺人事件という字面しか知っていなかった。流血沙汰とあれば、無知である方が余程怖いだろう。そのように人を傷つけられる人間がまだ捕まっていないのも、また怖いのだが。


「あまり気持ちのいい話じゃねぇな。こういう時は気分転換するに限るわ」


 親しい間柄でもないのに物騒な話題になってしまった手前か、重く垂れ込めていた空気を払拭するべく、ハツキが取り出したのはスマホだった。慣れた手つきで動画サイトのアプリを立ち上げれば、流れてきたのは歌だった。しかし、どこか普段耳にするJ-POPなどとは趣が異なる。


 〇選択肢1

『歌声がなんか変?』

「知らねぇの? まあ俺も詳しくねぇけど、バーチャルシンガー的な音羽オトワカナヱって奴?」


 〇選択肢2

『もしかして音羽オトワカナヱ?』

「知ってんのか。まあ俺も詳しくねぇな。バーチャルシンガー的な奴ってのは知ってるけどよ」


 よく知らないとハツキは謙遜を述べたが、耳馴染みは心地よい。仮に無知なのが謙遜ではなく事実であるとすれば、いいセンスをしていると感じられた。共通項も少なく、いまいち盛り上がらない会話の空白を埋めるようにメロディが響いていた。

 そのおかげか、分かれ道に差し掛かるまで嫌な雰囲気は漂わずに済んだ。


「俺のうちはこっちだけど、どうする? 寄って傘借りてくか? ビニ傘とかならわざわざ返さなくてもいいしよ」

【主人公、首を横に振る】

「ん、そっか」


 丁度雨が小降りになってきていた。家が遠いわけでもないため、これくらいの弱い雨脚になれば、走って帰っても問題ないだろう。


「じゃあまあ、気をつけろよ」


 ハツキも食い下がらずに軽く手を上げ去っていく。ともすれば素っ気ないが、傘の申し出までしてくれた手厚さを鑑みれば、むしろ恩着せがましくないところが好ましい。好意を無碍にしないようにと、主人公は見送るのもほどほどに切り上げ、この機を逃すまいと小走りで帰宅の途に着いた。


  ◇


 …………が、きちんと用心しておけばよかったと後悔するのに、主人公は一日もかからなかった。

 ピピ、と体温計が鳴り、表示された数字を見た主人公は、思わず大きな溜め息をついた。


『はぁ……』


 三十七.三度。高熱こそ出ていないものの、立派な風邪である。

 春の終わりの雨は殊の外冷たかったようで、ものの見事に久しぶりの発熱を引き当てた。


『お言葉に甘えておけばよかったな……』


 ブランクのある風邪は、微熱と、それに連なる悪寒と倦怠感を引き起こし、海外出張中の両親に代わって行った欠席の連絡ですら、気力を消耗させた。

 しかしながら、連絡をすればあとは寝ているだけでいい。無理矢理起こした体を、再度ベッドに沈める。既にベッドサイドには冷蔵庫にあったお茶を置いてあり、脱水予防には十分気をつけつつ、熱が多少引くまで布団の中でじっとしていようと主人公は籠城戦の構えに持ち込んだ。

 羽化を待つサナギがごとき眠りの淵。


『あつい……』

 微熱で体中の血が煮えたぎっているようだ。 


『さむい……』

 悪寒で布団をかぶってもかぶっても足りない。


『だるい……』

 倦怠感で目を開けるのも億劫だった……からだろうか。

 疲れた意識が徐々に朦朧としていき、妙にリアリティのある奇矯な夢を見せたのは。


【バトルチュートリアル】


  ◇


 思ったよりも熱が引くのは早く、復帰できたのは週明けのことだった。休んだのが金曜日だったため、療養に週末を有効活用し、欠席も最小限で済んだ。

 そうして病み上がりで登校したが――、


『……?』


 ――言いようもなく、妙な雰囲気が漂っている。

 丸三日ぶりに見た校門前には、雛菊ヶ丘ひなぎくがおか第一高等学校の文字を覆い隠さんばかりに警備員が立っている。隠す気などさらさらないと言わんばかりに、露骨にきな臭い。

 普段は見かけない物々しい制服姿に眉をひそめていると、非常勤講師の厨府クリフ先生に呼び止められた。


「君は……風邪で欠席していた、A組の主人公か! ケータイ、見てないのか?」

【主人公、首を横に振る】

「その様子だと、全然見てないって感じだな。イマドキの子って、ケータイに齧りついてるのが常だと思ってたから珍しい……って、そうじゃないそうじゃない」


 世間話に浸っている暇はないと、かぶりを振って厨府先生は言う。


「取り敢えず、教室行く前に職員室に顔を出しておきなさい。いいね?」


 どこか核心を伏せたような物言いに困惑していると、「行けば嫌でも分かるよ……ここで言うのははばかられるからね」とまるで内緒話のように耳打ちされた。

 ……その理由は、職員室に足を運べばおのずと分かった。素直に応じた主人公を待ち受けていたのは、血相を変えた学年主任の先生だった。兼任している生活指導の部屋へと無理矢理招き入れられたのに、十秒もかからなかっただろう。


「何度も連絡したんだぞ!」


 突拍子もなく鼻先に罵声を叩きつけられては、カカシのように固まるしかない。どうしてお叱りを受けているのか分からず、目を白黒させる主人公にはたと気づいた先生は、ばつが悪そうに頭をわしわしと掻いて溜め息をついた。


「……風邪っぴきを叱りつけるべきではないんだろうが、事が事だからな。週末は大方、市販薬でも飲んでそのまま寝て過ごしていたんだろう」


【主人公、頷く】

 そのとおりだ。だからこそ、主人公には怒りに覆われるほどの心配を向けられる理由が分からない。


「本当に……知らないようだな」

『なにがあったんですか?』


 「ああ」やら「うむ」やらと言い淀むも、どうせ教室に行けば人の口に戸は立てられないことを嫌でも知ることになる……ならば今知らせるのが親心ならぬ教師心だと踏んだのだろう。ややあって先生は重い口を開いた。

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