Ⅲ 不開の蔵
エルドラーニャ島サント・ミゲル……。
「――この前の新総督さま就任の時、ほんとはスゲエ魔導書が到着する予定だったみてえだけど、またそんなの代わりに運ばれてくるのかなあ?」
「いやなに、別に魔導書がほしいとかそういうんじゃねえよ? んなお上に逆らうような度胸はさらさらねえさ」
「ただよ、なんかビジネスチャンスに繋がるようなことねえかなあと思って。ほら、俺達もしがねえ商人だからよう」
飲み屋街の裏路地にある小さな
あれから一月余り、禁書の秘鍵団からほぼ強制的に〝密偵〟の仕事を請け負わされることとなったダックファミリーの三人は、海を渡るととなりの島にある、エルドラニアの植民都市サント・ミゲルに潜入していた。
その目的はもちろん、秘鍵団の襲撃目標を見つけるべく、エルドラニアによる希少な魔導書の輸送情報を集めることである。
しかし、最初は嫌々、脅されてやむなく引き受けた仕事ではあったが、これがいざ始めてみると意外やなかなか悪いものでもない。
サント・ミゲルの市民に化けるため、普段の小汚いのとは違う小綺麗な衣服を秘鍵団は用意してくれたし、諜報活動をするに当たり、手持ちの金がまったくないことも相談したら、幾ばくかの支度金も与えてくれた。
また、いわば敵国といえるエルドラニアの街へ潜入しての調査、それなりに危険を伴う仕事のようにも思われたが、ただ世間話をするような感じで魔導書に関する情報を集めればいいだけなので、派手に聞き回ったりしない限り、海賊の手下とバレて衛兵に追われるような羽目になることもない。
もっとも、魔導書は無許可での所持・使用の禁じられた禁書であるため、妙な疑いを持たれないよう、その言動に気をつけなければいけないのは当然であるが……。
ともかくも、あの秘鍵団が依頼してきた割には、肩透かしを食らった感があるくらいに意外なほど楽でいい仕事だった。
ただし、報酬は出来高払い。基本給は安いので、何かいい情報を得なければ、いい稼ぎにはならない。そこで三人は、最も重要な情報が集まるであろう、このサント・ミゲルの街の中枢、総督府へ潜入を試みることにしたのだった。
と言っても、何も泥棒のようにこっそり忍び込もうというのではない。彼らの目的はあくまで情報収集だ。なので、三人は行商人に変装し、商売をする
「――いやあ、毎度どうも。
堅牢な石造りの総督府の門前で、ダックファミリーの三人は門番の衛兵にペコペコと頭を下げる。
「おう、今日も来たか。通っていいぞ。ついでに俺にも一つ置いてってくれ。あと、コーヒーもな」
すると、顔馴染みの衛兵はあっさり通行を許すとともに、アヒルの絵を描いたエプロンを着け、荷車を引く彼ら三人に慣れた様子で注文もする。
「へえ、ありがとうごぜえやす。今日はイカフライのレモンソースがけでさあ」
「パンもう一枚、サービスしときやすね」
「ささ、コーヒーもどうぞ」
その衛兵に、三人はイカフライが串で止められたバゲットの一切れとコーヒーを差し出しながら、いつになく腰を低くして媚びに媚びまくる。
「ほおう、今日も美味そうだな。んじゃ、商売に励めよ」
「へえ、どうも。そんじゃ失礼いたしやす……」
そして、その串料理に舌舐めずりをする衛兵に再びペコペコ頭を下げながら、門を潜ると総督府の建物の方へと向かって行った。
彼らの選んだ
総督府で働くエルドラニアの官僚達は、建物内にある食堂で昼食をとっているのだが、やはり一日働いていると小腹が空くものである。そこで考え出したのが、この軽食を提供する商売というわけだ。
ちなみにそのピンチョスの材料は、飲み屋を回って残り物をタダ同然でもらい受け、バゲットもパン屋から切れ端をいただいたものというケチ臭い代物だ。
だが、それでも見た目では残り物とわからないし、その味に間違いはないのでけっこう評判となり、こうしてうまいこと顔パスで総督府内へも出入りできるようになっている。
「ピンチョスいかがっすか〜! 安くて美味しいダック印のピンチョスですよ〜!」
敷地内へ入ると、瀟洒な総督府の建物の前に広がる庭で、さっそくダックファミリーは店を始める。
「待ってたぞ。俺にも一つくれ」
「俺にもだ!」
すると、ジュストコールをビシっと着込んだ、いかにもな風情の役人達が、今日もちらほらと方々より集まって来て、彼らのいい加減なピンチョス屋台はけっこうな賑わいを見せる。
「へえ、毎度!」
「今日はイカフライのレモンソースがけでさあ」
「コーヒーも一緒にいかがっすか?」
そうして愛想よくピンチョスを売りながら、その裏では聞き耳を立て、何か魔導書に繋がる有益な情報はないかと密かに探りを入れる。もちろん、ピンチョスを売って得た売り上げもそっくり彼らの取り分となるので一石二鳥だ。
「すいやせん。ちと
また、時にトイレを借りるフリをして、総督府の内部をあちこち歩き廻り、役人達の話す会話を盗み聞きするなんてこともする。
「……ん?」
この日も、豪勢な装飾品で彩られた広い廊下を何食わぬ顔でブラブラし、裏庭へと足を伸ばしたリーダーのヒューゴーであったが、そこで彼は場違いな少女二人の姿を見かけた。
「――ここがその〝
「ええ。その通りですわ、フォンテーヌさん。けして誰も近づこうとしない、この総督府において一番恐ろしい場所でしてよ」
鮮やかな黄色のドレスを着た黒髪のラテン系美少女と、もう一人は水色のドレスを着た金髪の美少女が、裏庭に建つ古い倉庫の前で何やらキャッキャと話をしている。
一見、こんな政治の場所にいるのはおかしいように感じられる種類の人間ではあるが、種明かしをすればなんてことはない。
じつを言うと、黄色いドレスを着た少女の方はイサベリーナ・デ・オバンデス嬢。現サント・ミゲル総督クルロス・デ・オバンデスの愛娘なのだ。
赴任するクルロス総督についてこのエルドラーニャ島へ本国からやって来て、総督令嬢である彼女もこの総督府に住んでいるのである。
もう一方の水色のドレスを着た少女の方はフォンテーヌ・ド・エトワール嬢といって、時折、遊びに来るイサベリーナ嬢の友達らしい。なんでもフランドレーン(※隣国フランクル王国に面したエルドラニア領)出身の貿易商の娘だとかなんとか……。
「みんながウワサしているところによりますと、何か恐ろしい魔物が出るんでずっと扉を閉めたきりにしているんだそうですわ」
「だから〝
回廊の柱の影に身を隠して耳をそばだてていると、二人のご令嬢は互いの体を寄せ合いながら、ちょっぴり怯えた様子でそんな会話を交わしている。
ヒューゴーもその倉庫の方をこっそり覗がえば、石造りの壁には蔦が生い茂り、取手に鎖がぐるぐるに巻かれ、大きな南京錠のかかった鉄の扉は真っ赤に錆びついている。
「はっきりしたことはわかりませんけれど、ウワサでは心を病み、この倉庫で自害をした官僚の怨霊だとか、あるいはこの土地に大昔から住み着いている羽根の生えた大蛇の怪物なんだとか……」
「まあ、なんと恐ろしい!わたくし、なんだか寒気がしてまいりましたわ! このような場所、早く離れましょう、イサベリーナさま!」
どうやら、その不気味な見た目そのまんまに、そんな恐ろしげなウワサのある倉庫であるらしい……。
「総督府ん中にんな恐えとこがあったのか。くわばらくわばら。触らぬ神に祟りなしだ。俺達も近づかねえようにしねえとな……」
怪談話に震えあがる二人の乙女達をその場に残し、ヒューゴーは柱の影から静かに離れると、もと来た廊下を正面玄関の方へ帰ろうとする。
「……いや、ちょっと待てよ? 今の話、なんだかこども騙しっぽくねえか?」
しかし、その途中で根っからの小悪党である彼の卑しい根性は、令嬢達の口にしていたその怪談に疑問を呈した。
「あれがもし、誰も近づけさせねえための真っ赤な作り話だったとしたら……ひょっとして、あの蔵の中にはものスゲえお宝が隠されてるんじゃねえか?」
誰の策略か? 倉庫に隠された秘密の財宝から人々の目を遠ざけるため、あのように扉を頑強に閉めきり、恐ろしい魔物が出るなどというヨタ話をわざと流したのだと、そう、ヒューゴーは考えたのである。
いったいそれはどんなお宝なのか? 金の延棒か? 宝箱いっぱいの銀貨の山か? あるいは、火のない所に煙は立たないじゃないが魔物云々という話にもそれなりの根拠があり、じつは第一級の魔導書が納められていたりとか……。
「こいつあ、いいこと聞いたぜ。こうしちゃいられねえ……」
財宝ならもちろん大歓迎だし、希少な魔導書ならば雇い主の秘鍵団へいい手土産にもなる……いずれにしろ金になりそうなネタだ。
「――ん? どうしたんだよ? やけにニヤニヤして。銀貨でも拾ったのか?」
「おい、いつまで油売ってんだよ!今日はいつも以上に客が殺到して忙しいんだ。おまえもちゃんと手伝えよ!」
下卑た笑みを浮かべながら前庭へヒューゴーが戻って来ると、忙しくピンチョスを売っていたテリー・キャット、リューフェスの二人は訝しげに彼へ尋ねる。
「んなはした金にしかならねえことしてる場合じゃねえ。ビッグな俺達にピッタリないい儲け話がある。今日は早々に切り上げて作戦会議だ……」
そんな二人にヒューゴーは声を潜めると、そう嘯いて下品にほくそ笑んだ――。
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