15 第三の被害者を見舞う
古都が恐怖に震える!
スクラッチカード連続殺人事件!
デスカード!“凶”を引いた人々が次々殺される!!
猟奇殺人!
サイコパス!
狂気の殺人鬼!
禍々しい文字が並ぶ見出し。
とうとうマスコミの大騒ぎが始まった。
ドラックパピヨン京都13号店は、押し寄せるマスコミと野次馬に対応できず、急遽臨時休業となった。
正社員、準社員は別店舗に応援。パートアルバイトは自宅待機。
新聞。雑誌。テレビのワイドショーまでが、事件を大々的に取り上げた。
当然ネットでも情報が行きかう。表のメディアでは深く掘り下げられなかった被害者の個人情報が、次第に拡散されていった。
傷害、婦女暴行の前科。詐欺まがいの会社乗っ取り。被害者の悪評。コンビニで店員を脅す動画。被害者に強姦されたという女性の証言までもが出てきた。
お客様は神様。そんな幻想に虐げられ続けた小売店のスタッフ達が、怒りの叫び声をあげ始めた。
カスハラは裁かれて当然。
犯人は正義の味方。
ドラックパピヨン13号店のヒーローは誰なのか。
加熱する報道は、スタッフのプライバシーにも及び始める。
近所のショッピングセンターで食料と文庫本を買いだめして以来、しばらく外には出ていない。インドアな咲哉がそろそろ体を持て余し始めた頃だった。
静かな部屋に携帯の音が響いた。
「下に来ている」
柳生順平、探偵だった。強引な誘い口に、何故か少しほっとする。
「今行きます」
いつもの鞄に携帯と財布を入れる。急いで外に出る。エレベーターで1階へ。目の前にフィアットを見つけ、迷わず助手席に乗り込む。
「今日はどこへ?」
挨拶もそこそこに、目的を確認する。
「病院だ」
意外な答えだった。
「第三の被害者、渡辺栄一郎が目を覚ましたらしい」
「助かったんですね」
「そういう事だ」
車は堀川通を柳生探偵事務所の近辺まで北上。さらに北へ。
「病院はどこなんですか?」
「京都先端医療研究所附属病院」
名前は聞いた事がある。セレブ御用達のイメージだ。
「この病院は、京都帝国の影のドン、市長も財界も仏教界も逆らえないご存じ東堀川家の持ち物だ」
京都在住歴の短い咲哉は、まったくもって存じ上げない。とにかく京都の偉い人の病院なのだろう。
「知らないかもしれないけど、ちょっと特殊な病院だ。渡辺栄一郎氏は容体が落ち着いた時点で転院したらしい。救急で運ばれたのならともかく、わざわざ転院とは、研究に値する特殊な症例か、何かコネを持っているか」
考え込む探偵。
「業績不振で自殺を考えていた経営者に、そんなコネがあるか…」
そう言ったきり再び黙り込む探偵。
随分北に走って来た。駐車場に車を止める。わずかに高度が上がった気がする。少し肌寒い。
広い敷地の全貌は見渡せない。目の前の大きな白い建物が、病院だった。
総合案内を通り過ぎ、長い廊下を右へ左へ、スタスタと迷いなく歩く探偵。その後ろを付いて行く咲哉。
エレベーターに乗り込む。行く先は5階。
「詳しいんですか?この病院」
「何度か来た事はある。北山の豪邸の奥様のかかりつけだしな」
やんちゃな猫の兄弟の飼い主だ。
「こうして病院に潜入できるのも、奥様の取り次ぎがあってこそ。猫探しをなめちゃいけない。世の中人脈だ」
確かに幅広い人脈を思わせる探偵。そこには大きく敬意を抱く。
エレベーターの到着を告げる機械音。目の前に病棟の受付。
「柳生です」
受付の女性にそう告げる。二言三言言葉を交わし、パスカードを受け取る探偵。
通路の向こうは、空港の検査場のようなスペース。物々しい装備。歩く度、センサーらしき物が光る。凶器からウイルスまで、危険物は持ち込ませない。
全ての検査をパスして検査場のバーが開くまでには、結構な時間がかかった。
病棟は真新しい商業施設のようで、明るい陽射しが差し込み、清潔で広々として開放的だ。
目的の部屋。想定通りの立派な扉の個室。
訪ねる相手は連続殺人事件の被害者。警察の見張りでも立っているのかと思っていたが、そんな気配もない。
ノックをする探偵。
「開いてます、どうぞ」
意外にも、明るい女性の声がした。
中に入る。ベッドに眠る中年男性。目を閉じているせいか、とても柔和な印象。これが渡辺栄一郎さん。事件を報じた雑誌に載っていた写真、その剣のある顔つきとはまるで別人のようだ。
その傍らの椅子に座り、こちらを振り返り笑顔を浮かべる女性。おそらく年は渡辺栄一郎さんと変らないくらいか。優しい雰囲気を身に纏い、どこか少女のようで、とても可愛らしい。
「連絡させて頂きました、柳生と申します」
名刺を差し出す探偵。
「ええ、聞いてます。探偵さんね」
満面の笑顔。
「本物の探偵さんなんて、初めて見たわ」
本当に楽しそうに笑う。渡辺栄一郎さんの身内なのだろう。一体どういう関係なのか。伺うように約束を取り付けたはずの探偵を見る。しかし探偵も疑わしそうな表情。
「ああ、私ね…」
察したように女性が口を開く。
「容子って言います。渡辺容子」
やはり身内のようだ。
「どういう関係かって言うと…一言で言うなら、無関係。赤の他人。もう一切関係ありませんって感じ?」
笑顔のまま、自称無関係の渡辺容子さん。探偵の疑わしい表情も動かぬまま。長い沈黙。二人の表情を見比べて、意味もなく動揺する咲哉。
「結婚してたの。もう20年も前にね。苗字はね、渡辺のままにしたの。何度も変えるのって面倒じゃない?」
確かに、探偵の情報では、渡辺栄一郎さんには離婚歴があった。
「彼ね、事業に失敗して、何もかも失って、死のうとしてたんだって」
そう言って、あかの他人の元旦那に目を向ける容子さん。
「死に場所探して、旅に出て、殺されかけて、奇蹟的に意識を取り戻して、そしたらね…私の名前を呼ぶんだって」
再びこちらに向き直る容子さん。
「可哀想じゃない?頼る相手が20年も前に別れた女房しかいないのよ」
可哀想だから、こうして付き添っているのだろうか。
悪徳社長の成れの果て。悪意に満ちた週刊誌の見出しが、咲哉の頭に浮かんだ。渡辺栄一郎さんのこれまでの所業が、悪しざまに書き立てられていた。関係者も無傷ではいられないかもしれない。黙っていれば、無関係でいられるのに。
「君は?」
突然火の粉が咲哉に向かう。慌てて口を開きかけた時、横から助けがはいる。
「彼は、私の弟子だ。信用してもらってかまわない」
甚だ不本意ながら、頷く咲哉。ここは探偵の人脈に縋る。不審者にはされたくない。
「本城です」
「本城君か」
曇りかけた表情に再び笑顔が戻る。
「なんでも聞いて」
容子さんのその言葉を境に、探偵の質問が始まる。京都府警元捜査一課の本領発揮。
危機を脱し、意識を取り戻した渡辺栄一郎さん。もちろん警察が駆け付けた。しかし期待した情報は得られなかった。記憶を無くしていたのだ。事件の事はもちろん、ここ20年程の記憶もアヤフヤだった。
容子さんに会いたい。ただそれだけを繰り返すばかり。
「優しい顔をしているでしょ?」
慈しむような顔を栄一郎さんに向ける容子さん。
「昔はいつもこんな顔をしていたのよ。本当は優しい人でね。調子のいい所があったから、悪い人達に目をつけられて、おだてられて、自分を見失ってしまったのね、きっと」
思い出したように咲哉の顔を見る容子さん。
「デスカードって言うんだって?」
被害者が引いた凶のカードは巷ではデスカードと呼ばれている。
「デスカードは悪い人を殺すんだよね」
自称無関係と言え、被害者の関係者。はいそうです、とは言いにくい。あいまいに首を傾げる咲哉。
「デスカードは彼の中の悪人を殺してくれたのかもね」
「そう、なんでしょうか…」
答えに困る咲哉。その横では探偵がポケットを探っている。携帯のようだ。
「悪い。少し席を外す」
そう言って咲哉の肩をポンと叩き、病室を出て行く探偵。取り残された咲哉。目の前には寝ている被害者と、その元妻。
「お茶入れるね。気が利かなくてごめんなさいね」
「いえ、おかまいなく」
テーブルにお茶を置く容子さん。促されて席につく。向かい合って座る事になる。
「じゃあ、栄一郎さんとは、20年ぶりなんですね?」
会話の取っ掛かりにそう聞くと、容子さんは少し迷うように首を傾ける。
「んー。実はね、少し前に、会いに行った事があるの。会うというより、見にって感じだけど」
「見に?」
「うん…偶然なんだけど、頑張ってる若者を支援するイベントに彼が関わってるって聞いてね」
おそらく、二階堂君がスピーチをしたというイベントの事だ。
「そんなイベントを企画するのなら、目を覚ましたのかなって思って」
明るい笑みに寂しさが混じる。
「無駄だったわ。何にも変わってなかった。離婚した時の濁った眼のまま。経営不振で焦ってたのかな。その頃よりも人相が悪くなってた」
そう言うと、思い出したように、フフッと笑う容子さん。
「あれから、坂道を転がり落ちて、死ぬ思いをしたのよね。デスカードに殺されかける前に、私を思い出してくれたら良かったのに。私ね…」
そう言って話してくれたのは、朝ドラの脚本に押したいような容子さんのサクセスストーリーだった。
事業の成功と引き換えに、人としての道を踏み外してしまった栄一郎さんの事が許せなかった。もう一緒にはいられない。啖呵を切って家を出た。
しかし、資格も経験もない。当然のように路頭に迷う事となる。夫婦共々身内に縁が薄く、頼れる人もいない。
やっと見つけた清掃の仕事。一般家庭から、テナントビルまで、食べていくために無理をして、朝から晩まで働いた。しかしその会社が倒産。
万事休すという所で、顧客のひとりからから声をかけられた。仕事が丁寧で、人柄が信用出来ると言われ、個人的な仕事を依頼されたのだった。その仕事ぶりが口コミで広がり、依頼が殺到し、とうとうハウスクリーニングの会社を設立するまでになった。
従業員には、シングルマザーなど、似た境遇の生きるために必死で働く女性を採用した。いつしかメディアで取り上げられるようにもなった。
そして、今では、社長業の傍ら、乞われるままに、貧困やDV被害など、苦境に立つ女性を支援するNPO団体の代表として活動している。
「凄いですね」
思わず、感嘆の言葉が漏れる。
「凄くなんかないのよ」
「格好いいです」
「違うの。断れなくてね。ついつい、なんでもかんでも引き受けてしまうのよね」
自嘲気味な笑いが混じる。
「もうこれ以上厄介事には関わらないぞって決めてるのに、DVでボロボロになった人に、助けて下さいって言われたら、私に任せなさいって、言っちゃうのよ」
少女のような可愛らしさと同時に、その笑顔には強さがあった。
「格好なんか、ほんとに良くないの。進退窮まった人を本気で助けようと思ったら、綺麗事だけじゃどうにもならなくて、時には整形手術を手配したり、いろんな書類を偽造したり、その為に必要なのは人脈。あらゆる人脈」
何の偶然か、探偵からと同じ説教を食らう。
「人脈に頼って、危ない目にあったりしませんか?」
角度を変えて反論してみる
「私ね、何も出来ないのに、運だけでここまできたけど、人を見る目には、少し自信があるの」
にっこり笑って咲哉を見る容子さん。
「ジャーナリストの本城真実さんの息子さんじゃない?」
突然母の名前を言われてのけぞる咲哉。恐る恐る頷く。
「一度インタビューを受けた事があるだけなんだけど、信用出来る人だと思ったの。栄一郎さんの話を聞きたいっていう探偵さん。調べてもらったら、本城夫婦の関係者だってわかってね」
それで、快く話をしてくれたのだ。それなら探偵の弟子という汚名を被る必要は、一切なかった。むしろ咲哉の人脈に感謝して欲しいくらいだ。
心の中で悪態をつき終わったどころで、探偵が帰ってきた。
「それではおいとまするか、弟子!」
出て行った時の倍の音を立てて、咲哉の肩を叩く探偵。
その音に反応したのか、栄一郎さんが動く気配。一瞬うっすら目を開け、そして再び目を閉じる。
「ん…」
唸りながら、もう一度目を開ける。今度はしっかりと、そして、咲哉を指さす。
「白衣…」
そう言われて見回すと、鞄からいつの間にか、白衣の特徴的な襟元が顔を出していた。最後の出勤の後、鞄から出すのをすっかり忘れていた。
「この白衣ですか?」
栄一郎さんが気にしているようなので、鞄から白衣を取り出す。
「それじゃない…」
「これじゃない?」
「ピンクの白衣…」
探偵が表情を変えるのが、気配でわかる。
「ピンクの白衣を見たんですか?」
頷く栄一郎さん。
「いつですか?」
「…殴られた…時…」
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