2 うっかりドラックストアの面接を受ける

 各駅停車梅田行き。電車を降りると、少し肌寒い。

 無職になって約半年。咲哉は途方に暮れていた。

 噂に聞くリーマンショックとはこんな状態だったのだろうか。

 求人は急激に減っている。ハローワークと家を往復する毎日。面接に辿り着くのも一苦労。

 応募しては落ち、応募しては落ち、今日も返却された履歴書が、スーツのポケットをずっしり重くしている。

 会計事務所の募集はいくつか出ていた。

 しかし「夢を見つけました!」と胸を張って退職した手前、前職の畑に戻る事は、負けた気がしてならなかった。「料理人になります!」と、具体的な戯言を口にしなった事に胸を撫で下ろすばかりだ。

 せめて、社労士資格を取って、実務経験を積んでから辞めればよかった…。

 コロナが来るとわかっていたなら…。

 絶妙に最悪だった、自分探しのタイミングに肩を落とす咲哉。

 しかし、準備万端、万全のガードを固めるのならば、その間に冷静になって思い止まる事が出来たに違いない。あくまで、思い立ったが吉日。

 凶日だったわけだけれど。

 急ぐ用があるわけじゃない。改札へ向かう下りの階段に吸い込まれていく人の流れを一歩離れて見送る。阪急電車の独特な赤茶色がやがて線路の向こうへ消えていった。

 改札を出る。家までの道を、力なくぼんやり歩く。

 見慣れた景色。

 半年前、両親が所有する部屋のあるマンションに住むため、10数年ぶりに京都に戻って来た。

 右手に工事現場が見える。

 引っ越してきた当時、連日解体工事が行われていた。レストランの跡。新しい建物が立つ予定らしいが、コロナのせいか、しばらく工事が止まっている。

 防護シートの隙間から覗くガランとした景色。放置された廃材がさび付いて見える。工事用のプレハブがすでに寂れている。時節の空気と同じように、どこか物悲しい。


 ふと、なんだか心惹かれる文字配列を見つけた気がして、吸い込まれるように近づいた。

 “スタッフ募集!!”

 ガラスの入り口に貼られたポスターを見上げた。

 夢遊病者のように虚ろな目で眺める。

 上部に“急募!!”と強調された赤い文字。

 こんな僕でも求められているのだろうか。

 “時給960円~”

 安っ。

 我に返って、立ち去ろうとしたとき、ちょうど左上方向から声がした。

「君か!」

 見るとそこには、小柄な咲哉より頭ひとつ大きいグリーンの白衣を着た男が立っていた。咲哉はそこで初めて気づく。ここはドラックストア。男は店員。

 ボケた頭をフル回転させるが、知り合いにそんな男の記憶はない。しかし、どこかで見たような気がしないでもない。

「履歴書持ってきた?」

「あっ…あの…」

「持ってないの?」

 急いでいるのか、怒っているのか、早口の男の圧の強さに、何故か素直に従ってしまう咲哉。ポケットから履歴書を取りだす。

「おお、じゃあ、こっち、こっち」

「え…あ…」

 なにか勘違いがあるのは間違いない。しかし、説明する暇もなく、とにかく速足の男に、半ば駆け足になりながら付き従うと、関係者以外立ち入り禁止、その扉の向こうに連れて行かれた。

「さ、そこ座って」

「あの…」

「今日は、時間ないねん、ごめんな、さっと済ますわな」

「え…」

「どんな仕事したい?」

「いや…」

「仕事したないんか?」

 変わらずの圧でそう言われると、この数か月の苦労が無意識に咲哉の口を動かす。

「仕事はしたいです。今はもうどんな仕事だって一生懸命やるつもりです」

 通りすがりの縁もゆかりもないドラックストアの店員に、求職の思いを語ってしまった咲哉。ここ最近の面接では、一番滑らかに口がまわったかもしれない。

 いや、面接ではない。

 一瞬圧男の圧が弱まり、口角が上がる。

「君、ええ事言うやん。久々やな、まともなヤツ。もうな、募集しても、募集しても、ろくなヤツ応募して来やがらんねん」

 いいえ、応募はしていません。

 再度、誤解を解こうと口を開きかけた時、扉をノックする音が聞こえ、続いて女性の声がした。年齢不詳。ハキハキとして明るい印象。

「失礼します。店長、本日面接予定の田所さんがお見えになりました」

 一瞬空気が止まる。そして、店長と呼ばれた圧男がじっと咲哉の顔を見る。

「君、誰やねん」

 テーブルに置かれたままの履歴書に視線を送る咲哉。

「本城咲哉と言います…」

 知りたいのはそこじゃないだろうと思いつつも、とりあえず名のってみる。

「どこの本城君?」

「…通りすがり?」

 さらに一瞬の沈黙。

「なんで、通りすがりの本城君が、俺に履歴書提出するねん?」

「…いや、出せと、せかされたんで、つい…」

「なんで、持っとんねん?」

「求職中なもんで…」

 不穏な様子を察知した先ほどの女性スタッフが、気遣わしげに中に入って来る。その後ろには、のぼっと背の高い若い男。髪は金髪で、半開きの口から、欠けた前歯が覗いている。

 おそらく彼が田所さん。

「なるほど…」

 思わず呟き、深く頷いてしまう咲哉。

 店長は、田所と咲哉を交互に見る。

「本城君、いつから来れる?」

 来れません。この時、そんな当たり前の返事を瞬時に口にしていれば、この先、連続殺人事件に巻き込まれる事などなかった。そんな事を思うのは、随分先の話。

「あかん、遅刻や。俺、会議行くからな。沢田さん、あと頼んだで」

 通りすがりにうっかり採用されてしまった咲哉。どうやら面接さえしてもらえずに不採用が決まった田所さん。そんな状況の後始末を、ざっくり任されてしまった女性スタッフ、沢田さん。

 デジャヴ。

 不意に胸がザワザワして、そんな言葉が咲哉の頭を過る。 店長に見覚えがある気がするせいだろうか。いや、それ以上に記憶をくすぐるのは、むしろ沢田さんの方。

 どこかで会った気がする。しかし、全く思い出せない。

「では本城さん、後ほどご連絡させて頂きます。田所さん、こちらへどうぞ」

 どこかでお会いしませんでしたか?そんな戯言を口に出来る空気はまるでなかった。

 想像以上の適応力で、テキパキと話を進める沢田さん。その感じの良い笑顔の奥に、咲哉は僅かな諦めのような表情を見てとった。

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