序章

封印と名前

 わたしは、孤児だ。両親はわたしが生まれてすぐに亡くなっていて、母方の祖父母がわたしを引き取り、育ててくれた。


 祖父母はとても優しくわたしに接してくれたが、たった一つ、問題があった。


 わたしの名前を一向によんでくれないのだ。


「ひーちゃん。一緒にお菓子食べよう」


 五歳のころ。優しく笑って招いた祖母に、わたしは問いかけた。


「ねえ、おばあちゃん。わたしの名前は『ひーちゃん』っていうの?」


 そのとたん、祖母の顔がさっとくもった。


「あーちゃん……それはね」

「わたしには、名前がないの!?」

「そういうわけじゃないのよ」

「じゃあ何なの!わたし、一度も名前よんでもらえたことないんだよ!」


 祖母の伸ばした手をふりはらい、わたしはこらえきれずに叫ぶ。その声を聞きつけてきた祖父は、何かを察したように目をふせた。


「ばあさん、これは……」

「そうね……ひーちゃん、こっちにおいで」

「やだっ!」


 わたしはぷいっと横を向く。すると、祖母がわたしの顔をそっと包み、ひたいに手をあてた。


「なに……おばあちゃん」

「これはお前のためなんだよ……」


 おどろいて顔を向けたわたしの視界に、祖母の悲しそうな、それでいてどこか冷たさをふくんだ瞳がうつった。


 すうっと目の前が暗くなって、何もわからなくなった。


 数分後、名前のことをすっかり忘れて遊びに興じるわたしを、祖父母が複雑な表情で見つめていた。


 封印、という言葉が聞こえた。


 

 そして私は小学校入学をむかえた。



「ひーちゃん。小学校では、桜野さの陽日はるひと名のりなさい」

「……それが、わたしの名前?」


 口をとがらせながらたずねる。どうせ違うとわかっていた。二人には教える気がないのだ。


 祖父母もわたしの気持ちに気づいていたのか、二人そろって苦いものを口にいれたかのような顔になった。


「お前もいずれわかるようになる」


 いずれ、と呟くようにいった祖父の言葉が耳に残って離れなかった。

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