少女は何処へ

一話 鳥居

 それから六年が経ち、陽日はるひは中学生になった。


 よく晴れた4月の朝。

 陽日は真新しい通学かばんをしょって、慌てて階段を駆け下りた。


「あーっ、遅刻する!やばい!おばあちゃん、上履きどこだっけ!?」


 ここにあるわよ、と祖母が呆れかえった表情で上履きの入った袋をさしだす。あわててかばんに詰めこむ陽日を見て、祖母はため息をついた。


「まったくこの子は……昨日入学式を終えたばかりでしょう。歯は磨いたの?」


 うん、と返事をしながら、陽日は鏡をのぞきこむ。ぱっちりとした大きな目が、焦りを浮かべながら見つめかえしてきた。


 ふわふわと軽い、茶色の髪の毛をくしで手早くとかし、一ふさだけとって頭の横で結ぶ。


 最後に紺色の制服をささっと整えてうなずいた。


「……よしっ。よかった、今日は寝ぐせがひどくなくて。いってきます!」


 陽日は休む間もなく、かばんを手に家を飛び出し、すぐさま自転車にまたがった。


 あたたかな春の日差しをあびながら、陽日は全力でペダルをこいでいく。甘酸っぱい桜の香りが、風に乗って陽日の頬をなでていく。


 と、陽日は急ブレーキをかけて自転車を止めた。


「あっぶなー……忘れてた」


 陽日が見あげたのは、朱色の鳥居だった。


 いそいそと自転車を降り、境内を足早に横切る。ちゃんと道の端を通るのも忘れない。


 本殿の正面──賽銭箱の前に立った陽日は、顔を引き締めて手に持った五円玉を投げ入れて合掌した。


「神様…………女子力をください」


 お願いいたします、とクソ真面目にのたまった陽日は、満足げに顔をあげて身をひるがえす。


(さすがにこう毎日祈ってれば、いつかドンとくれるよね。わたし、この神社の神主の孫だし)


 そろそろ離れの方で準備をしている祖父も表に出てきて、境内の掃除を始める頃あいだ。だが、さすがにこのお願いを聞かれるのは恥ずかしいので、わざわざ見計らっては祈っているのだった。


(でもおじいちゃんも神主なんだし、なんか不思議な力とか使えれば面白いのにな。ぜひわたしの女子力をあげてほしい)


 のんきにそんなことを考えながら、陽日は疾走するのだった。



 学校に着いたのは、朝学活直前だった。


 廊下を全力疾走という、はなはだしい校則違反をしながらも、陽日はなんとかチャイム直前に教室にたどり着く。


「よかった……間に合った」

 

 大きく息をついて席に着くと、前に座っていた友人が「おはよう遅刻魔」と笑顔で毒を吐いた。彼女とは十年の付きあいだが、最近毒舌気味だ。


「ひどくない?そのセリフ。友だちとしてさ、もっと気の利くものはないの?」

「ないね」


 即答である。陽日のガラスの心がパリンと音を立てた


「今、心割れた」

「良かったじゃん、おめでとう。あとでお祝いしようか」

「全くおめでたくないし。っていうか、朝起きられないかわいそうな幼なじみに対してひどすぎ」

「え、だって事実じゃん」

「うっ……事実だけれども」


 納得いかない、と口をとがらせる。友人が勝ち誇ったような顔でロングの髪を後ろに流すのがうっとうしかった。


「だって早く起きられないのは低血圧のせいだもん」

「自称でしょ?」

「さすがに傷つくよそれ?」


 ごめんごめん、と謝りながらも、ケタケタと友人は笑っている。やはり納得いかないと、陽日は仏頂面になったのだった。



 きっかけは、学校からの帰り道でのことだった。


 年頃の女子相応に、友人と話して帰っていた陽日は、ふと何かに引っぱられるような感覚に眉をよせた。


「……どうした?陽日」


 足を止めて周りを見回す陽日を見て、友人が首をかしげる。どうやら彼女は感じていないらしい。陽日は首をふった。気のせいだろう。


「ねえ、陽日。あんたさ、この神社の娘なんでしょ?」


 友人が指さしたのは、今朝お参りしてきた神社だった。


「そうだけど?」

「何を今さらって顔で見ないでくれる?まあ、それで、気になったことがあるんだけど。この神社さぁ、変だよね?」


 仮にも当の神主の孫を前に何を言っているのだろうか。陽日は毒舌に磨きのかかった友人に顔をしかめてみせた。


「やっぱ、あんたひどい。別に変じゃないよ。普通の神社じゃん。あんたこそ変だよ」

「さらりとディスるじゃん」


 友人はぺろりと舌を出す。全くこたえていない様子だった。


「だって名前からして変だもの。むすび神社でしょ。そんな名前、聞いたことないし。このあたりの地名をつけるんじゃないの?」


 知らないよ、と陽日は鳥居を見あげた。


「それにここ、何か雰囲気的に変。ちょっと冷たい感じ」

「奥に冷蔵庫はあるよ」

「んなこと言ってるんじゃないわよ」


 何か鳥肌がうっすら立つような感じがする、と友人は境内の奥を見つめる。この幼なじみ昔から勘がするどかったことを陽日は思いだし、思わずその視線を追った。


 結神社のことは、陽日も気になっていないわけではなかった。ここは、神主の孫である陽日でさえ、のだ。


 どのように作られたのか、何があったのかが全くわからない。資料がなかった。


 だがそれを、神社とは何の関係もない、しかも最近言葉がきつい誰かさんに言われるのは、何かちがうと思うのだ。


(ふん……そろそろあんたを超すような女子力がたっぷりもらえるんだから)


 見当ちがいもいいところな捨てゼリフを胸の内で吐き、「さっさと帰ろ!」と友人の手をつかむ。


 その時。


 ピン、と腕に糸がついたかのように一人でに動き、境内の方へと引っぱられた。


「え……?」


 何だろう、と不審に思って腕を引き戻そうとするが、力が強い。まるで誰かに引っぱられているかのような強さで、ぐいぐいと神社の方へと引きずられる。



 そして、鳥居を指先がくぐり抜けたとたん、



「うそ……」


 呆然としている間にも、体は引きずりこまれていく。肩まで見えなくなったところで、ようやく友人が振りむいて困惑した声をあげた。


「ちょっ……陽日?何やってんの?」

「た、助けてっ!体が……」

「陽日!?」


 陽日の必死な形相に、友人もようやく笑えない状況になっていると察したらしい。あわててもう一方の腕にしがみついたが、すでに遅かった。


 引っぱる力が一段と強まり、体の半分以上が飲みこまれる。


「陽日!!」


 するり、と。つかんだ手から、腕がすり抜ける。



 ダメ、と叫んだ友人の声を最後に、陽日の体は完全に、鳥居の向こうへと消えた。



 ──ああ、そういえば……今日は『本当の名前を教えてほしい』って願うの、忘れてたな。

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