二話 帰れない

 体がもみくちゃにされるような感覚がしたあと、放り出される衝撃に、陽日はるひは覚醒した。どうどう、とかすかに何かの音がする。


 何だろう、と目を開けたとたん、風にさらわれてきた砂が目を直撃し、陽日は奇声をあげてのけぞった。


(最悪……っ!何なのよもう!!)


 体が重い。起きあがるのにも一苦労だった。


「うあ……どこよここ……」


 陽日は目をこすりながら毒づいて何とか体を起こし、周りを見回す。何もかもがまるでちがった。


 鳥居をくぐった先にあるはずの、趣のある本殿はこつ然と姿を消していた。鳥居から伸びる石畳の小道が、うっそうと茂った林へと続き、その奥にはとてつもなく大きな屋敷がそびえていた。


 周囲は黄色がかった地面が続き、乾燥した風が這うように吹いていく。


 そして驚くべきことに、鳥居の反対側、つまりは鳥居の後ろは、崖で、鳥居はそのふちにぽつんと立っているのだった。


 底の見えない崖はどこまでも続いていて、崖の向こう側には、目をみはるような大河が音を立てて流れていた。先ほどのうなるような音はこれだったのだ。


 どうやら理解しがたい力がはたらいたのだ、と陽日はうっすらと実感した。


「……もどろ」


 うすら寒くなって、陽日はくるりと回れ右した。


 こんなおかしなところに、いてはいけない──何の根拠もなかったが、その感覚だけが、陽日を駆りたてた。


 早く戻らなければ──その一心で鳥居をくぐろうとしたそのとたん。


 ぼよん、と何かにはね返されたような感覚とともに、陽日は尻もちをついた。


「な、何……?」


 おそるおそる手を伸ばすと、膜のような柔らかい、弾力のあるものに触れる。少し力をこめると、同じだけの力を返してきて、指の先ほども通さなかった。


 嘘、と手当たりしだいに石やら何やらを投げつけてみるが、それらも透明な膜のようなものにぶつかり、全て陽日に返ってきた。


「あーもう……嘘でしょこれ……」


 引きつった笑みを浮かべながら陽日はうつむいた。せきを切ったように、冷たい汗が次々とつたっては流れていく。


「帰れないじゃん、これ」

 


 みるみるうちに日は暮れていく。影が長くなり、東の空からは、大きすぎるほどの月が顔を見せはじめた。


 夜の匂いが濃くなる中、陽日はいまだ動けずにいた。


(これから……どうすればいい?)


 体が震えるのは、寒さからだろうか。鳥居に背をあずけ、目を閉じて考える。


 一番陽日の矜持が許せないのが、凍死か飢え死にだ。陽日の辞書に「何もしない」という言葉はないのだ。諦めてただ死を待つなんて、みっともなさすぎて考えたくもなかった。


 かと言って、自給自足の生活はあまりにも厳しい。何でもそろっていた向こうの世界でさえ、白飯を異物にしたくらいなのに、こんなあやしい世界では、自滅するのがオチである。


「なら……あのお屋敷に助けをもとめる……?」


 ぽつりとつぶやき、西日に照らされる屋敷に目をくれる。


 数秒考えて、陽日は諦めて目をそらした。


「だめだ。受け入れてくれるはずがない」


 はたから見たら、自分なんて完全な不審者だ。簡単に受け入れてくれるとは思えなかった。


 どうしよう、と途方に暮れたその時だった。


 うなじが逆立つような寒気に襲われ、陽日はぞっとして立ちあがった。


「何……今の……!?」


 熱でもあるのかと額に手を当てるが、ひんやりした感触が伝わってくる。


 何なのかと周囲を見回すと、ふと笑うような声がした。


 はっとしてふりむくと、そこには一人の少女が立っていた。いたずらっぽい笑みをほのかに浮かべた、長い黒髪の少女である。


 一見、古風な顔立ちのかわいらしい少女だが、何かおかしい。


 眉をひそめて首をかしげた陽日は、彼女の首から下を見て戦慄せんりつした。


 桃色を基調とした和服に包まれた少女の体は、透けて向こうの景色がうっすらと見えていたのだ。


 人ではない。警戒をあらわにした陽日に、少女は笑いかけた。


「案外するどくて冷静じゃない。あなた、怨霊おんりょうを見るの初めてでしょ?」 

「怨霊……?」

「まあ、知らないの?」


 あなたの前の子は知ってたわよ、と呆れた表情で言い、少女はため息をつく。


「怨霊っていうのは、生前に受けた仕打ちに恨みをもって、たたったりする霊のことよ」

「……うらめしや~?」

「ああ……そっちの世界ではそう言って出てくる童話もあるらしいわね。まあ別にまちがってないけど、誰もがそう言うわけじゃないわ」


 陽日は相づちを打ちながら、怨霊と会話をしている自分自身にびっくりしていた。


(わたしってば、なんてのんきなんだろう。普通は怖がったりするものだよね?)


 しかも「うらめしや~」は幽霊ではなかったか。それとも、こちらの世界では怨霊と一緒くたにされているのだろうか。そもそも幽霊という概念は存在しないのかもしれない。


 何にせよ、この少女が自分に何かしようとしていることは事実だ。陽日は単刀直入に聞くことにした。


「私に何の用?さっき、わたしに何かしようとしたでしょ」

「……気づいてたのね」


 静かに、少女の雰囲気が変わった。


「言ったでしょ、怨霊は生前の仕打ちに恨みをもつって」


 目にも止まらぬ速さでせまった少女が、陽日の手に己の手を重ねる。


 刹那、異質なものが体の中に溶けこんでくる気持ち悪さが体中を脈打つように走った。


「嫌っ、何するの!?放してよ!」

「こちらこそ、ごめんこうむるわ。わかるでしょう……これは復讐なのよ、あたしの」


 今、陰陽師おんみょうじがそこまでせまってるの、と少女は残酷さを秘めた笑みを浮かべて、さらに体を重ねる。


 悪寒すら走る気持ち悪さに体をよじるが、少女の体半分は、すでに陽日の体と一体化していた。


「知ってる?あちらの世界から来た人って、とっても重宝されてるの。貴重な人材が目の前で怨霊に取りつかれて、憎しみの操り人形になる一部始終を、陰陽師に見せつけてやるわ」


 あいつら、絶対に許さないと体の中から声がする。この世の恨み憎しみを全て閉じこめたかのような、冷たい声だった。


(嫌だ……怨霊に取りつかれるなんて!何なのよもう!今日占い一位なのに!)


 心の中で絶叫しながら、陽日は声を上げた。


「助けてっ、誰かぁぁっ!!」


 無駄だわ、と笑われても、陽日は力のかぎりに叫んだ。


「助けて────っ!!」



 響きわたったその声を聞いて、林の中に立ちつくしていた人影が顔を上げた。


「あちらか」


 逃がさない、と人影は小さくつぶやき、声が聞こえた方向にむかって、走りはじめた。

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