18 疑惑
事件と、そこから派生した様々なニュースが、まだまだ、ワイドショーを賑わせていた。
テレビから聞こえてくる元同僚の悲しい行く末に、耳を覆いたくなる咲哉。
田中さんが運転していたらしい車が、日本海側、海辺の空き地で乗り捨てられているのが発見された。
それ以来、田中さんの消息を告げるニュースはない。
田中家への激しいバッシングと、おそらくもうこの世にはいないであろう犯人への同情が、世論の主流となった。
その舞台となったドラックストアパピヨン京都13号店への世間の興味は、徐々に薄れていく。ただの安っぽい舞台道具のひとつであったみたいに。
そろそろ営業を再開するという情報が咲哉の元にも届いた。
なんだか複雑な心境の咲哉。小骨が二三本、まだ喉に刺さったままのような不快感が残っている。
久しぶりの白衣。レジに立ち、しみじみと店内を見回す咲哉。
相変わらず、忙しそうに走り回る沢田さん。
「久々の営業で、機械はいろいろおかしなっとるし、やる事あり過ぎで死にそうや」
そう言いながらも、清々しい顔。久々の自店出勤のせいだろうか。いや、梅木さんが無事退職したせいだろう。
幸か不幸か梅木さんは生きている。先程、制服を返すため、菓子折りを持ってやって来た。
僅かに頬を引きつらせながらも、これからは悠々自適だと言いたげな、無駄に勝ち誇った笑みを残して去って行った。
結局、梅木さんの凶カードは、結局連続殺人事件とは関係がなかったようだ。田中さんの告白にも登場しなかった。
梅木さんの2枚目の凶カード。あれは梅木さんの所業をあんまりだと思うスタッフからの、ただの純粋な嫌がらせだったに違いない。咲哉の仕業と同じ。
勝山さんも、久々の自店での情報収集。楽しそうだったり、なんだか深刻そうだったりしながら、おしゃべりしつつ働いている。
市井さんも自店に戻って幸せそうだ。少し痩せたように見えるのは他店での気苦労のせいだろうか。いつでも何処でも誰より一生懸命だけれど、人見知りで不器用な市井さんは、慣れない店では、誰より空回りする。
みんな戻ってきた。
これを機に人事の見直しがあるかもしれない。みんなの僅かな期待を裏切り、残念ながら波窪さんも戻ってきた。
相変わらず恐ろしく暇そうだ。
「いらっしゃいませ」
人の気配に慌てて前を向く咲哉。
「ひどく心が沈んだ夜に、君ならどんな酒を選ぶ?」
性懲りもない。
下戸の探偵の気取った顔に、適切な返答を捜し当てた咲哉。
「発泡酒で十分だと思います」
久しぶりに見る探偵の顔。
事件は終わった。安心と鬱屈が同時に頭をもたげる。
少し心外そうに眉を顰める探偵。
「なんだかスッキリしない顔だな?」
辺りを見回す。誰もいない。
「本当に、あれで終わりなんですかね?事件」
ひとつ息を吸い込む探偵。
「我々は警察ではない」
何度か聞いたそのセリフが再び探偵の口から出る。
「あれで終わってくれたお陰で、被害を最小限に留める事が出来た」
「クビにならなかったんですね、ミステリーショッパー」
再び眉を顰める探偵。
「ひとつスッキリさせてあげよう。あそこのお嬢さん」
そう言って探偵の指さした方向には市井さんがいた。
「1年前の凶カード騒動の時、凶カードを真剣な表情で、じーっと見つめていた」
当時はまだ、カードが連続殺人事件に関わるなどとは誰も思っていない。バイトの子達が面白がって持って行ったという話は勝山さんから聞いた。
「挙動不審だった」
挙動不審なのは市井さんの標準仕様だ。それはミステリーショッパーの探偵も知っているだろう。それでもあえて言う挙動不審。想像を絶する挙動不審。
「当時のパワハラ店長。川崎氏が上司からの退職勧告を早々に受け入れた理由の一つは、凶カードを鞄に入れられたせいだ。怖くなったようだ。パワハラするようなヤツは、総じて心が弱い」
川崎店長にパワハラを受けていた沢田さん。そこから救ってくれたからと、パワゴリ君に恩義を感じていた。だから、多少の理不尽も飲み込んで懸命に働いていたのだ。確かにパワゴリ君が辞めさせたのだろうけれど、それだけではなかった。川崎店長に悪意を抱き、凶カードを鞄に忍ばせた誰かがいた。
市井さんは川崎氏のその後を気にしていた。なんとか暮らせていると知って心底ほっとした様子だった。
そもそも沢田さんがパワハラを受けたきっかけは、市井さんを庇っての事だった。
市井さんは、慕っている沢田さんが梅木さんのイジメの標的にされて、酷く心を痛めていた。
いくつかの記憶が蘇る。並べてみると一つの物語が出来上がる。最後のピースが綺麗に嵌った。
梅木さんは二枚の凶カードを鞄に入れられた。ひとつは咲哉。そしてもうひとつ。
「市井さんだったんですか」
川崎店長の鞄に凶カードを入れた市井さん。気持ちは手に取るようにわかる気がした。
天罰が下ればいいのに。
それは、きっと、ほんの小さな嫌がらせだったのだろう。しかし、それが命を奪うまでの禍々しいカードだとしたら、酷く怯えたいたに違いない。だから川崎店長が無事に働いている事を知って、心底ほっとしたのだ。
いいひとには変わりがないが、咲哉が思った程の神仏のような善人ではなかった。少なくとも、命までは取らない、職を追われる程度と知れば、性懲りもなく次の宿敵の運命をカードに託すくらいには。
懸命に働く市井さんの姿が目の端に映る。咲哉の中で密かに親近感が芽生えた。
「いらっしゃいませ」
新たなお客さんがレジに来る。さっきま人気の無かったレジ前。あっという間に列が長くなった。気付いた時には探偵の姿はどこにもなかった。
仕事を終えて、ぼんやり歩く咲哉。
今日は短時間だったせいか、久しぶりの割に疲れはない。もう少し体を動かした方が体に良い。そんな事を思いながら遠回りをする。気付くと田中さんのマンションの前に来ていた。
一時張られていた規制線はもうない。外からは窺いようのないあの部屋。今なら安く借りられるのだろうか。必要もないのにそんな事を考えながら見上げる。
「本城君?」
あまり聞き覚えのない声が遠くから聞こえた。声の方向に目をやる。見覚えのないシルエット。しかし顔は分かった。二階堂君の兄貴分。リモートで話をした豊川さんだった。少し速足でこちらに来る豊川さん。
「豊川さん。帰ってきたんですか?」
探偵の資料を思い出す。豊川さんの祖父が、まだ市営住宅に住んでいるはずだ。
「うん…」
少し歯切れが悪い。しばらくふたり黙ってマンションを見上げる。
「俺は知ってる…莉奈ちゃんは、人殺しなんかしないと思うんや」
咲哉の中にも疑う気持ちは確かにある。一緒に働いた田中さんが殺人鬼だとは思えない。思いたくない。しかし警察は断定している。それが現実だ。
「信じられないですよね」
同調するように呟く咲哉。豊川さんは思いつめた様子で首を振る。
「清隆が言ってた。本城君達の事は信頼していいって」
突然褒められる。急な話の転換に戸惑う咲哉。しかし、そこまで言ってもらえる程、二階堂君とは交流があるわけではない。
”達”とは何を意味するのか。事件に関してチームと称するなら、探偵の事だとしか思えない。二階堂君は何を知っているのだろうか。
「俺は知ってるんや。清隆は莉奈の意思を尊重したいって言うけど、やっぱり違うもんは違うんや」
少し興奮したように、豊川さんの語気が上がる。
「莉奈ちゃんはやってない。少なくとも最初の青木康男の件はやってない」
断定的な言い方にただ事ではない空気を感じる。途端に心臓が跳ね上がる。
青木康男は豊川さんと因縁のある人物だ。
万引き常習犯の妻が、その犯行を見咎められた腹いせに、豊川さんを痴漢扱いした。その後も豊川さんは、事あるごとに青木家の人間には酷い仕打ちを受けたそうだ。そんな豊川さんなら何かを知っているのかもしれない。
「目撃したんや。あの夜、酔ったアイツが足を滑らせて、階段から転落した現場。あれは完全に事故なんや」
意外な告白に言葉が出てこない。
「助けにも行かんかったし、救急車も呼ばんかった。誰かが殺したんやとしたら、俺や。即死やったと聞いてほっとしたけど、喧嘩の絶えない家族やったから、あいつらが冤罪で疑われたらええねんって、そう思って警察にも言わんかった」
リモートで話した時、連続殺人事件を偶然だと言い切った豊川さん。少なくとも3つの連続殺人事件でない事は知っていたのだ。
「その事は誰が知っていたんですか?」
「清隆と麻衣ちゃんと莉奈ちゃん」
二階堂君と岩崎さん、そして田中さん。
勝山さんが苦労を共にした仲のいいバイト達と評した彼らには、大きな秘密と、想像以上の結束があったに違いない。
「やっぱり、本当の事言うべきやろうか?」
抱えた秘密が重過ぎたのか、荷を下ろしたくて、縋るように目の前の咲哉を見つめる豊川さん。
「僕には、信頼出来るツテがあります。少し考えさせて下さい。また連絡しますから」
頭に浮かんだのは、時々癪に障るけれど、どこかで信じられるトレンチコートの後ろ姿だった。
豊川さんとは田中さんのマンションの前で、連絡先を交換して別れた。家に戻ると原付バイクに乗って走り出す咲哉。
堀川通を北へ。辟易しているのも事実。頼りにしているのも事実。本心は自分でもよくわからない。
柳生探偵事務の扉を開けると、予見していたかのように、目の前に見慣れたトレンチコートが立っていた。
「おかえり」
それだけ言って、咲哉を招き入れる探偵。
帰ってきたわけではない。そんな突っ込みを入れる心の余裕はない。前回と同じソファーに座る。既に珈琲の匂いがする。
「田中さんは犯人じゃないかもしれません」
目の前に出されたコーヒーをブラックのまま一口飲み、意を決してそれだけ言う咲哉。
無言で探偵もコーヒーカップに口をつける。味わうように目を閉じ、そしてようやく口を開く。
「私もそう思う」
予想外にあっさり同意されてしまう。逆にうろたえる咲哉。
気を取り直して、先程の豊川さんとのやり取りを報告する。
特に表情を変える事もなく聞いている探偵。もう一口ゆっくりコーヒーを味わってから説明を始めた。
「鋼から二階堂君のパソコンのデータの分析が上がってきた」
そう言えば、天才ハッカーの鋼さんからは、正式には風呂の感想しか聞いていない。
「鋼が感じた違和感の正体。二階堂君が、隠したいけど、隠さなきゃいけないけど、どこかで見てもらいたいと思っているデータ」
そう言ってファイルを咲哉に渡す探偵。中には写真が数枚入っている。どうやら店の防犯カメラから抜き出した写真のようだ。
「第三の事件当夜、防犯カメラの映像の一部だ」
客とした訪れた渡辺栄一郎さん。レジの田中さん。他に田中さんが映った写真が何枚か。市井さんや波窪さんが映っている物もある。
「あの時の映像が残っていたんですか?二階堂君のパソコンに」
犯人が細工して消去したと思われるデータだ。
「そういう事だ。この画像からふたつの事がわかる」
「ふたつ?」
大きく頷く探偵。
「ひとつは、田中莉奈には犯行は不可能だという事」
第一事件に続き、第三の事件でも田中さんは犯人ではなかった。
「もうひとつは?」
「そう、この、ぼーと突っ立ってる、頭の悪そうな、薄毛のショボい天パの男」
波窪さんを指さす探偵。姿形の形容が容赦ない。
「これがこの時唯一の正社員で責任者だ。人相の悪い客が凶を引いて、いかにもトラブルになりそうな、その瞬間から、俊敏に動いてトイレに入って、客が帰ってから、何食わぬ顔で出てきた」
体から力が抜けていくのを感じる。事を収めるために前に立ったのは、準社員の市井さんだ。仕事量と気苦労は倍以上で、給料は半分以下。
「絶妙のタイミングで急速に腹を下した、と、思えたらいいですけど…」
「世の中不条理な事だらけだ。正攻法ではどうにもならない事はたくさんある。それでも、そんな人達を助ける事が出来る仕事がある」
思わず、目を見開き顔を上げる咲哉。
「柳生探偵事務所、よろずお助け課が新設された」
嫌な予感しかしない。
「伝票整理もお願いしたい」
伝票整理に明け暮れる未来が、ぼんやり目の前に見えた。
「あと一つ確認する事がある」
悪徳スカウトマンの顔が急に引き締まる。
「その確認が取れたら、事件の全貌が見えてくる、かもしれない」
結局、結論はおろか、推論も聞かせてもらえぬまま、柳生探偵事務所を後にした咲哉。
ただ、事件は報道されている物とはまるで違うという事だけは確かだった。
机に向かい、判明した事実を書き記す。
二階堂君のパソコンから、田中さんの冤罪の証拠が出てきた。二階堂君が事件に関わっているのは間違いない。
第一の事故の件。第三の殴打事件。そして第三の事件と同じ凶器が使われた第二の殺人事件。全て田中さんの告白とされる内容とは違っている事になる。それを知っているはずの二階堂君は事実を隠している。
単純に考えるなら、二階堂君が犯人で、田中さんを連続殺人鬼に仕立て上げ、罪を着せた。
だとすると、田中さんは自殺する理由がない。これも自殺に見せかけて殺したとする方が自然だ。
全く考えられない。そんな事があっていいわけがない。
仲良しと評されるバイト達。だから豊川さんの秘密も共有していた。
ふと以前下鴨神社で見かけた二階堂君と田中さんの姿が脳裏に浮かんだ。
後にも先にもあの一度だった、咲哉が見た田中さんの満面の笑顔。それに反して二階堂君は渋い表情だった。
なんだか、直感的に見てはいけない物を見た気がして、声をかけることも出来ずにその場を去った。
あれは何だったのか。
田中さんは二階堂君が好きだった。二階堂君は岩崎さんと恋人同士。
言い寄られていた?
それくらい、よくある事だろう。
脅されていた?
あるわけがない。
そう思いながら、ひとつの可能性が咲哉の頭に浮かぶ。
マスク盗難騒動。豊川さんのために、二階堂君が行った可能性がある事は、以前探偵と話をした。正義の報復としての犯罪。二階堂君のキャラクターにそぐう。
そして、防犯カメラの映像をチェックしたのが、手が回らない沢田さんに頼まれた田中さんだった。嫌な役割をさせてしまったと、後悔していた沢田さんの言葉を思い出す。
二階堂君の犯行を知った田中さんが二階堂君を脅す。それを盾に交際を迫る。心を病む二階堂君の恋人、岩崎さん。
そんな映像はまるで現実的ではなく、決して頭には浮かばない。咲哉の知る誰のキャラクターともそぐわない。けれど筋は通る。
青木康男の転落事故を知る。青木康男は偶然凶カードを引いていた。
その事実を利用して、岩崎さんに執心している性犯罪者の日野耕作を殺害する計画を立てる。連続殺人に見せかけるために、日野耕作にあらかじめ凶カード引かせる。
それで一旦終わっていた事件が再び動き出す。
再び心を病む岩崎さん。それは日野耕作の遺体が発見されたせいではないか。
再び平穏を取り戻すため、事件を終わらせなければならなかった。
そこで、マスク盗難事件で脅迫してきた田中さんを、狂気の殺人鬼に仕立て上げる事にした。そのために新たな殺害に手を染める。それが凶を引いた渡辺栄一郎さん。
そして、田中さんを自殺に見せかけて殺す。
考えれば考える程、禍々しい想像が現実になるような気がして心が塞ぐ。
出来る事をしよう。
豊川さんに連絡を取り、翌日の約束を取り付け、今夜はゆっくり休む事にした。
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