五 花珠也と桜也
もうすぐ日が暮れる。
硺也は屋敷の庭園にある岩に座り、空を眺めていた。
花珠也と、帰れるかもしれない。
それは期待でもあり、不安でもあった。
背後からその不安材料である声が聞こえた。
「鴉が....飛んでいたね。」
「.....咲か。何の用だ。」
「私はね、君を自由にしてあげたいんだ。」
着物にハットを被った咲は、硺也の前まで歩み寄ってきた。
「十分自由を与えられていると思っているが?」
「それは良かった。でもね、君がルールを破れば、いつでも奪ってしまうことができるんだよ?」
「.....よくわかっているつもりだが。」
「そうか、では、もっと躾直さなければいけないね。」
「.....何の話だ。」
咲は片腕をすっと空へ伸ばした。
すると1羽の鴉が指へ止まった。
「これを聞けば分かるよ。」
〖「ヨウ、鴉、待ッテタゼ。」「弦様ヨリ言伝ヲ授カッタ、復唱スル。─────────────」〗
「っっ!!!」
鴉は花珠也と自分が放った鴉との会話を復唱し始めた。
「鴉が飛び立っていくのを見かけてね、これに後を追わせた。」
鴉は上空へ飛び立ち、ぐしゃりと地面へ落下した。
硺也は白銀の弓を構えた。
「忘れていませんよね?君は私に抗うことは出来ない。」
そう言って咲が指を鳴らすと、弓は消え、硺也は胸を抑えて苦しみ始めた。
「う”....あ”っ....!」
「あぁ....舷よ....私が悪いのだ...。君が苦しまぬようにと自由を与えてしまったばっかりに、更なる苦痛を与えることになってしまうとは....。」
「ぁ”あ”あ”あああぁぁぁーーー!!」
咲は地面に膝を着き、苦しみ悶える硺也の前にしゃがみこむ。
「始めから、こうしてあげれば良かったのだね。」
そう言って咲は硺也の額に手を充てる。
咲の手のひらから黒いモヤが現れ、硺也の額の中へと吸い込まれていく。
「よーしよし、苦しかったね、もう大丈夫だ。もう、楽になれる。」
咲に額を撫でられた硺也は無言で立ち上がった。
「さぁ、日が暮れるね。君がいないと苦しむお兄さんを助けに行こう。君の手で、楽にしてあげよう。」
咲が歩き出すと、硺也はゆっくりと後を付いて行った。
日が沈みかけた薄暗い森の中を、花珠也と暁は走っていた。
花珠也のななめ後ろを走る暁は、ちらりと花珠也の顔を見るが、出会ってから初めて見る険しい表情だった。
──────
〖舷様ヨリ言伝ヲ授カッタ。復唱スル。
花珠也、俺ハ呪イヲカケラレテイテ......
────花珠也、俺は呪いをかけられていて燕下から出られない。許しがなければ屋敷の外にも出られない。破れば俺の体は破裂する。
あの着物を着た妖は咲という。
生物の思考や記憶を奪う妖術を使う。
だからずっと現世での記憶はない振りをしていた。
要は咲を倒せば俺の呪いも解ける。
だがあれの妖力は半端じゃない。黒い炎で相手を焼き尽くす。
だがあれは日が暮れるとあまり妖力を発揮出来ないようだ。
俺はまたお前と闘う振りをする。
隙を見て、俺が合図したら双弓を打とう。
日が暮れたら、南東の尖った山の前の屋敷へ来い....
────....山ノ前ノ屋敷ヘ来イ。愛シテルヨ、花珠也。〗
「硺也.....待ってろ。」
すっかり日が落ちた真っ暗な空に、月が上り始めた。
屋敷の前の草原まで到着した2人は、草木に紛れ息を潜めた。
しばらくすると、屋敷の門から人影が現れた。
「硺也さん.....。」
暁は小声で囁いた。
そして花珠也は立ち上がり、草木を掻き分けて硺也へ歩み寄った。
今宵は月が明るい。
暗闇でも硺也の顔がよく見えた。
その目は黒く濁り焦点は合わず、額には黒く血管が浮き出、どことなく足元がふらついている。
────何かがおかしい。
すると突然硺也は地面を蹴り上げ、一直線に花珠也へ飛びかかってきた。
花珠也は硺也の振り上げられた拳を掴むが、勢いに押され地面に叩きつけられた。
─────硺也....加減してないっ....?
そのまま硺也は花珠也を殴り続ける。
妖力を纏ったその拳に、花珠也は防御するのが精一杯だった。
──────硺也...フルで妖力使ってやがる!それにこの目....!正気じゃねぇ!
花珠也は隙を見て波動を放った。
それをかわして硺也が離れる。
すると上空から聞き覚えのある声が聞こえた。
「やぁ。また会ったね。」
花珠也が上空を睨むと、咲がまた同じように宙に浮いていた。
「てめぇ、硺也に何しやがった!」
「彼は私を裏切りましたからね、少しお仕置です。」
咲はそのまま空中に立ち、続けた。
「せっかくの兄弟の再会でしたのに、残念でしたねお兄さん。舷も、お兄さんにお別れしたいですよね、すみません、意識まで奪ってしまって。
こうしましょう。」
咲が指を鳴らすと、ジリジリと近づいていた硺也の片目に光が宿った。
「か....ずや....?」
硺也は視界が霞む目で花珠也の姿を捉えた。
「硺也!!」
花珠也が駆け寄ろうとすると、硺也は再び地面を蹴り上げ飛びかかってきた。
即座に花珠也の殴りかかろうとする手を必死に抑え、なんとか声を絞り出した。
「硺也..っ!どーした!やめろ!」
硺也の顔や首に黒い血管がいくつも浮き出始めた。
そして悲しそうな表情で口をパクパクさせている。
「....ろ...に..げろ..かず....」
「っ!!」
そう言いながらも硺也の力は更に増し、花珠也はそのままじわじわと地面にめり込んでいく。
「これなら、最後のお別れも言えますね舷。抵抗しても無駄ですよお兄さん、
今の舷は私の力と共有しています。
例え舷が力尽きようと、私の力で動かすことが出来る。」
「.....ふ..っざけんなっ....!!」
なんとか硺也を推し投げて咲に飛びかかろうとするが、即座に硺也が追いかけ花珠也の足を掴む。
そのまま花珠也を地面へ叩きつけると、硺也はその手に白銀の弓を持ち始めた。
「や...やめ...硺也...っ!」
花珠也の呼び掛けに片目から涙を流す硺也。
「はや...く逃げて...か..ず...」
言葉とは裏腹に、その手は弦を引く。
もう何本か骨が折れているであろう花珠也は避けきれず、腕で防御しながらその白銀に光る矢を受けてしまった。
「花珠也さんっ!!!」
草むらに隠れていた暁は、爆煙の中片目から涙を流す硺也の姿を見ていた。
硺也は弓を落とすと頭を抱えだした。
「ぅ”...あ”っ..ぁぁぁぁあ”っ....!」
──────硺也さんはあの咲とかいうやつに操られてるんだ!
どうしよう...花珠也さん、このままじゃ攻撃もできないっ!
すると噴煙の中から、咲へ向かって黄金の矢が放たれた。
咲はそれを波動で吹き飛ばし、噴煙の中へ目をこらす。
地面にめり込んだまま寝そべり、弓を構えている花珠也は、あくまで咲だけを狙おうとしているようだ。
「君の相手は私ではありませんよ。」
咲がそう言うと、硺也が再び花珠也へ弓を構えた。
花珠也は一瞬でなんとか身を交し、白銀の矢は地面で爆発した。
その爆風に吹き飛ばされ、花珠也は木に背中を叩きつけられた。
「うぐっ....!」
よく見るとその体は、額や首、腹、腕と、血がしたたり落ちている。
────どうしようっ....どうしようっ...!
このままじゃ花珠也さんがっ....!
硺也がまた弓を構えた。
白銀の矢の切っ先が花珠也に向けられた瞬間だった。
『暁.....ごめんね...ごめんね....。』
突然暁の頭の中に母親の声が響いた。
───────ドクンっ.....
暁の胸の中から何か熱いものが込み上げてくる。
感じたことも無い力がみなぎり、それはもう暁の制御を超えた。
「な....ん....」
暁の手にみるみると白い毛が生え始め、その体は服をぶち破りどんどん大きく膨らみ、暁の目線は森の木々と同じような高さとなった。
花珠也と硺也は異様な妖力に反応し、そのみるみると大きくなってゆくものを呆然と眺めた。
「あ...きー....?」
真っ白な長い毛に包まれ、目は赤く縁取られ、二本の尻尾に、前足が二本、後ろ足が一本、見たことも無い獣が姿を現した。
上空で優雅に見物していた咲は、同じ目線の高さとなった白い獣に目を見開いた。
すると白い獣は瞬間的に咲の胴体へと噛み付いた。
「な...にっ...?」
避けきれず食い破られそうになる咲は獣を波動で吹き飛ばしたが、腹の肉を僅かに食いちぎった獣は有無を言わさずまた咲へ噛み付こうと飛びかかった。
その間に咲の力が弱まった硺也は地面に膝を付いた。
頭を抱え、咲の呪いへ抗おうと冷や汗をかきながら悶えている。
花珠也は硺也へ駆け寄り、手を差し伸べようと言った。
「硺也....しっかりしろ...分かるだろ...?俺だよ...俺がお前に本気で手出せるわけねーだろ....一緒に帰ろ....な....?」
すると硺也は両目から涙を流し、手を伸ばしなが言った。
「花珠也....帰りたい...お前とっ...帰りたいっ....!」
その様子を横目で見ていた獣に苦戦する咲は、隙を見て指をパチンと鳴らした。
すると硺也の伸ばしかけていた腕に黒い螺旋状の模様が浮かび上がり、それはあっという間に首や顔、全身へと広がった。
「あ”....ぁあ”あ”っ!!」
苦しみ悶える硺也の伸ばした片腕が、突然勝手にバキバキと音を立てて無理矢理に獣へと手を翳した。
そして白銀の光を放つと、獣の背中へと命中した。
甲高い奇声を発する獣に、咲は人差し指を向け光を放つと、獣の胴体を貫き爆発した。
獣は地面へと地響きを上げて落下した。
「アッキー!!」
獣は起き上がろうとジタバタもがいている。
「驚きましたね....どこにこんな化け物を隠していたんです?」
全身血まみれな咲は腹を抑え息を荒らげながら言った。
すると咲はまた指を鳴らした。
硺也はそれに反応して身悶える中花珠也へ手のひらを向け、白銀の光を放った。
「あっ..がっ....!」
それをまともに受けた花珠也はもう大量の出血に意識が飛びかけていた。
獣の傍まで飛ばされた花珠也はその白い毛で覆われた顔に手を伸ばした。
「アッキー...お前は...一体....。」
獣は真っ白な長い毛が赤く血染まり、尚も立ち上がろうとしている。
咲はまた指を鳴らした。
しかし硺也の体は、変な方向に曲がった腕、咲の呪いに耐えきれず悶え苦しみ、これ以上無理矢理に動きそうにない。
「ちっ。所詮は紛い物の妖。」
咲はそう舌打ちし、人差し指を花珠也へ向けた。
「安心してください。彼の体はちゃんと治してあげます。君はもう去りなさい。」
指の先が光出したその時だった。
──────シャンっ....
どこからともなく聞こえた金属音に、花珠也は聞き覚えがあった。
〖爆創!急急如律令!〗
その号令と共に、花珠也の背後から激しい光の槍が咲へ向かった。
すると花珠也の頭上から、怒号と共に男が舞い降りてきた。
「何やってんだ馬鹿ガキがっ!!」
花珠也と同じような正装に身を包み、手には金剛杖、茶髪の長髪はハーフに束ね、、横長な四角い眼鏡をかけた男が花珠也を睨みつける。
「っ!!桜(さく)兄!!」
安倍家長男、金剛杖使いの桜也(さくや)だった。
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