十二 夕也と巴



夕也が大学二年にあがったばかりの頃だった。


その日は学校の帰り道に何十匹もの黒い狐に囲まれ、夕也は千手を使って次々と握り潰していくが数はなかなか減らない。



〖夕也様っ!こんな男など放っておけばよろしいのにっ!〗



大きな白い猫又に変化している式神の彩は、長い二本の尻尾で狐達を振り払いながら背後の男を睨みつけた。

子猫の姿の時とは違い、その声は図太く低く響く。


背後では木に寄りかかりながらへたり込む、なんとも気の弱そうな女の子みたいな顔の男が彩にビビりながら座っていた。


そんな彩の言葉を無視し、男を庇うように狐と闘う夕也。



〖ちっ!お主のせいで夕也様はとんだ災難に出くわしたものだ!さっさと逃げろ!夕也様が闘いにくいではないか!〗



男は慌てて林の奥へと隠れた。



〖夕也様!今です!〗



すると夕也は両手を胸の前で合わせて唱えた。



〖乱舞。急急如律令。〗



すると夕也の腕は更に無数と増え、黒い狐達をたたきつぶして行く。


地面が割れ、木々はなぎ倒され、爆音や粉塵と共に狐たちは次々と消滅していった。



「さすがでございます夕也様!」



ポフンっと子猫に戻った彩が夕也の肩に乗った。


夕也は男の元へ行くと手を伸ばした。



「怪我、ない?」



その男に初めて口を開いた瞬間だった。



「は...はい、ありがとうございます...。」



男が手を掴み立ち上がろうとすると、トートバッグから、自分が通う大学の名が印刷された封筒が見えた。



「律位大....」


「え、あ、はい、僕の学校です...けど。」


「.......俺も。」


「えっ?」



二人は話しながら人通りのある道路へと出ると、男は嬉しそうに言った。



「同じ大学だったんですねっ、僕は一年ですけど、先輩ですか?」


「....二年。」



夕也は口数は少ないが男の質問には答えていった。


「あっ...すみません名乗りもしないでっ...

僕、美作 巴(みまさかともえ)って言いますっ。」


「....安倍夕也....。」



すると巴は立ち止まり、言いにくそうに言った。



「あべの....ゆ...夕也...くん、よかったら...また会えますか....?」



すると彩はすかさず男に向かって声を張り散らした。



「バカ者!夕也様はお忙しい方なのだ!貴様などに構っている暇はない!」



男はその言葉に俯いてしまった。



「すみません...でも...あまりに...その....カッコよかったから....。」



男は少し顔を赤らめて呟いた。


すると夕也は振り返ってその様子を見ては珍しい言葉を発した。



「いいよ。」



彩は逆毛を立てて驚いた。

夕也が他人と交友を持とうなど見たことがない。増してやこの男は今しがた出会ったばかりだ。



「あ....えっと....ありがとうございます!」



巴は嬉しそうにニコリと笑った。


夕也はしばらくその笑顔を見つめると、つかえていた事を言った。



「お前....怖くねぇの?」


「え..何がですか?」


「あの黒い狐の妖も..この喋る猫も...俺も。」


「あ....あぁ...、妖はちょっと怖いですが...」


そう言って夕也の肩の上の睨む彩をそーっと見上げながら、


「でも、夕也くんは怖くないです。僕を助けてくれたでしょ、命の恩人ですよっ。」



そうまた笑う巴に、夕也は無表情ではあるが、何か心地いいものを感じていた。


二人は連絡先を交換し、巴は手を振りながら去っていった。



「夕也様のアドレスに家族以外の名前がぁぁあああああーーー!!なんっ...なるたる事っ....!いかがされたのですかっあの様なひ弱な男にぃー!」



肩の上で騒ぐ彩の声を聞き流すと、夕也は黙って振り返り家路を歩いた。


桜の散りかけた、暖かい午後の事だった。






それから夕也と巴は、大学でも顔を合わせるようになり、昼には二人で食堂にいることも多かった。


巴はいつもいろいろな話を楽しそうに話し、夕也はただ黙ってそれを聞いた。

夕也が時々返す相槌に巴はいちいち喜んだ。


二人が大学内を歩いていると、向こうから忙しそうに走ってきた女が巴にぶつかってきた。

女が持っていた書類が地面に散らばった。



「ちょっ..ともぉー!急いでんのにー!ボケっと立ってんじゃねーよ!」


「すっすみませんっ!!」



巴は女と慌てて散らばった書類を拾おうとした。

すると夕也がその手を掴み、巴を立ち上がらせると、他人に珍しく口を開いた。



「なんか言うことねーの。」



身長187cm、無表情な冷たい視線、低音な上に更にトーンを下げた声、

地面に膝を着く女からしたらさぞ恐怖だったであろう。



「ごっ...ごめんねっ!じゃっ!」



女は書類をぐしゃぐしゃにかき集めて慌てて走り去って行った。



「ありがとう夕也くん...。」



夕也はやはり無表情だが、巴の頭にポン、と手を置くと、また歩き出した。

巴はそれがたまらなく嬉しくて、すぐに夕也の後を追った。




「ゆ...夕也くんは...好きな人とかいるんですか.....?」



ある日巴は帰り道の別れ際に夕也へ聞いた。



「.....家族、とか?」



いる、なんて言われたら、明日学校へ行く気力はあるだろうかと不安だったが、意表をつかれて安心した。



「あと、巴。」


「へっ?」



更に意表をつかれた巴は顔を赤らめた。



「あ...ははっ...嬉しいかも...。」



そう照れ笑いすると、巴は別れ道で呟いた。



「僕も好きです。」



巴は振り返って走り去って行った。


それを呆然と見つめる夕也。


すると肩の上に彩が現れた。



「あーあ、よろしいのですか?夕也様......あやつは......」



彩の言葉を遮って夕也が答えた。



「分かってる。」





二人は夕也の住むマンションでも会うようになっていた。


ソファに並び缶ビールを飲みながら、相変わらず楽しそうに笑う巴を見るのが、夕也には心地よかった。


小さい頃から同級生より背が高めで、口数が少なく、笑わず、目つきも据わっていて冷たく見えることから友達は少なかった。


自分にこんなに親しく懐いてくれる者になんてはじめて出会ったのだ。


今でも決して笑うことなく、あまり話すわけでもない夕也だが、

巴は夕也の事情や妖の事、性格にも深入りして来ず、安倍夕也というただの人間として受け入れてくれている気がしていた。



夕也は楽しそうに話している巴の髪の毛を撫でた。



「っ....」



巴はピクリと反応し、夕也を見上げた。



「嫌なら避けて。」



夕也はゆっくりと顔を近づけ、巴の額にキスをした。


巴は緊張気味に顔を赤らめるが、避けることはなかった。


夕也の顔が、巴のくちびるに近づこうとする。



「避けなくていいの?」



夕也のくちびるが、巴のくちびるの直前でそう開いたが、巴はコクリ、と頷いた。


すると夕也は巴の後頭部に手を当て、そっとくちびるをあてた。


突然の展開に頭の中がぐるぐると巡りぎゅっと目を閉じる巴。

手が勝手に夕也の背中へと回っていた。


夕也も巴の背中へ腕を回すと、くちびるを重ねながらソファへゆっくり体を倒した。


くちびるが離れると巴は真っ赤な顔で言った。



「ずっと...こう..してほしく..て..その...」



途切れ途切れに話す真っ赤な顔の巴が可愛らしくて、夕也はふっ、と笑った。





それから幾度と会ううちに、二人は恋人同士となった。


夕也は巴の前でだけ口角を上げられるようになっていた。


とある日、夕也は大学へ向かおうと歩いていると、道路脇の林から微かな妖気を感じた。

そっと林の奥へと近づくと、白い狐の妖が、黒い狐の妖数体に襲われていた。



〖千手。急急如律令。〗



夕也から生えた無数の腕が狐たちを捻り潰した。


白い狐を見ると、逃げるでもなく、震えながら後ずさりしている。


その場でしゃがみ込み、夕也は言った。



「大丈夫か?.....巴。」



その言葉に白い狐はハッとした。


そしてゆっくりとその姿が人間の巴へと変化した。



「知ってたんですか....。いつから....。」


「最初から。」



その言葉に驚く巴は慌てて声を荒らげた。



「僕はっ...夕也くんを騙してしまってるとばかり思って....もう辞めないとって...人間の真似事なんてやめて森に帰ろうって思って...!何度も思って.....!」



涙をポロポロと零し始める巴に、夕也はゆっくり近づいていく。



「来ないで!僕はもう夕也くんとは一緒にいられません!もっと早く言うべきでした。ごめんなさいっ!」



夕也は構わず巴を抱きしめた。



「僕っ...僕っ...夕也くんから離れられなくなってしまって!もう諦めなきゃいけないのに!ごめんなさい!」



「なんで諦めなきゃなんねーの?お前、何に謝ってんの。」



巴は夕也の腕に抱かれたまま言葉をつまらせた。



「妖だから何だ。巴は巴だろ。」



巴は夕也の胸に顔を埋めたまま動けず、ただただ泣くばかりだった。





あれから半年。

夕也くんは相変わらず、口数は少ないけど優しい。


表情も少しだけ明るくなった気がする。



「悪い...巴、母さんからRINEだ...。行かなきゃ...。」



今日こそ学校が終わったら居酒屋デート、のつもりだったけど仕方がない。

昨日は弟さんから緊急事態だって言われて行ったら騙されたんだっけ。

それでも何だかんだで駆けつけちゃうところがカッコイイんだよなー。



「うん、行っておいでよ!今日も弟くんの嘘だといーねっ!」


「......だったら半殺しにしてくる。」


「ふふっ。」



今日もまた、家族でわいわい楽しんできてほしいなっ。





───────



硺也の腹の傷が煙を帯びて修復していく。



「夕兄、ありがと....助かった。」



硺也はフラフラと立ち上がりながら言った。

そして花珠也へと駆け寄る。



「花珠也っ!」


「だい...じょぶだ...。」



花珠也は血まみれの肩を抑えて起き上がった。



「こーゆー時にRINEするもんなんじゃねーの花珠也。」



夕也は晶を締め上げながら言った。



「これがRINE出来る状況に見えるかっ!?」



今日も花珠也の悪ふざけだと思いつつも来てしまった夕也はため息をついた。


凛を巻き込んだ嘘だったら、花珠也を半殺しにしてすぐに巴の元へ戻る予定だったのに、どうもそうはいかないようだ。


すると大きな猫又の彩は、締め上げられている隙に晶の喉元へ食いつこうと飛びかかった。


その瞬間、晶は千手の隙間から背中にもう一本の腕を生やし、拳銃で彩の胸を撃ち抜いた。



〖に”ゃっ!〗



彩は鈍い声を上げ、空中でバク転すると、花珠也と硺也の前へ立ちはだかった。

その胸からは赤く血が滲み出している。



〖ボサっとするな子童共め!夕也様のお手を煩(わずら)わすでない!〗



彩の低く図太い声が轟いた。


硺也に支えれながら立ち上がり、花珠也は弓を構えた。



「怒んなよ彩っ、チュールやるからー。」



肩の傷にふらつきながら花珠也は冗談を言った。



〖昨夜の分も忘れてはいまいな!二本分きっちりいただくぞ!〗



そう言って彩は飛び上がり、花珠也は矢を放った。


夕也の千手が晶の四本目の腕を追いかける。


晶がその三つの攻撃に気を取られている隙に、硺也は白銀の弓を構えた。



〖殺爪!急急如律令!!〗



鋭く尖った爪のような矢先から白銀の炎を纏い、矢は凄まじい速さで晶の首に命中した。



「がっ.....!」



声を発する間もなく、晶の首は吹っ飛ばされた。



彩がポフっと子猫の姿に戻ると、その胸元はまだ赤く染まっていた。



「夕也様...彩は...少し眠りま....す....」


「あぁ。いいよ。」



頭をクラクラとさせてそう言うと、彩はゆっくりと姿を消した。



「お前らも....ひでぇ様だぞ。」



見れば二人とも、白い狩衣が所々赤く汚れている。



「ふはっホントだ。」


「行こう、母さん達が心配....」



硺也がそう言いかけると、屋敷の方で爆発音が響いた。



『母さんっ!』



花珠也と硺也、夕也は全速力で山道を走った。




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