第3章 父と娘
父は世間一般でいう所のエリートでは無い。
実家は代々農家であり、学業もそこそこに家業を手伝っていた。
そんな父の転機は唐突に訪れた。
「いやぁ、俺すっかり忘れていたんだけどよ。なぁ、しのぶ」
「何だよ、親父、組合の引き継ぎなら昨日行って来たぞ」
この国が、高度成長期にあった頃、田舎の百姓にも恩恵はあった。
咲元家が所有する田んぼに高速道路が通る事になったのだ。
「大臣さんがよ、戦時中に疎開してきた話あんべ?」
「またその自慢話か。聞き飽きたわ」
「まぁ、聞けや。お前に関係ある話よ」
「今回の高速道路、あれな土地の立退料は、貰えねんだわ」
「は?何でよ?」
「代わりに家に、嫁ごさ、来るんだ」
「え?嫁さん?」
かくして父は、時の国務大臣の娘を嫁に貰うことになったのだ。
幸か不幸かその後は、地方公務員として真面目に生きてきた。
酒も煙草もやらないただの、優しいお父さんだ。
庭に父の軽トラックが帰ってきた。
お母さんは時計を見上げ大袈裟に肩をすくめた。
「あら、夕飯の支度出来てないけど、お風呂は出来てるからいいか。」
— バタン 軽トラのドアが勢い良く閉まった。
「みよ子さん‼︎みよ子さん‼︎大変です‼︎」
庭先で、若い男が叫んでいる。お父さんの姿は無い。私たちは掃き出しから、男を見ていた。お母さんは緊迫した空気に何かを察したのかサンダルで庭に飛び出していった。
「長田くん、うちの旦那がどうしたの?」
「みよ子さん、大変だ、しのぶさんが…」
「小学生の列に、公用車で突っ込んじゃったよ」
長田さんは、そう言うと、へたり込んでしまった。
つい先程の話だ。何の変哲もない夏の日だ。父は農道を走っていた。
黄色い帽子とすれ違う。居眠り運転のトラックが対向車線からはみ出して走行していた。父は異変に気がつきクラクションを鳴らし、自らも路肩にハンドルを切った。
運命の歯車は止まることなく、カチカチと規則的に進んだ。正面衝突の衝撃で父の車は来た道を、押し戻されて雪崩のように小学生の列を飲み込んだ。
「今日は、現地解散するから俺の車に乗ってきてくれるか?」
「しのぶさん 今まで、そんな事、言ったことなかったんですよ。本当だったらあの車は俺が運転するはずだったのに…」
病院に向かう車内で、長田さんが話してくれた。
母は落ち着いた様子で車を運転してる。
病院に着くと緊急手術の最中だった。院内は閑散としていた。
ドラマで見る様な赤いライトは無いんだ。
いつ終わるでも無い時間は、溢れた重油のペーストだった。そのくせ気がついたら日付が変わっていた。
「るみ、まなちゃんと長田くんと一緒に何か食べておいで。長田くん、悪いんだけどこの子達、お願いしても良いかな?」
「わかりました。何か買ってくるんで、戻ったらみよ子さんも休んで下さいね」
深夜のコンビニで弁当と飲み物を買った。
アルタイルが綺麗な夏夜だ。
花火大会来週だ。まなちゃんと行こうかな。
帰り道、まなちゃんが私の裾を引っ張った。
「長田さん、ちょっと先にお母さんの所に行ってもらえますか?」
「あ、うん。気をつけてね」
病院のロビーには誰もいない。二人でソファーに腰をかけた。
「こんなこと、言ったらいけないのかもしれないけど」
「うん」
「万が一、意識が戻らなかったら お父さんにお願いしてもらえるかな?」
「わかってるよ。」
「ごめんね。」
「まなちゃんが謝る事じゃないよ」
私は冷たい人間かもしれない。勿論 お父さんのことは好きだ。
だけどちょっとホッとしていた。
事故だから。
それは、私のせいじゃ無いから。
口の中が鉄の味がした。
翌朝、やたらと外が騒々しくて目が覚めた。私たちはいつの間にか眠っていたようだ。病院の前には多くの報道陣や、野次馬で大騒ぎになっていた。
警察の人、弁護士の先生がお父さんの病室にいた。
小学生の兄弟が亡くなったらしい。トラックの運転手も車内で即死していた。
明るい朝日の差し込む病室に、弱々しいが聞き覚えのある声がした。
奇跡的に、父は意識を取り戻していた。
嬉しい。幸せ。安心。
近づいて、父に抱きつきたいそう思った私は絶望した。
目をギラつかせて、表情のない父は弱く叫んでいた。
「殺してくれよ」
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