19 真相

「マスク盗難騒ぎの事を聞きたいんです」

 待ち合わせた公園のベンチに二人並んで座った。落ち着きを取り戻したかに見える豊川さん。咲哉は率直に疑問を口にした。

「ああ…あれ」

 豊川さんは少し言いにくそうに、言葉を濁す。

「あれは、二階堂君じゃないんですか?」

 咲哉が想像を口にすると、豊川さんは観念したように頭を掻く。

「確かに、発案したのは清隆。あの頃のマスクの市場価格は異常やったから。慰謝料として、マスク盗んでやろうか?って。そしたら、きっと、川崎店長が責任を取らされるだろ、こっちはバレてもバイトをクビになるだけだ、なんて」

 探偵の推理は当たっていた。

 二階堂君がマスク盗難の犯人なら、それを知った田中さんに脅された可能性がある。だから田中さんを陥れたのか。

 自分から聞いた事なのに、鉛を飲み込んだように、気分が重くなる。俯く咲哉。

 二階堂君は、誰にでも優しい、非の打ち所がない好青年だった。そうであって欲しかった。

「けど、そんなん、どんな言い訳しても泥棒やん」

 意外な方へ向かう豊川さんの話。豊川さんの声は力強く、自慢気でさえあった。

「清隆は、そんな事はせえへんねん」

「でも…」

 そんなはずはない。

「その話を聞いて、実際にやったのは、莉奈ちゃん」

 咲哉の推理は完全に外れた。しかし、ホッとした。

「莉奈ちゃん、そういう無茶をするとこがあるから」

 田中さんの意外な一面を知る事となった。

「今思うと、生い立ちのせいなんかな、大人の前では小さくなってるけど、俺らと一緒におる時は、楽しそうにはしゃいでた」

 人生迷子中。まだまだ若者だと思っていた。けれど、田中さんにとっての咲哉は、自分を傷つける大人のひとりだったのだろうか。

「でもな、そのくらいの無茶はするけど、人殺しなんかでけへんねん」

 きっぱりと言う豊川さん。

「僕もそう思ってます」

 そう言ってベンチから立ち上がると、同時に携帯が鳴った。探偵からだった。

「もしもし」

 豊川さんとふたりでいると伝えると。そこで待っているようにと言われた。

 

 程なく二人の前に一団が現れた。探偵。二階堂君。岩崎さん。

 異様な空気が流れる。

「日野耕作を殺したのは私です」

 突然そう切り出したのは岩崎さんだった。

「いや、違います。それは僕です。渡辺栄一郎さんを襲ったのも、全て僕がやりました」

 そう言って、遮ったのは二階堂君だった。

 茫然とする咲哉。それ以上に色を失っているのは隣の豊川さんだった。

 長い沈黙が訪れる。沈黙を破ったのは探偵。

「私の推理を聞いてもらえますか?」

 拒絶する者は誰もいない。

「日野耕作が、執心していたドラックストアの若い店員、岩崎さんを襲った、あの工事現場に連れ込んで。しかし、アル中だ。足元も怪しい、抵抗して怪我を負ったのは、日野の方だった。怪我の程度はわからない。動けなくなったか、気を失ったか、あるいはその時既に致命傷を負っていたか」

 岩崎さんは俯いている。異議を唱えるつもりはないようだ。

「慌てて呼んだのは、警察でも、救急車でもなく、恋人の二階堂君だった。二階堂君は、現場にあった鉄パイプで、日野にとどめを刺し、遺体を隠して、岩崎さんを連れてその場を去った」

 淡々と話す探偵の穏やかな声音に、落ち着きを取り戻す咲哉。

 そんなはずはない。岩崎さんは当時コロナ鬱で、実家に戻っていた。瀬戸内の小さな島で、住民はみんな親戚みたいなもの。誰にも知られず抜け出せない。鉄壁のアリバイがある。そう言ったのは探偵だ。

 疑問の表情の咲哉に目を向け、答えるように頷く探偵。

「この事件に感じる違和感のひとつ。岩崎さんに用意された、完璧過ぎるアリバイだ。どうあっても、岩崎さんと事件を結び付けたくはないという意思を感じた。だとすれば、逆に、なんらかの関係があるという推論が成り立つ。それがどの事件かと考えれば、日野耕作の殺害だろう」

 日野耕作からセクハラ被害に遭っていたという岩崎さん。関わっていた可能性は考えられる。

「ならば、その鉄壁のアリバイに穴はないか?」

 投げかけられた質問に、頭をフル回転する咲哉。

「島をこっそり抜け出した…」

 咲哉の言葉に、能面のようにな探偵。

 もう一度知恵を振り絞る。

「殺害の時期…実際の犯行は、岩崎さんが島に帰る以前だった…なんて…」

 今度は、にっこり笑う探偵。

 正解だった。

「日野耕作が凶カードを受け取ったとされる日には、岩崎さんは既にいなかった。日野耕作が凶カードを受け取ったという出来事が、全て嘘だったとしたら」

 混乱する咲哉。当時の状況を思い返す。

 レジをしたのは田中さん。他に、二階堂君と波窪さんがいたはずだ。

「田中さんと二階堂君を犯人側の人間だと考えれば、いくらでも偽証はできる」

 しかし、無関係の波窪さんもいたのだ。そう言いかけて口を閉ざす咲哉。パチッと音を立てて、最後のパズルが埋まった。

「あのトラブルの件は、その場で責任者の波窪氏が事を収めたという報告があがっていた。あると思うか?」

 大きく首を横に振る咲哉。

 あるわけがない。

「日野耕作が凶を引いて暴れている。二階堂君がそう波窪氏に報告に行ったとしたら、彼は一目散に、トイレに逃げ込む。あるいは、今、手を離せないからと、どうでもいい用事を作ってその場を離れない」

 目に浮かぶようだ。

「無事に事を収めた旨を報告して、波窪さんの指示通りという事でいいですね?とでも言ったらどうなる?」

 得意気な波窪さんの姿が、さらにはっきりと咲哉の目に浮かんだ。

「昨夜は大変でしたよ。日野が大暴れで苦労しましたよ。とか、言うでしょうね、波窪さん、自分はなんにもしてないのに」

 誰もが、波窪さんの手柄は疑っても、トラブルの存在自体までは疑わない。その瞬間、虚構は、現実として皆の心に構築された。

「一切根拠のない自信とプライドだけは高い波窪氏だ。数日後には、自分で処理した気分になっている。今となっては、逃げた事などすっかり忘れて、自分の功績が事実として記憶されているはずだ」

 間違いない。

 プロのミステリーショッパーのスタッフ評価は正確無比だ。

 探偵の底力に心から感心する咲哉。

 二階堂君も諦めたような笑みを浮かべながら聞いている。

「遺体から家の鍵を抜きとった二階堂君は、部屋に侵入して、レシートや渡したとされる景品を持ち込んで、偽装工作をした。その前に岩崎さんを実家へ帰す。鬱だと言えば不自然ではないし、実際に鬱症状だったのだろう。日野の殺害に関わった時も、1年後の渡辺栄一郎氏の傷害事件の前、日野の遺体が発見された時も」

 そこまで言って大きく息を吐く探偵。

「それは全ては、田中さんが協力者だという前提の話ではある」

 波窪さんの人間性を利用したアリバイ工作が、スッキリと腑に落ちたせいで半ば解決した気分になっていた咲哉。実際は、わからない事だらけだ。

 マスコミがこぞって取り上げた狂気の連続殺人事件。デスカード殺人事件。

 そんな大きな事件の真実。一件目は事故。二件目はちゃんと通報していれば正当防衛で終わった話。あまりにも不釣り合いだ。その謎の中心にいるのは、田中さんの存在なのかもしれない。

「二階堂君。ようやく、君の実の父親の事がわかった」

 急に話の矛先が変わる。

「権力者を守るガードは恐ろしく固い。しかし、その権力を失うとボロボロだ。それでようやく情報が取れた」

 権力を失った権力者。ごく最近聞いた話だった。

 元文科相田中総一郎。田中さんの祖父。

「そうです。僕の実の父は田中聡一郎の長男、田中昭太郎です」

 静かにそう言う二階堂君。

 田中昭太郎の子。つまり、田中さんとは腹違いの兄弟という事になる。

 探偵が、事件の全貌をみるために確認すべき事実があると言ったのは、この事だったのだろう。

 雰囲気の違いから、まるで似ていないと思えたふたり。白い肌の質感。細身で長身のスタイル。言われてみれば共通点はある。

 予想外の事実。それでも、いくつかのパズルが咲哉の頭の中にはまる。

 二階堂君は神奈川県出身。お金持ちの愛人として囲われていたらしい母親。逃げるように京都へ引っ越して来た。以降病弱な母が苦労して二階堂君を育てた。

 一方何不自由なく育った田中さんは、小学生の頃までは明るい子供だった。父昭太郎氏のDVが始まったのは中学生から。

 DVを受けて育った昭太郎氏。一見スマートで人当たりの良い人物。しかし、他者への暴力で発散する事なしに、その体裁を保つ事は出来なかった。その暴力は愛人、あるいは愛人との子に向けられた。そしてとうとう耐えきれずに逃げ出した二階堂君と母親。その暴力を矛先は本妻の子、田中さんへ向けられた。

 DV被害者であるふたりの兄弟が、偶然同じドラックストアでバイトを始めたとは考えられない。

 以前見かけた下鴨神社のふたりの姿が、まるで別の風景のように咲哉の頭の中で再構成された。

「母が、もう自分は長くない事を悟って、父の事を教えてくれたんです。愛情がなかったわけでないので。どんな男でも、この世にたった一人の父ですし」

 淡々と語る二階堂君。

「母を散々苦しめた父ですから、会うつもりなどなかったんですが、少し興味がありました。のうのうと暮らしているんだろうと思うと、見たいような、見たくないような。こっそり調べていたら、苦しんでいる娘がいるのを知りました。僕の方が少し生まれが先なので、妹にになります。なんとか妹を助けてあげたいと思いました」


 どんなに助けを求めても救ってくれる人はいない。何をしてももみ消される。田中家にとって都合の悪い事実は、全てなかった事にされる。

 二階堂君と出会う前の田中さんは、絶望の淵にいた。

 そのうちきっと絶対君主である祖父の言う通りに結婚して、子供が生まれるだろう。けれど愛する自信はない。この先の人生を思う度に、気持ちは暗く沈む。やがて自殺願望を持つようになった。

 そんな時に訪ねてきたのが二階堂君。気力をなくした田中さんを懸命に励ました。そして、二階堂君のアドバイスに従い、大学の四年間だけ、京都で一人暮らしをするという希望を叶える事が出来た。卒業したらすぐに祖父の決めた相手と結婚する事を条件に。

 二階堂君は、この四年で田中さんが変わってくれる事を願っていた。誰に強制される事なく、自分の人生を生きる力を取り戻してくれる事を。

 田中さんは徐々に明るくなった。仲間と一緒にいる時は何もかも忘れたように楽しくはしゃいでいた。しかし、田中さんの心の傷は思った以上に深かった。

 功名な教育評論家の母親は、皮肉にも、愛情という物を知らない人だった。幼い頃から母の愛を受けられなかった田中さんは、むしろ父親にべったりだった。その最愛の父親からのDV。その衝撃は計り知れない。

 そして、祖父を頂点とするヒエラルキー。田中家の呪縛から逃れる事は出来なかった。

 卒業が近づくにつれ自殺願望が強くなる。

「楽しい思い出の中で死にたい」

 そんな思いを口にする田中さんを、必死でなだめる二階堂君。

 ある時から、田中さんは復讐計画を口にするようになった。田中家をもってしても、もみ消されないような大事件を起こす。どうせ死ぬのだから恐れる物はない。

 無差別大量殺人。

 荒唐無稽だった話が徐々に現実的に細部まで練り上げられていく。そんな危機感に苛まれていた頃、事件が起こった。

 店の悪質なクレーマー客、青木康男が、深夜、自宅である市営住宅の階段から転落した。その様子を豊川さんが目撃したのだ。偶然にも、その日来店していた青木康男が凶カードを引くトラブルがあった。

 凶カードを引いて死んだ。

 この時点で、二階堂君の頭に凶カード殺人事件のアイディアがぼんやり浮かんでいた。けれどまだ、計画という程の現実味はなかった。

 そんな時、日野耕作が岩崎さんを襲うという事件が起こった。逃れるために突き倒したら動かなくなったという。すぐに駆け付けた二階堂君。

 死んでいたとしたら、罪に問われるかもしれない。生徒防衛が認められたとしても、島で暮らす母はどうなるだろうか。自分の将来はどうなるのか。生きていたとしたら、怪我を負わされたと責められ、一生付き纏われるのではないだろうか。

 混乱の中、様々な思いにとらわれ、震えていた岩崎さん。冷静であれば、今すぐ通報するのが最善だとわかるはずだ。

 しかしその思いを消し去るように、二階堂君が日野耕作に取り返しのつかない一撃を加えた。

 探偵の推理通りの方法で偽装を施す。ここにデスカード殺人事件の大筋が完成した。

 コロナの影響もあって、遺体発見までに1年を要した。そのせいかデスカード連続殺人事件が大きな騒ぎになる事はなかった。

 卒業が近づき、時折不安定になる田中さん。

 大事件に発展させたい。そのためには、被害者がもうひとり必要だった。それが渡辺栄一郎さん。

 殺すつもりはなかったのだという。凶カードを引いた客が襲われたらそれでいい。

 運よく一命を取り止めたと思われた傷害事件は、運悪く大怪我を負ってしまったのだった。

 店のシステムに侵入して、防犯カメラの映像を傍受。レジに立つ田中さんとも連携していた。二階堂君の指示通りにカードを渡す田中さん。被害者を選んだのは二階堂君。

 酔って凄むように見えた中年の事が、子供の頃に暴力を振るう父の記憶とだぶって見えた。理由はそれだけだという。

 おそらく、最愛の母を亡くした直後の二階堂君もまた、平常ではなかった。

 リモート飲み会中だった二階堂君。恒例となっていた調理時間中に、画像を録画に切り替え、田中さんの白衣を着て、鉄パイプで渡辺栄一郎さんを襲った。


「大騒ぎになるのを待って、告白文を雑誌に送る。計画通り田中帝国が崩壊したわけだ」

 そう言って感心したように頷く探偵。

「それで田中さんは救われたのか?」

「どこがで、元気に、生きている事を願っています」

 顔色を変えずそいう言う二階堂君の本心はわからない。冷静に状況を分析するなら、日本海の波の向こうに消えてしまったと考えざるを得ない。

「生きていて、捕まったらどうする?無実の殺人犯だ」

「その時は、僕が出頭します」

 じっと二楷堂君を見つめていた岩崎さんが、怯えた目をする。

「このまま、見つからなかったら?」

 探偵と咲哉を交互に見る二階堂君。

「通報されたら、逃げるつもりはありません」

「だろうな」

 二階堂君の返事に納得した様子の探偵。

「いつから、うちの相棒がスパイだって知ってった?」

 ちらりと咲哉の顔に視線を送る二階堂。

 相棒ではない。そこは無視するとして、話の展開が読めない。

「リモート合コンに誘ったのは、真実を知って欲しかったんじゃないのか?」

 急に明るい笑顔が二階堂君に浮かぶ。

「本城さんが外で柳生さんと話しているのを見たんです。柳生さんの事は昔から知っていました」

 ブラックリスト客Jと教えてくれたのは二階堂君だった。その頃から素性を知って警戒していたのだろうか。

「酷い父親でしたけど、当時は、金銭的には十分な援助を貰ってました。だからから、高機能のパソコンや機材を揃えてもらって。そんな僕みたいな子供にとって、憧れの人ですよ、あの人は」

 ぼんやりと、咲哉の頭にボサボサの頭が浮かぶ。

「スーパーハッカー柳生鋼」

 ただの風呂好きのではなかった。

「元京都府警の刑事で探偵のお兄さんと、親しくしている本城さんが、あの本城夫婦の息子さんだったと知った時は、さすがにびっくりしました」

 豊川さんに、咲哉を信用しろと伝えていた二階堂君。素性は全て知られていた。

「罪を犯したら、裁かれるべきですよね…」

 力なくそう言う二階堂君。柳生兄弟にその罪を暴いて欲しかったのだろうか。

 泣きだしそうな岩崎さん。ずっと方放心状態の豊川さん。

「我々は警察ではない。雇い主たるドラックパピヨンにとって、損害が少ない結末で、ほっとしているところだ」

 そう言うと、咲哉に目で合図をし、トレンチコートを翻して回れ右をする探偵。速足で歩き出すその後ろ姿。慌てて追いかける咲哉。

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