Ⅵ 呪いの仮面(2)

 また、それよりしばらく経った頃のこと……。


 ――ん……うんん……は!? な、なんじゃこりゃあ!?


 異様な寝苦しさにふと目を覚ましたテリー・キャットは、自分の体に異変の起きていることに気がついた。


 彼の細マッチョの肉体が、まったく、これっぽっちも動かないのだ……。


 ご自慢の筋肉は鋼鉄のように硬直し、仰向けでベッドに寝転んだその格好のまま、どんなに力を込めようとも指一本動かすことができないのである。


 いわゆる〝金縛り〟というやつだ。


 ……くぅ……う、動かねえ……何が起こってる……?


 テリー・キャットが金縛りにかかるのはこれが初めてである。なんとか体を動かそうともがく内に、彼の額には脂汗が滲んでくる。


 ……ぶるる……さ、寒ぃぃ……なんでこんなに寒ぃんだ……?


 だが、汗をかいているにも関わらず、この南洋の島の暑い夜に、テリー・キャットは異様な冷気を突然感じた。


 ……だ、誰か助けてくれ……そ、そうだ! リーダーとリューフェスは……だ、ダメだ。声も出ねえ……。


 仲間に助けを求めようとするが、二人はぐっすり眠っているし、起こそうにも声すら出ない。どうやら動かせるのは眼玉だけのようだ。


 ……!?


 と、その時。自分の枕元に何者かの気配があるのに気づく……ヒューゴーとリューフェスはとなりで寝ているし、だとすれば、自分達以外の赤の他人がなぜかそこにいることになる。


 ど、泥棒か!? もしかして、俺達がお宝持ってることをさっきの酒屋で嗅ぎつけたか? ……やべえ、あの仮面が盗まれちまう……で、でも、動けねえぇぇぇ〜!


 盗人たけだけしいとはまさにこのことにも、自分達のことは棚に上げ、クローゼットに隠した〝黄金の仮面〟の心配をするテリー・キャットであったが、相変わらず動くことも声を出すこともできない。


 ……!?


 そこで、唯一動かすことのできる眼をその気配の方へと向けた彼は、そこに予想外のものを目にした。


 彼の視界に入ったものは、半裸の男の胴体部だった。褐色の肌をした筋肉質の体をしており、衣服は腰布だけを巻き、首からは黄金や宝石で作られた首飾りをジャラジャラと下げている……。


 この位置からでは眼を動かすのにも限界があって顔は見えない……どうやら原住民のように思われるが、そのわりにはアクセサリーが豪華だ。エルドラニア人に支配される前ならばいざ知らず、現在この島に、これほど裕福な原住民っているものだろうか? いや、ってことはやっぱり原住民の盗賊か?


 と、テリー・キャットが思ったその瞬間。


「……ひぃっ!」


 枕元のその男が、バッ…! と急に頭を下げて、テリー・キャットの顔を覗き込んだのだ。


 だが、その顔は人の顔をしてはない……その顔には鋭い牙と羽根飾りの生えた怪物と思しき、あの〝黄金の仮面〟が着けられていたのである。


 暗闇の中で妖しげに輝く、その仮面のエメラルドでできた瞳に間近でじっと見つめられ、テリー・キャットはそのまま金縛り状態で、指先ひとつ動かせぬまま意識を失った――。




 さらにまたしばらく経った後、もうすぐ夜明けという未明の時間帯のことである。


「――うぃぃ〜…昨日はちょっと飲みすぎたな……あぁ、しょんべん、しょんべん……」


 今度はリューフェスが一人、尿意をもよおして目を覚ました。


 薄暗い部屋の中、ベッドを抜け出したリューフェスは廊下に出ると、共同のトイレへと向かう……。


「はぁあ、スッキリしたぜ……」


 そして、用を足した彼は付属の洗面所で二日酔いの赤ら顔を洗い、流しの上の壁に貼り付く、薄汚れた古い鏡を何気なく眺めたのであるが。


「うぃ〜……大金も入るし、またボイナ(※ベレー帽)を新調するかなあ……あれ?」


 洗顔のために脱いだ帽子を被り直し、その鏡に映る自分の姿を眺めてみたリューフェスは、眠気まなこを不意に細めて不思議そうに首を傾げる。


 なぜならば、そこに映っていたのはリューフェスではなく、あの黄金の仮面を被った原住民と思しき、半裸の逞しい男だったのである。


「……ええっ!?」


 だが、なぜだか自分の鏡像が仮面の男に変わっていると認識したその瞬間、リューフェスの視界は暗転し、その意識は糸が切れるかのようにぷつり…と途切れた――。




「――ふぁ〜あ……あれ? おい、リューフェスはどこいった?」


「……う、ううん……ハッ!? なんだ? 夢だったのか?」


 それよりわずかの後、目を覚ましたヒューゴーはベッドにリューフェスのいないことに気づき、となりに寝ていたテリー・キャットをゆすり起こして尋ねる。


「なに寝ぼけてんだよ? それよりリューフェス知らねえか? なんか起きたらいねえんだよ。早起きする野郎じゃねえんだけどな」


「はあ? リューフェス? ……ああ、そういやいねえな。ただの便所じゃねえのか?」


 再び尋ねるヒューゴーにそう答えるテリー・キャットだったが、先刻の金縛りのことがあるので、答えはしたもののなんだか胸騒ぎがしてならない。


「……お、おい? あれ見ろ……」


 一方、テリー・キャットに尋ねつつ、自分は明かり取りに窓を開けに行っていたヒューゴーが、窓の外を凝視したまま再び口を開いた。


「あん? ……ああっ!」


 その言葉にテリー・キャットも外を見ると、その安宿から続く下町の路地を、リューフェスが真っ直ぐ歩いて行くのが見える。


「なんだか嫌な予感がするぜ……追うぞ!」


「お、おう!」


 昨夜の不可思議な出来事が心に引っかかり、どうにも胸騒ぎの止まらないヒューゴーとテリー・キャットの二人は、慌てて部屋を飛び出すと、何処かへと向かうリューフェスの後を追った。


 急いで一階に降り、宿屋の外へ出てみると、リューフェスはもうすでに路地を遥か遠くまで行ってしまっている。


「おい! リューフェス! どこ行くんだよ!?」


「おい待てよ! ちょっと止まれよ!」


 早足に追いかけながら呼び止めようとするが、リューフェスは一向に足を止めようとはしない。


 やがて、狭い路地の両脇を埋めていた安普請の建物は、ぽつり、ぽつりと点在する程度にまで少なくなり、辺りは猥雑とした下町からうら寂しい郊外へと景色を変えてゆく……どうやらリューフェスは、その先にある海の方へと向かっているらしい。


「…ハァ……ハァ……おい、待てよリューフェス!」


「いったいどうしたっていうんだよ!? …ハァ……ハァ……」


 なんとか追いついた二人が両脇から改めて声をかけるも、まるでその声が聞こえていないかのように、彼は無視して歩き続けるままだ。


「◎△×⬜︎π◯θ☆……」


 その目はどこか遠くを見つめているかのように焦点が合っておらず、なんだかモゴモゴ口が動いていると思って耳を傾けてみれば、聞いたこともない言葉をブツブツと呟いている……。


「おい! ほんとどうしちまったんだよ!?」


「俺達のことわかるか?」


 なおも大きな声で呼びかけたり、顔の前で手を振って気を惹こうとするが、何をしようともリューフェスは、仲間の存在すら認識していない様子である。


「おい! 危ないぞ!? その先はもう崖だぞ?」


「もう道ないし、と、とりあえず止まってみようか?」


 気づけばリューフェスについて行く形で、三人は島の端にある、断崖絶壁のすぐ縁にまで歩いて来てしまっていた。


「ちょ、ちょっと何するつもりだ!? 身投げでもする気か!?」


「と、止まれ! これ以上行ったらマジに海へダイブだぞ!」


 最早、道がないにも関わらず、それでも先へ進もうとするリューフェスを、ヒューゴーとテリー・キャットは慌てて左右から抱きしめて歩みをやめさせようとする。


「ええい! いい加減にしろ!」


「目を覚ませ! このバカ野郎!」


「うぐはっ…!」


 だが、押さえつけられながらも信じられない力で崖へと突き進むリューフェスに、やむなく二人は腕を振り上げると、同時に左右の頬を思いっきり平手打ちした。


「……あ、あれ? ……ここ、どこだ? 俺、いったい何を……?」


 すると、ようやく彼は我に返り、足を止めるとキョトンとした顔で辺りを見回す。


「ハァ……やっともとに戻ったか……危ねえとこだったぜ」


「ったく、寝惚けるにしてもほどがあるぞ……」


「リーダー? テリー・キャット? ……お、おわあっ! な、なんで俺、こんな所に!?」


 仲間二人を不思議そうな顔で交互に見つめるリューフェスだったが、ふと見ればその足下は、あと一歩踏み出せば崖から真っ逆さまの超危険な場所である。


「……お、おい、ぜったい押すなよ? ……冗談抜きに、ほんとに、マジで、ぜぇぇぇったいに、押すなよ?」


 我に返れば、なぜか恐怖のどん底にいるその状況に、リューフェスはわなわなと脚を振るわせながら、自分のすぐ傍に立つ二人に青褪めた顔で強く注意を促す。


「ああ。当然だろ? 誰がそんなこと……」


「さすがの俺達だって、さすがにこの状況で押すことなんか……あ!」


 だが、そんなことを言われたら、彼らの芸人魂は「押せ!」ということであると真逆に判断してしまう……気がつけば、二人の手は無意識の内にリューフェスの体を強く押していた。


「……え? うわぁぁぁぁぁぁ〜…! チキショぉぉぉぉ〜! 訴えてやるぅぅぅぅぅ〜っ…!」


 間一髪助かったと思ったのも束の間、断末魔の叫び声を早朝の断崖に響かせながら、眼下に広がる海の底へと哀れリューフェスは消えていった――。

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