第11話 「もっと大切にすればよかったのに」


 私はもう限界だった。


 和泉が生徒会を休んだ日からここ数日、私は和泉とまともに会話も出来ていない。


 それだけでも居ても立っても居られないというのに、和泉の隣にずっとあの女が居座っているのだと思うと我慢する事なんて出来なかった。


 和泉の隣は私の場所なのに、我が物顔でそこに居座っているふてぶてしい梓沢が許せない。


 あの女はまるで彼女だとでも言うような態度で常に和泉の傍にいて、和泉の自由を奪っている。


 今この瞬間にも、和泉があの女に汚されているような気がして全身に鳥肌が立った。


 もう本当にダメだった。


 自分の大切なものを汚されているこの感覚に、私はとっくに耐えることができなくなっている。


 もちろん私だってただ指をくわえて見ていたわけじゃない。


 今朝から何度も和泉と話しをしようとした。


 けれどその度にあの女が邪魔してくるのだ。


 和泉を私から隠すように立ちふさがる梓沢は、時にはクラスメイトまで動員して立ちふさがってきた。


 今朝だって、きっとあの女がいたから和泉は恐くてわざと私を拒絶したんだと思う。


 和泉と二人きりで話をすることができたら、絶対に和泉は私の手を取ってくれるはずなのに……。



「……そうだ」


 どうすれば和泉と二人きりになれるか考えていた私は、ある結論に辿り着いた。


 梓沢が常に邪魔してくるというなら、もう無理にでも和泉を連れ去るしかないのではないだろうか。


 そう考えると、もうそれしか方法がないように思えて来る。


 何より私は焦っていた。


 自分以外の女が和泉の傍にいる事がもう耐えられなかったから。


 早く、早く和泉を取り返さなきゃいけない。


 和泉は私のものなんだから……。



 あの女、梓沢は私の忠告を無視している。


 和泉からまったく離れようとせず、常に和泉の傍に居続けている。


 和泉の声、視線、笑顔。その全てをあの女が独占している。


 邪魔、邪魔、邪魔、邪魔、邪魔だ。


 あの女が邪魔。


 あそこは、和泉の隣は私の場所なのに、和泉の全ては私のものなのに、なんであの女がそこにいるのか分からない。


 早く和泉を助けてあげないといけない。もう私はそれだけしか考えられなかった。


 教室では梓沢や他の生徒が常に和泉の近くにいるせいでスキがなく、私は焦る気持ちを抑え込んで放課後を待つことにした。


 昇降口で和泉を待ち伏せて、梓沢の隙をついて連れ出す。


 チャンスが来るか分からないけれど、教室に乗り込むよりは他に邪魔される事は少ないと思った。


 和泉を連れ去るには、それしかない。


 それから和泉と二人になることができれば、落ち着いて話ができる。


 そうしたら、きっと和泉は私の元に戻って来てくれる。




 放課後。


 昇降口の影に隠れて少し待っていると、あの女とふたりで出てくる和泉の姿が見えた。


 二人が私に背を向けて歩き出した時、私は音を殺してそっと和泉の背後に近づいた。


 後は梓沢が靴を履き替えているタイミングで和泉を連れ去るだけ。


 和泉が驚いて声を出してしまわないように、私はハンカチを持った手を和泉の口に伸ばした。


 あと少し、あと少しで和泉の身体に私の手が届きそうになった時――



「なっ!? 何してんのアンタ!? 和泉離れて!」


 ――またしても邪魔者のせいで私の手は振り払われてしまった。


「え? あ、湊、先輩」

「和泉! 早くその女から離れて! 私の方に来て!」


 私は必死になって和泉に呼びかけた。


 もうそれしかない。私の事が好きな和泉になら、私の必死の想いはきっと伝わるはず。そう信じて必死に呼びかける。


「ちょ、どうしたんですか先輩!?」

「和泉はその女に騙されてるの!」

「な、いきなり何の事ですか?」

「その女は最低の女だよ。ただ都合よく和泉を利用しようとしてるだけ、いらなくなったらまた小学校の時みたいに捨てられるよ」

「っ⁉ ……なんで先輩がそのことを?」

「その女のこといろいろ調べたの。和泉のためにね。ほら和泉、私のところに来て、前みたいに私の隣で笑って? 和泉は私のことが好きなんでしょ? そんな女に騙されないで」


 私は手を和泉に向かって手を差し伸べた。


 和泉は少しの間黙って俯いていたけどすぐに顔を上げて真っすぐに私を見つめてくれた。


 その目には力がある。きっと私の呼びかけで、和泉も自分が騙されていることに気が付いてくれたんだと思った。




「……先輩は、湊先輩は最低ですね」


 だから、和泉が何を言ったのかは、私にはまるで理解できなかった。


「……え、っと、和泉? 何を言ってるの?」

「志穂さんとは、確かに最近まで疎遠でしたよ。けど、今では僕の一番の友達なんです。僕が人生で一番落ち込んだ時に寄り添ってくれた大切な人なんです。そんな僕の大切な人を侮辱するなんて、先輩は最低の人間です」

「待って! 待って和泉! 私は和泉のために――」

「五月蠅い!!」


 和泉は私の言葉をかき消すように、今まで聞いたことがないような大声で怒鳴った。


 和泉が怒ったところなんて、私は今まで見た事がなかった。


 その和泉が憎悪がこもった声で怒鳴るなんて、目の前で見た今でも信じられない。


 しかも、何で和泉の憎悪は私に向けられているのだろう。


 思いもしていなかった大声にひるみ、それ以上の困惑で私は踏み出そうとしていた足を動かせなかった。


「先輩はそうやって平気で人のことを悪く言う人だったんですね! 僕のことも普段からそうやって心の中でバカにしてたんですよね!?」


 もはや気のせいには出来ない。


 和泉の鋭い視線はしっかりと私に向けられていて、激しい怒りのこもった言葉は困惑している私に容赦なく突き刺さって来る。


「ちょっと待って和泉! そんなことしてない、だって私は和泉のことを――」

「ちょっと前の放課後、先輩が姫野先輩に怒鳴ってたの聞きました」


 額から汗が流れた。その瞬間に、私は全身に冷や汗をかいていた。


 和泉に聞かれていた?


 あの時のことを?


 あの時、確か私は一時の感情に任せて、和泉に対しても失礼なことを言っていたかもしれない。


『いつもいつも向こうから寄って来るだけ』


『私にはどっちも迷惑なのよ!!』


 かもしれないじゃなかった。何故か今になってあの時叫んだ言葉が全て浮かんでくる。


 私は揶揄ってきた姫野に怒っていただけなのに、怒りにまかせて何て事を言ってしまったのだろう。


 けれどあれは私の本心じゃない。


 恥ずかしくて感情が高ぶってしまって、つい言ってしまっただけなのに。


「自覚あるでしょ? ホント最低な人ですね。僕を騙してたのは先輩ですよ。本心では迷惑なヤツだと思っていたくせに僕の前でだけいい顔して、今だって僕を騙そうとして大切な友達を悪く言ってるし、こんな人を尊敬してたなんて、僕は自分が恥ずかしいです」

「ち、違うの。あ、あれは姫野の、そう姫野が悪いの! 姫野が変なことを言うから私は――」


 そこまで言って、私は間違いに気が付いた。


 今までは怒りの中にもどこか悲しそうな感情も感じ取れた和泉から、怒り以外の一切の感情がなくなっていた。


「姫野先輩のことまでそんな風に言うんですね。あんなに仲のいい友達だったのに、先輩は他の人のことなんだと思ってるんですか? 貴女なんかもう絶対に信用できない! 二度と僕たちに近寄らないでください!」


 朝の拒絶とは違う。一切の同情もない、はっきりとした拒絶だった。


「あ、そ、そんな、和泉……」


 私はもう立っていられなくなって地面に膝をついた。


 和泉の私を見る目はもう、これまでのものとは違っていた。好きだなんて気持ちは一切ない。あるのは怒りと嫌悪だけ。


 跪く私を一瞥しただけで和泉はその場を離れていく、私のことなんてもう何も気にしていないかのように……。




「羽月先輩、私と和泉の過去の話、知ってるんですよね?」

「……梓沢」


 気が付くと、膝間づいたまま動けなかった私の傍に梓沢がしゃがんでいた。


 この女が憎くて仕方ないのに、それでも私はもう睨みつける気力もなかった。


「一時の感情でしたことで、あっけなく壊れてしまうものって実際にあるんですよね。普段からどんなに大切にしてても、その一回で全部失くしちゃう。ああいう時って頭に血が上ってるから、自分が思ってもないことを言っちゃいますよね。けど、後から冷静になると後悔することって多いんですよ」


 とても小さな、私にしか聞こえないような声で囁く梓沢は、私の反応など期待していないのか俯いたままの私にひたすら喋り続ける。


「でもそれって、実際に後悔する場面に遭遇した人じゃないとなかなか気が付けることじゃなくて、後は誰かに教えてもらうくらいかな? 先輩も今回のことで学びましたか? もちろん私も身をもって体験したので知ってるんですけど、和泉には、今一時の感情で動いてる和泉には、私は教えるつもりはないんです。ずっと私の隣にいて欲しいから、だから諦めてください。和泉はもう私の隣にいて、もう先輩にチャンスなんてないんですから」


 言いたい事だけ言って満足したのだろうか。梓沢が立ち上がる気配がして、つられて私は顔を上げた。



「もっと大切にすればよかったのに、自分の気持ちを」


 そう言って薄く微笑んだ梓沢は和泉の隣に戻っていった。


 見せつけるように和泉の手に指を絡める梓沢。


 私の頭の中では最後に言われた梓沢の言葉に満たされている。


 きつく繋がれた手を見せつけられて、私はやっと後悔した――。

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