三話 彼は誰(かはたれ)
馬鹿な子だ、と怨霊、
自分が今、憑りつこうとしている少女は、声がかれそうになりながらも、助けをもとめて叫びつづけている。
「本当に馬鹿だわ、そんなことしても無駄なのに。大丈夫よ、今あたしが、あなたを賢く操ってあげる」
さらに半透明の体を少女の身に潜りこませると、少女は糸が切れたかのように、カクンと首をたれた。口が、叫んだ形のまま固まり、大きな目は閉じられてピクリとも動かない。
こうなってしまえば、もう操ったも同然である。紫嵐はくつくつと笑った。
「ああ……これであの陰陽師を思う存分痛めつけられる……」
うっとりと目を細めたその時だった。
背後に鋭い気配を感じ、刹那、シュッと風を切る音とともに、紫嵐の頭を目がけて何かがとんできた。
少女にすぐに乗りうつることは無理だ。残念だったが、しゅるり、と少女の体を抜け出て紙をよけた。
木のみきに突き刺さったのは、縦に長い、手の平より少し大きいくらいの紙──陰陽師が使う
「外したか……」
ちょっと腕がなまったかな、と背後から涼しげな声が聞こえた。紫嵐は舌打ちをしてそちらをにらんだ。
「来たのね、陰陽師」
紫嵐の後ろに立っていたのは、眉目秀麗な一人の少年だった。
白の水干と青の袴を身にまとい、腰には刀を差している。背が高いわりに体は薄く、発達途上の少年独特の儚げな雰囲気がある。
髪は肩口を通りすぎるくらいだった。世にも珍しい赤紫色である。風になびくその様子はまるでたっぷりと実をつけたぶどうのようにみずみずしく鮮やかだ。
瞳は道端に咲く勿忘草のような、爽やかな青色。だが、その美しい瞳に浮かんでいるのは、ただひたすらな怒りの感情だった。
「危機一髪だったようだな」
少年は地に倒れている少女をちらりと見て言った。少年のまとう雰囲気が殺気のこもった激しいものに変わる。
「もう逃がさないぞ」
勝手に言ってなさいよ、と紫嵐は吐き捨てて、少年に襲いかかった。
手の内に霊力をため、鋭く放つ。
少年は素早く横に跳んでよけたが、霊力に押されてやや体勢を崩す。
霊力は、この世に長くとどまるほど、強く、大きくなる。そしてそれは怨霊に敵対する陰陽師を傷つける、強力な武器となる。
少年のふところに飛びこみ、腹部に向かって霊力で固めた拳をふりあげる。重い手ごたえがあって、少年が顔をゆがめた。
次の瞬間、風が巻きおこり、肘から先が斬られたようにふっと消えた。
視線を移すと、少年が人差し指と中指をそろえて口元に当てている。殴られた痛みの中、念をこめて、風をおこしているのだ。
風は紫嵐の腕のみならず、体中を深くえぐった。動きが鈍くなり、いったん紫嵐は少年から距離をとった。
「忌々しい術を使うわね……でもあんたじゃあたしに勝てないわ。あんたみたいな半端者、いっそここで朽ち果ててしまえばいいのよ!」
半端者という言葉が気に入らなかったのか、少年がまなざしを鋭くする。その様子に気分が良くなり、紫嵐はくすくすと失笑した。
「だって本当のことじゃないの。どちらにもなりきれない、半端者。いっそのこと、怨霊になってしまったら?そのままでいるのは不便でしかないでしょうに」
「お前が決めることではない。わたしは怨霊には決してならない」
「……あっそ」
つまらなくなり、紫嵐は唇をとがらせた。
「じゃあここで死ね」
言うと同時に、ひそかにためていた霊力を一気に打ち出した。
膨大な量の霊力は暗い光を帯びながらまっすぐに少年へと向かう。相当な勢いだから、まず避けられない。仮に避けることができたとしても、濃い霊力があたりに充満して、動くことすらできないだろう。
少年は迫りくる霊力を見つめていたが、観念したのか静かに目を閉じた。
勝った、と確信して高笑いした時だった。
少年がふと嘆息して「これは使いたくなかったんだが……」と呟き、目を見開いた。
紫嵐には、彼の瞳が
次の瞬間、霊力が少年の目の前で止まった。そして、ザアッと音を立てて空中に四散したのである。
何があったのか、理解する余裕もなかった。ややあって、目の前に白い光が走る。少年が刀を振り下ろしたのだ。怨霊の心臓ともいえる、『核』を、一刀両断にしていた。
核を壊されれば、怨霊もこの世にとどまることはできない。
ゆっくりと体が透けていく。霊力がどんどんと失われていって、紫嵐は怒りをあらわにして少年を睨みあげる。
「何があったのか知りたいか」
不思議と、優しい声だった。少年は自分の目を指さした。
「わたしの瞳には、特別な力がそなわっている。生まれつきではないけどね。その力は、分解」
「分解……ですって……?」
「何でも分解できる。さっきは、あの霊力の束の構造を分解して、空中に解き放った」
わたしにもよくわからないのだが、と苦い顔で言う。
「そんなことが……ありえるものなの?」
「ありえてしまうところが怖いんだ。おまえも、もし生まれ変わったのなら関わらない方がいい」
「生まれ変わる……?私が?」
ありえないわよ、と紫嵐は鼻で笑った。下半身はとうに透けてなくなり、今では肩までが消えてなくなろうとしている。
それを見て、紫嵐はけたけたと笑った。
「こんな世界、生まれ変わりたいとも思わない。あたしが醜くここでとどまっていたのはあんたたちに復讐したかっただけよ。それが叶わない以上、名残惜しくもなんともない」
あんたもあたしのことなんて忘れてしまいなさい、と紫嵐はいっそ穏やかな顔で言い放った。少年がかすかに傷ついたような表情を浮かべる。それがおかしくて、紫嵐はまた笑った。
「どうせあんたたちは、怨霊の本当の気持ちなんて、分からないんだから」
頭の中が透明になっていく。だんだん、意識が遠くなっていく。
霞がかかったような記憶の中、ふと二人の人影が見えた。男と女だ。こちらに向かって手をふっている。自分は、二人に向かって手を伸ばしていた。
二人は、その手をしっかりとつかんで引き寄せてくれた。
もう、何も怖くないのだ、と。
彼らは、両親は、そう言ってぎゅっと抱きしめてくれたのだった。
向日葵ノ風 桃白 @yakusoku
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