6 クレーマーの他殺体発見
「いらっしゃいませ」
年中無休、24時間営業のドラックストアからは、明かりが消える事はない。世の中がどんな風に変わろうとも、人は動き続ける。
年末年始は慌ただしさの中で、あっと言う間に過ぎ去った。
今日もレジに立つ咲哉。
アルバイトに大した仕事が任されるわけもなく、ひと月が過ぎた頃には、戸惑うことなくルーティーンをこなせるようになった。
列が途切れた隙を見て、たばこのケースを並べる。
「1285円ちょうど頂きます」
レシートと一緒にスクラッチカードを渡す。期間限定のサービス。“大吉”“中吉”“小吉”“はずれ”カードの種類は4つある。
「ありがとうございました」
レジ横のカードがなくなった。棚から新しいカードのパッケージを取り出して準備をする。
「そのカード」
不意に、上から低い声がして、ビクッと肩を震わせる咲哉。見るとそこに長身の店次長、杉浦さんの無表情な顔があった。
「あっ、はい、このカード?」
「そのカード、凶が出たら死ぬで」
それだけ言って無表情のまま、去っていく杉浦さん。まるで横溝正史の世界。
八つ墓村的に祟るのか。背中が急に冷たくなる。
真っすぐ歩いていた杉浦さんが振り返り、にっこり笑う。
「冗談か…」
”凶”のカードは存在しない。冗談にしては突拍子もない。背中の寒気は僅かに残ったまま。
真面目な人のたまの冗談は、時にとてつもなく恐ろしい。
「本城君」
よく通る沢田さんの声。
「私レジ入るから、パンの品出しお願いできる?」
「はい」
沢田さんの右手には、自前のiPadが握られている。レジに入りながらPOP広告を作るのだろうと察しがついた。
商品説明や、購買意欲を掻き立てる手段として、店舗運営に欠かせないPOP。印刷物もあるけれど、個性的で目を引く手作りPOPを配置する事が、全社的な運営方針として重要視されている。手間と時間のかかる作業だ。
両肩はずっしり、常に、死なない程度に持ち切れる量を超える仕事を抱えている沢田さん。ある時、手書きと同じインパクトを備えた手作りのPOPを、iPadで作ってみようと考えた。
まともにパソコンを使えるスタッフは多くない。その中で沢田さんは、会計事務所に勤めていた咲哉と遜色ないレベルに使いこなしている。それでも画像編集のアプリやペン使いの習得には苦労をした。
そんな話を、沢田さんが、少し自嘲気味に話してくれたのは、iPadの画像アプリの中レイヤーを重ねて、瞬く間に完成度の高いPOPを仕上げていく、その手技に、咲哉が感動して見入ってしまった時だ。
「凄い!さすが沢田さん、なんでも器用にこなすな」
みんながそんな風に言う。
沢田さん自身も「私を誰や思ってんねん!」などと軽口を飛ばしている。
しかし、実際は、影で努力を重ねている。そう思う事が時々ある。
このPOPの件もそのひとつだ。全て独学だという。なんでもない事のようにペンを走らせている。ここに至るまでの努力は並み大抵ではなかったように思う。
そんな影の努力を見抜くのは、咲哉の数少ない特技のひとつだ。
劣等感に悩まされた子供時代。特に対人関係が苦手だった。
社交的でグイグイ人の懐に入り込んでいく事に、天才的な能力を持っていた両親。
一番身近な成長して目指すべき大人の見本は、気が遠くなる程遠くにある気がした。
学校は好きではなかった。人の輪に入るのは難しい。幸運にも酷いイジメにあう事もなかったけれど、中学に上がる頃までは休みがちだった。
「上手に喋れない」
そう言って落ち込んでいた時、励ましてくれたのは祖父だった。
「喋れなければ、黙って聞いていればいい」
祖父の穏やかな優しい声が心地良かった。
「よく観察して、相手が本当は何を思っているのか、本当に聞いて欲しいのは何なのか、それがわかれば、とても上手な聞き役になれると思うよ」
その日から、学校に向かう足が少し軽くなった気がした。
祖父の言いつけを守り、人を観察した。そうしていると、喋るのは相変わらず苦手だけれど、人は次第に苦手ではなくなった。
「本城君、から揚げ好き?」
iPadを握った沢田さんが話かけてきた。
「大好物です」
「へーそうなんや。どんなから揚げが好き?」
「高校の頃に住んでた家の近くに、から揚げ専門店があって、そこのから揚げが大好きでした。醬油ベースでサクサクで」
「これ、どう思う」
差し出されたiPadの画面には、大豆で出来た低カロリーから揚げのPOPががあった。
本部から来た今月の押し商品のひとつ。試しに一度食べたけれど、控えめに言って、あまり美味しくはない。
キャッチーな宣伝文句に、いい感じの写真。POPの魔法が購買意欲を掻き立てる。
「詐欺ですね…」
咲哉がそう答えると、沢田さんは満足げにレジに戻って行った。
空箱を処分するために、店の外に出た咲哉。目の前の道路をパトカーが通る。けたたましくサイレンの音が響いた。
事故だろうか?そう思いながら、特別気に留めることなく、品出しの作業に没頭する。
小一時間。作業がひと段落付いた。いつの間にか、遠くのサイレンが、何重にも重なり合っている。
同じように、作業に没頭していて、今気づいたらしい沢田さんと目が合う。
「何事やろ」
「なんでしょうね」
沢田さんとふたり様子を見に店の外に出てみた。
駅の方向へ500メートル程向こう、数台のパトカーと、野次馬らしき人だかりが見える。ただの事故にしてはやけに物々しい。
そこは、解体工事をしていたレストラン跡。しばらく放置されていた工事現場。
「殺人事件ちゃう?」
沢田さんが、半ば茶化すように、半ば本気で気味悪そうにそう言う。
「どうですかね」
確かめる二人で目を凝らす。
「あ!」
何かに気付いて声をあげた沢田さん。
「虫とかさ、家に入ってきたら、虫が苦手な人がまっ先に見つけてしまうもんやねん」
沢田さんが言う。その心は。
野次馬の人垣の一番外側。遠くではあるけれど、なんとか確認はできる。
ぺったり張り付いたような髪、男にしては細く頼りなげな独特のシルエット、馴染みのグリーンの白衣。
波窪さんがそこにいた。
現在、必死で酒の品出しをしている最中であるはずの波窪さんが。
いくらなんでも、そろそろ酒の品出しを終えているはずの波窪さんが。
ムーミン谷のニョロニョロのように、体を右へ左へ揺らしながら。
酒の品出しは、始まってすらいなかった。
「工事現場で遺体が出たみたい」
センセーショナルな出来事に、店は騒然とする。
上空をヘリが飛ぶ。テレビカメラにレポーター。
完全な非日常の中、ビュティ―スタッフの桃田さんは、必死の形相で売り場作りをしていた。退勤時間は過ぎているはずだが、今日中にどうしても仕上げなければならないらしい。
厳しいパワゴリ君の指令だ。部下のサービス残業は、完全に見ないふりが出来るのに、作業の遅れは決して見逃さない。
「身元は不明のようです。鑑識もたくさん来て調べてるらしいんで、これは殺人事件かもしれませんよ」
パートさんたちを相手に、いつもの上から目線で現場の解説をしている波窪さん。
「まるで見てきたようやな」
ぼそりと呟く桃田さん。額に汗を滲ませ、肩で息をしている。
見てきたんです。とは、言い出せない。
お客さんに呼ばれて薬の説明をしている沢田さん。穏やかな口調と裏腹に握りしめた右手の拳が震えている。不幸な遺体の死因より、目の端に映る台車に放置されたままの酒の行方が気になるようだ。
数日後、遺体の身元が判明したとニュースが流れた。
店には、大きな衝撃が走った。
二階堂君の言う所の”ブラックリスト客コードネームA”。沢田さんの言う所の“最悪凶悪セクハラ野郎”
最近見ないけど死んだ?そんな風に軽く言った沢田さんの言葉は、現実の物となった。
遺体には殴打された痕跡が複数あった。どうやら他殺らしい。
そしてもう一人。不幸な死はこれが最初ではなかったのだという。
“ブラックリスト客コードネームB”アル中で時に暴力的になる男。半年程前に、階段から転落して死亡している。
簡単にどいつもこいつも死にはしない。そう言っていた二階堂君の話はこれだった。
厄介な客のツートップ。同じ市営住宅の住人。忘れられていた転落事故が、ここへきて再び話題に上がった。
連続殺人事件かもしれない。
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