第10話
それから、麗香に完全に管理される生活が始まった。
朝起きる時間から寝る前まで、僕のスケジュールは全て麗香に完璧に管理されている。
麗香は登校前には迎えに来るし学校でも片時も傍から離れない。下校も必ず一緒にして、その後は家で二人きりの勉強会をする。
夜まで一分一秒でも麗香が僕から離れる事はなく、全てを麗香に決められる日々。
逆らえはしない。僕の親も味方につけた麗香は家族公認で僕の管理をしている。
もし嫌がるような事をしてしまえば、すぐに麗香から報告されて家族会議が始まるだろう。
しかも会議とは名ばかりで、麗香の話だけを信じる両親から一方的に怒られるだけだ。
誰も僕の話は聞いてくれない。どう抵抗しても、何をやっても無駄。
すべてを麗香に決められる毎日。そんな日々を過ごしてるうちに、僕は自分の意志が段々となくなっていくような気がした。
そんなある日の事。
放課後になり、麗香に手を引かれるまま帰っていると昇降口に誰かが立っていた。
うちの制服じゃない。けれどはっきりと見覚えのある制服。
思わず駆け寄ろうとして、きつく繋がれた手が僕を離してはくれなかった。
麗香はそのまま僕の手を引いて引き返そうとする。
「相良君!」
それでも昇降口にいた速水さんは僕に気が付いてくれたみたいだった。
声を上げて駆け寄って来てくれる。僕も速水さんの元に行きたかったけれど、麗香が手を離してくれない。
睨みつけると麗香が顔を寄せてきて、僕の耳元で囁いた。
「…………だよ」
麗香から言われた言葉の意味を考える。
「待って相良君!」
呼びかけてくれる速水さんに僕は……何も答える事が出来なかった。
「それ以上近寄らないで」
速水さんから僕を隠すように麗香が前に出る。
睨み合う形になった二人の間には、異様な空気が漂っていた。
「貴女が新子さんね。相良君から話は聞いてるわ」
「そういう貴女は塾で至をたぶらかしていた人でしょ? 学校にまで押しかけて来るなんて一体何を考えているの?」
「たぶらかしてって、失礼な事言わないでよ! 私たちは、その、お互いに一緒にいるのが楽しくて」
「何それ、至の恋人にでもなったつもりなの?」
「こ、恋人では、まだないけど……」
「恋人でもないのに、約束もなく他校まで来て昇降口で待ち伏せするなんて、貴女まさかストーカーなの?」
「ち、違うわよ! 私は急に塾に来なくなった相良君が心配で……ねぇ、相良君! 何とか言ってよ!」
近づいて来ようとする速水さんと距離を取るように、間に入った麗香が僕を遠ざける。
「至に近づかないで、貴方に付きまとわれて怖いって怯えてるんだから」
「そんなわけない! だって私たちは、その……」
「何? 付き合ってないんでしょ? ストーカーさん?」
「その呼び方止めてよ! ねぇ相良君、どうして何も言ってくれないの? 私、貴方のことが心配で来たのよ。その人の事が嫌いだったんでしょ? ねぇ、どうして何も連絡してくれなかったの?」
速水さんの声に悲痛な色が混じる。
二人きりで遊んで、また遊ぶ約束をして、その時に告白する事まで速水さんは伝えていた。それが次の日から急に塾にも来なくなって、連絡すら取れなくなる。速水さんの立場からしたらわけがわからないだろう。
心配してわざわざ学校まで来てくれたのが奇跡だ。
そこまで僕に心を開いてくれていたという事なんだと思う。
本当に嬉しかった。
けど、僕にはもうどうしようもない。
『あの女と一切口を利かないで、さもないとあの写真を彼女の両親にもばらすわよ。厳しいご両親にバレたら、きっと彼女大変だよ』
麗香から言われた言葉がよぎる。
あの写真とは、僕の両親にも見せられた写真の事だ。うまい角度で撮られていて僕と速水さんがキスをしているように見えてしまう。
速水さんの両親が厳しいのは知っていた。
優秀な姉に比べられて塾に通わされ、毎日勉強に励む日々。あの日は何とか休みを貰えたらしかったけれど、あんな写真を見せられたら、両親にどう思われるか分からない。最悪、速水さんの自由を今まで以上に奪ってしまうかもしれない。
どうして麗香がそこまで知っているのかなんてもう驚く気にもなれなかった。
僕には速水さんのためにも、麗香に従うしか道はないような気がした。
「ちょっと、至が怖がってるから止めてよ!」
「そんなわけない……貴女、貴女ね! 相良君に何かしたんでしょ? 相良君はいつも言ってたわ、貴女と一緒にいるのが苦痛だって、そんな人と望んで一緒にいるわけないもの!」
「へぇ、そんな事を……至が言うわけないじゃない」
「嘘じゃないわよ!」
「これ以上至に付きまとうなら、こっちも容赦しないわよ。職員室に駆けこんで貴女の事を通報するわ」
「なッ!?」
「大人しく帰るなら今日だけは見逃してあげるわよ」
勝ち誇った顔で挑発的な事を言う麗香。
驚いていた速水さんもただの脅しではないと気付いたのかもしれない。泣きそうな顔で僕を見つめてくる。
「ねぇ相良君、お願いだから何か言ってよ」
「……」
「私、毎日塾で待ってたんだよ? 今度いつ二人で会えるかずっと話したかったの」
「……」
「ぅ……あの日、二人で一緒に過ごした時、私が何かしちゃったのかな?」
「……」
「ごめん。ごめんね。謝るから、また声を聞かせてよ。また二人で会いたいよ。相良君と出会えてから、私、本当に毎日が楽しかったの」
「……ッ」
「だから急にいなくなられたら寂しいよ。お願い、声を聞かせて! 次二人で遊んだ時、私に何か伝えてくれるんでしょ!!」
「……ぅぅッ!」
僕は歯を食いしばって耐えた。
喋ってしまったら、速水さんは今まで以上に両親から縛られた生活を送らなければならないかもしれない。
なんとか声は抑えられたけれど、気持ちは抑えられなくて目からは涙が溢れて来た。
情けないけれど、それが見えたら速水さんにも僕の気持ちが伝わるかもしれないと思った。
そんな甘い考えを打ち消したのは麗香だった。
僕を自分の胸に抱き寄せるようにして速水さんからは隠したのだ。
「無駄だよ」
それは僕に言った言葉なのか、それとも速水さんに向けたものなのだろうか。
どっちにしろ僕たちはそれで心が折れてしまった。
「早く私たちの前から消えてストーカー、さもないと本当に職員室に助けを求めるから」
「ぅ…………さようなら相良君」
その一言が胸に突き刺さる。
涙で霞んで、離れて行く速水さんの背中がよく見えない。
不意に顔を掴まれて向きを変えられた。
正面には麗香の顔。
麗香はとても綺麗で、そして醜悪な、満面の笑みを浮かべていた。
「な、なんで、こんな事するの? 僕の事なんか、ほっといていてよ」
僕の口からでたのは心からの本心で、せめてもの抵抗。今までは麗香の反応が怖くて心にしまっていたもの。
「麗香の周りには沢山人がいるんだから、僕なんてどうでもいいでしょ! もっとカッコいい人に付きまとってよ! 目立たない僕なんかもう忘れてよ!」
もう失うものなんてない。僕はあふれ出る気持ちに任せて麗香を睨みつけた。
それでも麗香は笑っている。僕の言葉なんてまるで聞こえていないみたいに、愛おしそうに僕を見つめてくる。
「至はね、私のヒーローなんだよ。昔の私を助けてくれたのは至なんだから」
「そんなの、子供の時の事じゃないか。普通そんなに引きずらないよ」
「至の言いたい事もわかるよ。でもね、いい事でも悪い事でも、やった方はすぐ忘れちゃうだ。大した事はしてないってね。だけどね、やられた方はいつまでも覚えてるんだよ。凄い事をされたんだってね。それが嫌な事なら怨みになるし、嬉しい事だったら憧れとか恋とか、そういう感情になるの」
そう語る麗香は恍惚とした表情をしていて、常軌を逸したその目には本当に僕以外は何も映っていないような気がした。
「だからね、私は至を離さないよ。もう変な虫が寄って来ないように、私が至を完璧に管理してあげるから」
もう僕は麗香の顔を直視出来なかった。そらした視線で速水さんの姿を探す。
けれどもうどこにも彼女の姿は見えなくて、僕は麗香に抱き寄せられたまま、もう麗香から逃げる事なんてできないって、ただ諦めるしかなかった。
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