Ⅸ 咬ませ犬の運命(2)

「ぎゃあっ…!」


 思わずリューフェスは悲鳴をあげ、その手を慌てて払い退けようと暴れまくるが、そのことでバランスを崩し、図らずもその場に尻餅をついてしまう。気づけば手にしていたはずの〝黄金の仮面〟も、なぜだかどこかへ消え失せている。


「え? ……う、うわああっ…!」


「ひ、ひいぃ…! で、出たああっ!」


 一瞬の後、両脇にいたヒューゴー、テリー・キャットの二人も、仮面の男の存在に気づくと絶叫して左右へと飛び退く。


「……!?」


 だが、彼らを襲う怪異はそれだけに終わらない……尻餅を吐いたリューフェスは、石畳の地面に突く自分の手の傍に、何者かの黒い足があるのを視界の隅に捉える。


「……ひ……ひやあぁぁぁぁーっ…!」


 無意識にその足の持ち主も見上げてしまうと、そこには今しがた自分の前にいたはずの仮面の男が、いつの間にやら移動して仁王立ちしている……まるで、〝不開あかずの間〟への入口を塞ごうと、三人の前に立ちはだかるかのようだ。


「た、助けてくれぇえええ~…!」


「神さまぁ! もう悪いことはしません! だから、だからどうかお助けをぉ~!」


 四つん這いで逃げ出すリューフェスに続き、ヒューゴーとテリー・キャットも足が絡れて倒れ込むと、地面を這って逃れながら大声でとにかく許しを請う。テリー・キャットなどは信仰心の欠片もないくせに、神妙な顔つきで神の救いを求めている。


「◎×△π□θ▽◯λЯ!」


 そんな、震えあがって反狂乱の三人に対し、仮面の男は理解不能な言語の台詞を、くぐもった低い声で彼らに伝える。


 おそらくは原住民のものだと思われるその言葉は、聞き取ることこそできないものの、なぜだか〝仮面を蔵へ戻すな!〟と言っていることが三人には即座に理解できた。


 どうやら王の怨霊は、自分の取り憑いている〝黄金の仮面〟が封印するための蔵の中へ戻されることを拒んでいるらしい……。


「わ、わかった! 蔵には戻さねえからもう勘弁してくれ!」


「な、なんでも言うこと聞くから許してくれよ!」


「あ、あんたの持ち物だなんて知らなかったんだよ! た、頼む! お望みのとこに返すからもうどっか行ってくれ!」


 怨霊の意思を汲みとった三人は、上体を起こしてその場で跪き、涙目で仮面の王に許しを請う。


「△Ψ□жΦΠЯ∀!」


 しかし、王はまた理解不能なあの言語を仮面の下から響かせ……


〝だめだ。貴様らは我らにその肉体を貸し与え、憎き侵略者どもよりこの地を取り戻す戦士となるのだ!〟


 ……と心の中に直接語りかけてきた。


「そ、そんなあ……」


「お、俺達にんな大それたこと無理っすよぉ~」


「こう見えて俺達、ただの小者のチンピラに過ぎないんすよ?」


 最早、自分達はビッグじゃなく小者の中の小者だと言い切ってしまいながら、丁重にその命令をお断りしようとする三人。


「δλ◎Σ△□цИ!」


 だが、王の怨霊は〝ダメだ。その肉体、余がもらい受ける!〟と、彼らの方へ褐色の手を伸ばしきた。


 その手はまるで蛇のようにぐんぐんと伸び、リューフェスめがけてゆっくりと向かってゆく……それに触れられれば、また先日のように意識を失い、怨霊に身体を乗っ取られることが三人には本能的にわかる。


 逃げなくては……そう思うのだが、腰が抜けてどうしても立ち上がることができない。


「ひいぃぃぃ…」


 その間にも怨霊の手はどんどんと伸びゆき、リューフェスのもとへと容赦なく迫る。


「お、お助けぇ…」


 そして、その長い爪の生えた指先が、寄り目がちに失神寸前な彼の目と鼻な先にまで迫ったその時。


「いたぞっ! おい! 貴様ら! うっかり一瞬騙されるとこだったが、猫が自分から〝猫です〟なんて言うかアホ! 総督府へ盗みに入るとはいい度胸だ! 神妙にばくにつけ!」


 ドカドカと複数の足音が近づいて来たかと思うと、そんな怒号が深夜の裏庭に木霊する。


 その声で我に返った三人が振り向くと、それは武装した衛兵の一団だった。今の声はその先頭に立つ、先刻、三人が塀から落ちた音に気づいたあの衛兵である。


 さすがにあれだけ悲鳴をあげれば、気づかない方がどうかしている。裏庭での騒ぎを聞きつけ、何事かと集まって来たのだろう。


 そうして駆けつけた衛兵達は素早く散開し、三人をぐるっと取り囲んで逃げ道を絶つと、手にしたハルバートの矛先を全方位から彼らに突きつける。


「い、いいとこへ来てくれた!」


「た、た、助けてくれ!」


「お、おば、おばけだ! 仮面の怨霊がまた出たんだよお!」


 だが、今の彼らにとって衛兵など怨霊に比べれば大したことはない…というか、むしろ救いの神である。大勢で駆けつけてくれた生きている・・・・・人間に、これ幸いと助けを求める三人だったが。


「おばけ? ……何を言っている? どこにもそんなものおらぬではないか。捕まりたくない一心でのでまかせか? せめてもっとマシな嘘を吐いたらどうだ」


 衛兵は怪訝そうに辺りを見回した後、彼らのそんな必死の訴えも、言い逃れするために吐いた咄嗟の言い訳と判断を下す。


「ど、どこにもいないって、ほら、そこに……あれ?」


「き、消えた!?」


「ど、どこ行ったんだ? ……あ! 仮面が!?」


 思わぬ衛兵の反応に、三人も〝不開あかずの蔵〟の方を振り返ってみると、それまでそこにいたはずの怨霊の姿はかき消され、その代わり、〝黄金の仮面〟はまたリューフェスの手の中へといつの間にやら戻ってきている。


「んん? それは……そうか。長年使われていなかった倉庫内にその宝物があることを知り、それを盗み出そうと忍び込んだのだな」


「あ! おまえ達はピンチョス屋!? ……なるほど。最初から盗み目的で下見に来てたわけか」


 その仮面を目にした衛兵はさらに新たな推理を働かせ、中には三人がピンチョス屋だとわかり、ますます憶測に拍車をかける者なんかもいる。まあ、当たらずとも遠からずというか、ほとんどその通りなのであるが……。


「ち、違う! 逆だ! 逆!」


「俺達は盗みに来たんじゃない!」


「俺達は盗んだこの仮面を返しに来たんだよ!」


 しかし、そのわずかでありながらも大きな違いを放ってはおけず、その誤解を解かんと思わず盗んだことを自ら正直に白状してしまう。


「ああ、君達か! もの好きにも呪われた仮面を盗んでいったマヌケな泥棒は! ははぁ、そうかそうか。やっぱり、恐ろしい目に遭って返すことにしたんだね?」


 と、その発言を聞き、衛兵達を掻き分けて出てきた一人の官僚が、なんだか嬉々とした声の調子で三人を眺めながらそう告げる。


 そう……仮面の捜索を探偵に依頼したモルディオ・スカリーノである。


「いやあ、被害が広がる前に戻してくれてほんと助かったよ。礼を言おう……あ、でも、君達は総督府への不法侵入と窃盗の罪で縛り首だからね? じゃ、ということで衛兵諸君、この賊は牢にでも放り込んどいてくれるかな」


 わざわざ仮面を返しに来てくれた三人に、モルディオは安堵の表情を浮かべて礼を述べるが、それはそれでこれはこれ。続けざま、彼らの罪状を告げるとともにその拘束を衛兵達に容赦なく命じる。


「……え、えええ!? 聞いてないよおぉ〜!」×3


 仮面の怨霊による怪異の衝撃醒めやらず、いまだ呆然と地べたにへたり込んでいるダックファミリーの三人は、こうしてわけもわからぬままにまた捕まることとなったのだった――。

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