10 捜査開始
仕事時間より1時間前に出勤した咲哉。こっそりバックヤードの奥で探し物をしていた。
体を縮めて棚の裏にしゃがみ込む。探しているのは凶のスクラッチカードだ。
探偵によると、未回収のカードが、まだ数枚あるらしい。
去年発行の物だから、既に全て処分されているものと思われていた。しかし、今回一枚紛れ込んだ。まだ、どこかに残っているかもしれない。それは、新たな犠牲者が出る可能性を示唆している。
不意に扉が開く。百円玉を落とした。そんな用意していた言い訳と、コインを握りしめ、立ち上がろうとした瞬間、不穏な空気を感じる。
「やっぱり、もう無理です」
力のない声。沢田さんだった。
「異動させて下さい」
「今度は、何やりやがったんや、あのおばはん」
歎願の相手は、パワゴリ君。店長から出世したエリアマネージャー。
店長が病気療養の現在、頼る相手は他にいない。そもそもこのあたり一帯のエリアの人事権を握っているのはパワゴリ君。梅木さんを送り込んで来た張本人だ。
梅木さんの異動から、これまでの嫌がらせの数々を淡々と伝える沢田さん。
出ていくタイミングを完全に逃した咲哉。もう隠れ続けるしかない。
「次はないぞって、あれ程言うたのに」
パワゴリ君の息が荒い。明らかに怒っている。
「あいつはクビや」
その語気に、慌てだす沢田さん。
「あの人の事は、そっとしておいて下さい。私の事でクビになんかなったら、どんな嫌がらせされるかわからないじゃないですか。私を異動させてくれたらそれで済むんです」
パワゴリ君の圧がワンランクアップする。
「沢田さんひとり逃げて、それでええと思ってるんか?あいつはこれまで何度もやらかしてるねん。沢田さん逃げたら、確実に次のターゲットに行くで、たぶん市井さんに行く、いじめられやすいタイプやからな。それでええんか?」
店のマスコット的存在。みんなの妹市井さん。もちろん沢田さんもとても可愛がっている。
「それは…」
苦しそうに言葉を絞り出そうとする沢田さん。
咲哉は再び信じる決意をする。
沢田さんは連続殺人鬼などではない。
「こっちでなんとかするから、もうちょっと辛抱してくれ。これからは一切相手せんでええし、無理なら、しばらく有給使って休んでもかまへんから」
ふたりの立ち去る気配。じっと潜んでいた咲哉。ひとつ大きく息を吐いて棚の奥から出る。
おそらく、梅木さんを退職させるのだろう。退職勧告を出すのか、何か他の手段を取るのか。とにかく、パワゴリ君は、梅木さんを本気で追い出しにかかるつもりのようだ。
以前、沢田さんから聞いた、1年前のパワハラ店長騒動を思い出す。
その時も、当時エリア店長だったパワゴリ君によって、パワハラ店長はクビになった。同じ構図。そして、同じように繰り返される殺人事件。
さすがに職場のハラスメントと殺人を平行には語れない。しかし、なんだか状況が似ている気がする。当時の事を調べてみるべきではないか。被害に遭ったのは沢田さんだけだったのだろうか。
そんな事を考えていた時、バックヤードの扉があいた。市井さんだった。
「お疲れ様です」
「お、お、お疲れさまですぅ!」
驚いたように、両手を広げて後ずさる市井さん。咲哉がいるとは思っていなかったのだろう。
ちょっとした事で驚く市井さん。そして、その驚きを体全体で表現する。最初は何事かと、昨夜の方がびっくりしたのだけれど、慣れてしまえば何てことはない。それが市井さんだ。
帰り支度を始める市井さん。咲哉は、先程の考えを実行してみる事にする。
「ちょっと聞いてもいいですか?」
「はい、なんでしょう?」
目を見開き、先程とは反対の角度で手を広げる市井さん。
「1年前の辞めた店長のパワハラって、どんなだったんですか?」
「ああ、それは、それは、もうほんとに、ほんとに、大変でございました」
市井さんの激しい身振り手振りがパワーアップする。いつも以上の動揺が伝わる。動揺は伝わるが、話の内容はほぼない。
聞く相手を間違えたかと思っていたら、ちょうど退勤の勝山さんが入ってきた。
「ほんまやわ、あの店長は最低やったわ」
序章の手前だった市井さんの話を、勝山さんが引き継ぐ。それで、ようやく話が見えてきた。
当時の店長。川崎氏。パワハラ体質にありがちな上役にはペコペコする。さらに正社員相手ならそこまで酷い態度は取らない。しかし、相手が非正規となると、途端に嫌味になる。
正社員より仕事の出来る準社員は、その張りぼてのプライドを傷つけたのかもしれない。
やらなければ、何故やらないのかと責める。やれば、どうして勝手にやるんだと責める。確認をすると、そんな事もわからないのかと責める。確認しないと、なぜ勝手にやるんだと責める。そんな嫌味を一日中、ネチネチと。
沢田さんは、見る見る弱っていった。今と同じだ。
そして、もうひとりパワハラのターゲットがいた。学生アルバイトの豊川さん。二階堂君とは幼い頃からの友達で、兄貴分なのだそうだ。今は大手の機械メーカーに就職して、東京に住んでいるらしい。
二階堂君と同じ、母子家庭で、市営住宅に住んでいた。恵まれているとはいえない家庭環境の中でも、本人の才能と努力で優秀なのも二階堂君と同じ。ただ二階堂君ほど人当りの良さはない。率直な物言いで川崎氏の非を指摘したのが始まり。
川崎氏は下の者から意見されるのが大嫌いだった。とくにそれが正しい場合は。
興味深い出来事がひとつ。
第一の事件。階段から転落して死亡した青木康男。その妻は万引きの常習犯。万引き現場に遭遇した豊川さんが注意したところ、逆に痴漢されたと騒ぎ立てられた。
もちろん事実無根。しかし、川崎氏は庇うどころか、豊川さんを痴漢扱いした。警察に突き出したわけではない。むしろそこまで行けば無実が証明される。それがわかっているから青木康男の妻も、決して警察沙汰にはしない。痴漢の冤罪と万引きが立証されるだけだ。
「被害者が触られたって言ってるんだから、触ったんじゃないの?」
真面目を絵に書いたような青年に、そんな言葉で屈辱的なレッテルを張った。
もちろん、クレーマーの青木康男本人にもターゲットにされた。
耐えきれなくなった豊川さんは、結局バイトを辞める事になった。掛け持ちしていた飲食店のバイトが、コロナの影響でなくなってしまった頃だった。屈辱と困窮。一時は退学も考えたようだ。
「去年のスクラッチカードの騒動も、その頃なんですよね」
探し出せなかったまだどこかにあるかもしれない凶のカード。正攻法で聞いてみる事にする。大手新聞社に負けない情報網の中枢に。
「そやね」
「凶のカードがまだ残ってるんじゃないかって聞いたんですけど、どこに行ったんですかね」
記憶を掘り起こすように、遠い目をする勝山さん。話を合わせるように相槌を打っていた市井さんは、その思考を邪魔しないように、そぉっと出て行く。
静かに出て行くわけではない。
いつものオーバーアクションで、市井さんなりのそぉっとを表現しながら、「そぉっと」と呟きながら出て行く。
そこそこ騒がしい。
「そうそう、バイトの子とか若い子達が、面白がって何枚か持って行ったわ」
「豊川さんとか?」
「確か、豊川君もおった思うよ」
ぼんやりとした疑惑が、咲哉の頭の中で形作られていく。
昨年の事件当時、元店長川崎氏のパワハラで追い詰められた青年の存在。凶カードを持っていたかもしれない。そして現在東京在住。第三の被害者は東京在住の旅行者。
「どうかした?」
茫然とうつむく咲哉の顔を心配そうに覗き込む勝山さん。
「いえ」
慌てて顔を上げる咲哉。
一瞬躊躇うように口を開く勝山さん。
「さっきは言わへんかったけど、川崎店長に、沢田さんがパワハラされた最初のきっかけ」
仕事の出来る準社員が気に入らなかった。さっきはそんな風に説明していた。
「仕事出来るのが目障りやったんやろうけど、最初は、トコちゃんがイジメられてたんよ」
先程までそこにいた市井さんの事だ。市井
「典型的な弱い者イジメやわ。沢田さんもトコちゃんの事は可愛がってるから、腹が立ったんやろうね。正面から文句言うてしもたんよ。それからやわ、集中砲火が始まったんわ」
悔しそうに顔を歪める勝山さん。
聞いている咲哉も胸を締め付けられるような不快感に襲われる。
最低だ。
力の入る拳を誤魔化すように、ズボンのポケットに手を入れると厚紙の感触。それはまさに凶のカードだった。探偵が咲哉の家に持ち込んだカード。無意識にポケットに入れてしまったようだ。
今ここに川崎氏がいたら、進呈してあげたい。凶カード。
考えたい事はたくさんある。しかし、まずは時給960円。
「いらっしゃいませ」
本日三度目のレジ。終了まで後2時間弱。
少し長い列が出来ている。
後方のお客さんの小さな苛立ちが、側頭部に刺さる気がする。
隣のレジでは波窪さんが清算業務をしている。
そろそろ、並んでいるお客さんを誘導して、ビューティーコーナーのレジを開けてくれないか。念を込めて視線を送ってみるけれど、それどころではないようだ。
清算業務。日付が変わる前に、店内の全てのレジを一台ずついったん止めて集計する。準社員以上の権限が必要な仕事だ。
「ああ大変だ」「正社員の仕事は大変だ」「私ばかりが大変だ」「私と違って大事な仕事をしなくていいバイトは気楽なもんだわ」
グチグチグチグチと、さっきからずっとレジ前に立って、聞こえよがしに不快な言葉を呟き続ける波窪さん。
元気な時の沢田さんが聞いたら、その背中めがけて、飛び蹴りか、回し蹴りか、とにかくノーマルじゃないタイプの蹴りをかまさざるを得ない不愉快な言い草。
清算業務は大事な仕事だ。しかし、愚痴が零れるような大変な仕事ではない。
ほかの人がやれば、簡単そうに見える。遠目には、数回OKボタンを押せばいいだけに見える。真面目で努力家だけれど器用なタイプではない市井さんでも楽々こなしている。
何故波窪さんは毎回大変そうにしているのか。沢田さんに聞いた事がある。
「清算業務って大変なんですか?」
「そうや、むっちゃ頑張らなあかんで、レジが」
「レジが?」
「そうや、今のレジは賢いから全部やってくれるねん。人間は時々OKボタン押したらええだけや」
「やっぱり」
「仕事の合間に、頃合い見て押しに行くだけや。横についてる必要もない」
今の時間の責任者は波窪さんだ。
店長がいない今、ベテラン正社員の波窪さんの出勤中は、形式上は自動的に波窪さんが責任者だ。しかし、困った時に頼る相手はまた別だ。それが事実上の責任者だ。
今出勤している準社員以上のスタッフは波窪さんしかいない。
名実ともに波窪さんが責任者なのだ。
むしろ愚痴を言いたいのはアルバイトだ。責任者が波窪さんしかいない日のアルバイトは、全く気楽ではない。
なんだか長い一日だった。漸く仕事が終わる。
バックヤードで服を着替えて出てくると、波窪さんは、まだ清算業務をしていた。
もう午前零時を回っている。
何故終わっていないのだろう。嫌味ではなく心底疑問を感じる咲哉。
OKボタンを数回押すだけなのに。片手間でこなしている沢田さんや市井さんと違って、ずっとレジの前に立っているから、最速でOKボタンが押せるはずなのに。本日のワークスケジュール表の波窪さんの欄には、わざわざ清算業務と時間を取ってあるのに。それ以外は何もしていないのに。しかも、念のために結構長い時間をあてがわれていたのに。おかげで周りのスタッフは、仕事量が多くて大変だったというのに。
茫然としている咲哉。その視線の先の波窪さんは、眉間に皺を寄せている。アメリカ大統領の核のボタンでも押すかのように。
「ああ、もう、大変やわ。さすがに今日は残業つけるわ」
何がさすがなんだろう。
今は残業禁止令が出ている。その是非はともかく、人件費削減のため、沢田さん達準社員の時間は大きく削られている。そうやって血肉を削るように生み出された労働時間が、こんなふうに浪費されてしまうのか。気付けば咲哉の手はポケットの中で、凶のカードを握りしめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます