わたくしはどの様な顔をすれば宜しいのでしょうか?

福田 吹太朗

わたくしはどの様な顔をすれば宜しいのでしょうか?  あなたに合わせる顔が御座いません。


○人物


・合わす顔のない男

・手首

・足首

・二の腕さん

・くるぶし氏

・尻尾人間

・影踏み屋(代行)

・背中女










・・・その夜は月がやけに明るかった。

そう。

月が明るいなどと言うのは・・・少々大袈裟というか、いくら明るかったとしても、昼間の太陽にはとても敵いはしないのだから・・・いくらその夜の月が、例え頑張ったとしても、所詮は脇役、主役で大スターの、昼間の太陽には勝てなどしなかったのである・・・。

・・・そう。

これは人間に対しても、あるいは、それよりもはるかに劣ると思われている、四本脚の動物らにしてみても、時として、自分では絶対に敵わないと思われる様な、そんな存在に対しても、時として・・・それがなぜなのかは、おそらく、当の本人たちにも一向に分からぬのだろうが・・・しかしながら、つい挑んでしまうというのは、これは自然の摂理、などという言葉一言で、果たして片付けてしまっていいものなのだろうか・・・? しかしながら・・・

・・・しかしながら、その様な戯言、というかムダ話は、今日の、この、月のキレイな夜のお話には全くと言っていい程、関係の無い事であったので・・・それはさておくとして・・・ともかく、その夜は月がまるで、眩しい程に目に突き刺さるかの様に、光っていたのだ・・・。

 しかしながら・・・その光が突き刺さる筈の、目、をその男は持ってはいなかったのである・・・。

その男の名前は、今もって不明なのだが・・・ともかく、彼自身にはまだその時点では、自覚すら無かったのだが・・・ふと、立ち止まって・・・おそらく一杯、酒でも引っかけていたのだろうか・・・? ・・・ちょっとの時間だけその場に立ち止まり、ほんのちょっと背中を丸めて、真下をかがみ込んで見ると・・・彼の足元には汚いが、おそらく彼の様に、心の澄んだ、者には澄んで見えてしまった、水たまりがあって・・・彼がそれをほぼ真上から、覗き込むとそこにも輝く月が・・・しかし次の瞬間、彼自身はその月の美しさになどではなく・・・自分の顔に、思わず顔をしかめ・・・しかし肝心の、しかめる為の、パーツが存在していなかったのである・・・。

これには・・・おそらく例え並大抵の、例えば銃弾砲弾飛び交う戦場だとか、怒号の渦巻くブ◯ック企業の肉体労働の職場だとか、あるいは、誠に単純極まりない喩えで恐縮だが・・・北洋のマグロ漁船の上だとか・・・そういったものを経験した者でさえも、おそらくは驚愕してしまう様な、そんな衝撃が、背筋をゾッと、走ったに違いはないのであった・・・。

何せ、普段は、そこあるもの、が全く無かったのである。

人というものは、おそらくだが、元から無いものが無ければ何ともないのだろうが、有ったものがものが無くなったとなると・・・途端に言い様のない不安感に襲われて・・・例えばメガネ一つをどこかに置き忘れてしまっただけでも、家中を血眼になって探し回り、大騒ぎをしたかと思うと・・・案外と自分が今着ているパジャマのポケットに入っていたりするものなのだ。

しかしながら・・・この男の場合は違った。明らかに違ったのである。

男の顔には必ず、付いている筈の、眉、両目、両耳、鼻、口・・・が、確かにそこには無かったのであった・・・。

無い、ない、ナイ、という事はどういう事かというと・・・つまりは以前には存在していたものが、その存在すらが、消えてしまっているという事であり・・・その男は、例のメガネの喩えもあるにはあるので・・・試しに自分の着ているコートやらスーツやらボトムスやらの、ポケットというポケットの、中を弄るかの様にして・・・探してみたのであるが・・・やはり、その様なものは一切発見されず、出て来たのは・・・レシートの切れ端が数枚と、屑の様になったティッシュの固まりと、糸だか何だかの、繊維が数本・・・どうあがいても慌てふためいて探してみたところで・・・彼の顔のパーツは、これっぽっちも・・・出て来やしなかったのだ・・・。

これはあの、コンタクトレンズを思わず失くしてしまった時の様な、あるいは、縫い針を思わず、どこかへ一本だけ、落として失くしてしまった様な、とても骨の折れる、しかも非常に慎重を期して探さねばならぬ様な・・・そんなデリケートで、これからの彼の人生に関わる、と言っても決して過言では無い・・・しかしそれに反して、彼の頭の中は完全に、コンプリケーテッドしてしまっていて・・・ただアタフタと、同じ箇所を何回も、グルグルとまるで今宵の月の自転の様子を高速度で、撮影した時の様な状態に・・・たまたまその狭い裏通りには、彼以外には誰もいなかったので恥を掻かずに済んだのだが、おそらくこれが新宿か渋谷か銀座辺りの大通りであったならば・・・彼は今頃、恥を掻くどころか、最悪の場合、お巡りさんたちに、両脇から挟まれて、ナントカ署に連行されていたとしても・・・それは決して、不可思議な事態ではなかったのだ。ただ・・・その際の罪名というか、この場合はおそらく、猥褻物陳列罪、には当たらぬだろうし・・・何せ、陳列するものが、有る、と言うよりはむしろ、その他のものすら失くなっていたからである・・・業務威力妨害、にも当たらぬだろうし・・・無論の事、テロ等準備罪あるいは共謀罪に当たらぬのも明らかであったし・・・もし新しく法整備などをして、あえてこの男に対して罪を被せるというのならば・・・「当該箇所当然存在物取扱法違反」・・・などという、よく訳の分からない法律が一つ出来てしまうのが・・・関の山なのであった・・・。


・・・なので、おそらく彼自身は逮捕されたりだとか、取締りの対象になったりだとかは、しなかったのだろうが・・・しかし少なくとも、確かに数時間前までは存在していた筈の・・・彼は実はつい小一時間ほど前まで会社の同僚たちと飲んでいて・・・最後にトイレに行って鏡を自らのその両目で見たのが・・・確か、一時間半ほど前の事。

無論の事、もし同僚たちと飲み屋の入り口で別れる際に、彼の顔に異変が起きていたとすれば・・・同僚たちはきっと教えてくれたであろうし・・・しかしながら、その同僚たちもしこたま飲んでいたので、それ自体も怪しかったのであるが・・・。

しかし・・・そうだ!

・・・と、彼は思わずその、無い口、で叫び声を上げるところだったのだが・・・確かほんの二十分ほど前に、ポケットティッシュで鼻をかんだ記憶が・・・するとその時までは確かに、彼の、鼻、はまだ存在していた事になるではないか。

そして・・・先程から彼が不思議に感じている事があったのだが・・・それは、両目は無い筈なのに風景はきちんと見え、両耳も・・・触ってみると確かに無くなっていたのだが・・・音はきちんと聴こえ、遠くで微かに、踏切の音がしていた・・・さらには鼻呼吸もきちんと出来ていたようであるし・・・ア、ア、ア、と声も出せたので・・・彼はこれはもしや、彼の完全な勘違いのではないのかと・・・先程は、水たまり、などというとても大してアテにもならない、かなり曖昧なものを覗いて確認してしまったので・・・彼はこれはただ単に酔っ払って、マボロシでも見たのだろうと・・・そこで今度は、もっと確実な・・・たまたまその通りの角に、外資系のファッションブランドの店舗の、ショーウィンドーがあったので・・・そこへと近付いて行き・・・そうして今度は確実に、鏡のようになった、ガラスの中を覗き込むと・・・。


・・・確かに・・・彼の顔のパーツは・・・確実に・・・明確に・・・無くなっていたのであった・・・。

・・・なので、これ以降は便宜上、彼の事を、合わす顔のない男、と呼ばさせて頂く事とする・・・。

実際、このような有り様では、誰にも・・・無論の事、顔見知り、に顔を合わせる事など・・・以ての外、の様な状態に、なってしまったのではあるまいか?

そしてその事自体は・・・おそらく彼自身が、‘合わす顔のない男’自身が一番良く分かって、身に染みていたのではなかろうか・・・?

・・・きっと、そうなのだ。



 ・・・合わす顔のない男、がそのままショーウィンドーの角を曲がり、薄暗いが、先程よりはほんの少しばかり広くなった通りを歩いて行くと・・・しかしながら、何人かの、普通の、人間たちとすれ違ったのだが、誰も彼の顔に起こっている異変には、気付く者などなく・・・。 

それは彼がやや俯向き加減で歩いていたからなのか・・・それとも、やはり夜という事もあって、いくら今宵の月が明るかったとしてもだ、やはり夜は夜なのであり、薄暗くて顔までは良くは見えなかったのか・・・。

と、言うより、今のご時世、他人の事に興味を示す者などいないのか、あるいは、ただ単に、元から人間などというものは、自己中心的な生き物であったのか・・・正直、合わす顔のない男、には皆目分からなかったというか、と、言うよりも、彼にしても彼なりの事情、つまりは自分の顔のパーツがおそらく、道のどこかに落ちて転がっている筈であり、それを一刻も早く見付けるべく、下を向きながら歩いていたというのが、もしかしたら、一番理に適った理由だったのかもしれない。

・・・ともかく。彼がその若干だが、広めの通りを歩いて行くと・・・少し遠くの、やや離れた所で、二人の男が言い争っている声が聴こえて・・・しかもそれは、段々と大きくなっていくのであった・・・。つまりは、彼自身が、その声の方向へと、近付いて行っている訳であり・・・そして不意に、またしてもやや細くなった路地へと、スッとまるで吸い込まれるかの様に入って行くと・・・何やらその路地の、コンクリの地面に近い所で、二人の人物・・・もっと正確に言うのならば、人間の身体のパーツ二つが、かなりの本気モードで、論争しているのであった・・・。

一つは明らかに、手首、であり・・・もう一つは、足首、なのであった・・・。

それら二つの、身体の一部・・・少なくとも、合わす顔のない男、から見れば、言い争っている様にしか見ようがないのであった・・・おそらくそれらは、彼同様、感情を現すのには不可欠な、パーツ、目だとか眉だとか、眉間の皺だとか口角だとか・・・そういったものが全くついてはいなかったので、表情を推し量ろうにも、無理な話と言えば話だったのだが・・・しかしながら、その話している内容、さらには、身振り手振り、という表現も、おかしな話ではあったのだが・・・ともかくも、その動きで、二人とも、かなり白熱して口論しているのは、明らかで・・・。

手首は・・・手首と言っても、実際には片手の、手首から先、なのだったが・・・盛んにその五本の指を激しく動かしたり、手を開いたり閉じたり・・・あるいは、手首自体を、左右に何度も揺らしながら、まるで車のワイパーの様に、かなりの運動量で、左右に振ったりしながら、自分の主張を、彼にしてみれば、それが一番正しいであろう主張を、文字通り、自己主張、しているのであった・・・。

「・・・大体なぁ・・・お前さんは、さっきから一体、何度言ったら分かるのか・・・勘違いも大概にしろよ?・・・って話なんだよなぁ・・・。大体さぁ、まずは前提条件が間違ってるってワケよ。分かる? つまりは、こういう事だよ。いいか・・・?」

すると・・・その手首の主張をはなっから聴く気など持たぬのか、足首の方は・・・彼もほぼ、片足だけで、いわゆるアキレス腱と言われている辺りから・・・踵、爪先までが、靴下や靴などは全く履かずに・・・剥き出し、裸足のまま、しかしやはり手首と全く同じ様に、全身を、まるでどこかの大陸の遥か奥地の、部族か何かが、自分たちの勇壮さを示す為に誇示するかの様に、全身を揺さぶって踊る時の如く、激しく揺らしながら、彼自身の、主張をしているのであった・・・。

「・・・何言ってやがんだよぉ・・・お前はさ、大体、物事の真理、ってモノが全く掴めちゃいない。・・・いいか? この世の中ってものはな、お前さんの言う様な・・・風にはちっとも動いちゃいない、活動しちゃいないのさ。大体なぁ・・・」

するとその言葉を遮るように、手首はますます、その身体、を左右に激しく揺らしながら、一層激しく論陣を張るのであった・・・。

「・・・いいか? 大体、人間てものは・・・そもそも、猿から、類人猿から進化した事ぐらいは・・・いくら無知なお前さんでもご存知の事だろう・・・? それはな・・・そもそも、両手が、つまりは四本足だった猿の前足が・・・物を掴めるようになり、やがてはその両手で、道具を、自らの手で、作り出し、それを使う事によって脳が・・・主に大脳の部分なんだが・・・発達して、そうして進化して行ったんだ。・・・分かってるのか? ・・・その辺の事情が。」

すると、やはり今度は足首が、全身をますます激しく揺さぶりながら・・・自らの主張を、あくまでも貫き通すのであった・・・。

「お前の言ってる事は・・・いいかぁ? 俺の話をよく聴けよ? ・・・そもそも、初めの設定からして間違っていやがる・・・お前の言ってる・・・前足が使えるようになったのはそもそも、樹から下りて、樹上生活をやめて、二本足で立つ事によって・・・それによって、そのせいで脳が発達し、前足が使えるようになったんだぞ? その辺が・・・分かっちゃぁいないんだ・・・お前ってぇヤツは・・・マッタク、馬鹿に付ける薬が無いとは・・・お前の事だな・・・?」

「・・・何言ってやがる・・・! 手が先に決まってるじゃないか・・・! そんな事も・・・分からんのか・・・!」

「・・・うるさい・・・! ふざけんじゃねぇ・・・二本足で立ったからこそ・・・手が使えるようになったんだよ・・・! 馬鹿にすんじゃねぇ・・・!」

その喧嘩は、だんだんとエスカレートして行ったのだが・・・しかしながら、合わす顔のない男、からしてみれば、どっちもどっち、目糞鼻糞、同じ穴のムジナ、どんぐりの背比べ、の様な状況にしか見えなかったので・・・彼はこんなつまらない事で喧嘩をして、もし万が一、万が一なのだが、流血の事態、刃傷沙汰にでもなったりしたのならば・・・それこそ馬鹿げている、元も子もないと・・・そうしてまるでその二人、をなだめるかの様に、あくまでも穏やかに、その無い口で、説得を試みる事にしたのであった・・・。

「・・・あのぅ・・・先程から・・・ちょっと小耳に挟んだものですから・・・」

すると二人は、一斉に彼の方を見て、同時に、

「・・・なんだテメェは・・・? 小耳に・・・って、お前耳が無いじゃないか・・・!」

そこで男は、ついうっかり口を滑らせてしまったと、ほんの若干後悔してしまったのだが・・・しかしそこは決して諦めずに、

「まあまあ・・・あなた方の主張を聴いていると・・・まるでその・・・」

するとまたしても、二人、は全く同じタイミングで声を揃えて、

「・・・その・・・何だ・・・!?」

「つまりは・・・あのいわゆる、ニワトリが先か、タマゴが先か、ってやつにどうしても・・・聴こえてしまうものですから・・・」

「・・・それが何だ?」

「・・・それが悪いのか?」

そこでなぜだか手首と足首は・・・全く同じ様な態度で、合わす顔のない男、に対して抗議をしているので・・・一体果たして、仲が良いんだか悪いんだか・・・。

・・・なので、男も、

「・・・では、お二人の意見は・・・その点では全く、一致しているという事ですね・・・?」

「・・・何のこったい・・・?」

「・・・一体、何が言いたいんだ・・・?」

男は何とか、それでも二人をなだめつつ・・・

「つまりはその・・・議論の方向というか・・・」

・・・と、そこで突然、二人・・・手首と足首はそれまでの動きが止まり・・・冷静になったのか・・・

「そりゃあ、まあ・・・」

「まあ、そりゃなあ・・・」

・・・あるいは、自分たちの口論、いや、討論が不毛な物であると悟ったのか・・・。

「まあ・・・そう言われるとな・・・」

と、手首が言うと、

「確かに・・・その点では・・・一致?・・・しているのかな・・・?」

と、足首も言い、

「じゃあ・・・」

・・・と、男が言うと・・・

するとまるで、その二人、は中世の暗黒時代から現代へと、いきなりタイムスリップでもして来たかの様に、態度を豹変させて、

「・・・そういや足首よ。」

「・・・なんだ手首よ。」

「・・・向こうにピザの美味い店が・・・」

「・・・俺もあっちにパスタの美味しい店を・・・」

・・・と、何食わぬ顔で・・・二人の顔、は、男には分からなかったのだが・・・どうやら元々二人は仲は決して悪くはないらしく・・・なので、

「あのー・・・」

と、男が思い切ってタイミングを見計らって尋ねると、

「何だ?」

と、二人で同時に、男、の方を、まるで呼吸を合わせたかの様な、シンクロナイズドされた様な間合いで振り向き、

「もし宜しかったらで良いのですが・・・一緒に探し物を・・・手伝って頂けると、大変有り難いのですが・・・」

「・・・おう、いいとも!」

と、手首。

「・・・よっしゃ。任しとけ!」

と、足首。


・・・こうして、合わす顔のない男、と、手首足首とは・・・三人がかりで、男の顔のパーツを、探し始めたのであった・・・。



 ・・・三人、と言ってもいいのだろうか・・・? 手首、足首、そして合わす顔のない男、は、その男の、どこかに必ずや落ちているであろう・・・男が紛失してしまった、顔のパーツを探して・・・男にとって心強かったのは、手首、足首とも、背丈、がとても小さく・・・地面にかなり近い所にいたので・・・おそらくそこいら辺の、道路脇にでも落ちていようものなら、真っ先に見付けてくれたであろう、その様なとても頼りになる助っ人を味方に付けたのであった・・・。

そして・・・三人は、顔のパーツを探す事・・・おそらく二時間、いや、三時間、四時間・・・五時間はさすがに・・・経ってはいなかったであろうが・・・それにしてもさすがの体力と情熱とエネルギーが、その小さな、身体、の中にみなぎっていて・・・おそらく徹夜が何日続いたとしても、耐える事が出来たであろう、手首、足首らをもってしても・・・疲労感が襲って来たのか、だんだんと活動量が、移動距離、行動範囲捜索範囲が狭まって来て・・・そうして遂にとうとう・・・コンクリートの地面の、道路脇の側溝の脇へと、へたり込んでしまい・・・そしてやはり同じ様に、合わす顔のない男も、二人のすぐ隣へと・・・座り込むというか、殆んど倒れ込むかの様な状態となって・・・どうやらそれ程までの労力と、時間を費やしても・・・その男の顔のパーツは・・・そのカケラすら、まつ毛の一本でも、もし見付かったのならば、重要な手掛かりとなったのだろうが・・・そういった物すら見付からず・・・そうしていつしか三人が、その薄汚れた、そしてなぜだか男には鼻が無い筈なのに、まるで何かが腐ったかの様な、ツンとした臭気さえして来た様な気がして・・・ふと、上空を見上げると・・・先程まではあれほど美しく、そしてまばゆい程に輝いていた月も・・・いつしか鼠色の雲の陰に隠れてしまい・・・そうして、何度か、灰色の薄汚れた人工物の地面と、灰色だが綺麗な空とを、交互に比べるかの様に眺めていた三人なのだが・・・ふと、目の前の道路の、もや、の先に・・・一人の女性が・・・。

しかも、背中がパックリと開いた、煽情的な真っ黒いドレスを身に纏っていて・・・しかもそのドレスの内側には、真っ赤な薄いヴェールの様なレースで出来た様な、ブラウスの様な物が・・・チラリチラリとほんの僅かばかり見えていて・・・三人はそこで、ハッと我に帰り、おもむろに立ち上がると、まずは手首が、

「・・・ちょっと、そこのお姉さん・・・?」

すると慌てて足首が、まるでたしなめるかの様に、

「オイオイ・・・そんなんじゃ、今時のオンナの子は、振り向いちゃくれないぞ? ・・・マッタク!」

・・・などと言うので、

・・・手首は改めて仕切り直しとばかりに、

「・・・ちょっと・・・今夜は・・・月がヤケに美しいですねぇ・・・?」

などと言ったのだが・・・またしても足首は、

「そんなのでも・・・まだまだだなぁ・・・」

などと言うので、手首はすっかり頭に来たらしく・・・頭、は無かったのだが・・・

「なら・・・! ・・・お前が上手い事口説いてみろよ?」

・・・そこで足首は・・・おそらく姿勢を正したのだろう? ・・・ゆっくりと、その、背中がパックリと開いた、ドレスを着た魅力的な女性に、近付いて行き・・・

「・・・前にどこかで・・・お会いしませんでしたっけ・・・?」

合わす顔のない男は、その、あまりに在り来たりと言うか、どこかの、それもかなり昔の、ワンディケードほど前の、男女関係のドロドロとした様なドラマに出て来そうな・・・お決まりのフレーズを聞いて、少しだけ吹き出してしまったのだが・・・足首の方はと言うと、いたって真剣らしく、さらに・・・

「・・・そこのお嬢さん・・・? あなたですよ、あ・な・た・・・!」

そこで完全に、男は吹き出し、さらにそれに釣られるかの様に、手首も笑い転げて・・・

するとその女性は・・・予想外な事に、ゆっくりとこちらを、三人の方へと、振り向くと・・・何と驚いた事に、その背中のパックリと開いた女は・・・振り向いてもやはり、背中のパックリと開いた女、のままで・・・

三人は思わず、無い口を、アングリと開けてしまっていたのだが・・・

・・・つまりは、女は後ろから見ても、前から見ても・・・パックリと開いた背中の・・・女だったのである・・・。

しかしどうやら、その女は、三人の方を振り向いて、ニッコリと微笑んだらしく・・・

「・・・どうも。今宵は月が・・・綺麗ですコト・・・!」

すると・・・まるでその、背中女、の言葉に月が答えたかの様に・・・周りを覆っていた、薄灰色の、雲が次第に・・・両脇へと、カーテンか舞台の幕の様に・・・その、今夜の主役の姿を・・・曝け出したのであった・・・。

そしてその美しく輝く、背中だけの、背中女は、うっとりとしているのか・・・

「・・・アラ、まあ・・・まるでこのわたくしの為に・・・姿を見せてくれたんだわ?」

すると、ここぞとばかりに、足首が、

「・・・お嬢さん。あなたもあの月に負けず劣らず・・・お綺麗ですよ? ・・・どうです? この三人の中の、いずれかと、真夜中の、デートなどは?」

すると・・・その背中女は、果たして後ろを向いたのか前を向いたのかは、皆目見当が付かなかったのだが・・・ともかく、クルリと、一回転してから・・・

「・・・生憎と・・・わたくし、完璧な殿方としか・・・デートはしないものと・・・決めておりまして・・・」

それはつまり・・・?

「・・・それは一体・・・どういった意味で・・・?」

そこで初めて、合わす顔のない男も、女に声を掛けたのであった・・・。

背中女、は、またクルリと・・・向きを変えたのだが・・・そもそも元々が表か裏か全く判然としなかったので・・・三人は狐につままれた様な・・・そんな感じでポカンとしてしまい・・・

しかし女は続けて、

「・・・アラ? お分かりになりませんコト? お三方、もしかして・・・ご自分たちの事を、完全な人間、だとでも・・・?」

その言葉を聴いた途端・・・三人は思わず、ハッとなって・・・

「・・・それはつまり・・・体のどこかが・・・欠けていると・・・」

すると背中女は、トボけているのか、はたまたサービスのつもりなのか、もう一回、いや、そしてさらにもう一回クルリと回ってから・・・が、何も答えずに、澄ました様に、煌々と輝く、月を背後にして・・・それが本当の背後、なのかは不明だったのだが・・・ともかく、ただそこに、立っていたのであった・・・。

「よ・・・よし! ・・・分かった! 俺はその・・・何が一体欠けているのかはさっぱり分からぬのだが・・・ともかく・・・」

と、手首が勢いよく飛び上がると、足首も全く同じ様にピョン、と跳ね、

「お・・・俺も・・・! 何だかよく分からんが・・・完全な男に・・・なってやる・・・!」

・・・と、啖呵を切ったので、それに釣られて思わず、合わす顔のない男、も思わず意気込んで、

「それじゃあ・・・俺も・・・!」

と、三人はその、美しくなまめかしい背中、に向けて、言ったのだが・・・もしかしてそれは、本当に三人に、プイと背中を向けてしまっているのかもしれなかったのだが・・・

・・・しかし、男という生き物は誠に単純なもので・・・早速その、何か、を探しに・・・無論の事、合わす顔のない男だけは、それがおそらく、自分の失くしてしまった顔のパーツであろうと・・・即座に理解したのだったが・・・残りの二人には、それが一体、何の事やらさっぱり分からないまま・・・しかし気が付くと・・・

・・・気が付くとまた、鼠色の薄いグレーのもや、の中へと・・・背中女、は隠れて消えて見えなくなってしまって・・・。

三人はとりあえず、気を取り直して、割と賑わっていそうな、通りの方向へと・・・向かったのであった・・・。



 ・・・そこいら一帯は、彼らが今までいた所に比べると、だいぶ賑わっていて・・・しかしながら、誰一人として、彼ら、三人の事を振り向いたり、見ようとしたり、関心を向ける者すらおらず・・・これ程までに、都会の人間どもは、他人、というものに関心が無いのかと・・・そう、思ったのか思わなかったのかは、よく分からぬまま・・・気が付くと彼らは、賑やか、を通り越して、騒々しい程の音楽と、ジャラジャラという・・・奇妙な音が闇夜にこだまする・・・そこはパチンコ店の前なのであった・・・。

その店からは、時折、その殆んどがしかめっ面をして・・・おそらくその夜も金をスったのであろう、哀れな俗世間の客たちが・・・出て行く度、自動ドアが開くので、その度に、ジャンジャラジャジャジャジャ〜〜ン・・・♪・・・などという、けたたましい程の音楽が大音量で鳴り響き・・・しかしやがて、閉店の時間が近付いたのか、そのメロディーは途端に、若干物哀しいものに変わって・・・タ〜ラララン〜♪タ〜ララ〜♪タラララ♪ララ〜♪・・・などという曲で、三人にはそれが、どこかで聴いた事はあるが、ド忘れしたのか、はたまた、耳、が三人とも無いせいで、所々を聴き漏らしているのか・・・とにかく、何だかちょっとだけ口惜しい様な、切ない様な、曲の感じともそれは相まって、三人の心の奥底に・・・たかがパチンコ屋の毎晩流すBGMであるのに、そんな気さえして来て・・・何名かの最後まで残っていた客らが出て来ると、シャッターも、もうすでにちょっとずつ、閉まり始め・・・すると、徐々に店から出て来る人間はいなくなり・・・と、一番最後に、とても小さな人間、いや、それも人間と呼んでも良いものなのか・・・人間の片腕の、肘の少し先までと肩の間ぐらいの・・・つまりは、二の腕、と呼ばれる部分のみが・・・ひょっこりと、姿を現し、その物悲しい通りを、ピョンピョンと・・・跳ねて、歩いて、行ったのだった・・・。

・・・例の三人はちょうどたまたまその、二の腕、とすれ違い・・・思わず三人とも二度見してしまったのだが・・・その二の腕の方は、三人には全く気が付かないのか、ただピョコンピョコンと、跳ねながら、し明後日の方向へと・・・。

そこで、合わす顔のない男が、思い切ってその、二の腕に、声を掛け・・・

「あのぅ・・・」

しかしどうやら、その外見だけでは全く伺い知る事は出来なかったのだが、その二の腕は、おそらくパチンコでえらく負けたのか、かなりご機嫌斜めらしく、

「・・・ッタク、また・・・負けちまいやがったぜ・・・タク、この腕のせいだ・・・! 全部、この腕のせいだ・・・! コイツが、こいつがもっと、働いてくれたら・・・大体・・・」

「あの、すみません・・・」

と、相手が怒っているのは承知の上で、男はもう一度、声を掛けてみたのであった。

すると、

「アン? ・・・お前、誰だ?」

「怪しいものでは御座いません。」

「もう十分怪しいな。大体・・・何で顔のパーツが、一個も無いんだ・・・?」

「これには・・・ちょっとした・・・ワケが・・・」

「まあいいや。・・・俺の名前は・・・とりあえずは、二の腕さん、とかでもいいや。」

「・・・そうですか。私たちは・・・」

「・・・手首です。」

「・・・足首です。」

「私は、その・・・」

と、合わす顔のない男、というのは、筆者が便宜上、つけた名前であり・・・彼は本名は言いたくはなかったのか・・・しかしながら、

「・・・あ、そう。」

と、二の腕さん、の方は特には気にはしていない様子なのであった・・・。

それよりも彼は、パチンコで負けた事がよほど悔しかったらしく・・・

「チックショウ・・・! これで・・・20連敗だぜ? ・・・信じられるかい? ・・・マッタク、これもそれもみんな・・・この腕のせいだ! この腕が・・・言う事を聞いてくれないんだ・・・!」

すると、合わす顔のない男は、その姿をとても憐れに思ったのか、

「私たちも・・・三人とも、パーツが不完全でして・・・たった今も・・・」

しかし・・・彼、にはどうやらその憐憫の言葉はちっとも耳には入ってはいないらしく・・・

「クソッ・・・クソッ・・・クソッ・・・!」

・・・と、見掛けによらず・・・見た目はただの人間の、肘、とその付近だったのだが・・・やはり、頭、に血が昇っているのか、その肘を、何度も曲げたり伸ばしたり、伸ばしたり曲げたり・・・を繰り返し・・・しまいにはカクカクカクカク言い始めたのであった・・・。

「もうそれぐらいで・・・ね?」

と、男が必死でなだめるのも聞かず、

「チックショウ・・・大体、いつもこうなんだ。・・・駅の改札を通る時は、きちんとICカードはピッ!とした筈なのに・・・」

そんな事もするんだぁ?・・・と、正直、男は驚いたのであったが、無論の事、それについては黙っていたのだが、

「・・・ピンポ〜ン!とか必ず鳴りやがるし・・・クレカを使う時も、こちらにご署名下さい、何て言われても・・・出来るか!」

すると、今度は足首が、やはり堪りかねたのか、

「まあまあ・・・とりあえず、落ち着いたら・・・」

「お前に、お前なんかに・・・何が分かる! ・・・俺の気持ちなど。足ごときに腕の気持ちが分かってたまるか・・・! ・・・あと、それにだ。」

「まだあるんですか?」

男は訝って聞いたのだが、二の腕さん、の日頃の鬱憤はなかなか吹き飛びそうにはなく・・・

「ああ、そうだよ・・・! ・・・俺は大体、職業柄、人と会う事も多いんだが・・・これが日本人なら話は早い。お辞儀の一つで、挨拶は済んじまう。・・・しかし、しかしだ。これが外国人ともなると・・・そうは行かねぇ。奴らはなぜだか、必ず握手を求めて来やがる。・・・タク、日本に来てるんだから・・・郷に入りては郷に従え、だろ? それなのに、やすやすと、握手を求めて来やがって・・・マッタク、だから外国人は嫌いなんだよ・・・! 黒船以来ずっとだよ・・・! あのペリーとやらが、たった四隻で、まるで他人の家に土足で上がる様にやって来た時から・・・俺はイヤな予感がしてたんだよ! ・・・ホラ見た事か。・・・その後の戦争には負けるし、安保では散々だし、挙げ句の果てには、基地の代金の負担までさせる始末だ。マッタク、なっちゃいねぇ・・・! ここは、お前らの国じゃないんだぞ・・・!」

何だか二の腕さん、の言っている事が段々と脇道へと逸れて来た様なので・・・男は冷や汗をかきつつ、話を元に戻そうと・・・

「まあでも・・・我々三人も、見ての通り、不完全でありまして・・・先程もそのせいで、とある美女に・・・フラれたばかりでして・・・」

「・・・アン?」

・・・とここで初めて、二の腕さんは、三人・・・男、手首、足首、を見渡して・・・

しかしそこで突然、

「あ!」

と、手首を見て、叫び声を上げ、

「お前・・・お前はこの俺には欠けているものを・・・お前と俺とが、合体して、一つになれば・・・」

するとそれまで、ただ黙って聞いていた手首は、

「・・・エ? そんな事が・・・出来るんですか?」

二の腕さん、はまるで当たり前だとでも言う様に、胸、を張って、

「・・・ああ。そりゃそうだろ? ・・・お前は先っちょ、俺は、その後ろに本来あるものだからな・・・」

すると・・・手首がこれは、おそらく、好機到来、千客万来、とばかりに・・・

「・・・本当ですか? ・・・よし! これで俺は、完全な存在に・・・なれるんだ・・・!」

と、思わず天を仰ぎ・・・その視線の先では、例の月がまだ輝いていた・・・

そして、

「・・・なりましょう! 是非・・・合体して、一つの姿に!」

するとこの急展開に、肝心の二の腕さん、の方が逆に少々面食らってしまったらしく、

「・・・ええと・・・何か、いい事でもあんのか・・・?」

「もちろんです・・・!」

と、手首がしてやったりの表情になると・・・

「チェッ!」

と、足首が思わず舌打ちをし、

「・・・まあ、お前さんが、そこまで言うんならなぁ・・・」

と、二の腕さんは・・・突然、ピョコ〜ン・・・と、空中に舞い上がったかと思うと・・・シュルシュルシュル・・・とやはり空中で数十回転し・・・そして凄いスピードで落下して行って・・・手首とぶつかった途端に、物凄い音と衝撃で、他の者たちは吹き飛ばされたのだが・・・

・・・埃で舞い上がった煙が徐々に晴れて、消えていくと、そこには・・・見事に、合体、して一本の腕となった、片腕さん、の姿が・・・。

そして・・・片腕さんは、フンフンフフン♪・・・と、陽気に鼻歌などを唄いながら・・・あの背中女のいた方向へと・・・余裕をかましつつ、去って行ったのであった・・・。

「チッ・・・! 先を越されちまったぜ・・・!」

と、足首が悔しがったのだが、生憎と、天は、まずは手の方に味方をした様で・・・

しかしすぐに足首は、合わす顔のない男、を急かす様に、

「・・・よし。切り替えて行こ。・・・もうこんなトコにいても仕方がない。次、行くぞ?」

などと言うので・・・男も何だか訳の分からぬまま・・・大人しく後に付いて行ったのであった・・・。



 合わす顔のない男、と、足首とが、依然として歩いていると・・・今度はやや、先程よりは薄暗い、というよりは、仄暗い、通りにやって来て・・・時間はおそらくもう、深夜近くになっていたのであった・・・そしてとあるタテだけに細長い、雑居ビルの様な所から・・・一人の、と言っても・・・もはや人の姿形のかけらが微塵も無い様な・・・まん丸くて小さい、骨、に皮膚が被さった状態の、ものがひょっこりと現れて・・・それが何なのかは判然とはしなかったのであるが・・・しかしそれは、おそらくは人間の身体の、パーツのうちのどこかである事は間違いはない様なのだったのだが・・・彼はそのビルから出て来ると、通りに立ち、一つ、フワァ〜ッと大きく伸びと欠伸をしてから、キョロキョロと辺りを見渡しながら、一体その通りの、どちらへ向かおうかと、思案している様子なのであった・・・。

・・・と、そこへちょうどたまたま、男と足首とが通りかかり・・・その丸い身体のパーツ・・・実は彼の名は、くるぶし氏、と言ったのだが・・・彼の前を通りかかると、くるぶし氏は、別に二人に、という風ではなく、独り言の様に、

「・・・いやあ、少年老いやすく、日々学なり難し・・・ですなぁ・・・」

・・・などと、やや訳の分からぬ事を言っていたのだが、またしても、合わす顔のない男が、それに興味を示したのか、

「・・・あの、今何かおっしゃいましたか・・・?」

と、尋ねたので、くるぶし氏は、

「あ、まあ・・・独り言ですよ、独り言。アハハ・・・」

「でしょうなあ・・・」

釣られて男も少しだけ笑うのであった・・・。

しかしながら、くるぶし氏は続けて、

「それにしてもまるで・・・光陰矢の如し、唇亡びて歯寒し、ではないですか。」

男には何の事やらさっぱりだったので、

「ハァ・・・?」

と、当然の反応を示したのだが、

「つまりはです・・・わたくしは今、このビルの三階にある、‘ほがらかマッサージ’という、お店から出て来たのですがね・・・あ、もちろんそう言った、妖しいマッサージ店とは違いますよ・・・?」

「あ、はぁ・・・」

「・・・それがですね、肉を切らせて骨を断つ、ではありませんが・・・とにかく、マッサージ、と言うには、全くといっていい程・・・効き目がありませんでしてね・・・」

「ああ、なるほど。」

「つまりは・・・灯台もと暗し、京大もっと暗し、の状態と申しましょうか・・・要するに、国破れて山河あり、の様な状態であった訳ですな。・・・先程までのわたくしは。」

「ああ、はい・・・。」

男には、もう何の事やら、訳が分からなくなっていたのだが、

くるぶし氏、は構わず続け、

「・・・それがですね、五分コースか、一時間コースかで迷ったんですが・・・ちょうど間を取って、四十五分コースにしたのですがね・・・」

ちょうど中間は、三十分ぐらいなのではないか? ・・・と、男は思ったのだが、そこはあえて・・・突っ込みもせずに、

「フムフム・・・」

などと適当に相槌を入れていると、

「・・・それが全く効かんのですよ・・・! ・・・わたくしは、この身体をほぐしたくて、この都会で憑いてしまって、すっかり固まってしまった、俗世間の垢、などという物も一緒に、揉みほぐして欲しかったのですがね・・・!」

と、そのくるぶし氏、は力説をし、

「まあ・・・たかが四十五分ほどで・・・その様な効果を期待した私がバカだった・・・時すでに遅し、覆水盆には実家に帰らず・・・とはまさにこの事ですな。」

合わす顔のない男、の頭の中はまたしても、???マークだったのだが、

「しかし・・・マッサージと言っても、腕の良し悪しとか、相性とか・・・あるのでは?」

と、そこは上手い具合に、話を合わせたつもりだったのだが、くるぶし氏は、

「・・・いやあ、浪速のことも夢のまた夢・・・というワケですかな・・・?」

と、またしても訳の分からぬ事を言い、さらに、

「つまりはマッサージと言っても・・・千差万別、備えあれば憂いなし、衣食足りて礼節を知る、であって欲しかったのですがね・・・」

「ああ・・・まあ・・・」

するとそこまで来るとさすがに、足首の方は、飽きてしまったのか、大きく欠伸などをしつつ、

「あの・・・俺たちは、先を急ぐもんでね。」

「ああ・・・まあ、善人にも悪人にも雨は降り陽は昇る、知恵はそれを探すのをやめた時にのみやって来る、どこに行けば良いのか分からないのなら道があなたを導く、ですからな、アハハ・・・」 

と、矢継ぎ早に続けると、足首はもう歩き出していて、すると、くるぶし氏は、

「それもこれも、このわたくしがくるぶし、つまりはただの、骨だからでしょうねぇ・・・」

と、ただもう仕方がないといった風に、笑っていたのだが・・・その言葉を耳にした途端、足首はふと、足を止めて、

「・・・え? 今何と?」

するとくるぶし氏は、

「・・・ですから。このわたくしが肉の塊などではなく・・・骨だったからでしょう。・・・マッサージがちっとも、気持ち良くなかったのは・・・」

そこでなぜだか、足首の足は、ハタと止まり、

「今・・・くるぶしって・・・?」

「ええ・・・わたくしは、くるぶし、ですが? ・・・あなたは?」

「俺は足首だよ・・・! 見て分からんのか?」

「ああ・・・確かに。」

「俺に足りないモンが・・・有るじゃないか・・・!」

すると、合わす顔のない男も、

「あ! ・・・なるほど!」

と、ようやく納得をし、すると、くるぶし氏は、

「・・・ですから、マッサージがですね、さっぱり、わたくしには・・・」

「そんな事はどうだっていいんだよ・・・!」

「どうだってとは・・・」

足首にしてみれば、手首、に先を越されていたのを焦っていたばかりか、先程の、合体、を目の前で目撃していたので・・・

「・・・よし! 今すぐ合体だ!」

と、気だけは焦っていたのだが、

肝心のくるぶし氏の方はというと・・・

「ええと・・・ちょっと・・・待ってください? まったく、わたくしには・・・何の事やら、事情が、よく・・・」

それは無理もない事だろう? ・・・彼はその様子は一切目撃しておらず・・・

しかし焦る足首は、

「何言ってんだ! ・・・アンタも、早く完全な姿に、なりたいだろう・・・?」

「ハ? 一体・・・何の事です・・・? わたくしは今のままで・・・十分満足ですが・・・?」

それを聞くとますます、火を油に注いだかの様に、足首はムキになって、

「何言っていやがるんだ・・・! お前は・・・完璧じゃないんだぞ? 一度、その姿を鏡なり、何かで見てみろよ? ・・・ブザマなもんだぞ?」

しかしこの、くるぶし氏、は人間としては、すでに出来上がっているらしく・・・全く慌てる風でもなく、

「・・・この世の中に・・・はたして・・・完璧なものなど・・・存在するのでしょうか・・・?」

と、まるで悟り切ったかの様に、その、骨と皮、は神妙な面持ちで言ったのだが、

「・・・知ったことか・・・! とにかく・・・! 俺とお前は元々は一つで・・・それがなぜだか別れて外れて、しまって・・・マッサージがちっとも気持ちが良くないのも・・・きっとそのせいだぞ? ・・・何しろ、骨をいくら、ほぐしてみたところでなぁ・・・」

するとようやく、くるぶし氏、も事情が少しずつではあるが、飲み込めてきたのか・・・

「・・・なるほど。あなたのおっしゃりたい事は大体のところ、分かりました。しかし・・・」

「まだ何かあんのか・・・!?」

と、あくまでも足首は半分脅すかの様にすごむのだが、

「しかし・・・こういう言葉もあります。・・・過ぎタルタルソースは、なおざるうどんにはかけざるが如し・・・と。」

「・・・どういうこっちゃい・・・!?」

「つまりはですね・・・なる様にはなる・・・」

「そりゃそうだ。」

「・・・為せば成る、為さねば成らぬ何事も・・・なすはナス科の野菜で、栽培上は一年草。インド原産とされ、広く温帯・熱帯で栽培。茎は80センチメートルに達し、葉は卵形。夏・秋に淡紫色の合弁花を葉のつけ根に開く。果実は倒卵形・球形または細長い楕円形で、紫黒色または黄白色、長さ20センチメートル以上になるものもあり、食用とする。栽培品種が極めて多く・・・と、クォージえんにもあります。・・・この意味が、お分かりで?」

「分かるかぁッ・・・!!」

さすがにこれには、合わす顔のない男にも、何が何やらさっぱりなのであった・・・。なのだが、彼が助け舟を出して・・・

「・・・その・・・くるぶしさん・・・つまりですね、あなたの選択肢は、二者択一。・・・一つは、この足首氏と合体して、元の完全な姿に戻り・・・気持ちよくマッサージを受けるか・・・もう一つは、今のままの状態でいて・・・一生、骨をゴリゴリとされる・・・一体どちらをお選びになりますか? ・・・一生、ゴリゴリですよ?」

すると・・・そのさすがのくるぶし氏も、少しだけ考え・・・考えあぐねていたのか、じっと黙ったまま、歩き回りながら・・・

顔なし男が駄目押しとばかりに、

「・・・一生、ゴリゴリ、ゴリゴリ、ゴリ・・・ですよ?」

・・・その言葉が決め手になったのかどうかは分からぬのだが・・・ともかく、

「・・・分かりました。あなた方の言う事に、ここは耳を傾けて・・・ホラ、言うじゃありませんか? ・・・耳たぶの長い人間は・・・十人の言葉を同時に・・・」

しかしそんな言葉には全くお構いなしに、足首は、くるぶし氏に向かって凄い勢いで突進したので・・・

・・・その次の瞬間、やはり先程と全く同じ様に、ゴッツ〜ン・・・!という、鈍い音とともに・・・砂埃の様な、煤けたグレーの煙が立ち昇って・・・

・・・煙が徐々に、消えていくと・・・そこにはやはり、先程と全く同じ様に、足首、が立っていたのだが・・・

「・・・アレ? 何か・・・変わりました・・・?」

と、合わす顔のない男が少し不思議そうに、足首、の方を見やると、

足首は、先程までの、イラついた感じではなく・・・妙に落ち着き払った態度で・・・

「・・・私は・・・生まれ変わったのですよ・・・全く新しい・・・その、何モノかに・・・」

などと言うので、どうやら、合体、は成功したらしく・・・その落ち着いた様な、悟り切った様な佇まいを見ても・・・どうやら・・・新生、足首氏、が爆誕した様なのであった・・・。

そして、新生足首氏は、ゆっくりとした足取りで・・・例の、背中女、のいると思われる方向へと、手首に遅れる事、数十分あまり・・・ようやく、歩き出したのであった・・・。

その後ろ姿を・・・合わす顔のない男、はただポカンと・・・見送っていたのであった・・・。



 ・・・合わす顔のない男、は今や、助けてもらえる仲間、すらおらず・・・ただトボトボと・・・闇夜を・・・その彼を、まるで容赦なく暗闇の中に否が応でも照らし出すかの様に・・・またしても、煌々と、気味が悪いほどに光る月が・・・月のみが、彼のその時の感情をまるで理解していたかの様に・・・。

合わす顔のない男、は一旦、何とはなしに立ち止まると・・・ふと、そのまるで彼を見守っている様でもあり・・・その時の彼は酷く落ち込んでいたので、マイナス思考となっており、まるで監視されている様な気分にもなり・・・すると・・・。

「・・・!」

・・・すると突然、そのまん丸い月の、光を背にして・・・その光の中から飛び出して来たのかと一瞬錯覚してしまう様な、その様な物体・・・なのか、何なのかは分からなかったのだが・・・急に空中から現れ・・・その何か、は華麗に、そして素早くまるでハヤテの如く風の如く、地面に、スタッ!・・・と着地したと思うと・・・顔を上げ・・・。

それは・・・狐の様な顔をしていたのだが・・・尻尾が一本、生えていて・・・

「フッ・・・」

と、一つ笑みを浮かべたかと思うと、

「・・・どうも。もしかして・・・オジャマでしたかな・・・? 私は・・・尻尾人間と言う者でして・・・」

しかし、合わす顔のない男は、思い切り首を横に、何度も何度も振ると、

「・・・いやいやいや・・・どう見ても、人間じゃないでしょ?」

・・・と、そこだけはどうしても、頑なに否定したのであった・・・。

するとその、尻尾人間は、

「・・・なぜそんな事を、言うんだい? ・・・私が、人間じゃない・・・!? ・・・って、オイオイ・・・!」

と、尻尾人間は、少々ヴォルテージが上昇気味になったのだが、それでもやはり、顔なし男はあくまでも、

「だってさ・・・尻尾が生えてんじゃん。人間は・・・尻尾などは・・・生えてはいないじゃん。」

「・・・そう言うアンタだってさ、顔が何かおかしいし。」

「まあ、それは・・・」

「・・・だろ?」

「私の場合は・・・顔の内側はともかく・・・外見は、人間ですからね・・・!」

と、そこは強気に主張したのであった・・・。

すると、その、尻尾人間は、やはりあくまで人間である事にはこだわるのか、

「だったらさぁ・・・この俺だって・・・人間でしょ? ・・・人間じゃん。・・・人間だもの。」

確かに・・・彼は狐の様なお面を被って・・・その仮面の下の真の顔は不明だったのだが、両手両足、五体満足で・・・先程からの、手首足首や、くるぶし氏や、二の腕さん、などに比べればはるかに・・・おそらく、尻尾が生えている点を除いては。

「いやでもしかし・・・尻尾は・・・無いと思うなぁ・・・。ウン、そうだ。人間というものは本来、尻尾などは生えてはいないものなのだ。尻尾が生えているというのは・・・動物である、ケダモノであるという、何よりの証拠なのではなかろうか・・・? ・・・などという学説も、権威ある学会でつい最近、発表されたとかされないとか。」

・・・と、おそらくただでさえプライドだけは高そうな、その、自らを人間であると主張する、人間、に対する言葉としてはかなり挑発的な、そして・・・

「ああ・・・そう! そうなの・・・! そこまで言うんだったら・・・アンタだってさ・・!」

「・・・何でしょうか?」

「・・・アンタだって、かなりおかしいじゃん・・・! アンタもさあ、自分が人間だっていう証拠に・・・笑ってみろよ? 出来る? 出来ない? ・・・あっ、そう。・・・ならさ。・・・眉を吊り上げて、眉間に皺を寄せて、怒って見せてよ? ・・・あっ、そう。・・・出来ない? ならさ・・・!」

どうやらその、人間である筈の、尻尾人間は、怒り心頭のご様子なのであった・・・。

そして・・・合わす顔のない男も・・・やはり痛いところを突かれたのか・・・表情は分からなかったのだが・・・かなり精神的には来ている模様で・・・必死に・・・

「あの・・・ですね。・・・私の場合は・・・元から、じゃあなくてですね・・・ある時突然、気が付いてみたら、無くなっていたというか・・・失くしてしまったというか・・・どこかに、その、きっと、どこか・・・落ちて・・・いる・・・ハズで・・・」

・・・と、必死に言い訳の様なもっともな理屈の様な屁理屈を・・・並べ立てたのであった・・・。

そして、さらに畳み掛けるかの様に・・・尻尾人間、は、口撃の手は決して緩めないのであった・・・。

「・・・それにさ。俺がさ。思うところによると・・・人間だって、まあ言ってみれば・・・ケダモノでしょ? ・・・俺に言わせれば。・・・だってさ、ケダモノみたいな事は平気でするしさ、それに何より・・・」

「何より・・・? ・・・何です?」

合わす顔のない男、にしてみれば、その先が、とても気になったのであった・・・。

「・・・あるじゃん。」

「・・・へ?」

「あるでしょ?・・・尾骶骨。」

「あ・・・」

「あるでしょ・・・尾骶骨、ってモノが。」

「あ・・・ああ、まあ・・・有りますケドね。・・・確かに有りますけどね。・・・それが何か?」

・・・と、そこはあえて、男は堂々とトボけて見せたのだった・・・。

すると案の定、尻尾人間は、かなりムキになって、

「それが何よりの証拠じゃん。・・・動物だっていう。」

「それは・・・あの・・・」

どうやら・・・討論というか、口論では・・・動物、である筈の尻尾人間の方が、口でははるかに達者なのであった・・・。

そこで・・・というワケではないのだろうが・・・合わす顔のない男、はもう完全に開き直り、

「・・・じゃあ! こうしたらどうでしょう? 私が・・・顔のパーツを見付けて、元の位置へと、戻す代わりに・・・あなたはその・・・」

「何だい・・・!?」

もう顔なし男は完全に開き直っていて、

「その・・・尻尾を、取り外しては、もらえませんか?」

すると・・・その言葉を、文句を聞いた途端耳にした途端、尻尾人間、の顔付きはみるみる変わり・・・しだいに・・・仮面越しではあったのだが・・・青ざめ・・・ジリジリと・・・後ずさりをする様に・・・。

「さ。・・・早く。その尻尾を。・・・取り外して下さいよ?」

しかしどうやら・・・その尻尾、は無論の事、尻尾人間、という・・・名前自体がそうであったので・・・それが彼にとっての、アイデンティティであるばかりか・・・それが無いと、どうやら・・・

「・・・こ、これは・・・こいつが無いと・・・この俺は・・・空を・・・飛ぶ事すら・・・出来ず・・・ちょ、ちょっと待った・・・!」

「ちょっと待ったー、はナシで。・・・お願いします。」

するとどんどん、尻尾人間は、後ずさって行き・・・

「・・・チックショウ・・・! だから・・・! だから人間ってヤツは・・・! ・・・だいっキライなんだよぅ・・・!」

・・・と、言うが早いか、あっ!・・・という間に・・・元来た時の様に、尻尾人間は・・・尻尾を回転させながら・・・まるで脱兎の如く、去って行き・・・煌々と輝く、月の方向へと、飛び去って行ってしまったのであった・・・。

その様子を眺めながら、合わす顔のない男は、まるで他人事の様に、脳天気に、

「あーあ・・・だから・・・言わんこっちゃあない・・・。人間になんて・・・無理をしてまでなるもんじゃ無いのさ・・・」

・・・と、そうして又しても・・・顔のパーツを探す作業が・・・再開し・・・しかし、実のところ・・・刻一刻と・・・夜明けは近付いて来ており・・・。

その事にはまだ・・・呑気な彼は、さほど大して、気が付いてはいない様子なのであった・・・。



 ・・・合わす顔のない男、は、どんどんとウネウネとした、裏通りの、奥へ奥へと・・・。彼にしてみれば、何だか段々と嫌気が差してきたというか・・・もう何だか、どうにでもなれ、という気持ちの方が、徐々にではあるが、してさえきていたのであったが・・・。

そして、角を一つ、また一つと曲がり・・・ふと、

「・・・アレ?」

彼は、先程から何やら、何らかの、気配の様なものを背後に感じていたのだが・・・振り返っても、何も、誰もそこにはおらず・・・そうしておそらく、十数ヶ所目の角を曲がった路地の奥で・・・彼は不意にフェイントをかけて・・・立ち止まると見せかけて、咄嗟にクルリと回転して、背後を振り向くと・・・そこには、黒子の様な、全身にタイツの様な服を身にまとった、一人の男が立っていて・・・。

その男は、正体が判明してしまったからなのか、もう隠れる事はやめ、開き直ったかの様に、その狭くて暗い、道路の上にただ突っ立っていたのであった・・・。

すると、その男は、意外にもかなりフレンドリィな感じで、

「・・・いやあ・・・ご熱心ですなぁ・・・。ところで、探し物は、見付かりましたか?」

「なぜそれを知っているんです・・・? あなたは・・・いったい誰?」

その男は、またもや顔は不明なのであったが・・・真っ黒いストッキングの様な、布製のマスクの様な、物で顔も覆っていたのだった・・・。

「私ですか? 私は・・・影踏み屋、と申す者です。・・・正確には、代行、ですが。」

「・・・影踏み屋!? ・・・代行? 一体・・・私に何の用が?」

「まあ、用というか・・・これがわたくしの、仕事でありましてね。」

「仕事? 他人の後を付け回すのが・・・ですか?」

「付け回しているんじゃなくって・・・私の仕事はですね・・・ゴホン、」

と、その、影踏み屋(代行)は、一つ勿体ぶったかの様に咳払いをすると、ほんのちょっとだけ格好つけるかの様に、

「ええ、まあ・・・れっきとした、仕事です。・・・夜な夜な、主に裏通りを徘徊している人間の・・・」

するとそこで慌てて顔のない男は、

「・・・あ! 別に、徘徊している訳じゃないです。これには・・・ちょっとした、事情が御座いましてね。・・・極めて個人的なものなのですが。」

「ええええ・・・存じ上げてはおりますとも。・・・しかしながら、これは、私個人の考え、というよりは、会社としての方針、でありましてね。」

「会社・・・?」

「ええまあ・・・要するに、あなたの様に、何かしらの目的があって、深夜の裏路地を徘徊している人だとしてもです・・・」

「・・・だから! 徘徊じゃないんだってば!」

「まあまあ・・・社の方針と致しましては、まあ、手っ取り早く言うと・・・見分けが付かない事も多いものでしてね。・・・その両者が。過去にも・・・似た様な例で・・・ちょっとした行き違いと言いましょうか・・・そこからちょっとした・・・あ、これは極秘事項なので、あくまでも。」

と、影踏み屋(代行)は少しだけ声を潜めたのだが、

「・・・不祥事というか・・・ありましてね・・・。」

「へぇ・・・」

「・・・ですが。わたくしが入社する以前の話ですので・・・詳しい事は分かりませんが。・・・ともかく、そういったワケでして、今現在は、確認の為、念には念を入れて、後をツケる様にと・・・」

「・・・だから何で後をツケるんですか・・・!」

その影踏み屋(代行)は、恐ろしい程の真剣な澄ました表情で、

「仕事ですから。」

「ああ・・・なるほど。・・・。・・・!」

しかし次の瞬間、合わす顔のない男、がその路地裏を見回してみたのだが・・・ちなみに彼は、ほんの一瞬、おそらく一、二秒程下を向いただけだった・・・どこにも、影踏み屋(代行)、の姿は、いつの間にやら影も姿も形も無くなっていて・・・。

しかし・・・おそらくどこかで、彼の事を見張っている筈であり・・・やはり・・・プロは違うな、などと自分が後をツケられているというのに、妙に感心してしまうのであった・・・。


そうして・・・おおよそ・・・先程から路地という路地を、歩き回っていたので、殆んど時間の感覚が無くなりかけていたのだが・・・おそらくは、一、二時間・・・あるいは、もう少し正確に、一時間半、といったところだろうか・・・? ・・・ともかく、彼は歩き回り、足はもうすでに棒の様になり、そうして結局のところ、最終的には・・・袋小路へと・・・とどのつまりは、彼は行き止まりに辿り着いてしまったのであった・・・。

合わす顔のない男、は始め・・・あまりにもその近辺は暗くて、すぐには袋小路に辿り着いてしまった事すらも、気が付かなかったのであるが・・・。

彼がふと、上空を見上げると・・・ちょうどその時にはあれだけ美しかった月には・・・濃いグレーの雲が何重にもなって・・・覆い隠していたのだが・・・やがてそれもしだいに薄れて来て・・・ようやく、煌びやかな月とともに、光とある程度の明るさも・・・戻って来たのであった・・・。

そして・・・顔のない男がよく目を凝らして・・・目は依然として付いてはいなかったのだが・・・何とその袋小路の突き当たりの、一番奥の、ブロック塀の真下に・・・いくつもの、顔のパーツが・・・右目、左目、鼻、眉が片方ずつ、右耳、左耳、口・・・と、確かにそれは、合わす顔のない男、の‘所有していた’モノの様であり・・・彼はここで、普通ならば素直に喜ぶところなのだろうが・・・疲労感とともに、むしろなぜ、彼の身体の一部が、この様な所に落ちているのかと・・・訝って、結局は全く思い出せなかったのだが・・・しかしながら、彼はそれら、にゆっくりと近付いていくと・・・。

すると突然、おそらく先程の、影踏み屋(代行)のものと思われる、声のみ、がどこからか聴こえて来て・・・それはまるで悪魔か、もしくは正反対に、天使のささやきの様にも聴こえてしまったのだが・・・

「・・・オイ、アンタ。・・・早くそれを拾って・・・自分の顔、元あった場所に、取り付けたらどうだい・・・? なあ、早くした方がいいぜ・・・? もうすぐ・・・モタモタしてると、夜が明けちまうぞ・・・」

・・・などと言うので・・・合わす顔のない男、は、その袋小路の一番奥でしゃがむと、一個一個、顔のパーツを拾い上げ・・・そうして元有ったであろう、場所へと・・・。

・・・それらを無理やり、捻じ込むようにしてくっつけると・・・キュッ、キュッ、という様な、まるで真新しいフキンでステンレスでも磨く時の様な・・・そんな音がして・・・しかし結局は、どうやらそれらは、元のサヤ、へと無事収まった様なのであった・・・。

すると突然、・・・今までは殆んど感じる事の無かった、ツンとした、嫌な臭いがし始め・・・さらには口をほんの一瞬開けた瞬間に、汚れた空気でも入って来たのだろう・・・? ・・・喉が突然痛みだし・・・さらには、それまではあまり大きな音では聴こえなかった、騒音の様な、耳障りな音があちらこちらから聴こえて来て・・・彼は思わず眉をしかめ・・・そして・・・。

・・・彼の両目に見えた風景は・・・これまでとは一変し・・・薄汚く、恐ろしいほどに乱雑で、あちらこちらに無数のゴミが散らばる・・・おそらくその様な光景は、つい今さっきまで、ボンヤリとは見えていたのだろうが・・・どうやら、顔のパーツが元に戻った事で、余計に、いわゆる、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、痛覚、らが鋭敏となった様なのであった・・・。


しかし彼は、これで全てが元に戻ったのだと、不快感もおそらく、時が経つにつれて、薄れていくのだろうとあくまでも楽観的で・・・。・・・そうして、やはりあの、手首足首、の後を追う様に・・・例のとても魅力的な、もしかしたら顔のパーツが全て、元に戻った事で、その美しい顔も、拝めるのではないか・・・? ・・・などと、淡い期待も抱きつつ、背中女、のいた方向へと・・・向かうのであった・・・。


辺りはだんだんと・・・白み始め・・・もうすぐ夜が・・・明けようとしていたのだが・・・。



 ・・・合わす顔のない男、が勘と大してアテにならない記憶とを頼りに、背中女、のいたと思われる、場所へと向かうと・・・やはり薄鼠色のもや、の向こうに・・・微かにだが、一人の女性が立っていて・・・。

男がゆっくりと近付いて行くと、その女性は、黒い背中のパックリと開いたドレスを身にまとっていて・・・やはり先程の、背中女、で間違いはない様なのであった・・・。

そして、その近辺を男が見渡してみても・・・あの、手首足首の姿はなく・・・どうやら、果たしてデートをしたのやら、しなかったのやら・・・。

そして、合わす顔のない男、では、厳密に言えば、もうなくなっていたのだが・・・ややこしいので、あくまでもその名前で統一する事とする・・・が、女の、‘後ろ姿’に、

「・・・やあ、どうもお嬢さん。・・・先程は大変失礼致しました。・・・遅ればせながら・・・このわたくしも、ホラ、この様な、完璧な、姿にようやくなりましたよ?」

・・・と、男がまるで、勝ち誇ったかの様に言うと・・・その、背中女、は、

「・・・アラ? 随分と・・・時間の掛かりましたコト。他の方々は・・・」

男は途端に、不安になり、

「まさか・・? もうすでに・・・?」

「いえいえ・・・まさかですわ。このわたくしが・・・そう簡単に、デートをOKするとお思いになって?」

すると男は、頭を掻きながら、今度は明らかに、その顔のパーツで、やや照れ臭がっているのが一目瞭然なのであった・・・。

そして・・・

「もしよろしければ・・・無理にではないのですが・・・もう一度、こちらを振り返っては頂けないかと・・・」

すると、背中女、は意外にあっさりと、

「・・・もちろんですわ?」

と言い、

そうして・・・ゆっくりと・・・クル〜〜リ・・・と回転して・・・そして驚いた事に、先程とは違い、背中の裏側も背中、などではなく、まずは鎖骨の部分の真っ白い透き通るかの様な肌の上に、浮き出た血管の筋、が男の目に入り・・・さらには涼しげなほっそりとした首筋、そして・・・次第に、体の正面の、部分があらわになり始め・・・

「・・・!」

・・・次の瞬間、男の目に映ったものは・・・それは、合わす顔のない男、の期待をしていた様な、絶世の美女、などではなく・・・

・・・両目の間隔は離れて垂れ下がり、鼻はいわゆる、豚鼻、で、口も・・・ルージュの真っ赤な口紅で塗られてはいたものの・・・まるで一昔前の、ガマ口、の様な、おそらく今現在の物に例えるのならば・・・まるでラグビーボールを真横に倒して・・・それに丸みを持たせた様な・・・そんな形状をしているのであった・・・。

さらには、その顔の輪郭も、なぜだかウネウネと波打っているかの様な、その様な事が現実に果たしてあるのか?・・・しかしそこには、確かに、その様なものが・・・。

さらにはその顔の表面は、まるで月のクレーター、などと言うとありきたりかも知れないのだが、ゴツゴツと、もし月以外の物に例えるのならば・・・アリゾナだかユタだかコロラドだかの、岩だらけの砂漠に忽然とそそり立つ・・・あれはそう、確かモニュメントバレー・・・などという所に無数に存在する様な・・・岩の様にゴツゴツとしていて・・・これが大自然の風景ならば、さぞかし壮麗で、神々しかったのだろうが・・・それは生憎、大自然ではなく、若い女性の顔、だったのである・・・。

その様な、現実、を奇しくも見せられてしまった、男は・・・やや腰が砕けそうになりながら、後ずさりをするかの様に、腰が引けてしまい・・・

すると、女は、

「・・・アラ? ・・・一体どうしたのかしら? もしかして・・・わたくしの事を・・・何だか勘違いなさってらっしゃったとか・・・?」

すると男は、もはや笑うしかなく、

「・・・ハハ・・・いえいえ、決して、そういった訳では・・・」

と、今は顔のパーツが付いている分、そこには、嘘が書かれている、事が誰の目にも明らかであったので・・・

「これは・・・あなたを始め、世の男性諸君全員にご忠告しておくのですが・・・他人を、人間というものを、あまりルックスだけでは、ご判断なされぬ様に・・・。・・・お分かりですか? ・・・このわたくしの言わんとしている事が。」

「ええ、まあ・・・」

とだけしか・・・言うのが男には精一杯なのであった・・・。

そして女はまたしても、薄灰色の、もや、の中へと消え去る直前、最後に一言、

「一体わざわざ・・・どの面下げて・・・他人の顔色を伺うとは・・・まさにこの事かも知れませんわね・・・」

と、言いつつ・・・やがてまるで空気中に蒸発でもするかの様に・・・消えていったのであった・・・。


その場にただ・・・立ち尽くしていた・・・しかも力なく、肩を落として・・・合わす顔のない男、は・・・しかしその背後には、いつの間にやら、例の、影踏み屋(代行)がまた現れていて・・・男の耳元で、小さな声で、囁くのであった・・・。

「・・・いいんですか? もうすぐ・・・夜が明けますよ・・・?」

男はそこで、ハッと我に返り・・・しかし彼の顔は、パッと明るい灯が燈ったかの様になって・・・しかしそれとは全く対照的に、先程から男の事を上空から照らし続けていた、あの妖しい程に美しく、眩しかったお月様は、なぜだか急激にその光量を失っていた様で・・・かなりおぼろげに、もうすでに、水ででも溶けそうな程に、消えかかっていると言ってもいいぐらいで・・・。

すると、影踏み屋(代行)が、またしても男の耳元に、その黒づくめの顔を寄せて来て、

「そういえば・・・これは言おうか言うまいか正直、わたし的には少々迷うところもあったのですがね・・・」

「・・・なんです?」

しかしその様な言い方をされると、余計に気になってしまうのが人情、というヤツで・・・

「ええ、まあ・・・あなたには・・・影が無い・・・。・・・これは、影が薄い、とかいう表現とは、全く違う次元の、話というか・・・例えでしてね・・・」

「・・・それはつまり・・・?」

「つまりは・・・初めっからなのですが・・・あなたには、普通の人間ならば、地面に映っている筈の・・・影という物が・・・見当たらない・・・のですよ・・・! いやあ・・・人間の影を踏むという仕事に従事している・・・わたくしと致しましては・・・商売上がったりですよ・・・!」

・・・すると突如として、その言葉を残して、その影踏み屋(代行)は、いずこへと消え去り・・・

・・・すると突如として、辺りは一瞬で・・・まるで太陽が、ピンポン球かビーチバレーのボールが、打ち上げられて、空中で弾んで、フワフワと・・・サーブかボレーが放たれるのを、じっと待ち構えているかの様に・・・。

シュルルルゥ・・・と。



 ・・・おそらく、朝となっていた・・・。

例の、合わす顔のない男、の顔のパーツが落ちていた、路地裏の袋小路には、早朝だというのに、ちょっとした人だかりが出来ていて・・・その野次馬たちを払い退けるかの様に、制服を着た、ポリスマンたちが、彼らの前にしっかりと、立ち塞がっていたのだった・・・。

・・・そうして、その袋小路の一番奥の、ブロック塀の前では、おそらく警察の鑑識、と呼ばれる連中が、写真を撮ったり、何やらピンセットの様な物で、証拠の品、の数々をつまんで、ビニール袋の中へと、入れたりしているのであった・・・。

そしてそれらが、一体何なのかと言うと・・・なんと、一人の中肉中背、年齢は推定で30〜50歳位の、身元不明、住所不定、自称会社員、の男性の、バラバラになった遺体の断片なのであった・・・。

警察の見立てでは、もちろんの事、通常の、ノーマルな状態ではこの様な有り様になるような事はあり得ず・・・おそらくは、惨い事ではあるのだが、バラバラ殺人なのではなかろうか・・・? ・・・との事なのであった・・・。

そして・・・鑑識の人間たちによって、丁寧に、それらのカケラが一つ一つ、回収されていたのだが・・・まだその路地のアスファルトの上には、無数の人間の、男性の身体のパーツが、てんでバラバラに散らばっていて・・・中には、手首やら足首やら、無残に千切れた二の腕やら、足首から分離したのであろう、くるぶしのかけら、やらが・・・そして、顔のパーツもまだ幾つか散乱していて・・・そこいら辺には、目玉が一つ、何の違和感もなく、アスファルトの上に、無造作に転がっていたのであった・・・。

そして、その目玉は・・・実は目玉には、まだそれらの光景が辛うじて見えていて・・・その男の目玉の見ていた風景というのは・・・昨晩の、月明かりのギラギラとしたものとはまた少し趣きが違って見えていて・・・その目玉は、ギロリと・・・悪趣味な視線で見ている見物人たちや・・・中にはケータイで写真を撮っている者もいた・・・後でイン◯タにでもアップするのだろうか?・・・さらには、熱心に取材をする記者たち、レポートをするTVカメラの前に立つ、マイクを持ったレポーター・・・そして何名かの、私服を着た刑事らしき人物たちと、彼らの質問に答える、おそらくは、目撃者なのだろうか・・・? ・・・そして、その中には、男の目玉、にはほんの微かに、記憶の片隅に残っていた、女性の姿も・・・彼女は、刑事の質問に、何やら答えていたのだが・・・上着を羽織っていて・・・質問が終わり、自宅にでも帰るのか、クルリと背中を向けた途端、その上着が一瞬だけはだけて・・・下には背中の部分がパックリと開いた、黒いドレスが見えたのだが・・・しかしすぐにその女性は野次馬の中に紛れ込んで・・・見えなくなってしまったのだった・・・。


そして・・・その、最後まで風景が見えていた目玉も、段々と、見えていたものがボヤけて霞んできて・・・徐々に白く、全てのあらゆるものが、まるでもやの様に均一になっていき・・・すると突然、ちょっとした、チクリ、という感じの刺激と、フワッとした感覚が襲ってきて・・・どうやら、鑑識の人間に、ピンセットでつままれた様なのであった・・・。

そしておそらく、ビニール袋の中へと、入れられた様なのだが・・・その時にはもうすでに、その目玉には、記憶、あるいは自意識や自我、というものは途切れてほぼほぼ無くなっていて・・・ただの一個の、物、証拠品、遺留物として警察へと、運ばれる運命となっていたのであった・・・。


・・・そしてこれはあくまでも余談になるのだが・・・昨晩の月は、月齢で言うと0、いわゆる新月で・・・。


・・・改めて言うまでもない事なのかもしれないが、この世には、不可思議な事で溢れ返っているのであった。

おそらくはこの国だけではないのだろうが、世界中で、何事か失敗をやらかしてしまって、上司やら同僚やら、他人には、合わす顔のない、人間たちが・・・一人や二人・・・では済まなかっただろう。

そういった人物たちは、もはや他人に会う事さえ億劫に感じ、家に引きこもるか、もしくは大都会の片隅で、縮こまって身を潜めて、息を殺す様に、ひっそりと・・・そしてそういった人間が、ひとたび脚光を浴びる舞台というのは・・・決まって大概の場合、何かしらの事件やらに巻き込まれた時の事が、往々にしてあり・・・何とも不幸というか不運というか・・・ともかく、殆んどの人間たちは自意識過剰な程に、他人に向けて自分をアピールするものなので、それ以外の、決して隠れてコソコソ、という訳ではないのだろうが・・・合わす顔のない人間は・・・気が付くと、大袈裟な表現になってしまうのだが・・・人生の袋小路に入り込んでしまうのではないだろうか・・・?


しかしながら、そういった点に関しては、たった一人の考えや意見で判断出来るものでも、もちろん無く・・・。

・・・そうしてその日も、遺体があらかた片付けられると・・・野次馬もいつの間にやら、雲散霧消、一体どこから来て、どこへ行ってしまったのか・・・?


そしてまた夜になり・・・その晩も、なぜだか月だけが・・・ギラギラと輝いていたのであった・・・。

暦など、全く関係ないと言わんばかりに・・・。

そうしてその晩も、まるで電灯の周りに吸い寄せられる様に集まって来る、小さな虫たちの様に・・・どこからともなく、合わす顔のない、人々が、都会の片隅の裏通りへと、やって来るのであった・・・。


そうして・・・そういった気の毒な人間を、まるで励ますかの様に・・・煌々と照り付けるかの様に、妖しく光る月が・・・輝いて、見守っているのであった・・・。

・・・少なくとも、夜が、終わりになるまでは・・・。




終わり


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わたくしはどの様な顔をすれば宜しいのでしょうか? 福田 吹太朗 @fukutarro

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