第17話 教訓は大切な人には教えない


 あれから数日間の間に羽月は随分と変わった。


 和泉と引き離されたことで、心が崩れていくように自分を見失っていく羽月。


 今はもう真面目で実直な生徒会長の面影は見る影もない。


 羽月の目にはもう、和泉しか写らなくなっているんだろう。


 私にはそんな羽月の気持ちが手に取るように分かった。


 和泉が、大切な人が自分から離れて行く辛さは、私が誰よりも分かっているからだ。


 羽月の心情を考えれば、同情したくもなる。


 和泉から離れたくなくて、必死に足掻こうとするのは当然の行動だとも思う。


 でも、そのやり方じゃダメだという事を私は知っている。


 冷静に考えて、自分の感情は時には抑えないといけない。


 それがわからない羽月は、結局は最もよくない手段を取った。


 朝から待ち伏せをしてきたから警戒していたけれど、放課後にも和泉を待ち伏せしていた羽月は、あろうことか和泉を連れ去ろうとしたのだ。


 すぐに気がついたからよかったけれど、そんな行動をするなんて、羽月はよほど我を忘れているのだろう。


 自分に迫る危機に気がついた和泉も、さすがに動揺を隠せていないようだった。


「え? あ、湊、先輩」

「和泉! 早くその女から離れて! 私の方に来て!」


 私に邪魔をされて、和泉から怯えられて、限界を迎えた羽月は癇癪を起こした子供のように喚き出す。


 いや、子供そのものだった。


 幼い頃に経験できなかった羽月は知らないのだ。


 今の羽月は間違った方向に進もうとしている。


 私はもう成り行きを見守ることにした。


「ちょ、どうしたんですか先輩!?」

「和泉はその女に騙されてるの!」

「な、いきなり何の事ですか?」

「その女は最低の女だよ。ただ都合よく和泉を利用しようとしてるだけ、いらなくなったらまた小学校の時みたいに捨てられるよ」

「っ⁉ ……なんで先輩がそのことを?」

「その女のこといろいろ調べたの。和泉のためにね。ほら和泉、私のところに来て、前みたいに私の隣で笑って? 和泉は私のことが好きなんでしょ? そんな女に騙されないで」


 自分以外の誰かを悪者にする。


 自分の事は棚に上げて、人の事だけを悪く言う。


 人の過去を勝手に調べて、べらべらと喋る。


 完璧だった。


 羽月の言動は、その全てが自らを破滅へと誘導しているかのようだった。


「……先輩は、湊先輩は最低ですね」


 そして、そんな羽月に審判が下された。


 もう和泉の羽月を見る瞳には、嫌悪以外の感情は込められていない。


 そんな和泉から放たれた言葉は完璧な拒絶だった。


 今まで溜めこんでいたものを全て吐き出すかのような和泉の想いは止まらない。


 段々をヒートアップしていき、大きな声を出して羽月を拒絶する和泉。


 和泉は、きっと気付いていないのだろう。


 今の自分が、昔の私や少しまえの羽月を同じだという事に。


 状況や立場は違えど、私たちは一時の感情に任せて爆発し、そのせいで大切なものを手放した。


 今の和泉も一緒だ。


 もし、もう少し羽月も和泉も冷静だったなら、あるいは話し合いで仲直りだってできたはずなのだ。


 だが、そうはならなかった。


 私のせいでもあるけれど、和泉も一時の感情のままに、羽月との関係を壊そうとしている。


 それこそが、私の望んだ形だという事も知らずに。


「貴女なんかもう絶対に信用できない! 二度と僕たちに近寄らないでください!」


 そこで羽月は崩れ落ちた。


 呆然とした表情の羽月は、もう立ち直れないかもしれない。


 けれど、私はもう絶対に和泉を手放したくなかった。


 最大のライバルである羽月は完全に潰しておきたかった。


 念には念を入れ、もう和泉の傍にあなたの居場所はないのだと諦めてもらうために、私は羽月の隣にかがみ込んだ。


「一時の感情でしたことで、あっけなく壊れてしまうものって実際にあるんですよね。先輩も今回のことで学びましたか? もちろん私も身をもって体験したので知ってるんですけど、和泉には、今一時の感情で動いてる和泉には、私は教えるつもりはないんです。ずっと私の隣にいて欲しいから、だから諦めてください。和泉はもう私の隣にいて、もう先輩にチャンスなんてないんですから」


 黙って私の話しを聞いていた羽月が顔を上げる。


 そこには、真面目な生徒会長としての凛々しさも、必死になって和泉に縋りついていた女としての情熱もない。


 あるのは大切なものを手放した虚無感だけだった。


「もっと大切にすればよかったのに、自分の気持ちを」


 もう羽月は大丈夫。


 そう確信した私は、地面に伏せている羽月を残して和泉の元に駆けだした。




 一時の感情にまかせてしたことで、壊れてしまうものもある。


 これは教訓だ。


 幼いころに私が犯した過ちの教訓。


 私はそれを知っていて、羽月はそれを知らなかった。


 そして、知らなかったのは和泉も同じ。


 怒りに任せて、自分の大切にしていた気持ちを和泉は捨てた。


 本当に、本当に大切にしていたこともすっかりと忘れてしまっている。


 私は追い付いた和泉の手をそっと手を握った。


 振り向いた和泉に、私はどう見えているだろう。


 羽月から侮辱されてちゃんとうまく泣けているだろうか。悲しんでいるように見えるだろうか。


「志穂さん泣かないで、あんな人の言うこと気にすることないよ! 志穂さんが優しくて、本当にいい人だって事は僕が証明するから。だから泣かないで。僕は志穂さんに笑っていて欲しいんだ。だって、僕は、志穂さんの事が――」


 よかった。私は上手く泣けていた。


 私は、私の大切な教訓を羽月には教えてあげた。羽月の心を折るために。


 私は、私の大切な教訓を大好きな和泉には教えてあげない。


 和泉が気付く必要はないからだ。気付いて反省して、羽月の事を想う事がないように。


 これからも和泉の全てを私だけに向けてもらえるように。

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歪んだ形。たとえ歪な関係だったとしても気にしない。絶対に相手が望まぬことだとしても。 ~歪な関係の短編集~ 美濃由乃 @35sat68

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