5 休日の古都

 咲哉は自室のベッドに寝転がり、ぼんやり、汚れた天井を眺めていた。

 以前ここに住んでいたのは小学生の頃。同じ天井のはずなのに懐かしい思いは沸かない。よく覚えていないのだ。しかしこの部屋は両親の愛の証だと思っている。

 咲哉は両親と似ていない。実は血が繋がっていないのではないか。出生の秘密を疑うレベルで似ていない。

 両親は共に社交的で行動的でアグレッシブ。

 父はアマゾンの大自然から紛争地帯まで、世界中を渡り歩く写真家。母は真実追及のためなら危険な組織の潜入取材も厭わない、命知らずのフリージャーナリスト。写真と文筆。

 母が、人身売買組織の取材で殺されかけていた時に、ちょうど同じ組織を追っていた父が助けたのが縁。その後コンビで仕事をするようになった。

「職場結婚みたいなもんだ」

 サラリーマンのように気楽な調子でそう言う父。そのせいか、ふたりの間に生まれた息子は、ごく普通のサラリーマンの子のようだった。

 両親に連れられて、世界中を転々とした子供時代。両親に似た活発な性格であれば、何にも代えがたい貴重な経験だったはずだ。

 しかし、咲哉は、何処へ行っても馴染めずに、家に閉じこもり、ストレスから次第に体調を崩すようになった。

 そこで、両親は一大決心をした。

「日本へ帰って、地に足を付けた地道な暮らしをする」

「この子のために生きる」

 京都に知人の紹介で職を得た。すぐさま中古のマンションを買った。ここで生きて行く。風情豊かな古都で、静かに、平穏に。それがふたりの覚悟だった。

 2LDK。今咲哉が住んでいるこの部屋だ。

 父の仕事は、グルメ雑誌のカメラマン。毎日、一生懸命、ラーメンや、寿司を撮った。時にはチョコレートパフェも撮った。

 母はそんな父の帰りを、チャレンジ精神満載で刺激的な夕食を作りながら待つ日々。

 その溢れんばかりのジャーナリスト魂は、PTA通信に生かされた。ほんの気持ちだけ。

 続くわけがない。

 家庭が暗い。

 結局、咲哉は、自ら望んで父方の祖父母の家に行った。祖父母はとても穏やかで平凡な人だった。休日の祖父はいつものんびり読書を楽しんでいる。無駄なチャレンジ精神のない祖母の料理は、とても美味しい。居心地が良かった。

 初めて父の子だと思った。隔世遺伝という手があった。

 生気を取り戻した両親は、大きな仕事を終えると愛する息子の待つ、祖父母の家に帰って来る。価値観の違う親子は、これ位の距離感で十分だ。

 京都のマンションは、長らく人に貸していた。ちょうと入居者が退去したのと、咲哉の離職の時期が重なった。

 日本中はおろか、世界中を転々とした激動の幼少期。京都に数年。中学までは祖父母の家、大阪で暮らした。高校時代は九州の田舎に引っ越した。リタイアした祖父の夢、カントリーライフにご相伴だ。その反動で大学は大都会東京に出た。故郷と言える場所はない。

 住処があるのは正直とてもありがたい。新たな就職活動はここで始める事にした。

 このご時世に、さしあたってドラックストアのアルバイトでも生きていけるのは、祖父の影響で読書が趣味の地味な生活と、両親の愛のお陰だった。

 

 今日はバイトが休み。せっかく移り住んだ古都京都。たまには出かけよう。咲哉はようやくベッドから起き上がる。

 マンションの一階に駐輪場がある。そこに原付バイクを止めてある。シートを開けて半キャップのヘルメットを取り出す。動かすのは久しぶり。無事エンジンがかかって一安心。

 あてもなく北へ向かう。

 聞きかじった知識によると、京都は概ね南に行く程治安が悪い。特に碁盤の目の真ん中あたりに住んでいる人は、南部の住人を原始人くらいに思っているらしい。機会があれば、石斧を持ってウホウホ言ってみたいと思っている。

 西大路通りをひたすら北へ。左手に金閣寺の駐車場が見えた。

 寄ってみようか。スロットルを緩める。しかし、通り過ぎる。

 今は”金閣寺””黄金”という気分ではない気がした。人生において”黄金”という気分の時が、いつの日にか゚やってくるかは、甚だ自信がない。

 西大路通りは東に折れて北大路通りに直結する。東に向かう。

 前方に鴨川。

「糺の森を散歩するのが気持ちいい」

 バイトの誰かが話していたのをふと思い出した。あれは二階堂君だっただろうか。よく覚えていない。

 下鴨神社に向かう事にする。

 入り口すぐの駐輪場にバイクをとめる。原生林のような大木が生い茂る糺の森。ゆったり歩く。深呼吸をひとつ。マスク越しにも、息苦しさから解放された気がする。

 やがて鳥居が見えて、本堂に続く。歴史を感じさせる重厚さに、消毒液のボトルが不釣り合いだが、仕方がない。よく消毒して中に入る。

 お賽銭は100円玉ひとつ。お参りを終えて外へ出る。

 前方にひとだかり。飲食店の前。ふと知った顔を見た気がして目を凝らした。

 二階堂君だった。やはり、糺の森の話をしていたのは二階堂君だったのだろう。こちらには気付いていない。声をかけようかと、少し歩みを進める。なんだか浮かない顔をしている。二階堂君には珍しい不快そうな表情。

 よく見ると、横にいるのが田中さん。すぐにわからなかったのは、普段のイメージとあまりに違うせい。

 あの田中さんが、笑っている。しかも、満面の笑み。

 なんだか、いけない物を見てしまった気がして、思わず回れ右した咲哉。

 駐輪場にもどり、急いでメットを被る。なんだか、脈が早くなった気がする。

 一気に疲れてしまって、家に帰る事にする。

 元来た道。ゆっくりと走る。風に吹かれていると気持ちがやすらいでいく。

 そろそろガソリンがない。目についたセルフのスタンドに入る。

 画面の案内に従って給油を開始する。画面の中でCMで人気のイメージキャラクターのゴリラが手を振っている。

 どこかで見た事がある気がする。

 ふと、思い当たって、声に出してしまった。

「店長」

 初めて店長を見た時、見覚えがあった理由が判明した。

 これから、店長の事はパワゴリ君と呼ぶことにしよう。心の中で。

 パワゴリ君。そう呼んでみると、少し気が楽になる気がする。沢田さんにも教えてあげたい。

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