14 京都13号店最後?の日
出勤するとスタッフが集められた。波窪さんをレジに残し、八峰店長と沢田さんと勝山さん。
店長からの注意事項。今後マスコミから声をかけられる事があるかもしれない、その際、くれぐれも軽々しく発言する事がないように。本部から厳しい指示が出ているらしい。週明けにはマスコミが大騒ぎを始めるらしい事が、探偵から本部へ伝わっているのだ。
大きく頷く勝山さん。その自信満々な表情が何より疑わしい。
一拍あけて、さらに厳しい表情を作る店長。
「今日、僕は早番なので夕方までです。それ以降の責任者は沢田さんです。責任者の指示に従えない人は、この店で働いてもらう事はできません」
それは明らかに梅木さんを指している 。本人は休みだけれど、ミスターコンプライアンスの宣戦布告。梅木さんを切って沢田さんを守るという決意表明だ。パワゴリ君と違って、あくまでも法律の範囲内で。
「それでは、今日も頑張りましょう」
持ち場へ戻りかけたところで、店長が沢田さんを呼ぶ声がした。
「僕は沢田さんの印刷POPは素晴らしいと思ってます」
梅木さんのグループラインでの嫌がらせを、店長も嫌な気分で見ていたようだ。
速足で咲哉を追い越していった沢田さんの横顔。僅かに目が潤んでいるように見えた。
時間はかかるかもしれない。けれど、きっと、八峰店長の元、店は良い方向に変るに違いない。そう思える一日の始まりだった。
一日の始まりは爽やかだったけれど、仕事は過酷だった。
倉庫整理を命じられた咲哉。搾れる程の汗が白衣の下のTシャツを濡らしている。手伝いを付けるという店長の配慮を敢えて断ったのは、事件の手がかりを見つけられないかという小さな野望があったからだ。
それにしても、倉庫は酷い有様だ。理由はわかっている。人事異動以来、毎日の業務をこなしていくだけで手一杯だった。
働き者の店次長杉浦さんと、働き者のビューティースタッフ桃田さんがいなくなった。そして、雑用などには絶対手を出さない梅木さんがやってきて、本来店次長のポストに繰り上がるには十分過ぎる勤続年数の波窪さんは、その自覚に目覚める気配は微塵もなく、むしろ畏怖の念を抱く程に、首尾一貫して働かない。
「本城君、大丈夫?しっかり水分取ってるか?」
なんとか片付いたのは、店長が5回目の様子見にやって来た頃だった。
「おお、綺麗になったやん。ありがとうな、本城君、助かった」
「いえ…」
笑顔で出て行く八峰店長。褒めて育てるのがミスターコンプライアンス。締め上げて働かすパワゴリ君。対極の手法。
結局捜査の手がかりはなし。
細かな整理をしながら、汗がひくのを待つ。休憩までの時間は店内の棚のメンテナンス。棚の向こう、雑貨コーナーから穏やかな店長の声が聞こえてきた。
「どこか難しいとろこがあるかな?」
「いいえ」
緊張感のない声で答えるのは波窪さん。
「昨日も、ここの棚替えをお願いたと思うんやけど、なんで出来んかったんかな?」
「ああ、昨日は忙しかったんで」
「ん…そっか…」
波窪さんに忙しい事などない。店長も同意見だと思う。
「今日は作業に、念のため2時間取ってあるから…出来るよな?」
「キャキャキャ」
何故か可笑しそうに甲高い声で笑う波窪さん。
そろそろ限界かもしれない。
「店長、電話です!」
呼ばれてその場を離れていく店長。その後ろ姿、背中が小刻みに震えている。
波窪さんはアルコール担当だった。しかし本来アルコールは専任で担当する程の仕事量はない。重量があるので、主に男性スタッフが片手間に見ていれば十分だ。
人の能力には差がある。それは仕方がない。出来る人も出来ない人も精一杯、同時に、楽しく働く。それが店長の方針。そして、出来ない人を見捨てる事なく、出来るように育てるのが上司の仕事。就任の挨拶をした時の店長の目は、そんな決意を感じさせた。
店長は、波窪さんをアルコールと雑貨の担当にした。十年変わらなかったベテランが、今更成長するとは思い難い。しかし育てようという店長の闘志だけは伝わった。当初は…。
「あいつ、また、放って帰りやがった…」
背後で、沢田さんのささくれだった声。
波窪さんがアルコールの品出しをしなかったのだろう。毎度の事なので検討がつく。
「僕、やってきます」
沢田さんのささくれが悪化しないように、駆け足でアルコールコーナーに向かった。
先入れ先出し。冷やす缶。まとめて積む段ボール。要領よくケースを動かす。アルコールを抱えた数は、既に波窪さんの十年分を超えているかもしれない。
「ごめんな。手伝うわ」
そう言って沢田さんがやって来た。
「いいですよ。僕ひとりでやれますから」
「そやけど、今日はずっと力仕事やったやろ?」
その思いやりが嬉しい。
「あいつ、店長に雑貨の棚替えを、どうしても今日やれって言われたからって…だからアルコールの品出しは今できひん言うたくせにやで…」
ケースを持ち上げて息を切らす沢田さん。
「しかも、30分で出来る棚替えを2時間もらったくせにやで…」
咲哉の頭に念押ししていた店長の声が浮かぶ。見てはいないけれど、懇願するような表情までもが浮かんだ。
「品出しは手も付けてへんのに、棚替えも出来てない」
予想通りの展開だった。
「なんで、雇ったんですかね」
素朴な疑問を口にする。
「そやねん、そこやねん、見たらわかるやん。性根腐ったヤツやん。奇蹟の一枚の静止画やったらわからんかもしれんけど、動画で三十秒観察したらわかるやん!なんで雇ってん!」
ヒートアップする沢田さん。その姿に、傷ついた心が、少しは回復したのではないかと、妙に安心する咲哉。
「笑い事ちゃうで!」
「いやいや…」
誤魔化すように話題を探す。
「24時間営業が始まった頃は、誰でも雇ったって聞きましたよ」
履歴書に名前が書ければ採用だったという、当初の深夜営業のスタッフの話を思い出した。
「ああ、あの頃はそうやったわ。一緒に仕事する事はないけど、すれ違ったら臭いしてくるヤツおって、たまらんかった」
臭いと言われ鮮明に脳裏に浮かぶ巨体。思わず聞いてしまう。
「郷田さんですか?」
考え込む沢田さん。何故知っているのか。聞かれたら答えに窮するところ。
「どやったかな、私、人の顔と名前覚えるの苦手やねん」
気まずそうにそう言う沢田さん。結構、細かい事は気にしない。
「でも、本城君の事は覚えたで。ちゃんと働いてくれるやん。白衣着て店におったら絶対わかる」
自信満々な沢田さん。それは名札のせいではないか。少し寂しいので言いかけてやめる。命を救ってもらった事は、いまだ思い出してはもらってない。
「郷田さんってどんな子?」
話が戻って慌てる咲哉。
「マスク…マスク騒動の頃。マスク盗難騒ぎの犯人だって…確かそんな話、聞きました」
目を見開く沢田さん。不味い話だったかと身構える咲哉。
「そうなんか…良かった…」
何故か、ほっとしたような沢田さん。
「私、調べろって言われてん、パワハラの川崎店長に」
余程の事なのか、さっきまでしきりに動かしていた手が止まる。
「川崎店長は、育ちの悪いバイトの貧乏学生の仕業ちゃうか言うてさ」
忌々しそうに眉根を寄せる沢田さん。
「アイツは自分より良い大学行ってるのが腹立つから、嫌がらせで言うてるだけやねん。むっちゃ腹立つやん。だから、うちのバイト君達は、絶対そんなことしません!って啖呵切ってもうてさ。自分で調べれば良かったんやけど、防犯カメラ見てるような時間ないから、田中さんに頼んでもうてん」
大きく息を吐き。再び作業を始める。
「もしも、万が一の事があったら、田中さんにも酷な事やし…良かった、あの
名前を覚えるのが苦手な沢田さん。郷田さんを“臭い”と命名する。
雑然としていた売り場が片付く。これで店内もすっきりした。
沢田さんの指示に従い、雑用をいくつか終わらせて、そろそろ退勤。
明日からまた頑張ろう。久々の決意を込めた明日。
そんな明日は来なかった。
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