第9話
家に帰ると何故か体調不良で学校を休んだはずの麗香がいた。
なんで? と聞こうとして開いた口からは声が出ない。
麗香と一緒にいた両親が明らかに怒っているのが分かったからだ。
「至、そこに座りなさい」
低く押し殺したような声で父さんが言った。ふざけたり逆らえるような空気じゃない。
促されるままに、テーブルの反対側に一人で座る。
向こう側には鋭い目つきをした父さんと、がっかりとしている母さん。そして、まっすぐにこちらを見つめてくる麗香が座っている。まるで麗香がこの家の人間で、僕が部外者になった気分だった。
「至、父さんはがっかりしたよ。もちろん母さんもな。何の事を言われているか、当然分かるな?」
そんな事をいきなり言われても分かるわけがない。ただ、馬鹿正直に分からないと言ってはいけない事くらいは分かった。
昔、麗香に両親の前で泣かれた事を思い出す。あの時の怒り具合といったら、もう少しで殴りつけられそうになったくらいだ。今感じている空気も、あの時とまったく一緒だ。
僕が黙っていると今度は母さんにため息をつかれた。
「あのね至。私とお父さんは貴方を遊びに行かせるために塾に高いお金を払っている訳じゃないのよ」
そんな当たり前の事を言われて一瞬思考が追い付かなくなった。
いったい何が言いたいのだろうか。塾に通い始めて成績も上がり、母さんも喜んでいたはずなのに……。
僕の混乱を見抜いたのかここまで黙っていた麗香がやっと口を開いた。
「あのね至、私偶然見ちゃったの」
そう言って麗香が取り出したのはスマホだった。
画面に映っていたのは、寄り添って歩く僕と速水さんの姿。
見た瞬間にすぐ分かった。昨日の帰り際の時だ。
麗香が画面をスライドすると、顔を近づけている僕と速水さんの姿が映し出された。この撮られ方だと、まるでキスをしているように見える。
「塾の友達と遊びに行くって言ってたからちょっと心配だったけど、案の定だったね。最近塾に行く時間を増やしたのは勉強のためじゃなくて、この子に会いに行くためなんでしょ?」
「ち、違う!」
「往生際が悪いよ。こうして証拠があるんだから。このままじゃ塾に行っても意味ないよ。至の成績も落ちちゃうし将来のためによくない。だからご両親に報告させてもらったの」
この女は何を言っているのだろう。
パパラッチか、それとも僕のプロデューサーにでもなったつもりなのか。なんで幼馴染にこんな事を両親に報告されなければいけないのだろうか。当然の義務のような態度をしている麗香の考えがまるで理解できない。
「ふ、ふざけないでよ麗香! こんな盗撮まがいの事をして、何のつもりだよ!」
「いい加減にしろ!!」
身を乗り出して麗香に詰め寄ろうとすると、父さんに倍以上の声で怒鳴り返されて胸倉を掴まれた。
「麗香ちゃんはな! お前が道を踏み外さないように、わざわざ私達に報告に来てくれたんだぞ。父さんと母さんは感動したよ。昔からお前の面倒を見てくれて、今でもこうしてお前の事を真剣に考えてくれているんだぞ! それが何で分からない? お前は麗香ちゃんに感謝すべきなんだぞ?」
分かるわけがない。
こんな盗撮まがいの事をされて、親にまで報告されて、なんで感謝なんてしなきゃいけないのか。
「お前が不純な目的で塾に行ってるのははっきりした。こんなどこの馬の骨ともわからん不埒な女と遊んでたら将来のためにならん。もう塾には解約の連絡をしておいたから、明日からは真っすぐ家に帰って来なさい」
「は? ま、待ってよ! どう言う事?」
本気で頭が真っ白になりそうだった。
今父さんは何と言った? もう塾は解約したと言ったのだろうか。通っている僕には何の話もなく、麗香の話だけを聞いただけでそんな事までしてしまうというのか。
「どういう事も何もそのままだ。女目当てで行っているのなら、もう塾には通う必要はない」
「ち、違うよ父さん! その子とはたまたま仲良くなっただけなんだ! 勉強はちゃんとしてるよ。成績だって少し上がっていたでしょ?」
「どうせその子に良いところを見せようとしただけだろう。付き合ったりした瞬間に勉強もおろそかになるに決まっているじゃないか。この女も塾で男あさりしてるくらいだ、どうせ碌な女じゃない」
「!? 速水さんを馬鹿にするなぁああ!!」
僕は叫んだ。
喉が潰れても構わないから今の言葉だけでも訂正させてやりたかった。
速水さんは僕の人生で出会った誰よりも素晴らしいひとだ。自分のおかれた境遇にも負けず、自分の意志を持ち続けられる強い女性。
彼女に出会えていなければ、僕はずっと腐っていたままだった。
そんな速水さんを馬鹿にされるのは何よりも許せなくて、叫んだ僕はあっけなく机に叩きつけられた。
「それが自分の親に言う言葉か至!! ふざけるな!! 謝れ! 父さんと母さんに謝れ!」
父さんに僕以上の声で怒鳴られ、力づくで机に頭を押し付けられる。
仕事柄筋骨隆々で、僕より一回り以上も大きい父さんに力づくで抑え込まれると、同年代の中でも小柄な僕はまったく身動きが取れなかった。
頭が握りつぶされるんじゃないかと思うほどに痛い。僕はそれだけでもう何も言えなくなった。
僕が抵抗しなくなったのが分かったのだろう。父さんもやっと押さえつける力を抜いた。
「あのな至。父さんも母さんもお前が心配だからやってることなんだぞ? それに今更お前が何を言っても塾にはもう通えないんだ」
「……じゃあ勉強はどうするんだよ」
「それは心配するな。麗香ちゃんがしっかりと見てくれるとわざわざ言ってくれたからな。麗香ちゃんがいてくれたら父さんたちも安心だし、お前もちゃんと感謝するんだぞ」
満足気に頷く父さんを見ているともう何を言っても無駄な気がした。
麗香の事をまるで自分の娘のように思っているのか、麗香の言う事が絶対になっている。僕の言葉なんてまったく届かない。
「心配しないで至。私がちゃんと勉強は見てあげるし、変な女からも守ってあげるから」
こんな事をしておいてなにをふざけた事を言っているんだと思った。
でも麗香の目は真剣そのもので、たぶん心の底からそう思っているのかもしれない。
わざわざ学校を休んだのはこのためだったのだ。僕に塾を止めさせるために、事前に両親を説得した。
しかもクラスメイトたちの遊びを断っていると言う事は、初めから僕のあとをつけていたのかもしれない。
僕は麗香が恐ろしくなった。
思わず速水さんの声が聞きたくなって、ポケットのスマホに手が伸びる。
「そうだわ! 至、貴方携帯を出しなさい」
「は? な、なんで?」
「貴方を誘惑している女と連絡できないようにしないといけないでしょ! まったく汚らわしい。そうでしょ、麗香ちゃん?」
「えぇ、至の将来を考えたらその方がいいですね」
今まで黙っていたと思ったら、母さんが急にそんな事を言い出した。
どんな事を吹き込まれたらこうなるのか僕には想像もつかないけれど、母さんも麗香も本気で言っているらしい。
「い、嫌に決まってるだろ!」
「至!! お前の携帯料金は誰が払ってると思っているんだ! ふざけた事を言っていないで、さっさと出せ!」
父さんに胸倉を掴まれて引き寄せられた。
もうこの家には僕の味方なんていない。それがはっきりと分かった。
掴まれて動けないままでいると、その隙に麗香にスマホを盗られてしまう。
ロック画面を設定しているのに、麗香はまるで何でもないかのようにロックを外した。教えた事なんてないのに、意味が分からない。
「やっぱり頻繁にやり取りしてますね。今日もさっきまで連絡を取り合ってたみたいです」
「本当ね……会いたいって書いてあるわ。やっぱり塾には勉強って嘘をついてこの子に会いに行っていたのね」
もう言葉も出なかった。
たとえ家族だとしてもプライベートはあるはずなのに、しかも麗香は家族ですらない。
「これは没収する。どうせなくても困らないだろ、お前のためなんだからこれくらいは我慢しなさい。父さんと母さんに嘘をついていた罰だ。言っておくが、このくらいで済んだのは麗香ちゃんがお前を庇ってくれたからなんだからな。感謝しておきなさい」
「安心して至。何か連絡したいときは私を通して連絡したあげるから。それと、これからは毎日一緒に帰って家で一緒に勉強会だからね! 私が教えてあげれば塾に通うよりすぐに成績良くなるから!」
胸を張って笑う麗香。
綺麗だとか見惚れそうだとか、普通の人ならそう思うのかもしれない。けれど僕にはそんな風には見えなかった。
ストーカーのように人を付けてきて、観察でもしていたのかロックの番号まで知られていて、そんな事をする奴は普通に気持ち悪い。犯罪者だと訴えてやりたい。
ただ、麗香は完璧に上手くやった。
人の両親に僕よりも気に入られて、自分の正当性を確固たるものにした。
僕はこの女に負けたんだ。
僕はなんの取り柄もない高校生だ。塾の月謝はもちろん、スマホの料金ですら払えない。
麗香に親を取り込まれた時点で逆らう事が出来なくなった。
何も言えなくなって項垂れる。
「元気出して至。これからも私がずっと傍にいてあげるから」
耳元で囁く麗香の声はどこか恍惚としていて、もうただの幼馴染だと思う事なんて僕には出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます